六章 ルーシーの期待
月明かりが差し込む城の廊下でふわりふわりと宙を舞う。
肉体はない方が楽だ。興味本位で顕現してみたものの、楽しかったのは初めだけで疲れの方が勝っている。
ただ残念なことに顕現しなければ魔の力を持つモノとしか話せないのだ。折角王子に着いてまわっていても、反応がなければつまらない。
結果、日中は出来るだけ実体化をして夜はこうしてふわふわと城をウロウロしている。
この城は生気が少なく、負の気配をたんまりと詰め込んでいた。
だから、多少契約なしに摘み喰いをしても許されるだろう。魂を喰べなければ大事にはならないだろうし、寿命の一年や二年喰べたところで誰も気づかないに違いない。
本当は勝手に喰べるとよくないのだけれど、相手が魔の力を持たない単なる人間であれば、契約なんてなくても力技で味見くらいなら出来る。
私は毎夜美味しいモノを探して彷徨っていた。
ふと、美味しい匂いが鼻を掠めた気がして、私はそちらに行くことにした。
ふわりふわりと白いフリルが揺れる。これを花のようだと言ったのは誰だっただろうか。
その言葉の所為でこの服ばかり着ている気がするのに、長く生きている私は微塵も覚えていない。
揺れるそれを視界の端に収めながら進んでいく。
匂いの元まできて、じゅるり涎を啜る。
そこには私のご馳走がいた。
髪の毛一本くらいでもいただけないだろうかと手を伸ばすと、バリアのようなモノに弾かれた。
「手癖の悪い悪魔だね」
「えー、悪魔の中なら私は良心的な方でしょう?」
弾かれて痛む手を摩りながら口を尖らせた。
私より悪どい悪魔なんて沢山いる。
私が強くてそこそこ常識ある悪魔だから、先代の魔女の長は契約を許していたのを忘れたのだろうか。
「契約を破った癖にどの口が……」
「破ってないわよ。だってあの時アンタ死んでたじゃない。だから、ノーカンよノーカン!」
「屁理屈だ!お前は私が対価を用意していたことも、あの馬鹿が何かを差し出すことも分かってたはずだよ」
今日の魔女はいつになく怒っている。
力を貸してやっているのにいっつも文句ばっかり──。
この魔女の魂があり得ないくらい美味しくなかったら契約なんて絶対にしないのに。
上手くちょろまかそうとしてもきっちり等価にされるし、悪魔泣かせにも程がある。
「だって、たまにはゲテモノも喰べてみたいじゃない」
半端な魔の力なのに、なかなか美味しかったあの少年を思い出す。
私に名前をつけようとして、光なんてあり得ないあだ名をつけた馬鹿な人間。
「ふざけるなっ!私はお前と契約をした時、何があっても周りの人間には手を出すなと言ったはずだ!なのにどうしてあの馬鹿を……!しかもまた誑かしているんだろう!」
「えぇ……。なんでそんなに怒るのよ。悪魔の摘み喰いなんてよくあることでしょう?」
後誑かしてもないし、と訴えてみる。
あの少年が勝手に会いに来るわけだし、絡まれたくて絡まれたわけじゃない。
大体、押しかけられ続けているのに、一口たりとも何も喰べていないのだから、そんな風に言いがかりをつけられるのは納得いかなかった。
「そうさせない為に私はお前に多く対価を渡してきたはずなのだけれど」
「あれっぽっちで多いわけないじゃない。これだからお子ちゃまはダメねぇ。先代ならもっと上手くやったわよ。私はもーっと自由だった代わりにちゃあんと言うことを聞いてやったわ」
先代の魔女の長を思い出す。
あの魔女は可笑しな魔女だった。私をまるで友人のように扱って、お茶やお菓子なんかでもてなして──。
私はそんなモノ喰べたって嬉しくもなんともないというのに。
「大体、二十そこそこの魔女に悪魔とやりあうなんて無理なのよ。力が強くたって無理矢理従わせることは出来ないんだから」
馬鹿な魔女を鼻で嗤う。
いつも誰にも助けを求めずに必死な姿は愚かとしか言いようがない。悪魔は群れないけれど、人間は群れるのだから数の利を活かすべきだ。
「私は二十六だ。子供なんかじゃあない!」
「……今日のアンタなんか変ね。もっとのらりくらりしてなかったっけ?悪魔と同じレベルになりたくないとかなんとか」
「……別に。私がいなくなった後、お前が契約を守るのか疑わしく思っただけだ」
その言葉に思わず声をあげて笑ってしまう。
この魔女は自分の価値というものをわかっていないらしい。
摘み喰いはするかもしれないけれど、破ることはない──出来ない。
「ふっあははは!アンタの肉体から魂までを対価にするのに守らないわけないでしょう?そんなに高い対価をもらって破ったりしたら流石の私でも消えちゃうわよ」
まだまだ美味しいモノを喰べたいのに、消えるようなことをするほど馬鹿じゃない。
喰べても喰べても満たされないこれを満たせるまでは消えてたまるか。
魔女は舌打ちをして私を睨んでいる。
本当に子供だ。もっと老獪にならないから魂なんて差し出すハメになるのだ。
「ふふっ。まあ、心配しなくてもアンタの魂を喰べきってから向こう百年は何もしないわよ。一気に喰べちゃうのは勿体無いから、少しずつ少しずつながーい時間をかけて喰べる予定だし、五百年くらいは大丈夫じゃないかしら」
ああ、早く喰べたい。瓶に入れた魂を愛でながら、毎日少しずつ。
この魔女の性格が私好みなら、魂姿でも話せるようにしてやってもいいのだけれど、そうでもないからただ眺めるだけ。少しつまらないけれど仕方がない。
魔女の魂を手に入れた時のことを想像して、唾液が湧いてくる。ああ、口が寂しい。そこらの人間を摘み喰いでもしようか。
別の場所に移動しようかとした時に、王子の気配を感じた。
「おや、魔女殿。こんなところでどうしたのかな」
見えていないはずなのにチラリとこちらを見た王子はなんてことないように、魔女に声をかけた。
きっとおおよその状況はわかっているだろうに食えない王子だ。
こういう賢い人間は嫌いじゃない。卑怯で打算的で、けれど慈悲もある。矛盾だらけで、とても人間らしい。
「飼うなら躾はちゃんとすべきだね。無作法にも程があるよ」
刺々しい声に笑ってしまう。
八つ当たりであることが丸わかりだ。王子だって目を丸くしている。
どうしてそんなに悪魔が嫌いなのだろうか。
嫌悪を抱いて然るべき気配かもしれないけれど、魔女にとっては幼い頃から感じている馴染み深いモノだろうに。
「飼うなんてとんでもない。本人曰く計画に支障が出たら力を貸してくれるらしいよ。本当に好かれているんだね」
当てつけのように綺麗に微笑んだ王子に、魔女は盛大に苦い顔をした。
「……笑えない冗談だね」
「そうかな。厄介なモノに好かれるのは君の十八番だろう?」
鋭い切り返しが可笑しくて、王子の肩に肘を置いて魔女を指差した。
「ふっ、ふふっ。ほらぁ、人間にも舐められてるじゃない」
堪えきれない笑いを漏らしていると、魔女は盛大に舌打ちをしてこちらを睨んでいる。
そんな風に見られたってこっちは痛くも痒くもない。
「……明日の話をしに来たんだ」
魔女は私を無視することにしたらしく、表情を消してそう言った。
王子は皮肉っぽく口を歪めた。
「やっぱり辞めたいって言いにきたのかい?」
「そんなわけないだろう。決行は朝でいいのか?」
「いや、夜だ」
「は、夜?」
魔女は目を丸くしている。
人を殺すのに朝も夜も変わらないと思うのだけれど、態々時間指定とは。人間は変なことに拘る。
「明日の夜に始末して、明後日の朝に国民には知らせるよ。建国祭の次の日から新しい日々が始まるんだ」
「なるほどね。血生臭い幕開けにはしたくないわけだ」
「いつ知らせたって血生臭い幕開けには変わりないじゃない。だって殺して奪うんでしょう?」
「うるさいな!」
思わずといったようにこちらを見て魔女は声を上げた。
王子は笑っている。
「様子が可笑しいと思っていたんだけれど、そこにいるんだね」
言われて私は実体になってやることにした。
ふわりと地面に足をつけて、いつもの地味な見た目を作っていく。
「魔の力もないのによく私の気配がわかるわよね」
だから手伝ってやってもいいかと思ったんだけど、と言い切って王子に流し目を送る。
王子はにこやかに笑っている癖に、冷ややかで私を拒絶しているように見えた。
笑顔でこれだけ感情豊かになる人間も珍しい。可笑しくて口元を歪める。
「幼い頃から魔女殿に関わっているからかな」
「ああ、そっか。魔女の長になってからここに来てるんだっけ。んー、五年くらい?」
首を傾げると、魔女はじっとりとこっちを見ている。
どうやら不服らしい。
「十年だよ。悪魔の体感速度が可笑しいのはどうにかならないのかい」
「無理よ。悪魔は人みたいに時間を気にしないもの。死なないからね」
王子は興味深そうに魔女と私の話を聞いている。
そんな王子に水を向けた。
「それで、私の出番はありそう?ちゃっちゃと終わらせてほしいんだけど」
「今のところはないかな。不測の事態が起きた時は助力を願うかもしれないけれど」
私は楽だけれどつまらないなと適当に相槌をうつ。
「いいや、助力なんて願うことはない。どうせそうなったら何か対価を求める気だろう」
「えー、そんなつもりなかったけど、アンタが言うならそうしよっかなあ」
「おい!」
「うふふ、冗談よ。善意で手伝ってあげるわ」
魔女はこちらを睨んでいる。嘘だと言いたいようだ。
酷い話だ。この魔女を手に入れられるならちょっとくらいおまけしてやろうかと思っているだけなのに。
「……もし対価がいると言うのなら私が払おう。髪や血液でもいいんだろう?」
「そうね。血を1ℓかな」
「ふざけるな!」
「やあねぇ。冗談じゃない」
クスクスと笑ってやると魔女は今にも私を殺しにきそうな目で睨みつけている。まあ、どうしたって殺すことは出来ないのだけれど。
「はぁ……。兎に角、建国祭が終わるまでは君は自由だ。好きに過ごせばいいよ。どうせ建国祭に参加したこともないんだろう?」
私と魔女の緊張を壊すように、呆れた声音で王子は言葉を挟む。
「らしくないことを言うじゃあないか。感傷的になっているのかい」
父親が死ぬのだからと魔女は王子をせせら笑う。そんな魔女に王子は意地悪そうに口の端を上げた。
「哀れな魔女殿に慈悲をと思っただけだよ。ああ、後、愚かな弟にも。最期くらい幸せな一時を過ごしたっていいだろう?」
「余計なお世話だよ」
魔女は視線を逸らした。
──ふーん、王子の弟
魔女が気に入っている人間とは興味深い。
この王子の弟でもあるというなら、相当可笑しな人間なのだろう。魔女を喰ったらそいつを揶揄うのも一興かもしれない。
そんなことを思ってニヤニヤしていたら、魔女と目が合った。引き攣っていく魔女の顔が面白すぎる。
「そんな顔しなくても何もしないわよ」
今はまだとは口にしないけれど、魔女はわかっているようで、ぐるぐると打開策を考えているらしい。
そんなに大切なら一緒に喰ってやろうか。そうすれば、ずっと一緒だ。
提案しようかと思ったら、王子が苦笑しながら私を見た。
「私の弟はきっと君のお眼鏡にはかなわないよ。魔女殿が好きなだけの凡庸な人間だ」
俄然興味が湧いたけれど、やる気なさげに返事をしておいた。
魔女を揶揄うのに飽きてしまった。気が向けば摘み喰いしにいくかもしれないけれど、今は気分ではない。
私は実体化を解き、その場を去った。
魔女は何か言いたげだったけれど、そんなものどうでもいい。
──ああ、早く終わらないかなあ
私は口の中に溜まった唾液をゴクリと飲み込んだ。




