七章 ニコスの鬱屈
それは、とても優しい世界だと思った。
活気ある風景に彼女が守ったモノの大きさを知った。
今日は建国祭だ。
昔からこの祭りでは魔女が出す屋台が人気だった。
今年もそれは変わらない。魔女という名前をなくした魔女たちはいつものように普通の人に紛れて屋台を出している。
こう出来なくなりそうだったのを、彼女の死が救ったのだ。
感謝すべきことなのに、やるせなくて苦しい。彼女の死の影響を見るたびに、心が沈んで戻ってこられなくなる。
けれど、今日はそれどころではなかった。
今日、俺の隣には六歳くらいの子供が立っている。
今日、俺は城の外に出る予定はなかった。
俺が建国祭に最後に参加したのは偶然彼女に会ったあの日で、どうしても彼女のことばかり思い出す。
それが苦痛で、俺は一歩たりとも外に出たくなんてなかった。騎士の仕事さえ放り投げて、部屋にこもるつもりだった。
けれど、朝目を覚ましたらレネがいた。
レネは俺に身支度をするように言ってから、いつもより若干身綺麗に人形の形を作っていた。それをぼんやりと見ていると、レネはムッとした声音で俺を急がせる。
「ほら、祭りに行くんだから早く用意するんだ。遅くなれば混むだろう」
その言葉に色々言いたいことはあったのだけれど、俺の口から出たのは一つだけだった。
「お前、その格好で行くのか……?」
「何か問題があるのかい?」
問題しかないだろう。
大の大人が人形を抱いて歩くなんてどんな拷問だ。
母親に似て女顔だから変ではないと言われそうだけれど、そういう問題ではない。
それに、彼女との思い出がある場所を一人で歩くなんてどうしてもしたくない。
けれど、レネはどうしても行きたそうにウズウズしている。
彼女らしくない反応にレネはやはり彼女ではないと言い聞かせて、けれど、俺に断るという選択肢はなかった。
大きく溜息を吐いて、どうにか心を落ち着ける。
「問題しかないだろう。……せめて、人型にはなれないのか」
レネは俺の言葉に考えるように腕を組んだ。そして、やれやれと言うように肩をすくめて、口を開いた。
「……あまり力は使いたくないのだけれどね。今日だけは我儘を聞いてあげるよ」
我儘と言われてぐっと歯を噛み締める。
俺の願いが我儘だと言われるのは納得いかないけれど、俺のことに労力をかけさせるのはなんだか申し訳ない。
けれど、どうしても一人で祭りに行くなんてしたくない。
訂正も出来ずに黙っていると、レネはさらさらと塵のように崩れ、靄のように小さな人型を作る。
そうして、現れたのは幼い子供だった。艶のあるオニキスのような黒髪に、血のような真紅の目は紛うことない彼女の色だった。
それに息を呑んで何も言えないでいると、彼女は自分の体を確認して、アイを拾ったのがこれくらいかねぇと一つ頷いた。
「いやあ、あの犬っころも大きくなったものだ。あれから十年……子供の成長は早いもんだねぇ」
レネはまるで彼女のように遠くを見てぼやいている。
その声はしみじみとしているのに、顔には子供が浮かべるはずもない穏やかな笑みが浮かんでいた。
そんな風に思ってもらえるアイが心底羨ましい。
そこまで思って、またレネを彼女だと誤認していることに気がついた。
きっとレネを彼女であると思ってしまう方が余程楽なのだろう。自分の融通の効かなさに嫌気がさした。
「ほら、これでいいだろう?早く用意して行くよ」
俺は言葉を返すことが出来なくて、黙ったまま支度をして部屋を出た。
外に出るまで誰にも出会わなかったから何かしらの術を使ったのだろう。それこそ力の無駄遣いなのではないだろうか。そんな益体もないことをぼんやり頭に浮かべながら黙って歩いた。
城を出て祭りに向かって歩く。
賑やかな喧騒が聞こえてきた頃、レネは足を止めた。
「ほら」
目をやるとレネは両手を広げて俺を見ている。
「なんだよ」
「抱っこだ抱っこ」
「はあ!?」
意味がわからなくて思わず大きな声が出た──いや、意味はわかる。けれど、レネがそんなことを言うのが俄かに信じられなくて、目を見開いて凝視してしまう。
「人の多いところで逸れると不味いだろう。このサイズで人混みを歩いたことなんてないし、その方が話しやすいだろう」
その言葉に納得して、けれど、なんとなく据わりが悪い。
苦い表情で動かない俺に、レネは早くと急かす。
俺は渋々しゃがんで、レネを抱き上げた。
レネは人ではない癖に、温かく質量がある。
命の重みがした。
「いやあ、これだけ目線が高いといいねぇ。遠くまでよく見える」
レネは俺の肩までよじ登って楽しそうに辺りを見回している。
俺は何も考えたくなくなって、黙って歩き出した。
レネは屋台一つ一つに燥いで、足を止めさせて中を覗いた。
フルーツ飴をねだってみたり、魔女と思しき人間が出している骨董品を物色したり、自分の本体である人形を買った店の不細工な人形を手に取ってみたり──。
楽しそうにケラケラ笑っている。
「……お前、本当に彼女の残滓なのか?」
飲み物を片手に小休止している時に、思わず問うてしまっていた。あまりにも彼女らしくない行動に思えたから。
「なんでだい?私はあの魔女にそっくりだと思うのだけれど」
「……そうだな。けど、今日のレネは彼女には似てない」
俺の言葉を聞いたレネはポカンと口を開け数秒止まってから、腹を抱えて笑い始めた。
俺は呆然とその姿を見つめることしか出来なかった。笑われる意味もわからなければ、レネが嬉しそうな意味もわからない。
「ふふっ、ああ、それはそれはよかった」
まだ笑い足りなそうに笑いを収めたレネは目尻に浮いた涙を拭いながら、ニンマリと口元を歪める。
「そう思われるなら、あの魔女も喜ぶだろうさ」
「はあ?」
「……お前に知られたくなかったことが沢山あるってことさ」
言われて閉口する。
悔しくて悲しかった。
彼女が俺を大切に思ってくれていたことは知っている。けれど、それだけだった。頼ってもらえるわけでも、利用してもらえるわけでもない。
俺は何にもなれない。
「そんな顔するんじゃあないよ。お前が悪いわけじゃあない。悪いのは全てあの魔女だ」
「じゃあどうして……。悪いと言うのならばどうしてもっと壊してくれなかったんだ!死なせてくれなかったんだ!……俺を連れて行ってくれなかったんだっ!」
頭の端で周りに人がいなくてよかったと思った。そんなどこか冷静な自分に嫌悪する。
彼女のことだけを考えて生きたいのに、俺はそんな風に生きられていない。
「俺は彼女を恨んでる。あんなに愛おしく思っていたのに、彼女を憎んでる。ドロリと濁った感情を彼女に向けたくなんてないのに、許せないんだ!」
「ははっ!恨めばいい。憎めばいい。あの魔女はそうしてお前の中に残ることを選んだのさ!……可哀想にな」
これが彼女の願った形だとは思わなかった。
だからこそ、怒りが再燃する。悲しみを糧に燃えていたそれが、今度は憎しみを糧に燃え始める。
「……彼女はどこまで行っても俺には優しくないんだな」
乾いた笑いが漏れる。
きっと俺は一生彼女に囚われて生きるのだろう。
「俺は……いつまでも彼女の手のひらの上で彼女の願い通りに生きて死ぬのか」
それにどこか悦びを感じている自分がいて、可笑しくてたまらない。
彼女なしで俺は生きられないのに、息も出来ないような世界で生き続けることが彼女の願いなら叶えなければ──なんて。
「……あの魔女はそこまでは望んでいないさ。お前の幸せだって願っているよ。だから、今だけだよ。私の用事が済めば楽にしてやるから安心すればいい」
「何を言って……」
「心配しなくてもお前の未来は明るい。そういう話さ」
そう言ってレネはこの会話を切り上げてしまった。
深い話を聞こうにもまた祭りに夢中になり始めたレネの邪魔をすることは憚られて、溜息を吐いて心を切り替える。
用事とやらがいつ終わるのかはわからないけれど、また話を聞ける時間はあるだろうと思った。
彼女が大切な話をする時はいつだって最期の時なのにそれを忘れて俺は呑気なことを思っていた。




