三章 ニコスの焦燥
レネと契約をしてから数日が過ぎた。
あれからレネとは会っていない。だからというわけでもないが、俺は以前と変わらぬモノクロな生活を送っている。
俺は騎士だ。王族だから名ばかりの騎士である、というわけではない。何かあれば前線に出るし、人手が足りなければ単騎出撃をすることもある。
比べたことはないけれど、この国で一番強いと言っても過言ではないだろう。だけれど、大きな役職に就くつもりはさらさらなかった。
偉くなればなるほど面倒事が増え、階級が上がれば上がるほど戦場に出向くことが少なくなるからだ。
俺は彼女が死んでから単騎で突っ込んで戦死したいという気持ちに駆られることがあった。彼女に言い訳出来る形で死んでしまえたら、怒られる事なく彼女に会うことが出来る。
けれど、残念ながら俺はこの国の第二王子で、そんな機会はまあやってこない。
結局、俺が出来るのは、機会があった時に単騎出撃を許されるように、強さをアピールすることくらいなのだ。
だから、その為に彼女に会いに行っていた時間を全て鍛錬に回すようになった。
彼女に会いに行く時間を捻出する為に早朝にしていた鍛錬はそのままなので、いつの間にか努力の人だと評価されていて座りが悪かった。ただの破滅願望でしかないのに。
本当なら早朝の鍛錬はやめてもいい。きっと俺の精神安定上、睡眠にあてるほうが健全だ。
けれど、その習慣を変えることが出来ずにいた。
変えてしまえば、彼女の足跡を消し去ってしまう気がしてやめられなかった。続けたところで、彼女が帰ってくることなんて無いのに。
結局、俺はなんの志も持たぬまま、淡々と変わらぬ日々を過ごしている。
その日の早朝、いつものように無気力にぼんやりと鍛錬をしていた。必要性がわからない惰性の行為は、心を曇らせるばかりだった。
そんな朝にレネは現れた。
驚きはしなかった。視認する前に魔の力を感じたから。
「感心だねぇ。こんな朝早くからよくやるものだ」
なんの感慨もなくレネは呟く。
その声はとても眠そうだった。
ああ、彼女も朝が苦手だったなと思い出して、苦い気持ちになる。
彼女との共通点を見つけるたびに心が波打つ。一つ一つ彼女との想い出をなぞるように思い出して苦しい癖に、記憶の中の彼女の笑顔に絆されて、何もかもを許しそうになる。
「今日はなんの用だ」
俺は顰めっ面で尋ねた。
約束を守ってもらう為に、レネに定期的に会わなければいけない。けれど、自分の中でレネをどう扱うのか決めかねていた。
彼女だと思って接するのか、彼女の身内だと思うのか、全く別のモノだと思うのか。決められなくて、思考も感情もしっちゃかめっちゃかになる。
「大した用じゃあないよ。ただ、王宮内を案内して欲しいだけさ」
俺の葛藤なんて意にも介さずレネは軽く言った。
俺はレネがそれを頼む理由がわからなかった。
困惑で返事出来ずに黙っていると、それを勝手に肯定だととったレネが肩に乗ってきた。そして、動き出すのを待っている。
俺は一つため息をこぼして、仕方なく鍛錬に使っていた道具を片付け始めた。
動きながら、横目でレネを捉える。重みを感じないから黙られると存在しているか不安になる。魔の力を感じるからと言っても、それがあるからそこに在ると盲目に信じられるような性格はしていない。
目があったレネは俺の考えていることがわかったのかケラケラと笑う。口の中が苦くなった気がした。
「……案内って言ったって、お前は城の構造知ってるだろ」
片付け終わって、レネに声をかける。
そもそも、城の内部を知らなければ俺の部屋までは辿り着けない。
ましてや、彼女の残滓だというのだから、どこまで彼女の記憶があるのかわからないけれど、城のことなど熟知しているはずだ。魔女の長としていつも呼び出されていた彼女は家にいる時間と同じくらいここにいたのだから。
「構造はわかるよ。でも、それじゃあダメなんだ。私が知りたいのは城の空気感。王族ならどこに入ったって怒られないんだからもってこいだろう?」
レネはとても楽しそうだ。今からピクニックにでも行くかのようなテンションで、小さく鼻歌まで歌っている。そんなに城の中はレネにとって愉快なのだろうか。
いや──と思う。彼女のテンションが高い時は、本当に楽しみなのではなくて鼓舞であることが多かった。
──レネもそうなのか?
もしそうであるならば気が進まない。
「……塵になれるなら1人で探索出来るだろ」
言い負かされるのがわかっているのに、悪足掻きをしてみる。鼓舞が必要な事柄なんて思い当たらないけれど、出来ることなら行きたくないと思った。
「あれはそんな便利なものじゃあないよ。それに人にくっついている方が騒がれる心配がないだろう?」
確かに、こんなよくわからない物体が飛び回っていたら不審でしかない。誰かに連れて行ってもらえるならそれに越したことはないのだろう。
俺はまた溜息を吐く。
今まで彼女のお願いを叶えなかったことはない。
彼女の気配を纏うレネの願いを突っぱねるのは気が進まなかった。
「……で、どこから行くんだ」
投げやりに俺は尋ねた。
レネはクスリと笑って腕を伸ばした。行きたい場所を指しているらしい。
「じゃあ、エントランスに向かってくれるかい。我が主?」
揶揄うように言ったレネに反応を返さずに歩き出す。
どうにも嫌な感じがした。よくないモノが在るようなそんな感じが。
眉を顰めて歩いていると、ふと大変なことに気がついた。
「お前……その姿で行くつもりか」
レネはくたびれた人形姿のまま俺の肩に乗っている。
目立つというレベルではない。もはやホラーだ。
「ああ、確かにこれじゃあダメだね。なら、こうしよう」
レネは悩むことなくサラサラと形を崩し、俺の左耳に集まり姿を変えた。
見えないけれど、どうやらピアスに変身したようだ。
そーっと手を伸ばして耳を確かめる。指でピアスの縁をなぞり、サイズや質感なんかを確認していると頭に声が響いた。
『あまり触らないでもらえるかな。擽ったいんだ』
焦って、手を離す。直接声が聞こえたことと、物ではないのにまさぐってしまったことに動揺して心拍数が上昇する。
──たかが人形だ
いくら彼女の残滓だとしても、もう人ではないモノだ。動揺なんてする必要はない。だというのに、彼女を頭に浮かべて反応してしまう。
俺はそれが恥ずかしく、悔しくて、口を引き結んで歩を進めたのだった。
エントランスには忙しなく動き回る人しかいなかった。登城する人も、どこかへ出掛けていく人も、皆一様に暗く疲れ切った顔をしている。
昔とはかけ離れたどんよりと曇った空気が、そこには漂っていた。
『これはまた酷いね。いつもこうなのか?』
『彼女の処刑の後からずっとこうだよ。陛下の乱心はとどまるところを知らない、ってな』
頭の中で返事をする。
今の城内はどこに行っても陰気な雰囲気で息が詰まる。それもこれも全ては父親である陛下の所為だった。
彼女が処刑されてから、陛下はどんどんおかしくなっていった。
昔は堅実な政治をする人だった。王妃が生きている頃は賢君と名高かったとも聞いている。
その時は、まだ魔女嫌いでもなかったという。
転機は王妃が亡くなったことだ。王妃が死んだのは魔女の所為だと陛下が思ったことが魔女嫌いの発端らしい。実際にはそんな事実はないと兄であるゼノンが言っていたから、陛下の思い込みなわけだけれど。
ゼノンは心が弱いからそう思うのだと陛下をせせら笑っていた。
けれど、その後、魔女を憎みながらも、陛下は国政に支障をきたすことはなかった。暗君にはならなかった。
だというのに、気がつけば、魔女の長たる彼女を処刑するような愚行に走っていた。
だけれど、それで元に戻ってくれるのならば良かった。俺の心境的には全く良くないけれど、この国の未来や民のことを思えば、それで正気に戻ってくれるなら諦めなければいけないことだっただろう。
けれど、陛下は彼女が死んでからというものの、さらに人が変わったようになり、横暴で他人の言葉を聞かない暴君に成り果てた。
唯一の救いは、国政の半分をゼノンが行っていたことだ。そのおかげで、この国は魔女なしでも破綻せずに来られている。
そこでふと、そういえば──と思う。
俺はもともと陛下が正気に戻るとは考えていなかった。きっと、魔女と呼ばれるモノを全て排除するまで止まらないだろう、と。
けれど、処刑の日以降、何故か皆一様に、魔女は彼女だけだと言うのだ。誰に聞いても不思議そうな顔をして、街の顔馴染みも魔女なんて知らないと言う。
初めは呆けているのかと思った。魔女はいないことにした方がいいことは明白だったから、いないという体にしているのかと。
けれど、どうやらそうでもないらしい。深く調べようかと思い、街に降りた時、露天の薬売りを見て理解した。これは彼女が望んだことだと。
その薬売りは彼女を慕った魔女の1人だった。以前、彼女と一緒に同じ光景を見たことがある。この娘がこうして薬を売っている姿を。
大昔はこれが出来なかった。魔女は気味悪い生きモノで、魔女が作ったモノなんか気持ち悪いとすら思われて──けれど、長い時間をかけて、ようやく小娘1人でも効果を疑うことなく、買ってもらえるようになった。
彼女はきっとそれが壊れてしまうのを避けたかったのだろう。
一生懸命に接客する少女を見て、これがずっと続く日常の風景になればいいと鷹揚に笑っていた彼女の姿が脳裏に浮かんだ。
胸がグッと熱くなる。泣きそうだ。
どこまでも人の為にしか生きられない人だった。その在り方が好きで、けれども、酷く憎らしい。
彼女についてまた憎しみの念を覚えて、そこで、このことを深く探ることをやめた。
この事について知らないはずがないゼノンが何もしようとしていないのだから、問題はないのだろう。そう思ったから。
何故そんな事を今思い出したのかと言うと、あの時薬売りの少女から薬を買っていた女が目の前を通ったからだ。
その女が通っただけならば、城の役人だったのだと見咎める必要はない。けれど、あの制服はゼノンの側近の服だった。だというのに、俺は顔も名前も知らなかった。
確かに、最近新しい部下が出来たとは聞いていたけれど、全く知らないのはどうにもおかしい。それに何故だか嫌な気配がしていた。
声をかけようと口を開いたけれど、静止の声がかかる。
『大丈夫だ』
何が大丈夫だというのだろうか。
不審な人物をゼノンが側に置いておくはずがない。けれど、知らない人間を見なかった事に出来る立場にはいなかった。
『この国に悪さをするモノじゃあない』
だから放置されているんだろう、と。
そう言われてしまえばもう何も言えない。ゼノンが介入しないとはそういう事だからだ。
けれど、レネの言葉には嫌悪が滲んでいて、納得がいかなかった。
追うことも、さりとて、去ることも出来ない俺はその場に立ち尽くした。何も言わずに黙り込む俺を見かねて、レネが早く行こうと促す。
言われるがままに足を動かしていると、執務室の方に来ていた。
不味いと思った。
誘導通りに歩いたので、レネは理解しているだろうけれど、執務室ではいつもゼノンが仕事をしている。
そして、ゼノンと彼女は決して引き合わせてはいけないのだ。
執務室に辿り着くには長い廊下を渡らなければいけない。普段であれば大勢の役人が行ったり来たりしているのだけれど、朝早いということもあり殆ど人はいなかった。
そこまできてようやく正気に戻った俺は引き返そうと、足を止めた。
そして、後ろから声をかけられて心臓が止まりそうになった。
「あれ?ニコス、どうしたんだい?」
「…おはようございます、兄上」
慌てて普段通りを装う。
聡明なゼノンのことだ。隠し事があることはバレてしまったかもしれないけれど、何かまではわからないだろう。後は、この後ろめたさに気づかれない事を祈るばかりだった。
「この時間にここにいるなんて、何か急ぎの書類でもあったかな」
俺に手で軽く挨拶を返し、不思議そうにゼノンは首を傾げた。その姿は特に何も疑っているようには見えなかった。
その様子にほっと胸を撫で下ろす。気づかれなかったと楽観視出来るわけではないけれど、とりあえずは何も気づかなかった事にしてくれるらしい。
後は、上手い言い訳さえ見つけられれば見逃してもらえるだろう。
「…いや、兄上に聞きたいことがあって」
──新しい側近ってどんな奴?
どう誤魔化したものか、と困って特に聞く予定ではなかったことが口から飛び出た。
気にしなくていいとは言われたけれど、やはり気になった。
ゼノンが決めた事なので、問題がある人物ではないのだろうけれど、ずっとよくないモノである気がしていて、胸がざわつく。
「ああ。可もなく不可もなく、毒にも薬にもならない──そんな感じかな。特筆する事は何もなく、目立たない。至って普通だね」
陛下が回してきた人材でもないし問題ないと思うよ、とゼノンはそれに対して関心がないようだった。
周りの人間を上手く使うゼノンにしては珍しい事だ。だけれど、言い換えれば、どうでもいいと思うほど影の薄い人物という事なのだろう。
言葉では理解出来ても感覚が納得してはいけないといっている。認識と思考の乖離によくわからなくなる。俺はどうしてこんな風に感じているのだろう。
頭の中であれこれ考えていると、それがどうかしたのか、とばかりにゼノンがこちらを見ていた。
俺は、さっき見かけたから気になって、と努めてなんでもないように言った。
わざわざ聞いた時点でなんでもないということはないのだけれど、感じた事を深く話せるわけもなく、そうすることしか出来なかった。
「そういえば、珍しいね。そのピアス」
気まずい空気になりかけた時に、ゼノンは自分の耳をトントンと叩く。
耳元でピアスがシャラリと鳴った気がした。
もう大丈夫だと気を抜いていたから、レネについて言い当てられたのではないかと恐怖で汗が噴き出る。
ゼノンだけにはバレてはいけない。
ゼノンと彼女は仲が悪かった。相性が悪いというべきかもしれない。
彼女の方はそう見えなかったけれど、ゼノンは彼女を酷く苦手としていた。
彼女の名前を聞くと、いつもはにこやかで優しい表情のゼノンが顔を顰め、苦い顔をするのだ。
「たまには、と思って」
バレない事を願いながら当たり障りのない返答をする。
その言葉にゼノンは、ふーん、と笑って深く尋ねることはなかった。
その事に安堵していた俺は気が付かなかった。
ゼノンがピアスを鋭い目で見ていた事も。
その視線を受けてピアスがキラリと光った事も。
その後、時間が来たとかでゼノンは行ってしまった。
俺は心底助かったと溜息をついた。いつもゼノンの前にいると緊張する。
俺はゼノンに対してどういう感情を抱けばいいか分からない。
もちろん、とても尊敬しているし、大切な兄だ。
けれど、昔からゼノンは彼女のことを嫌がっていた。
それが、俺になんとも飲み下し難い感情を抱かせるのだった。
ゼノンと彼女は古い知り合いらしい。
そもそも、彼女は魔女の長だ。
俺は彼女を王城で見かけたことはないけれど、ゼノンの幼い頃から王城に出入りして、ゼノンとはよく話をしていたらしい。
今は亡き母親である王妃は俺が幼い頃、ゼノンのことを揶揄うように、彼女によく言い負かされていたのよと笑って話してくれた。それを聞いたゼノンは否定することなく、けれど年相応に拗ねたような顔をして──。
ゼノンがそんな反応をするのは決まって彼女の話の時だったからよく覚えている。だから、知人というほど浅い関係でもないのだろう。
ゼノンと別れてから、俺は自室へ戻ってきていた。もちろん、レネも一緒に。
部屋に入った途端、ピアスは塵になり、いつものあの人形とも呼べないモノへ変化した。
「いやあ、大冒険だったねぇ」
レネはケタケタと楽しそうに笑う。ご満悦らしい。
「そりゃ、良かったな」
俺は投げやりに言葉を返した。
ゼノンに会ったことで、気力を使い果たしていた。
「とても助かったよ。主殿は優しいな。ちゃあんと約束を守ってくれるからね」
ふふっ、と笑いながらレネは満足そうだ。
そんな言葉一つにさえ感情を狂わされる。胸が軋む。だって、彼女が褒める時と同じなのだ。
レネの声が、レネの感情が、俺を慈しんでいるかのように錯覚させる。
ああ、レネは彼女なのだと縋ってしまえればどれほどいいだろう。
けれど、俺はレネを彼女だとは思えない。いや、思った時点で何か大切なモノが壊れる。だって、レネが彼女だとしたら、彼女はもう一度──。
俺は朝迷った問を思い出す。レネをどう見做すのかという問。
俺はレネを彼女や彼女の一部ではなく、レネという新しい友人として受け入れるべきだと自分に言い聞かせた。
「…もういいのか?」
「そうだねぇ。今日はこれくらいでいいさ。では、私は消えるとするかな」
彼女の別れの態度はいつだってサラリとしている。まるで、心残りなんて微塵も無いみたいに。
今のレネもそうだ。本当に彼女らしくて、怖くなる。
また会える保証なんてないのに、軽い調子で何処かへ行ってしまうことが悔しかった。
心がざわめく。彼女との別れ際はいつもそうだ。
もちろん、焦がれているから離れ難いというのもあるだろう。けれど、それだけではなく、自分がいない間に、何か取り返しのつかないことが起きるような、そんな焦燥感にいつも駆られていた。
けれど、それを言ったところで彼女は、心底可笑しいというように笑うだけなので、どうしようもなかった。
「また幾日か後に」
レネの言葉に耳を疑った。
俺は彼女から次を匂わせる発言を聞いたことがない。いつもは俺が勝手に、また来ると言い置いて去るばかりだったから、驚いてレネを凝視した。
彼女は約束事が嫌いなようだった。それは俺に対してだけではなく、叶えられない約束は絶対にしなかったし、何かを持ちかけられても絶対に是とは言わない徹底ぶりだった。
そんな彼女が次の約束するなんて。
約束は執着に似ている。誰かの願いが約束に繋がるのだ。だから、彼女が約束をしたなら、それは何かを願ったということで、とても素晴らしいことのはずだ。
けれど、今この場において、レネの言葉はこの先に何か大きな事件が起きる前触れであるような気がして、不安を掻き立てる材料にしかならなかった。
俺はレネの言葉に返事をすることが出来なかった。恐怖に似た不安感で固まった体を無理やり動かし、微かに頷くので精一杯だ。
レネはこちらを気にした様子もなく、あっさりと消えてなくなった。
魔の力で繋がっている俺の心の内など、お見通しであるだろうに酷い話だ。
アイ相手にならきっとレネも優しくするのだろうと、馬鹿みたいな思考が浮かんで、俺はそれを追い出すように深く息を吐いたのだった。




