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十章 ニコスの哀願











 祭りの後はいつだって寂しいモノだ。言いようのない胸の騒めきを見なかったことにしたくて、部屋で窓の外を見ていた。

 何も考えたくないのに、昼にレネと話したことがグルグルと頭を回る。







 レネは楽にしてやると言った。俺の未来が明るい──そう言った。



 その言葉は俺にとって酷く恐ろしい言葉だ。

 死刑宣告にも似た言葉だった。



 俺は楽になんかなりたくない。明るい未来なんてほしくない。望んでいない。

 俺は、ただ彼女を忘れずに絶望に揺蕩っていたい。後追いを許さないというのであれば、せめてそれくらいは許してほしい。



 つまるところ、俺は自分の未来の心配なんてしていないのだ。

 彼女がいないことなんてわかっている。もう、よく、わかっているのだ。

 それでもこの一年死なずに生きてきた。人らしく見えるように生きられている。



 それではいけないと言うのだろうか。







 レネが何をもって楽だと、未来が明るいと言っているのかはわからない。けれど、それは俺にとっていいことではない予感があった。

 レネが彼女の残滓だというのなら、きっとそれは俺の願う未来ではない。



 だから、俺は恐怖していた。レネの用事が終わることを。

 用事が終われば彼女に会わせてくれるという約束を心待ちにしていたはずなのに、それ以上に恐怖が心を占める。それでも彼女に会いたいという感情が勝って然るべきなのに、怯える自分に虫唾が走った。











 不意にガチャリと扉が開いた。勢いよく振り向いて、胸元のナイフに手を伸ばす。



 そして、動けなくなった。







「これはこれはご機嫌よう第二王子殿」



そこには彼女がいた。紛れもない魔女イアンが。



「……なん、で」



これは現実なのだろうか。だって、彼女が目の前にいるなんてあり得ない。

 死ぬほど願っていたけれど、それでも起こり得るはずがないことなのだ。



「約束しただろう?用事が終われば会わせてやる、と。だから、こうして会いにきたんだ」



言われてようやくレネの用事が終わったのだと気がついた。



 俺は地面に足が張り付いたかのように動けなかった。ただ生者のように話している彼女を呆然と見ていることしか出来ない。



「挨拶もなしかい?つれないねぇ」



彼女はケラケラと可笑しそうに笑っている。



 何故だか目が霞んだ。擦っても擦っても霞はなくならない。彼女をちゃんと目に焼き付けたいのに。



「泣くことないだろう」



彼女の困ったような声が聞こえる。そんな声、初めて聞いた。

 彼女はいつでも呆れたように笑うから、俺のことで困るなんてそんなこと──。



 コツリと彼女の足音が聞こえる。



「私は泣き止ませ方なんてしらないんだ」



「……うそ、だ。アイはっ、よく泣いてる……だろっ」



彼女が俺の前で立ち止まる。



「ふふっ、お前がそんなこと言うなんて珍しい」



彼女が俺に手を伸ばす気配がする。

 鼻を啜ると彼女から血の匂いがした。



「っ怪我してるのか!?」



もう一度目元を擦って目を見開く。

 慌てて取った彼女の手は温かかった。



「ああ。もう塞がってるから心配しなくていい。そもそも私は死んでるからね。怪我なんて些細なことだ」



色々言いたいことはあった。けれど、言葉が渋滞して出てこない。

 思わず、握った手に力が籠る。



「……痛覚はあるんだろ」



「ん?まあ、多少はあるけれど大したことないさ。焼かれた時ほどじゃあないよ」



ニヤリと愉快そうに嗤ういつもの彼女に息が出来なくなりそうだ。



「ふっ、冗談さ。だから、そんな顔するな」



紛れもない本音だろうに冗談だなんて悪趣味だ。けれど、彼女はいつだって冗談のようにしか苦しい本心を表に出さない。



「でも、苦しかっただろ。一人で寂しかっただろ……?」



「まあ……なくはなかったねぇ。けれど、私が望んであの場に立って、祈りながら死ねた。十分すぎる最期だったさ」



彼女があまりにも綺麗に笑うから。

 いつもとは違うその心底満たされたような笑みに絶望して力が抜ける。俺は彼女に縋るように膝をついていた。



「そんなの嘘だ。嘘だって言ってくれ……!自分の死が悔しいと未練があると……そう、言ってくれよ」



「……もし、そう言ったとして。それでどうするんだい?変わらぬ運命を嘆いて涙に暮れたとして、それを表に出す意味なんてどこにもないんだよ」



「あるよ!意味ならある!あなたが頼ってくれたなら!救いを願ってくれたなら!俺もアイも嬉しいよ!例え同じ結末を辿るとしても、最期まで傍にいられたならそれだけでもきっと何かが違ったはずだろ!」



例え役に立たないとしても傍に置いてほしかった。それを望んでほしかった。それをどうしてわかってくれないのだろう。

 生きている時にも何度だって願ったことだ。嗤って躱されてしまっていたけれど。



「ははっ……お前は馬鹿だなあ。こんな私にそこまで想いを寄せて……本当に馬鹿だよ」



そんなことを言いながら彼女は顔を上に向けた。



「本当はね。そんな馬鹿なお前の……記憶、を。消して、やろうと思ってたんだ」



それでお前は楽になれるから、と彼女は息を大きく吐き出した。

 そして、俺が否定する前に言葉を続けた。



「ああ、でも。ダメだねぇ。私は何も捨てられないんだ」



どこか苦しそうにポツリと呟かれた言葉に、何も言えなくなってしまった。



「そうだ。お前の願いを聞いていなかったね。一つ叶えてやるって約束だっただろう?」



空気を変えるように彼女は俺を見た。

 その表情はとても穏やかで、それが最期を思わせて、壊したいと思った。

 だから、と言うわけではないけれど、考える間もなく言葉が飛び出していた。



「消えないでくれ」



「ふふっ、それは難しいなあ。けれど、代わりに。名前を呼ぶことを許してあげようじゃあないか」



今更名前を呼べたってと思う。彼女はいないのに名前だけ許されても──。



「なんだ、不服そうだね。名前を口に出せば縁が強くなるんだよ。だから、あの約束だって守れるかもしれない」



「約束……」



「忘れてしまったのかい?それならそれで、別にいいけれどね」



忘れるはずなんてない。けれど──。





──もし来世でも私を見つけられたなら返事を考えてもいい





そう約束した彼女は遠くを見ていたから、きっと叶わないのだろうと思っていた。叶える気がないわけではないだろうけれど、俺を宥める気休めの意味がきっと大きいのだと。



「あなたのことを一欠片だって忘れたことはない!」



「ふふっ、それは重畳」



彼女は笑った。そして、続ける。



「本当はね。私は悪魔に喰われる予定だったんだ。そのまま魂が消滅して巡らない」



そんな予定だったんだよ、と彼女は静かに呟いた。

 それはどこか悲しくて泣き出したくなる声音だった。



「だけれど、あの馬鹿の所為で私の魂はちゃんと巡る。あの馬鹿がいらないことをするからっ」



温かい雫が一つ落ちてきた。

 俺は彼女を引っ張って腕の中に閉じ込める。

 今度は彼女が縋るように膝をついた。



「……馬鹿弟子にはきっと感謝するべきなんだろうさ。けれど、あの馬鹿は自分の魂を担保になんてするから信用ならないんだ。だから、アイを頼む」



体を離して俺を見た彼女は、しっかりと目を逸らさずにそう言った。

 それについ苦笑してしまう。

 俺に会いにきてくれたはずなのに願うのはアイのことだなんて。まあ、家族の方が大事だというのは仕方がないのだろう。



「アイツは案外強かだから大丈夫だと思うけど、わかった。ちゃんとアイが健やかに生きられるように見てる」



俺の言葉に彼女は力を抜いて、俺の肩口に頭を乗せた。



「……きっと約束は守る。だから」



彼女が俺の背中に手を回し、ギュッと力を入れた。

 彼女の息が震えている。口を開いてまた閉じ。それを何度も繰り返す。



 俺は続きの言葉を大人しく待った。





──待ってて





囁くような小さな声だった。

 まるで特大な秘密を告げるようなそれは、俺には甘い甘い愛の言葉に聞こえた。



「いつまでだって待ってる。あなたが来なくても待ってるから、心配しないで」



彼女が小さく笑った気がした。



 そこでふと彼女の体が軽くなった気がする。俺が呼びかける前に、また彼女もそれに気づいたようで、手に力がこもった。



「やれやれ、そろそろ時間切れらしい」



「……レネに戻るのか?」



「いいや、もうそれを形作る力もない。お前の前に現れるのはこれが本当に最期だ」



レネは徹頭徹尾私だったんだ、なんて楽しそうにネタバラシする彼女に力なく笑う。

 それを始めから知っていたならもっと色々出来ることがあったのに。



「じゃあ、ニコス。さよならだ」



名前なんて呼んだことない癖に、今呼ぶなんて狡すぎる。

 だから、俺も最期に呼ぶことにする。許可がおりたから。



「イアン愛してる!愛してるから、だから──」



「ふふふ。その答えはまた今度」



かき抱いた腕から彼女が消える。

 そこには初めから何もなかったかのようだった。ただ一つあるとするならば、彼女が点々と落としてきた血の跡だけだ。



 俺はその場に蹲る。



 イアンが戻ってくると言うのなら、泣かずに待とう。悲しむことなど何もないはずだから。



 そう言い聞かせて、俺は最後の一粒を落とした。











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