九章 ルーシーの選択
顔を顰めて魔女が歩いていく。
傷を塞いで助けてやったのにその表情はいただけない。
理由はわかっているけれど、それでも不服だ。
大体、これは私ではなく魔女の弟子から言い出したことなのだから、私は悪くないはずだ。
口を尖らせながら私は魔女を見送った。
その夜、驚くほど城の中は静かだった──なんて白々しい言い方だ。
今は建国祭の夜。革命前夜というヤツで、殺しが判明しにくいように、王子が警備を最小に減らしていた。
私はいつ魔女に茶々を入れに行こうかと、ウキウキしながら物置部屋でのんびりしていた。
そこにコンコンと元気なノックが聞こえてくる。そんなことをする人間は一人しか思い当たらなくて、私は居留守を使うことにした。なんだか面倒臭い予感がして。
けれど、魔女の弟子は諦める気がないらしく、どんどんノックが激しくなっていく。それでも無視していたら、しまいには勝手に開けてはいってきた。
「ルーシー!やっぱりいた!無視しないでよぉ!」
「うるさいわね。私は今日忙しいのよ」
「いっつもそう言って何もしてないじゃん」
魔女の弟子はむーっと頬を膨らませている。
短期間にこう何度もやってこられると、よくわからない愛着が湧く。事が起きるまでは相手をしてやろうかという気持ちになった。まあ、相手にしなくても魔女の弟子は帰らないので、結局相手することになるのだけれど。
「今日は本当に忙しいのよ!……で、何しにきたの」
「うーん。俺、ルーシーにお願いがあってきたんだ」
「お願い……?」
魔女の弟子はソワソワと私を見ている。
嫌な予感しかしなくて、私は苦虫を噛み潰したような顔になった。
悪魔をこんな顔にさせるだなんて、将来は大物になるかもしれない。そんな馬鹿みたいなことを考えて嫌な予感を誤魔化した。
「あのね!師匠じゃなくて俺にして!」
「はあ?」
「俺、師匠が死んじゃうの嫌なの。ニコスだって可哀想!だから、俺を喰べて?」
馬鹿なのだろうか。
あの魔女との契約は絶対で、それはあの魔女の極上の魂が手に入るから許した契約でもある。それをこのゲテモノと交換しろだなんて出来るわけがない。
「アンタがあの魔女に取って変われるほど上等なものだとでも言うの?馬鹿も休み休みに言いなさい。アンタを喰べても満たされやしないのよ」
あの極上の魂なら満たされるかもしれない。
だから、こんなに待っている。
私は別に気が長い方ではない。だから、他の悪魔のように諦めようかと思ったことなんて数えきれないほどある。
今まで私に旨味のある契約なんてほとんどなかったし、あの魔女の所為で行動は制限されているし。
それでも、あの魔女が死ぬのを待ったのは、いつからか感じていたこの満たされない何かをどうにかしたいからだ。
美味しいモノを喰べたなら満足して、もっと愉快な気持ちで在れるのではないかと、そう思ったからだ。
「ルーシーは誰を喰べても満たされないと思う。だって、ルーシーは喰べたいんじゃないよ。きっと寂しいんだ。だから、手に入れた魂をすぐに喰べずにそばに置いておくんでしょ?」
「はあ?悪魔に寂しいなんて感情あるわけないでしょう」
人間の物差しで悪魔を測ろうなんて馬鹿げている。
そんなこと出来るわけがない。私がわからないモノを他のモノがわかるわけがないのだ。
「でも、おばあちゃんがあの魔女は寂しいんだよって」
「おばあちゃんって誰よ」
「師匠の前の長だよ。あの悪魔はもてなすと嬉しそうだって。だから、自分も張り切って用意するんだって。あれ全部おばあちゃんが作ったやつなんだよ!」
「……」
私が嬉しそう。きっとそれはもてなされたからではない。ただ、魔女から対価を受け取ることが出来るのが嬉しかっただけだ。美味しいモノを喰べたかっただけだ。
「それに師匠が言ってたんだけど、悪魔が人間の食
べ物を食べるのよくないんでしょ?この世界に干渉するのがよくないのになんで食べるんだろうって。おばあちゃんは知らなかったみたいだけど」
確かに人間の食べ物を喰べるのは良くない。それは事実だ。
喰べすぎると干渉しすぎでしっぺ返しを喰らう。けれど、私ほどの悪魔になればそんなもの大したモノではない。
それに、あれは出されるお菓子がちょっと美味しそうに見えたから口をつけただけで、他意はない──はずだ。
けれど、では今私はどうして口を開くことが出来ないのだろう。
「おばあちゃんが死んだ時も来てくれたんでしょ?お墓に花が添えてあったって」
確かに先代が死んだ時覗きに行った。けれど、あれはたまたま近くにいただけだ。
花を添えたのだって、たまたま近くに綺麗な花が咲いていたから、餞別に置いただけだ。
「ルーシーっておばあちゃんのこと好きだったんだなあって思って。だから、師匠はルーシーのこと嫌いみたいだけど、俺はルーシーのこと好きなんだ」
「……そんなんじゃない。悪魔に情なんてない。全部全部アンタの勘違い。私は美味しいモノが喰べられたらそれでいい。それでいいの」
私の言葉は間違っていない。悪魔というのは本来そういうモノだ。
──だから、私はあの魔女を喰べられたら満足なはずよ
「でも、満たされないんでしょ?」
「そんなことない!私はあの魔女の魂を喰べれば、それでっ!」
「ううん。きっと師匠じゃダメだよ。俺ならルーシーをきっと満足させられるよ。だから、俺と契約して?」
「はっ、アンタごときが満足させる?馬鹿みたい。そんなこと出来るわけないわ!大体どうするっていうの」
私でさえどうすればいいかわからないのに、という言葉は飲み込んだ。負けたような気持ちになるから。
私は目の前の少年を馬鹿にしたように見る。
少年は私の言葉にパーッと顔を輝かせた。話を聞いてもらえるのが嬉しいらしい。
「あのね!俺と一緒に生きて!俺の全部あげるから、俺と一緒にこっちの世界で生きよう?そういう契約あるんだよね?本に載ってた!」
確かにそういう契約はある。けれど、それは名付けと同じで多くの魔の力が必要だ。半端なこの少年が出来るはずがない──いや、一つだけ方法があるにはあるけれど。
「……仮にそれが出来たとして、アンタにとっての益は何。どうせ、あの魔女を生かすことが出来るとでもいうのかもしれないけど、それは……」
続けることが出来なかった。言いたくないと思った。例え、私が魔女を喰わなくたってあの魔女は消えるのだ、なんて。
どんどん自分がわからなくなっていく。何かを恐れるかのように口が重い。
悪魔の心を乱すこの少年の方がよっぽど悪魔のようだ。
「それがないとは言わないよ。師匠が死んじゃうの嫌だし。けど、ルーシーを放っておけないなって思うのも本当だよ?小さい時からルーシー寂しそうだなって思ってたから!」
馬鹿馬鹿しい。本当に馬鹿馬鹿しい話だ。
けれど、私の中で何かが変わりそうな予感がして──諦めた。
この少年はあの魔女には遠く及ばないけれど、それでもそこそこ美味しいし、こっちの世界のことも気になるし。自由に動き回ってみるのはきっと楽しいのだろう。そう言い訳をして。
「アンタ名前は?」
「アイ!目が藍色だからアイだって師匠が言ってた!」
「そう。……じゃあ、アイ。アンタと契約してあげる。けど、これはアンタの力じゃ足りない。だから、普通の契約にはならない」
ああ、嫌だ。悪魔は本来自分本位な生き物だ。なのに、自分に不利な契約なんて。いや、自分本位だから、か。
これはアイにも負担がかかる契約だから。
「この契約は存在を結ぶ契約。アンタが死ねば私は消えるし、私が消えればアンタは死ぬ。それくらいしないと、私はこっちで生きることは出来ない」
「うん!それでいいよ!死ななきゃいいんでしょ?」
「……アンタねぇ」
頭が痛くなりそうだ。この危機感のなさはなんなのだろうか。あの魔女に苦情を入れるくらいはしてもいいのではないかと思う。
大切にするのは構わないが、自分がいなくなった後に生きる術くらい叩き込んでおくべきだろうに。
「後、アンタ人間じゃなくなるわ。今よりもっと半端なモノになる。それと、寿命は伸びるからざっと千年くらい?まあ、個体差あるからなんともだけど。後、アンタが先に死んだらアンタの魂消滅するから。じゃあ、契約するわ」
アイの返事を聞く前に、サッと契約を結ぶ。
「じゃあ、名前を呼びなさい」
ニヤリと笑う。
悪魔との契約とはこういうモノだ。悪魔に主導権など握らせてはいけない。リスクがある契約しかしないから。
きっとアイは不満を叫ぶだろうと待っていると、呑気な声でヘラリと笑う。
「ルーシー!よろしくね」
「はぁ……これで一蓮托生だから。というか、アンタ人の話はちゃんと聞きなさい!?」
ヘラヘラしている目の前の相方にこれはすぐ死にそうだと頭を抱えるのだった。




