4.承認欲求
海藤修司は、本社近くの古い喫茶店にいた。
白髪。古びたジャケット。皺だらけの手。
いかにも国家の命運を知っている老人に見えた。
実際にはクリームソーダを飲んでいた。
「読めたか」
「申請書の形をした遭難信号です」
「やはり君だ」
海藤は嬉しそうに笑った。
「君は言葉を読むんじゃない。誰が、誰へ向けて書いたかを読む」
私は、その言葉を一生覚えていたいと思った。
会社では、私の語学好きは雑学として扱われている。
妻には「また言語当て?」と言われる。
娘の英語スピーチを聞けば、内容より発音を直してしまう。
だが海藤だけは能力だと言った。
危険だと思った。
それでも嬉しかった。
海藤によれば、装置の本当の用途は医療用センサーではなかった。
高速移動体の識別。
衛星測位が妨害された環境での自律航行。
複数機による協調制御。
軍用無人機に転用可能な技術だった。
設計検証を任されたアルメニア人技術者が、用途に気づいた。
拒否すれば契約も身分も危うい。
通報する先も、信じられる役所もない。
そこで彼は、書類そのものを歪めた。
読める者だけが立ち止まる形に。
「彼は二十年前、帝芝電機で私の研修を受けた。あの装置の癖を、私より知っている」
「なぜ、あなたが止めないんです」
「私は何者でもない。辞めた老人の告発は怪文書として処理される」
「会社へ通報は?」
「会社がやっている」
「では、私に何をさせたいんです」
「君の名前で輸出を止めろ」
「私の証明書は、すでに使われています」
「だから都合がいい」
海藤は平然と言った。
「君が承認を取り消した形にできる。会社も、世間も、事実が分かるころには止まっている」
「私が不正をしたことにもできる」
「日本の技術を守るためだ」
私は彼を見た。
ようやく分かった。
海藤は私を理解したのではない。
利用できる能力と、利用できる肩書を見つけただけだ。
ただ、それでもまだ、彼に理解されたかった。
人間は、自分を利用する相手にすら、「分かってもらえた」と思いたがる。
海藤は言った。
「本当の仕事をする人間は、最後には一人になる」
格好よすぎる言葉は、だいたい誰かの失敗を隠している。
私はまだ、それが誰の失敗かを知らなかった。




