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神田明神に赤い饅頭を置くな  作者: 島流しパプリカ


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2/7

2.交渉成立

「七時十分に船が出る」


 老人の声だった。


 挨拶もなかった。


「月曜の会議では遅い」


「誰ですか」


「君の記事を読んだ」


 私は『VIVANT』第一シーズンについて、長い考察記事を二本書いている。


 一本は、国家と家族について。


 もう一本は、シルクロードと蛍石と半導体について。


 妻はどちらも最後まで読んでいない。


「どの記事ですか」


「蛍石から半導体へつなげた方だ。面白かったよ。長すぎるが」


 初めて、すべてを読んだ人に会った。


 胸が熱くなった。


 正体不明の老人に個人情報を把握されている恐怖より、読了された喜びが勝った。


 それが、この日の最初の判断ミスだった。


「なぜ、私が今日ここへ来ると分かったんです」


「放送初日は神田明神へ祈願に行く。参拝時刻は昼過ぎ。君が記事の枕に書いていた」


 私は思い出した。


 書いていた。


 長すぎる文章は、意図しない読者へ、意図しない情報まで届ける。


「あなたは?」


「海藤修司。昔、帝芝電機でメモリを作っていた」


 帝芝電機は、キロクシナの旧親会社である。


 経営危機に陥った十年前、半導体事業を切り離した。


 売られた事業は名前を変え、外部資本を受け入れ、生き残った。


 社員の間では今も、あれを「独立」と呼ぶ者と、「身売り」と呼ぶ者がいる。


「案件番号を、なぜ知っているんです」


「最終需要者証明を、もう一度読め」


「読みました」


「読んでいない。あれは君に宛てて書かれている」


「どういう意味です」


「君にしか読めない」


 通話は切れた。


 その言葉だけが残った。


 君にしか読めない。


 四十四歳の男にとって、「君にしかできない」は、たいていの暗号より解除が難しい。


 私は妻に言った。


「会社へ行く」


「今日は日曜よ」


「七時十分に船が出る」


「警察は?」


「まだ事件か分からない」


「会社には?」


「まず自分で確認する」


 妻は眉を寄せた。


「あなた、知らない国の言葉はよく聞くのに、家族がやめろと言うときだけ耳が悪くなるね」


 娘が赤い饅頭を持ち上げた。


「これ、食べていい?」


「駄目だ。証拠かもしれない」


「じゃあ預かる。任務が終わったら食べる」


 交渉は成立した。

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