沈黙は愛、雄弁も愛(3/3)
「君を迎えにいかなかった本当の理由は……無理強いして嫌われたくなかったからだ」
いつも堂々としているフェルナンド様には珍しく、わたしと視線を合わせようともしないで床を見ている。
そのことで、これはフェルナンド様の心の柔らかいところを抉るような話なのだと分かった。
そんな告白を聞いてしまってもいいの? と思ったけど、彼はわたしを信頼したからこそ、こうして話をしてくれる気になったのだろう。
だったら、終わりまで耳を傾けるのが誠意ある態度というものだ。わたしは夫が発する一語一語を脳内に焼きつけるつもりで、じっくりと彼の言葉に聞き入った。
「君が傍にいないと、何をしていても味気なく思えてしまう。この世界はどこまでも殺風景で、これから先、心を動かされる出来事なんて何一つ起こらないような気がしてくるんだ」
なんだかわたしと似ている、と思った。わたしも実家にいる時、時たまひどく虚しい気分になることがあったのだ。
「ひどい喪失感に耐えられず、何度馬を飛ばしてキャンディスのもとへ駆けつけようとしたことか……。……けれど、結局実行には移せなかった。無理やり連れ戻したら、君は私を一生許してくれないかもしれないと思ったからだ」
暗い顔でフェルナンド様が続ける。
「騎士を辞めようとしたのだって、キャンディスのためなどと言って、本当は私がもっと君といたかっただけなんだ。分かるか? 私は君がいないと寂しいんだよ」
――私もキャンディスがいないと寂しいよ。
執務室へ駆けつけた時、確かにフェルナンド様はそう言っていたと思い出した。
あの時のわたしは取り乱していたから深く考えている暇がなかったけど、あれはフェルナンド様の口から思わず飛び出した本心だったということ?
「これが私の嘘偽らざる本音だ。……いい年してこんなことを考えてしまうなんて、つくづく自分の未熟が嫌になる」
「そんなこと言わないでください。フェルナンド様はいつだって素敵ですよ」
わたしは、今はやたらと熱心に壁を眺めている夫の視線の先に回り込んだ。「本当にそう思うのか?」と今度はフェルナンド様が疑り深そうに聞いてくる。
「これがどういうことなのか、君は分かっているんだろうな? 私には少しも余裕なんてないんだ。つまり、私は君が思うような完璧な男ではなかったということなんだぞ」
「それって、そんなに問題がありますか?」
わたしはきょとんとした。
「別に、未熟でもフェルナンド様はフェルナンド様じゃないですか。わたしは大好きですよ」
……そう、たとえ未熟な男性でも、わたしはフェルナンド様が大好きなんだ。
そのことに気づいた時、ハッと胸を衝かれたような気がした。
未熟は嫌われる原因にはならない。少なくとも、わたしの場合は。そして、フェルナンド様にとっても……。
「……フェルナンド様は、わたしのことをどう思っていますか?」
「愛してる」
普段と同じようにきっぱりと言い切るフェルナンド様を見て、すべてが収まるべきところにストンと収まった気がした。ああ、やっぱりそうなんだ、って。
――そんなに無理して大人ぶらなくてもいいと思うわよ。
サロメの言葉の意味が今になってやっと分かった。わたしはようやく手に入れた正しい答えを口にする。
「フェルナンド様も、こんな子どもっぽいわたしでも好きでいてくれるんですね」
わたしたちはしばらく無言で見つめ合った。言葉に出さなくても、二人の考えが通じ合った気がする。
わたしたちの間にあったわだかまりが少しずつ解れ、やがて完全に解消されるのが分かった。
わたしはフェルナンド様をぎゅっと抱きしめる。
「帰ってきてくれるか、キャンディス」
「はい」
大好きな旦那様の言葉に、わたしは力強く頷いた。
わたしたちはお互いに至らないところもあるけれど、だからってどうということはない。
少なくとも、そんなのわたしたちが離れ離れになる理由になんてなりはしないのだ。
わたしとフェルナンド様は手を繋いで執務室から出ようとした。
そこに、息せき切ったレズリーさんがやって来る。
「キャンディスさん、やっと追いついた! 隊長のことだけど……」
一息入れたレズリーさんは、わたしとフェルナンド様が一緒にいるところを見て我に返ったような顔になる。わたしは苦笑した。
「ごめんね、レズリーさん。フェルナンド様は無事だったんだね」
実家から王都へ向かう道中、わたしは後ろから別の馬車で追いかけてくるレズリーさんと、なるべく顔を合わせないようにしていた。
あの時のわたしはフェルナンド様が重症を負ったって思い込んでいたから、夫がどれくらい深刻な状態か聞かされるのが怖かったんだ。でも、そのせいでわたしは勘違いを正す機会を失ってしまったのである。
「私は妻を屋敷まで送っていく。副隊長には黙っておいてくれ。仕事中にこっそり抜け出したと分かったら、あとで大変なことになる」
「分かりました」
フェルナンド様の言葉に頷きかけたレズリーさんは、ふと何かに目を留める。
「それ、キャンディスさんのじゃないかな?」
レズリーさんが指差す先には、床に落ちているピンク色の手帳があった。
どうやら、わたしはまたポシェットに掛け金をするのを忘れていたらしい。人形のことをフェルナンド様の遺体だと思って散々取り乱した時に落としてしまったんだろう。わたしは手帳を拾い上げ、ポシェットにしまおうとした。
けれど、思い直してパラパラとページをめくる。そして、大人リストが書かれている箇所で手を止めた。
『大人になるためのリスト』※期限は三カ月!
NO.1 夜更かしをする
NO.2 落ち着いた振る舞いを心がける
NO.3 上品な趣味を持つ
NO.4 食べ物の好みを変える
NO.5 見た目を変える
NO.6 フェルナンド様を支える
NO.7 お化けを怖がらない
NO.8 秘密を持つ
NO.9 知的な会話をする
NO.10 周りの人といい関係を築く
わたしは微笑みながら、ポシェットから携帯用のペンを取り出す。そして、リストの上に大きな×印を描いた。
「キャンディス? 何をしているんだ?」
フェルナンド様が不思議そうに尋ねてくる。わたしは「何でもありません」と言って、ペンと手帳をポシェットにしまった。
「じゃあ、帰りましょうか」
わたしは最愛の旦那様の手を握り直す。フェルナンド様が「ああ」と笑って頷いた。
その笑顔を見た時、わたしは強く実感したのである。
やっと戻ってきたんだな、って。




