迎えは寝て待て(2/3)
「さすがに堪えたみたいね」
わたしと一緒に玄関先でミケットを見送りながら、サロメが言った。
「ミケットは強情だから、永遠に王都には戻らないと思っていたんだけど」
「愛の力ってやつだよ、きっと」
「ふーん……。愛ねえ……」
サロメはわざとらしく白けたような顔になって、建物の中へ入った。わたしもそのあとをついていく。
「まあいいわ。今後はあたくしたち二人だけで頑張りましょう」
「うん」
わたしは頷いたものの、サロメの顔色はなんだか冴えないよう気がした。気のせいかな……?
しかし、これはわたしの思い込みではなかったことがすぐに分かった。その日を境に、サロメは目に見えて沈んだ顔をすることが多くなったのだ。
訳を聞いてもはぐらかすばかりで、彼女はなかなか思っていることを話してくれなかった。
けれど、ミケットが帰ってから三日後のお昼過ぎ、庭に遊びにきた小鳥たちにエサをやっている時に、ついにサロメは本心を打ち明けてくれた。
「あたくしはね、ミケットが羨ましいの」
サロメは、仲よく並んでエサをついばむ二羽の鳥を眺めながら唐突に切り出した。
「あたくしは、これまで色んな男性と知り合ってきたわ。でも、その中にあたくしをあんなふうに想ってくれる人は誰もいなかった。そう……一人もね」
「でも、今つき合っている人は……」
「彼があたくしを心配していると思う? ここに来てからもう一週間以上たっているのに、手紙の一枚もくれないのよ。ミケットと違って、あたくしは彼にちゃんと行き先を伝えてきたっていうのに……。あたくしなんて、所詮その程度の価値しかない女なんだわ!」
サロメはこらえきれなくなったようにエサが入った袋を放り出すと、その場に崩れ落ちて泣き出した。驚いた小鳥たちが、抗議の鳴き声を上げながらバタバタと騒がしい羽音を響かせて、どこかへ飛んでいく。
嘘泣きじゃないサロメの涙なんて、初めて見た気がする。いつもは気丈な親友の打ちひしがれた姿に、胸が痛くなった。よしよしと背中をさすってあげる。
「大丈夫。サロメはとっても素敵だよ。オシャレだし切り替えも早いし……。馬子にも衣装で、軽佻浮薄だよ! あとは……十人並み!」
「やっぱりあたくしなんて、そこら辺に生えてる雑草くらいの魅力しかないのねぇ!」
サロメの泣き声がますます高くなる。あ、あれ……? 褒めたつもりだったんだけど……。
サロメが落ち着くまで、それから何時間もかかった。気がつけば夕方になっている。
「あたくし、夕食はいらないわ」
泣きはらして腫れた目元をパチパチさせながら、サロメは疲れ切った足取りで客間へと向かう。すっかりしょげ返った彼女の後ろ姿には、いつもの華やかさなど欠片も漂っていなかった。
なんとかしてあげたいけど……どうしよう?
サロメのことが頭から離れず、夕食はほとんど喉を通らなかった。のっそりと自室に戻り、寝る支度をする。
でも、ベッドに入る前にやることがあった。便せんを広げ、机に向かう。そして、ペンを手に取った。
『親愛なるフェルナンド様へ
お元気ですか。わたしはとても元気でやっています。親友がいてくれるので、ちっとも寂しくなんてないんです。フェルナンド様のことは、ここへ来てから一度も思い出したことなんてなくて』
そこまで書いて、わたしは便せんをぐしゃぐしゃにしてゴミ箱に放り投げた。でも、もう満杯だったので上手く捨てることができず、便せんは床に落ちてしまう。
ゴミ箱の中に大量に入っていたのは、丸められた紙くずだった。皆、書き存じたフェルナンド様への手紙である。わたしはげんなりとなった。
実家へ帰ってから毎日のように、わたしはフェルナンド様に手紙を書こうとして失敗していた。
だって、「ちっとも寂しくない」も「フェルナンド様のことを一度も思い出さない」も、全部嘘なんだもん。書いているうちに虚しくなって、いつも途中でやめてしまうのだ。
わたしは椅子の背もたれにのけぞるようにして体重を預け、天井を見つめた。
「わたしから手紙が届かないこと、フェルナンド様はどう思ってるのかな……?」
ミケットの旦那様は、フェルナンド様はわたしのことを気にかけていたと言った。きっと、連絡が何もないことも、彼を心配させている原因の一つだろう。
だから短くてもいいから何かを伝えたいんだけど……。でも、何て書けばいいの? 正直に、「フェルナンド様に会いたくてたまらないです」って言うの? そんなのは絶対にダメだ。
……だけど、こんなのは幸せな悩みなんだろうなあ。
わたしは昼間のサロメの姿を思い出す。
サロメには、誰も心配してくれる人がいないんだ。
彼女はいつも損得で物事を考えていて、結婚相手にも自分の将来が明るくなるような相手を望んでいる。
でも、本音では心から自分を愛してくれる男性を求めていたんだろう。それなのに、サロメの周りにはそんな人は誰もいない……。
「……いや、それは違うよ」
ふと、頭の中にある青年の顔が浮かんでくる。サロメのことが大好きでたまらない人。彼ならもしかして……。
わたしはしっかりと椅子に座り直して、もう一度ペンを構える。今度は一度も途中で投げ出さずに、手紙を書き終えることができた。便せんに入れて封を施し、使用人に「できるだけ早く宛先の人に届けて」と伝言する。
これで準備は整った。あとは、彼が本当の意味でサロメが理想とする男性であることを願うばかりだ。
****
それからしばらくして、サロメのもとにお客さんがやって来た。
わたしたちが野外にテーブルを広げてお茶を飲んでいると、一台のボロ馬車が屋敷に向かって近づいてくるのが見えた。
まだ馬車が完全に止まりきらないうちからドアを開けて顔を覗かせた男性は、ランジャック博士の助手さんだ。
「愛しのサロメさん! やっとお会いできましたね!」
馬車が動いている最中に飛び出したものだから、助手さんは着地に失敗して地面でくしゃっとなってしまった。
でも、痛みなんてまるで感じていないらしく、人のよさそうな顔に輝くような笑みを浮かべている。
「な、何であなたがここにいるの?」
意外な人物の来訪に、サロメは驚いているようだった。ティーカップを持ったままの姿勢で固まっている。
助手さんは、そんな姿も麗しいと言いたげに目を細めた。
「最近、あなたの姿が見えないのでどうしたのだろうと思っていたんです。ご両親に聞けばご旅行中とのことでしたので、教えられた行き先にもうかがってみたのですが、どこにもサロメさんはいなくて……。胸騒ぎを覚えていたところだったのですよ」
サロメ、ご両親に偽の旅先を教えたの? きっと旅が長引いても連れ戻されないようにするためだろうけど……。相変わらず「口三丁」だなあ。
「ひょっとして誰かに誘拐でもされたのではないか。そう思い巡査にもかけ合ってみたのですが、まるで相手にされませんでした。しつこく迫ったら、業務妨害ということで勾留されてしまいましたよ」
ははは、と助手さんはおかしそうにしたけど、ちっとも笑える状況じゃない。留置所に入れられるなんて、よっぽどしぶとくごねたんだろう。
「やっと自由の身になった矢先に、キャンディスさんから手紙が届いたんです。あなたが無事だと分かって、どれほど安心したことか! 手紙によれば、サロメさんはお迎えを待っているとのことでしたので、こうして参上したという次第です」
助手さんは白衣のポケットから誇らしげに一枚の封筒を取り出してみせた。サロメが「手紙ですって?」と言いながらわたしを見る。
「だって……彼ならきっと来てくれると思って」
わたしは肩を竦めた。
「さすがにサロメのために逮捕されかけたとまでは知らなかったけど……。でも、それってそのくらいサロメのことが好きだってことでしょう? サロメはそういう人を探していたんじゃないの?」
「サロメさんは僕のことなんて眼中にありませんよね。そのことは、きちんと分かっていますとも」
助手さんが眉を下げる。
「確かに、僕には大した財産はありません。血筋だってよくはないし、もしかしたら一生博士の助手止まりかも。ですが、サロメさんを想うこの気持ちだけは誰にも負けません! サロメさんのためなら、僕は百年間牢獄で過ごしても構いませんとも!」
助手さんは強い口調で宣言した。サロメがため息を吐いて、首を左右に振る。
「何が『百年牢獄で過ごしてもいい』よ。やっぱりあなた、頭おかしいわよ」
「サロメ……」
やっぱりダメなの? 彼は、こんなにもサロメのことを想ってくれているのに……。
サロメがカシャンと音を立ててカップをソーサーの上に置いた。
「自分でもよく分かっているようだけど、あなたはあたくしの玉の輿の相手にはまったく相応しくないわ。あなたと結ばれても、あたくしに待っているのは地味な人生だけ。平凡でつまらなくて、すごく……」
サロメは苦笑した。仕方なさそうに助手さんのほうを見る。わたしは、サロメの口角が少し上がっていることに気づいた。
「すごく、愛にあふれた人生でしょうね」
わたしは心が弾むのを感じた。けれど、助手さんはきょとんとしている。
「サロメさん? それはつまり……?」
「あなた、あたくしの荷物を急いでかき集めて荷造りしてちょうだい」
サロメはお茶を給仕していた使用人に命じた。
「それから、もっとマシな馬車を用意してくれると助かるわ。あんなボロい乗り物、ここへ来るまでに事故を起こさなかったのが奇跡よ」
「車輪なら二度ほど外れましたが」
助手さんが生真面目に答えた。サロメが信じられないとでも言いたげな顔になる。
「ところで、一体どういうことでしょうか?」
助手さんはまだ何が起きているのか分かっていないらしい。鈍いなあ! 仕方がないので、わたしは親友が何を考えているのか彼に教えてあげることにした。
「つまり、サロメもあなたのことが好きってことですよ」
「そうは言ってないでしょう」
サロメはふんと鼻を鳴らしたけど、その顔は笑っていた。
「でも、今回は彼と帰ってあげてもいいとは思ってるわ」
助手さんは、やっと状況を呑み込めたらしい。まるで女王を相手にしているように、サロメの足元に身を投げ出した。
「サロメさん、一生幸せにします! こんな幸福は、生まれてこの方体験したことが……」
「大げさよ! まだ一緒に帰るって言っただけじゃない!」
サロメは、はぁとため息を吐いて足元の助手さんを見た。
「先に言っておくけど、あとで騙されたとか騒がないでよね。あたくしは外国の王族の血も引いていなければ、十カ国語も話せないのよ?」
「そんなの気にしません。僕はサロメさんがサロメさんである限り好きなんです!」
「……あなた、やっぱり変な人ね」
サロメは屋敷に向かって踵を返した。
でも、後ろから助手さんが着いてきても「あっち行きなさいよ」と言わない辺り、少しは彼のことを認める気になったんだろう。二人の頭上では、小鳥が嬉しげにぴよぴよとさえずっていた。




