迎えは寝て待て(1/3)
事前連絡もなく突然戻ってきた娘を、両親はあっさりと受け入れてくれた。
「好きなだけいていいよ。もちろん、連れのお二人もね」
お父様はそう言ってウインクした。わたしがいきなり里帰りした理由を聞こうともしない。ミケットが、「ご両親は相変わらずねえ」と少し呆れたように言った。
わたしは六人きょうだいの末っ子だ。
お父様もお母様も「そろそろ女の子を」と思っていたのに、生まれてくるのは男の子ばかり。そうして長いこと待った末に待望の娘が誕生したものだから、両親は常にわたしを特別扱いした。
五人の兄たちもそれに同調したので、わたしは家族に甘やかされるのが当たり前の環境で育ったのである。
「二人とも、ゆっくりしていってね」
わたしは親友二人に笑いかける。
彼女たちに宛がわれた上等の客間に、使用人が荷物を運び込んだ。わたしが泊るのは、実家にいた頃の自分の私室だ。
結婚してからもう四年にもなるけど、お父様は毎日この部屋を掃除させているらしく、中は整理整頓されてホコリ一つ落ちていなかった。むしろ、わたしがここに住んでいた時よりも綺麗なくらいである。
こうして、わたしの実家暮らしが始まった。
といっても、特別なことをしたわけじゃないんだけどね。
わたしの実家はお父様が所有する領地の中にある。この辺りはお世辞にも都会的とは言えない場所だ。だから、王都にいた時みたいに遊べる場所がたくさんあるわけじゃない。
やることといったら、池にボートを浮かべて船遊びをするとか、地元の名士を招いてガーデンパーティーを開くとか、その程度だ。
でも、こういうのんびりとした時間も意外と悪くない。都会暮らしに慣れた身には、ちょうどいい休息になった。
けれど、休まっていく体とは裏腹に、わたしの気分はいつもどこかすっきりしなかった。
まるで、凹凸の形が合わないのに、無理やり欠けているところにはめ込んだパズルのピースみたいだ。何かが違う、しっくりこない感じ。気がつけば、わたしはいつもぼんやりしていた。
そういう時に考えてしまうのは、決まってフェルナンド様のことだった。
今頃何をしているだろうとか、もう辞職は撤回する気になったかなとか、そんなことばかりが頭の中に浮かんでくる。
そうしているうちに旦那様のことがたまらなく恋しくなって、今すぐにでも王都の屋敷に戻りたいと強く思うようになるのだった。
でも、一生懸命のんびりすることで、わたしはその辛さを誤魔化した。ここで王都へ帰ってしまったら、せっかくの里帰りの意味がなくなってしまう。フェルナンド様が考えを変えてくれるまで、ひたすら耐えないと!
そんな折、ちょっとした事件が起きる。実家に戻ってから五日目。わたしが親友たちと木立で森林浴を兼ねた散歩をしている時のことだった。
「ミケット……」
日傘を差しながら交わしていた取り留めもないお喋りに、突然低い声が割り込んできた。ギクリとして辺りを見回すと、近くの木の陰から男性が姿を現わす。
「まあ! 旦那様じゃない!」
ミケットが甲高い声を上げた。次に、彼女は顔をしかめる。
「随分とひどいお姿ねえ。どうなさったのよ」
ミケットが怪訝に思うのも当然だ。
目の前にいる男性は、シャツはヨレヨレで髪はボサボサ。顎には無精ヒゲが伸びている。顔色も悪くて、正直に言ってわたしではすぐには誰だか分からなかったほどだ。
「君のことが心配でね。身なりに気を使っている暇なんてなかったんだよ」
ミケットの旦那様は、病人のようにフラフラとおぼつかない足取りでこちらに近づいてくる。
「ミケットが出ていってからというもの、食事は喉を通らないし夜はろくに眠れない……。このままだと、私はおかしくなってしまう。だから、まだ正気が残っているうちに君を迎えにきたんだよ。君からの愛の鞭は大歓迎だけど、こういうお仕置きはちょっと喜べないからね」
「ということは、やっと浮気を反省する気になったのかしら」
ミケットが鼻筋にシワを寄せて腕組みした。狂気に陥る一歩手前って雰囲気の旦那様が近づいてきても平気な顔をしているなんて、度胸あるなあ。わたしとサロメなんて、ついつい半歩くらい下がっちゃったのに。
「私は浮気なんてしていないんだよ」
ミケットの旦那様が哀れっぽい声で言った。
「もう何度も言ってるじゃないか。信じておくれ。一緒に家へ帰ろう」
「嫌よ」
ミケットは旦那様の懇願をあっさりと突っぱねた。
まあ、そうなるよね。ミケットは頑固だもん。こうと決めたからには、簡単には自分を曲げない。きっと、彼女は空から槍が降ってきたってこの土地から離れようとしないだろう。
「口先だけの男なんて信用できないわ。無実だっていうのなら、証拠を見せてくださる?」
「証拠と言われても……」
「ないのね! やっぱり浮気してるんだわ!」
ミケットが大声で騒ぎ立てる。そんな友人の肩に、サロメが「ちょっと落ち着きなさいよ」と手を置いた。
「考えてもみて。彼はここまでミケットを迎えにきてくれたのよ。それだけでも、充分に誠意ある行動だわ」
「そうだよ」
なんだか旦那様がかわいそうになってきたので、わたしも彼の肩を持つことにした。
「本当に浮気してるなら、奥さんなんていつまでも戻ってこないほうが都合がいいはずだよね? でも、旦那様はこうして来てくれたんだよ。それって、ミケットが一番大切だからでしょう?」
自分で言っておいて、複雑な気分になる。
妻が大切なら迎えにくるっていう理屈なら、フェルナンド様もここに来てくれるはずだ。
でも、そうはなっていない。
それってつまり、フェルナンド様はわたしのことなんて全然思いやっていないということなんだろうか?
「ダンジュー将軍は、キャンディスさんのことを気にしていましたよ」
自分も大変だというのに、わたしの考えていることを察したのか、ミケットの旦那様が優しい声を出した。
「私がここへ来たのも、ダンジュー将軍に教えてもらったからなのです。キャンディスさんが屋敷を出た日と、ミケットがいなくなった日が同じだったので、もしやと思って……」
どうやら、ミケットはわたしと違って書き置きや伝言は残していかなかったらしい。それじゃあ、旦那様がひどく心配するのも無理はないだろう。
「……あたしは信じないわよ」
親友二人まで夫の味方について、さすがのミケットも心が揺らぎ始めているようだ。まだ旦那様の浮気を疑いつつも、その声はどこか張りがなかった。
「じゃあ、どうすれば信用してくれるんだい?」
ミケットの旦那様がか細い声を出す。弱り切った夫の姿に、ミケットもいつもの調子を取り戻したらしい。地面でひっくり返っている死にかけのセミを眺めるような目つきで夫を見た。
「信用なんてできないわ。でも……そうねえ。たとえば、今すぐにあの崖から飛び降りるっていうなら、浮気はしていないって認めてあげてもいいわ。もちろん、家にも帰ってあげる。でも、そんなこと旦那様は絶対に……」
「分かった、やるよ」
ミケットの言葉が終わらないうちに、彼女の夫は弱った体のどこにそんな活力が眠っていたのか、木立の奥へ走り出した。そして、ミケットが指差す崖の縁からジャンプする。
「ミケット! 私は君を愛して……」
あっという間に彼の体は崖下に落下していき、それ以上の声は聞き取れなかった。ミケットが「……え?」と放心する。
「い、今、何が起きて……」
立ち尽くすミケットをよそに、わたしとサロメは大慌てで崖へと駆け寄った。
崖は目眩がしそうなほど高かったけど、その下には深い川が流れている。水面から男性が顔を出して、わたしたちに向かって手を振った。
「ミケット~! 私の愛、伝わったかい?」
よ、よかった……。意外と元気そうだ。隣では、サロメが大きく息を吐き出す音が聞こえてきた。
「ところで、どこから上がったらいいんですか~?」
「あっちに行けば、傾斜が緩くなってるところがありますよ」
わたしは川下のほうを手で示した。ミケットの旦那様が「ありがとうございます」と言って、川から上がり、わたしが教えた方向へ歩き出す。……ちょっと足、引きずってる? やっぱり無傷とはいかなかったみたいだ。
「ミケット……」
わたしは批難するようにまだ後方にいる親友のほうを見たけど、彼女はすっかり心ここにあらずの状態になっていたので、声をかけるのを諦めた。サロメが、「お医者様を手配してもらいましょう」と冷静に言う。
その後、屋敷に戻って診察してもらった結果、ミケットの旦那様は軽い捻挫だと診断された。それ以外は、少しすり傷を作ったほかに大した怪我はないらしい。
「この家の坊ちゃんたちが悪ガキだった頃を思い出しますな。あの子たちも、よく度胸試しで崖から飛び降りて、怪我をしていたものです。まさか同じことをする大人がいるとは思いませんでした」
呆れ顔でお医者様は帰っていった。わたしは患者が寝かされている客間から出る。すると、外にミケットが立っていた。
「……冗談のつもりだったのよ」
ミケットの顔は蒼白く、声はかなり弱々しかった。こんなミケットを見るのは初めてだ。
「怪我をさせるつもりはなかったの。本当よ。ただ、あたし……」
「そういうのは、わたしじゃなくて旦那様に言ってあげなよ」
わたしはミケットの背中を押して、客間の扉の前に立たせた。ミケットはしばらくの間ためらっていたけど、やがて意を決したようにノックしてから入室する。
ミケットが部屋から出てきたのは、それから一時間くらいしてからのことだった。なんと、旦那様と腕を組んでいる。いつもは従者みたいに後ろに引き連れているのに。
「あたし、王都へ帰るわ。もちろん、夫と一緒にね」
ミケットが言った。彼女の隣では、旦那様がニコニコと笑っている。
「懲らしめないといけない罪なんて初めからなかったんだもの。……今までお世話になったわね。また王都でお茶をしましょう」
手短に別れの挨拶をすませると、ミケットは馬車に荷物を積んで、その日のうちに旦那様と一緒に家に帰っていった。




