爆発まで、あと0日(2/2)
「どこへ行くの!」
呼びかけても止まってくれない。わたしはちゃんとノブを回して扉を開けて部屋の外に出ると、全速力で時計のあとを追いかけた。
暴走時計はたまたま廊下を歩いていた気の毒な使用人を跳ね飛ばしながら角を曲がり、その先の階段を下っていく。
「ああ、奥方様。ちょうどよかった。旦那様がもうすぐお出かけに……」
時計にひかれて尻もちをついていた使用人が、わたしに気づいて何かを言ったけど、きちんと聞いている暇はなかった。
時計が目指す先には玄関がある。もしあの爆発物が外に出てしまったら大変だ。
よその家でドカン! となったら、「ダンジュー家が刺客を送り込んできた!」と大騒ぎになってしまうかもしれない。うちが爆発するのも嫌だけど、余計なご近所トラブルもごめんだ。
玄関には、使用人のほかにも人がいた。今から出勤しようとしていたフェルナンド様だ。
夫の姿を発見した途端に、わたしの頭に素晴らしいアイデアが降ってくる。フェルナンド様は機械音痴。きっと、この時計も爆発する前に壊してくれるに違いない。
まさか、彼の意外な一面がこんなふうに役立つ日が来るなんて! やっぱりフェルナンド様は完璧だ。わたしは階段を大慌てで降りながら、夫に向かって叫んだ。
「フェルナンド様、このままだと時計が爆発します! 壊してください!」
何事かとフェルナンド様は目を丸くしたが、自分に近づいてくる暴走時計を見て異常事態を察したらしい。表情が冷静なお仕事モードにすっと切り替わる。か、格好いい……!
それからの出来事はあっという間だった。
フェルナンド様は腰の剣に手をかけると、時計に刃を振り下ろした。彼が剣を鞘に収める頃には、時計は真っ二つになって暴走を止めている。
天井を向いた車輪が余力を持て余すように力無くキュルキュルと空回りしていたけれど、やがてその動きも停止して、機械は完全に沈黙した。
機械音痴とはあんまり関係ない壊し方だったけど……素敵! わたしは痺れるような感動を覚えている。
「フェルナンド様ぁ~! ありがとうございます!」
わたしは夫に抱きついて、感謝のしるしに彼の手袋と袖の隙間の素肌にキスをした。フェルナンド様が使用人に命じて、動かなくなった時計を片づけさせる。
「本当に物騒な発明品だな。怪我はなかったか?」
「はい」
言ったあとで、時計にぶつけられた足がズキズキと痛むと思い出したけれど、黙っておいた。こんなことを教えたら、心配したフェルナンド様がお仕事を休んで看病すると言いかねない。
「では、行ってこよう。また爆発しそうな時計があったら教えてくれ」
冗談めかして言って、フェルナンド様が屋敷を出ていった。
この三日間、フェルナンド様はとてもご機嫌だった。きっと、わたしが同じ寝室で寝起きしたり、話しかけられても逃亡しなかったりと、前みたいに接するようになったからだろう。
でも、それは表面上だけのことだ。わたしはただ、お別れするまでの最後の期間を夫と一緒に過ごしたかっただけなのである。
門の外までお見送りに出たわたしは、フェルナンド様を乗せた馬車が小さくなっていくのを長い間眺めていた。
「キャンディス」
しんみりした気持ちになっていたせいなのか、突然声をかけられてわたしはぎょっとなる。振り向くと、トランクを携えたサロメとミケットが門の傍に立っていた。
「二人とも、どうしてここに……?」
もしかして、わたしの出発を見届けにきてくれたんだろうか。でも、それにしてはやけに荷物が多いような……。不思議に思っていると、二人は予想もしなかったことを言い出した。
「あたしたちも、キャンディスの里帰りにつき合おうと思って」
ミケットが片手に持っているトランクの取っ手をぎゅっと握りしめた。「何で?」とわたしは呆気に取られる。
「わたしが実家に帰るのは、フェルナンド様に仕事を辞めないでほしいって説得するためだよ? 二人はそんな必要なんかないじゃん」
「あたくしたちがキャンディスにつき合うのはね、あなたが心配だからよ。……だからって、気を使わせたとか思わないでちょうだいね。これはあたくしたちのためにもなることだから」
「どういうこと?」
「あたくしは、今おつき合いしている男性との仲をもっと進展させたいの」
サロメが真剣な顔で言った。
「あたくしがいきなりいなくなったら、彼はきっと思い知るはずよ。あたくしが彼にとって、どれほどかけがえのない女性だったのかを」
「なるほどねえ」
さすがはサロメ。この手の駆け引きはお手の物だ。
わたしはミケットに向き直った。
「でも、ミケットは本当にいいの? 家出なんかしたら、ゴシップ紙に騒がれるんじゃない?」
「これは家出じゃないわ」
ミケットは平然と言い放った。
「ちょっと友だちの家に遊びにいくだけよ。……まあ、バカ夫はそうは受け取らないでしょうけど」
ミケットは邪悪な笑みを漏らした。彼女が愛読している怪奇小説の表紙に、これとそっくりな顔をした狂科学者のイラストが載っていたことを思い出し、思わず身震いする。
「あたしが消えたら、さすがのバカ夫もこれまでの不品行な振る舞いの数々を反省するでしょう。それで、今後は二度と浮気なんてしないと誓うはずよ」
「……というわけで、これはあたくしたちにもメリットのある選択なの。もちろん、キャンディスがあたくしたちを連れていきたくないって言うなら、無理強いはしないけど」
「そんなことないよ。すごく嬉しい」
実を言えば、二人が一緒に来てくれると言った時、とても頼もしく感じたのだ。フェルナンド様と離れ離れで暮らすなんて、結婚してから初めての体験だ。そのせいで、わたしは少し不安を覚えていたのである。
でも、親友二人がついているのならとても心強い。それに、彼女たちが傍にいれば寂しい思いをすることもないだろう。いいことずくめだ。
「ありがとう、二人とも。ちょっと待っててね。トランク、持ってくるから」
わたしは大急ぎで屋敷に戻って、荷物を取ってくる。ミケットがわずかに眉をひそめた。
「このトランク、少しへこんでない?」
「……さっき色々あって」
わたしは苦笑いした。暴走した時計は、わたしのトランクにも盛大に体当たりしていたのだ。
「じゃあ行こうか、二人とも」
「ええ」
「そうね」
わたしの呼びかけに、サロメとミケットが同時に頷く。
こうしてわたしは親友たちと一緒に、王都をあとにしたのだった。




