幼妻、接待をする(2/2)
「何になさいますか?」
バーテンダーが尋ねてくる。団長さんは「いつもと同じものを」と言った。すごい! いかにも常連さんって感じの大人っぽいセリフだ!
「お客様は?」
「わたしもいつもと同じで」
バーテンダーの質問に、わたしは団長さんのマネをして答えた。なんだか一気に成熟した女性になった気分だ。
けれど、バーテンダーは困り顔になる。
「……以前にもこちらにいらしたことが?」
「今回が初めてですけど」
このバーテンダー、こんな商売をしているのに、お客さんの顔を覚えていないんだろうか。
わたしがお茶会でしょっちゅう利用しているカフェの店員さんなんて、「いつもありがとうございます。こちらはお得意様へのサービスです」って言って、帰りがけにお菓子を持たせてくれたこともあるのに。
「彼女にも私と同じものを」
団長さんがさりげなく会話に入ってくる。バーテンダーがほっとしたように「かしこまりました」と言って、棚から高そうなお酒のボトルを取り出し、二つのグラスに注ぐ。
「こちら、少々強いですが問題ありませんか?」
わたしの前にグラスを置く時、バーテンダーは心配そうな顔になった。すると、団長さんが快活な笑い声を上げる。
「彼女はいける口だそうだ。……そうでしたな?」
「はい、そういう口です」
意味も分からないままに頷いて、わたしはグラスの中身を一口飲んだ。
その途端に、舌が燃えるように熱くなる。お酒を飲み込む時には食道から胃にかけて、まるで炎が流れていくような感覚がした。体が瞬く間に火照り始める。
何これ、面白い! わたしはグラスの中身をごくごくと飲み干す。
「さすが、ダンジュー将軍の奥方ですな」
笑いながら団長さんもお酒をちびちびと口に運んだ。
「将軍も柔和な性格とは裏腹に、なかなか豪胆なところのある男ですよ。だから、副騎士団長に相応しいと思ったのです」
「フェルナンド様はぁ……副騎士団長のお皿でぇす」
意味もなく笑いが込み上げてきて、舌がもつれた。わたしはバーテンダーに頼み、空になったグラスにお代わりを注いでもらう。
「すごいお皿。立派なお皿。うひひひ……」
「ダンジュー将軍は優秀です。けれど、有能な男の最優先事項が、必ずしも仕事だとは限りませんからなあ。こればっかりは、私でも強制はできません」
「フェルナンド様は優秀。強くて格好いい完璧な騎士様……。いひ、いひひひ……」
「あなたの話をしている時の将軍の幸せそうな顔といったらありません。副騎士団長になれば、夫婦の時間が減るとダンジュー将軍は考えている。ですので、彼の決断も頷けるものではあるのです」
「夫婦の時間。いっぱいキスして抱きしめてもらって、それから……うひゃひゃひゃ……」
「そういえば、ここ数日ほどダンジュー将軍は調子が悪いようですな。提出してくる書類にもミスが目立ちます。それに、どこか心ここにあらずというか……。またランジャック博士の発明品を壊して、部下を困らせていましたよ」
「フェルナンド様は機械音痴……かわいい……。うへへへ……」
「……奥方殿、大丈夫ですか?」
話を中断して、団長さんがわたしに向き直る。あれぇ? 団長さんがもう一人いる。もしかして双子だったの?
「問題ないでぇす。お代わりぃ!」
わたしはバーテンダーにグラスを差し出す。けれど、返ってきたのは困ったような笑顔だけだった。
「随分と酔いが回っていらっしゃるようですから、それ以上はおやめになるほうがよろしいのでは?」
「嫌でぇす!」
わたしは団長さんのグラスを奪って、その中身を一息に飲み込んだ。ますます体が熱くなる。高揚感に包まれるままに、カウンターの上に飛び乗った。
「まだまだ飲めますよぉ! さあ、じゃんじゃん持ってきてくださ~い!」
「お客様! そんなところに登っていないで降りてください!」
「早く水を持ってこい!」
団長さんがバーテンダーに命じる。わたしは彼の胸で輝いているメダルに気づいた。
「それ、まだフェルナンド様が持ってない勲章だぁ。お土産にしようっと~」
わたしは団長さんに飛びかかった。彼の胸から、無理やり勲章をもぎ取ろうとする。
「奥方殿! 落ち着いてください!」
「勲章、勲章、ピッカピカ~。ぐふふふ……」
団長さんがわたしを引き剥がし、店の奥に逃げようとした。騎士のくせに敵前逃亡なんて! こうしてやる! えいっ、えいっ!
「これは私ではどうにもならん。応援を呼んできてくれ」
わたしにワインボトルの注ぎ口で背中をつんつんされながら、切羽詰まったような口調で団長さんがバーテンダーに頼む。
「フェルナンド・ダンジュー将軍を連れてくるんだ。いいな?」
「フェルナンド様がここへ来る?」
わたしは夫の名前を聞いた途端に、団長さんをつんつんするのをやめた。盛り上がってきた気分が、さらに上昇していくのを感じる。
「じゃあ~、一番いいお酒を用意しないとぉ!」
わたしはまたカウンターに上がると、今度はその向こう側に降り立った。棚から目についたワインを取り出す。すると、バーテンダーの顔色が変わった。
「お、お客様! それはおやめください! その酒は、お客がいない時に私がこっそりと飲むために……」
「ええ~? 何~?」
バーテンダーのほうを向いた瞬間に、手からボトルが滑り落ちた。床に激突したワインボトルが割れて、辺りに中身が飛び散る。
「ああっ!」
バーテンダーの悲痛な声が店内に響いた。団長さんが気の毒そうに彼の肩に手を置く。
「これ以上被害を出したくなかったら、早く行け」
団長さんに急かされ、バーテンダーは今にも泣きそうな顔でバーを出ていく。
わたしは「行ってらっしゃ~い!」とその背に向かって手を振った。その拍子に、新しく取り出したワインがまたも床に落下する。バーテンダーが悲鳴を上げる声が遠くから聞こえてきた。
それからのわたしは、とても楽しく過ごした。いっぱいお酒をお代わりしたり、ダンスをしたりと、この上なくいい気分である。
そんな上機嫌のところにフェルナンド様が現れたものだから、わたしは有頂天になった。
「フェルナンド様~!」
バーの入り口に夫が姿を現わした瞬間に、わたしは持っていたお酒を放り出した。フェルナンド様に駆け寄り、がっしりと抱きつく。
「これはまた……盛大に暴れたな」
フェルナンド様が室内を見渡して苦笑する。
バーはもはや、静かでムードたっぷりな場所ではなくなっていた。すべての椅子はひっくり返り、床にはワインボトルやグラスが散らばっている。
逃げ遅れたお客さんたちは、お店の一番奥でテーブルを横倒しにして、その後ろに避難していた。まるで、押し入ってきた強盗から身を守っているみたいだ。
カウンターの向こうでは、勲章をすべて引っぺがされた団長さんがワイングラスを磨いていた。わたしが彼を無理やりあそこに押し込めて、いなくなったバーテンダーの代わりをさせていたのだ。
「やっと来てくれたか、ダンジュー将軍」
団長さんがグラスを拭くのを中断して、軽く手を挙げる。
「一杯やらんかね? 奥方殿のお陰で、私も酒を注ぐのが随分と上手くなったぞ」
「お気持ちはありがたいですが、ご遠慮させていただきます」
フェルナンド様が団長さんのお誘いを丁重にお断りした。何でぇ? せっかくだから、飲んでいけばいいのに~。もしかして、笑止千万ってこと?
「それを言うなら恐縮千万です」
気がつかないうちに、思っていたことが声に出ていたらしい。フェルナンド様の後ろにいたバーテンダーのツッコミが聞こえてくる。
「キャンディス、これ以上暴れると店の者や客が困る。だから、もう帰ろう」
フェルナンド様が膝を折ってわたしと目線の高さを合わせた。
「いいね?」
わたしたちはじっと見つめ合う。夫の濃い緑色の目を見ているうちに、不意にわたしの胸の中に切ない気持ちがあふれてきた。視界が涙でにじんでいく。
「キャンディス、泣かないでくれ」
わたしの目に涙が溜っているのに気づいたフェルナンド様が、慌てたような声を出した。
「君が反省していることはきちんと分かっている。店員には私からも謝っておこう。だから……」
「フェルナンド様~! わたし、フェルナンド様と一緒にいられなくてすごく寂しかったです~!」
わたしはわんわんと泣きながら、フェルナンド様の首筋にがっしりと抱きついた。フェルナンド様が「何だって?」と意外そうな声を出す。
「もう四日もフェルナンド様と満足に触れ合ってなくてぇ……。今朝だって、本当はキスしたかったのに……」
言い終わらないうちに、わたしは自分の口をフェルナンド様の唇に押しつける。
待ち望んだキスのはずなのに、わたしの悲しみは余計に強まった。泣きじゃくりながら、ポシェットに入れておいたキラキラ光る団長さんの勲章を出す。
「これ、お土産です。フェルナンド様、大好き……」
さっきからひどく目が回る。気がつけば、わたしの意識は急速に遠退いていた。




