もう、いなくなっちゃったほうがいいのかな(1/1)
次の目覚めは、激しい頭痛と共に訪れた。なんだか胃がムカムカする。悪いものでも食べたのかな……?
「起きたか、キャンディス」
すぐ傍で声がして、わたしは体調不良を忘れてハッとなった。フェルナンド様がこちらを見ている。
わたしがいるのは寝室のベッドの上だった。フェルナンド様は傍らの椅子に座っている。
「水を飲むか?」
「は、はい。いただきます……」
頭の痛みをこらえながらわたしはフェルナンド様に手伝ってもらって身を起こし、コップの水を一息に飲み干した。すると、最悪だった気分が少しだけよくなって、頭が回り出す。
真っ先に浮かんできた疑問は、「わたし、どうしてこんなところにいるんだろう?」だった。
わたしが覚えているのは、バーで団長さんと飲んでいたところまでだ。そのあと、何があったんだけ。
不確かな記憶を探っているうちに、フェルナンド様がバーまで迎えにきてくれたことを思い出した。
きっと、わたしが酔い潰れて動けなくなってしまったからだろう。ということは、ここまで運んできてくれたのもフェルナンド様に違いない。
……ああっ! しまった!
わたしはベッドの上でギクリと身じろぎした。その途端、頭痛が襲ってきて頭を押さえる。
わたし、フェルナンド様とは触れ合わないって決めてたのに! それに、さっきは会話も交わしちゃった! どうしよう……。これじゃあ、この四日間の努力が無駄になっちゃう!
「キャンディス、辛いようなら寝ていなさい」
フェルナンド様の言葉に、わたしはすごすごと従う。あまりの大失態にすっかり打ちのめされ、頭が真っ白になっていた。
「君がバーで言っていたこと、本当か?」
「え?」
一体何の話? とわたしはきょとんとする。フェルナンド様が「覚えていないのか」と呟いた。
「君は、私と一緒にいられなくて寂しいと言っていた。あれは本心か?」
心を覗き見されたような気がして、わたしの体に緊張が走る。
わたし、本当にそんなことを言ったの? 否定しようとしたけど、脳内に蘇ってきたのは、夫の前で泣きながら何かを告白する場面だった。きっと、酔った勢いで本音をぶちまけちゃったんだろう。
ううっ……。なんてバカなことを! これで、わたしの自立した妻になる計画は完全におじゃんになってしまったわけだ。
だから、フェルナンド様がこんなことを言い出しても、わたしはまったく驚かず、むしろそれが当然の流れだと思った。
「私はキャンディスに悲しい思いをさせたくない。だから、これからはいつもどおりに過ごしてくれ。私ももっと君といる時間を増やすように努力するから」
「それって……やっぱり騎士を辞めるつもりだってことですか?」
「ああ。できるだけ早いうちにな」
フェルナンド様は意思の固そうな表情で頷いた。わたしはがっくりと肩を落とす。
「ゆっくり休みなさい。あとで様子を見にこよう」
フェルナンド様は優しい手つきでわたしの髪を撫でてから、部屋を出ていく。ドアが閉まる音を聞きながら、わたしは自分に嫌気が差していた。
結局、わたしのせいでフェルナンド様は騎士を辞めてしまうことになるの……?
これじゃあ、わたしはどう考えてもフェルナンド様のお荷物だ。
辞職の件だけじゃない。バーでも酔って号泣して、フェルナンド様を困らせてしまった。ほかにも色々と迷惑をかけてしまったし……。きっと、これからもわたしは間違った行動を取り続けてしまうだろう。
わたし、フェルナンド様の傍にいないほうがいいのかな?
ふと湧いてきたそんな考えが、たちまちのうちに心の奥底にこびりついて離れなくなった。
わたしがいなければ、フェルナンド様はこれから先酔った妻を介抱するなんていう厄介な役目を引き受けなくてすむし、副騎士団長にもなれる。
馬上槍試合を邪魔されることもなければ、危険を冒して夜の山で迷子を捜す必要もなくなるんだ。
これって、フェルナンド様にとってはすごくいいことだよね?
わたしはフェルナンド様の足枷。わたしがいてもろくなことがない。
だったらわたしなんて……。
「もう……フェルナンド様の前からいなくなっちゃったほうがいいのかもしれない」
ただの家庭内別居じゃない。今度はもっと本格的に距離を置くのだ。
わたしのひっそりとした呟きは、しんと静まり返った寝室の壁に吸い込まれるようにして消えていった。
****
「わたしね、しばらく実家に帰ろうと思うんだ」
後日。思いついた計画をわたしはお茶会の席で親友二人に打ち明けていた。
「そうすれば、フェルナンド様と絶対に顔を合わせずにすむでしょう?」
「キャンディス……それでいいの?」
サロメは眉をひそめながら尋ねる。
「フェルナンドさんと会えなくて寂しかったんでしょう? 実家なんかに帰ったら、ひどくふさぎ込むのが目に見えてるわよ」
「わたしのことはいいの。今はフェルナンド様の考えを変えるほうが先」
わたしはきっぱりと言い切って、ジュースを一口飲んだ。
「実家にいれば、わたしがどんなに寂しがっててもフェルナンド様には分からないもん。それだけじゃなくて『わたしはここですごく楽しく過ごしています』っていう手紙でも書いておけば、フェルナンド様もきっとわたしのために騎士を辞めようなんて思わなくなるよ」
フェルナンド様が考えていることは、すでに二人に伝えてあった。ミケットがため息を吐く。
「あんた、本当にフェルナンドさんのことが好きなのねえ。あたしだったら、あのバカ夫のためにそこまでのことはできないわよ。二、三発平手打ちして、『仕事を辞めるなんて許さないわよ!』って言ってやるわ」
ミケットの旦那様なら、それで間違いなく言うことを聞くだろうなあ。でも、我が家はそういう感じじゃないから……。
「とにかく、わたしはもう決めたの。フェルナンド様にバレないようにこっそり荷造りして、三日後に出発するつもり。それで、仕事から帰ってきたフェルナンド様は、わたしの書き置きを発見して、初めて何が起きたか知るんだよ」
実家に帰るなんて言ったら、フェルナンド様は絶対に止めるに決まっている。だから、計画は彼に気づかれないように進める必要があった。
お茶会終了後、わたしは早速荷造りを開始する。
フェルナンド様に里帰りの計画が漏れないようにするためにも、使用人の手を借りるつもりはない。
だから必要なものを用意するのはちょっと時間がかかるかもしれないけど、そのために準備期間を三日も用意したのだ。
それに、持っていくもののリストはすでに作成済みだった。我ながら惚れ惚れするくらいの計画性である。大人は行き当たりばったりで行動したりしないってことだ。
トランクに荷物を詰めていくうちに、この作戦はきっと成功するだろうという確信が強まっていく。それに、もう一つの計画についても無事に完了する見込みが立っていた。
わたしは自室の壁にかかっている時計に視線を向ける。
『爆発まで、あと3日』
ランジャック博士にもらった発明品は、大人リストの締め切りが三日後だと告げている。時計から響いてくる聞く者を落ち着かなくさせるような異音に、わたしは余裕の笑みで応じた。
残っているリストの項目は、『NO.10 周りの人といい関係を築く』だけだ。これにチェックが入れば、リストを完成させられる。
今わたしが計画しているのは、フェルナンド様から離れることだ。つまり、わたしは大切な人と距離を置くことをあえて選べるようになったということ。これって、すごく大人の選択だよね?
二人が離れることでわたしはもうフェルナンド様の重荷にならなくてすむのなら、これは「周りの人といい関係を築いた」ことになるだろう。
つまり、この項目は達成だ。わたしは出発の日にリストにチェックを入れるつもりだった。
カチ、ガチンッ、ギギ……ギギギギ……ギギ、カチ、ギギ……カチ、ギギ……。
「そんなに急かさないで。もうすぐ全部上手くいくんだから」
わたしは荷造りをしながら、異音を出す時計に向かって囁いた。




