壁に耳あり葉陰に猫あり(3/3)
「愛らしさなら、私の妻も負けていませんよ」
意外なことに、ミケットの旦那様がフェルナンド様の話に乗ってくる。
「彼女が読書をしている姿は、悪魔的なかわいらしさにあふれています。表紙に描かれた怪物を眺める、あの見下したような表情といったら! 本だけではなく、私にもそんな眼差しを向けてほしい……! それに機嫌が悪くなると、ミケットはたまに私に平手打ちをしてくれるのですよ。ご褒美です」
ミケットの旦那様がニヤけ顔になる。叩かれて喜ぶなんて、よく分からない趣味だなあ……。
でも、一つだけ理解できたことがある。ミケットは旦那様にすごく愛されているようだ。
これって重大なニュースだよね? だって、こんなに奥さんを想っている人が、よそに恋人なんて作るはずないもん。
ということは、浮気はミケットの勘違いに違いない。早速知らせてあげないと!
わたしは四つん這いの姿勢で、そろそろと後退を始めた。でも、地面に木の枝か何かが落ちていたらしく、足元からバキッと音がする。わたしは思わず縮み上がった。今の音、二人に聞こえていませんように……!
けれど、祈りは届かなかった。
「今、何か物音がしませんでしたか?」
フェルナンド様が異変を察知した。ミケットの旦那様が「そうでしたか?」と言う。
「私は何も気づきませんでしたが……。気のせいでは?」
「いいえ。確かにそこの茂みから……」
ガサッと葉がかき分けられる音がする。まずい! 見つかっちゃう前に、どうにかして誤魔化さないと!
……そうだ!
「にゃーん」
どう? わたしの猫の鳴きマネの腕前は? わたしって、惚れ惚れするくらい頭の回転が速いんだから! これなら、フェルナンド様も「なんだ猫か」って言って、物音の原因を突きとめるのを諦めるはずだ。
しかし、そう思った次の瞬間には、茂みをかき分けたフェルナンド様とわたしの視線が絡んでいた。
わたしたちはしばらく無言で見つめ合う。全身から冷や汗が吹き出してくるような気がした。
み、見つかってしまった……。どうしよう!
焦っていると、フェルナンド様がわたしの脇の下に手を入れた。体を持ち上げられたことで、二人の目線の高さが合う。
「かわいい猫だな」
フェルナンド様が口元を緩めた。
「連れて帰ってうちの子にしてしまおう。名前はどうしようか?」
「キャンディスさん!」
ミケットの旦那様がこちらを見て瞠目した。
「これはこれは……いつからいらしたのですか?」
「ええと……」
「そもそも、どうして隠れていたのです?」
「それは……」
何を聞かれても、わたしはしどろもどろな回答しかできない。そんなわたしをフェルナンド様は余裕の笑みで眺めている。
さっきの会話の内容と照らし合わせると、多分「戸惑っているキャンディスもかわいらしい」とか思ってるのかもしれないけど、わたしとしては「見ていないで助けてください!」と叫びたい気分だった。
「さては、私の妻の差し金ですね?」
戸惑っている間に、ミケットの旦那様は真相に気づいてしまった。図星を指され、わたしはフェルナンド様に持ち上げられたまま固まる。
「ミケットは私の浮気を心配して、キャンディスさんに尾行を頼んだのでしょう?」
「こ、このことで、ミケットを嫌いになってしまわないでください」
言い訳を何も思いつけなかったわたしは、親友の弁護に回ることにした。
「ミケットはその……そういう性格なんですよ。何でも疑ってしまうというか……」
「ええ、分かっていますとも」
ミケットの旦那様は大きく頷いた。
「彼女はちょっとしたことで疑心暗鬼にとらわれてしまう。ありもしない浮気の事実を疑ってしまうのです。そういう嫉妬深いところもたまりません。私の不貞を問いただす時のあの恨みがましい目! いつも内心でゾクゾクしていますよ」
ミケットの旦那様が締まりのない顔になる。
……やっぱりこの人、ちょっと変わってるなあ。
でも、焼きもちが悪くないっていうのは同意できるかも。だって、嫉妬は大人のたしなみだもんね。
「あら、皆さんおそろいですか」
東屋に続く小道の向こうから声がして、ミケットが登場した。フェルナンド様に抱え上げられているわたしを見て、スパイ作戦は失敗したと悟ったらしい。今にもため息を吐きそうな顔になっている。
わたしはフェルナンド様に下ろしてもらうと、すぐに親友のもとへと駆け寄って、彼女の耳元でこっそりと囁いた。
「ミケットの旦那様、浮気なんてしてなかったよ」
わたしは先ほど東屋で聞いた話をミケットに教えた。けれど、彼女は固い表情を崩さない。広げた扇で顔の下半分を隠して、眉をひそめた。
「口でなら何とでも言えるわ。行動で示してくれないと、あたしは信じないわよ」
「じゃあ、旦那様のことを踏んづけてみたら? 喜んでくれると思うよ」
「そんなことをしたって、バカ夫の身の潔白の証明にはならないでしょう!」
ミケットはトゲのある口調で言った。
その後はわたしたち四人で行動することになったんだけど、結局ミケットの頑なな態度は最後まで変わらなかった。「あたしはあなたの後ろ暗いところを何もかもお見通しなのよ」とでも言いたげな目で、時折夫のほうを見ている。
一方のミケットの旦那様はというと、妻から冷たい目で見られる度に、ニヤつくのを必死に我慢してるように見えたのは、わたしの気のせいだったのかな?
でも、気になることがもう一つ。ミケットは、なぜか旦那様だけではなく、わたしのほうにも時々、意味深長な視線を送ってくるのだ。どうやら何か言いたいことがあるらしい。
でも、口を開こうとする度に周りに人がいるのを見て断念しているようだった。ひょっとして、他人には教えられないような秘密の話なのかも。
けれど、それが何なのかを聞き出す前に、文武交流会は終了の時間を迎えたのだった。




