晴れ、時々石ころ(1/1)
はっきり言って、わたしは領地経営ではまるで役に立たなかった。
でも、こんなことでめげるわたしではない。『NO.6 フェルナンド様を支える』を達成するための次の手は、ちゃんと考えてあった。
翌日、わたしは一日中お菓子作りの特訓をした。夫に美味しい物を食べさせてあげる。これって「フェルナンド様を支える」行為以外の何物でもないでしょう?
しかも、料理って割と「上品な趣味」じゃない? そう、大人リストのNO.3の『上品な趣味を持つ』だ。
『週末は夫のためにお菓子を手作りしますの。おほほほ』
こんなことが言える女性は、すごく大人って感じだ。
つまり、わたしが素晴らしい料理を作ってフェルナンド様に喜んでもらうことができれば、リストの『NO.6 フェルナンド様を支える』、『NO.3 上品な趣味を持つ』を同時に達成できるというわけである。
こんな攻略方法を考えつくなんて、わたしって頭いい!
でも、お菓子作りは茨の道だった。ケーキは全然膨らまないし、マドレーヌは生焼けで、そうかと思えば、石みたいに固いワッフルが誕生してしまう。
けれど、一日が終わる頃には、どうにかそれっぽいものを作れるようになっていた。
というわけで、次の日のわたしは早起きをしてクッキーを作り、騎士団にいるフェルナンド様のところに持っていくことにした。
お仕事が終わるまで待っていてもよかったんだけど、どうせなら焼き立てを食べてほしかったんだ。
すっかりわたしの顔を覚えてしまった守衛さんに中に入れてもらい、フェルナンド様の執務室に向かう。
「キャンディスじゃないか。どうしたんだ?」
わたしが入室すると、書類仕事中だったフェルナンド様が瞠目した。けれど、妻の訪問自体は嬉しかったのか、「三時間ぶりだな」と言いながら抱きしめてくれる。
「フェルナンド様に差し入れを持ってきました」
わたしはポシェットの中から焼き菓子が入った包みを出す。まだほんのりと温かさが残っていて、口元が自然とほころんだ。冒険家が宝箱の中身を見せびらかすように、得意げな気持ちで包みを開いてみせる。
「わたしが作ったんですよ」
「ほう……。君は料理ができるのか」
フェルナンド様は感心したように呟いた。そうそう、この反応を待ってたんだよ!
「では、一ついただこうか」
白手袋を外し、フェルナンド様がクッキーを一枚つまむ。ザクザクと小気味いい音が聞こえてきた。
「……美味しいですか? 点数をつけるとしたら、何点くらいになります?」
わたしは夫が手作りクッキーを飲み込むのを待って尋ねる。期待で胸が高鳴っていた。
フェルナンド様が口角を上げる。
「二十点だ」
「えっ……」
わたしは頭を殴られたようなショックを受けた。
「百点満点中の二十点ですか……。……手厳しいですね」
嘘……。そんなに不味かった? 頑張って作った自信作だったのに……。
しょげ返っていると、意外なことにフェルナンド様は「いや」と首を振る。
「五点満点中だ」
五点満点中の二十点って……わあ! 高評価だ。わたしは「ありがとうございます!」と言いながら、フェルナンド様に抱きついた。
「君も一緒に食べよう」
事務机の椅子に座ったフェルナンド様の膝の上に乗せてもらう。夫が差し出してきたクッキーをわたしは口で受け取った。
「ほら、素晴らしい出来映えだろう?」
「えへへ、そうですね」
わたしは笑い声を上げる。フェルナンド様が楽しそうな顔になった。
「いい笑顔だな。クッキーの点数に、あと十点追加しよう」
「わ~。ありがとうございます!」
わたしは合計で三十点もついたクッキーを手に取り、フェルナンド様に向ける。
「フェルナンド様も、あーんしてください」
フェルナンド様が口を開ける。手の中のクッキーを食べてもらう時に指先が綺麗な形の唇に当たって、ちょっとドキドキした。
「美味しいな」
フェルナンド様の熱く輝く深緑色の瞳が迫ってきたと思ったら、口づけられた。クッキーの味がする甘いキスだ。わたしは夢中になって夫の唇を求めた。
これで大人リストの『NO.6 フェルナンド様を支える』、『NO.3 上品な趣味を持つ』にチェックが入れられる。
わたし、どんどん大人になってる!
フェルナンド様に首筋にキスされながら、満足感で頭がぼうっとなる。そんな時、事務机の背後の窓の外で何かがこっちに向かって飛んできているのが見えた。
あっと思った時には、ガシャン! という大きな音がして、窓ガラスが割れている。床に転がっていたのは、こぶし大の石だった。
何!? 何が起きてるの!? どうして窓から石が飛んできたわけ……?
混乱する間にも、次の石がまたこちらに迫ってくるのが見えた。わたしは息を呑む。
「伏せなさい、キャンディス!」
とっさに反応できないでいたわたしをフェルナンド様が床に押し倒し、大きな体で庇うように覆い被さる。またガラスが割れる音がした。わたしは夫の軍服の胸元を、指の関節が白くなるほどに強く握りしめる。
幸いにも、投げ込まれた石はこれで最後だった。フェルナンド様はしばらくはわたしを庇う体勢のままだったけど、やがて辺りを警戒しながら立ち上がる。
「平気か?」
フェルナンド様が労るような声を出し、手を差し出してきた。でも、足に力が入らず、わたしは立ち上がることができない。恐ろしい怪物と出会ってしまったような気分で、床に転がる二つの石を見つめた。
ひどい怪我をしそうになったことなら、前にもある。馬上槍試合で客席から転げ落ちたわたしは、うっかり馬に跳ね飛ばされそうになったのだ。
あの時も怖かったけど、今回感じた恐怖はそれとは比べものにならなかった。わたしは体の芯が冷たくなっていくような感覚を覚え、身震いする。
けれど、どうしてこれほどの恐ろしさを覚えているのかはまるで分からなかった。
でもフェルナンド様の顔を見た途端に、生まれかけていた戸惑いは一瞬で消えてしまう。
「フェルナンド様、お怪我を……!」
ガラスの破片が当たったのか、フェルナンド様の頬にうっすらと赤い跡がついていた。わたしはポシェットからハンカチを出して、慌てて夫の顔についた傷跡に宛がう。
白いハンカチに赤い血が染み込んでいく光景は、何とも言えず痛ましいものだった。わたしは泣きそうになる。
「フェルナンド様、大丈夫ですか? 痛くありません?」
フェルナンド様は壁際に設置された姿見に自分の顔を映した。そして、優しく微笑む。
「大した傷じゃない。そんな顔をしないでくれ」
フェルナンド様がわたしの顎を持ち上げ、目尻にたまった涙をキスで吸い取った。
「キャンディス、もう帰りなさい」
フェルナンド様がわたしの頭を撫でる。ふと、ドアに慌ただしいノックの音がした。入室してきたのは、フェルナンド様の部下のレズリーさんだ。
「隊長、たった今……」
レズリーさんは何かを言いかけたけど、わたしを見て固まった。フェルナンド様がわたしの肩を抱いて、レズリーさんのほうに差し出す。
「レズリー、悪いが妻を家まで送っていってもらえないか?」
「……はい」
レズリーさんは素直に頷いた。わたしは大人しくフェルナンド様に言われたとおりに退室する。
レズリーさんと並んで歩きながら、わたしは無言だった。頭の中は、先ほどの事件のことでいっぱいになっている。どうしてあんなひどいことが起きたんだろう?
けれど、外に出た瞬間にわたしの物思いは中断した。なにやら騒がしい声がする。
「やっと捕まえたぞ!」
「誰か、巡査に連絡してくれ!」
ここからでは騒ぎの元が何なのか見えなかったけど、わたしはこの騒動が先ほどの事件と関係しているのではないかと直感した。思わずレズリーさんに問いかける。
「何があったんですか?」
「……大したことじゃないよ」
レズリーさんはわたしの質問をはぐらかした。でも、彼の暗い顔を見る限り、どう考えても「大したことじゃない」わけがない。ひょっとして、わたしの知らないところで何か大変なことが起きているんだろうか?
それに、外の騒ぎを耳にした時、わたしは今回の事件にあれほどの恐怖を覚えたわけを理解した気がした。
わたしを怯えさせていたのは、明らかな悪意だった。
馬の暴走は事故だと片づけられるけど、今回の事件はどう考えても誰かが悪事を働こうと思ってやったことだろう。竜巻が発生したわけでもないのに、石ころが自然に空を飛ぶはずはないから。
それも二回もあんなに大きな石を投げるなんて、ただのイタズラにしては度を越している。
それに、ここは騎士団の本部だ。しかも、フェルナンド様の執務室は最上階にある。ちょっとした出来心で石を投げ入れられるような場所じゃない。
つまり今回の事件は、誰かが室内にいた人をわざと傷つけようとしたとして起きた可能性が高いということだ。
ひしひしとした敵意を感じ、わたしは鳥肌を立てた。不穏な気配に胸がざわめき、心の中に怯えが広がっていく。
その恐怖心は、レズリーさんと一緒に馬車に乗り込み、屋敷まで付き添ってもらったあとも消えることはなかった。




