幼妻の領地経営(2/2)
満足しながら私室へ戻ろうとすると、廊下で家令とすれ違った。どうやら、応接室へ向かっているらしい。家令も「内助のGO」をするつもりなのかな? でも、一足遅かったね。
「代官なら帰ったよ」
わたしは先ほど応接室で交わした会話を家令に教えた。自分でも手柄顔になっているのが分かる。
でも、話を聞き終えた家令は、意外なことに物言いたげな顔つきになった。
「奥様……それは少々まずかったのではないでしょうか」
「え、どの辺が?」
「たとえばですね……税率を百パーセントにするということは、極端に言えば、稼ぎをすべて領主に持っていかれるということです」
家令は神妙な顔で言った。
「それに、森を削れば木こりが困るでしょうし、壊れた砦をいつまでも放置しておけば、賊に狙われる原因ともなりましょう。つまり……」
「わたしのやろうとしたこと、皆的外れだったってこと!?」
とてつもない空回りぶりに、わたしはしょんぼりとしてしまう。
けれど、呑気に落ち込んでいる場合じゃなかったと思い出した。
わたしが提案したとんでもない経営方針の転換を胸に、代官はこれから領地に帰ろうとしているのだ。こんな政策が打ち出されたら、領内で暴動が起きちゃう!
わたしは屋敷を飛び出すと、馬車置き場に急行した。しかし、そこは「間抜けの殻」だった。
「代官殿の馬車なら、少し前に出発いたしましたよ」
車庫の管理人がそう教えてくれて、わたしは血の気が引く思いがした。
今度は屋敷の敷地を抜けて、大通りを駆ける。すると、遠くにダンジュー家の紋章をつけた馬車が見えた。きっと、代官はあれに乗っているはずだ。
「待って!」
わたしは大声を上げてその場で飛び跳ねた。けれど、向こうはこちらの存在にはまるで気づいていないらしく、馬車はどんどん遠ざかっていく。
仕方なしに、わたしはまた走り出した。大通りは通行量が多いからそこまでスピードは出せないはずだし、頑張ればなんとか追いつけるはずだ。
「おいお嬢ちゃん、ひかれてえのか!」
「邪魔だよ! 通行人は道の端を歩きな!」
すれ違う馬車の御者たちに散々怒鳴り散らされながら、わたしは徐々に代官の乗った馬車に近づいていく。
あともう少しだ。もう少しで声が届く距離になる……!
その時、わたしは何かに足を取られてガクンと背中をのけぞらせた。
体が自由に動かない。何事かと思ったら、靴の踵が側溝のフタの隙間にはまり込んでいるではないか。
「もう! こんな時に……!」
思わず低くうめく。思いっきり足を引っ張ってみたけど、よっぽどがっしりとはまってしまっているのか、全然外れる気配がなかった。
こうしている間にも、馬車は先に進んでいく。わたしは焦った。
まさか靴を脱いで、裸足で追いかけるわけにもいかないし……。このフタを外して、どうにか引きずっていけないかな?
でも、こんな重そうなものを足の下にぶら下げていたら、走るどころか十歩くらい歩いただけで息切れしてしまいそうだ。
そうこうしているうちに、馬車は角を曲がってわたしの視界から姿を消してしまった。このままだと見失っちゃう! どうしたらいいの!? 足を切断するとか!?
「キャンディス?」
焦りが最高潮に達して、ミケット好みの恐怖小説に出てきそうな解決策を本気で検討し始めた時、深みのある優しい声で名前を呼ばれた。
顔を上げると、すぐ隣に停められた馬車の小窓から、仕事帰りの愛しい夫がこちらを見ている。
「助かりました、フェルナンド様!」
まるで、真っ暗闇の中で光るシャンデリアのように、今のフェルナンド様はいつにも増して輝いて見えた。わたしは前方を指差す。
「あの馬車を追ってください!」
「……どの馬車だ?」
フェルナンド様が怪訝そうな顔をする。そうだった! 代官の馬車は、もうここからじゃ見えないところまで行っちゃったんだった!
「あそこの角を曲がった先の通りにいると思います」
わたしは身振り手振りを交えながら、早口で説明した。
「ダンジュー家の紋章がついた馬車です。代官が乗ってるんです。このままだと、税率が百パーセントで木こりが失業して、賊が大喜びするので、領内が大混乱になってしまいます。ですから早く!」
慌てていたのでまったく筋の通った説明ができなかったけれど、とにかく緊急事態だということだけは伝わったらしい。フェルナンド様は馬車の扉を開けると、「君も一緒に来てくれ」と言った。
わたしは差し出された夫の手を見て、弱々しく微笑む。
「わたしはもうダメです。この足ではとても……。わたしのことは気にしないで、フェルナンド様は先に行ってください。あとで必ず追いつきますから」
ミケット曰く、小説でこういうセリフを言った人が追いついてくることはなく、それどころか後日死体になって発見される展開のほうが定番らしい。
でも、今は犠牲を出すのをためらっている場合じゃなかった。フェルナンド様のためなら、キャンディスは体を張ります!
けれど、フェルナンド様はお決まりのパターンに従う気はないようだった。素早く馬車を降りると、わたしの足元にかがみ込む。
「フェルナンド様?」
「君を置いていけるわけがないだろう」
フェルナンド様は断固とした口調で言って、わたしのヒールを側溝のフタから引き抜こうとした。
あまりに格好よすぎて、わたしは痺れるような感動を覚える。フェルナンド様が新兵さんたちに慕われている理由が分かった気がした。
彼の傍にいれば、ピンチに陥っても絶対に見捨てられないって確信できるんだろう。
わたしが力尽くで引き抜こうとしても無理だったのに、フェルナンド様の手にかかると、まるで手品のようにあっさりとヒールは外れた。
夫に抱きかかえられたわたしが素早く乗車すると、馬車が動き出す。
代官に追いついたのは、わたしたちが車内で情熱的なキスをしている最中のことだった。
わたしは代官に、先ほどの指示はすべて忘れてほしいと頼んで、もう一度屋敷に戻ってもらう。今度は、フェルナンド様と一緒に話を聞くことにした。
相変わらず代官の言っていることはちんぷんかんぷんだったけど、今度は隣にフェルナンド様がいてくれたから何も問題はなかった。
わたしがどんな質問をしても、フェルナンド様は面倒くさがらずに答えてくれて、会談が終わる頃には、わたしの頭には領地経営の基礎がしっかりと叩き込まれている。
フェルナンド様って本当に何でもできちゃうんだなあ。代官を見送りながら、わたしは夫の素晴らしさを再確認したのだった。




