トロフィーは災いの元(3/3)
「……どうかなさいましたか、奥方様?」
わたしの予想に反して、やって来たのはフェルナンド様ではなく、彼が率いる直属部隊の副隊長さんだった。オロオロしているわたしを見て、不審そうな顔をしている。
「別に何も」
わたしは首がもげそうなほどの勢いで頭を左右に振った。まあ、もげそう……というかもげちゃったのは、首じゃなくて取っ手なんだけど。
例の箱は、入り口のすぐ近くの棚の上に危なっかしく載っていた。よりにもよって、副隊長さんのすぐ傍だ。ちょっとグラグラしているのは、気のせいだということにしておきたい。
壊れたトロフィーを見つけるのがフェルナンド様ではなく副隊長さんだとしても、状況がよくなるとは思えなかった。
「奥方様、とんでもないことをしでかしてくれましたね」
副隊長さんが文句を言った。ただでさえ厳しそうな顔が、さらに険しくなっている。わたしはヒヤリとした。ま、まさか、取っ手のこと、もうバレちゃったの!?
「よりにもよってこんな形で敗北するとは、隊長の面目は丸つぶれです。奥方様はそのことをきちんと理解しているのですか?」
なんだ……馬上槍試合のことか。わたしは安堵して、体から力が抜けそうになった。
……いや、ちっとも「なんだ」じゃないよね。そっちもそっちで重大事項だ。でも、今のところはトロフィーの件のほうが緊急度が高いから……。
「今回のことだけではありません」
安心するあまり表情が緩んでしまったわたしを見て、副隊長さんが信じられなさそうな顔になる。苛立たしげに腕組みをして、つま先でトントンと床を叩いた。
やめて! 揺らさないで! そんなことをしたら、棚から箱が落ちちゃう……!
「分かっていらっしゃるのですか? 奥方様のせいで、隊長は腑抜けになっているのですよ?」
「腑抜け、ですか……」
わたしは焦りながら、曖昧な返事をする。ところで、「腑抜け」ってどういう意味?
語感が似ているから、多分「間抜け」みたいなことなんだろうけど。ただ、抜けているのは「ま」じゃなくて「ふ」らしい。でも、「ふ」って何なの?
わたしの鈍い反応は、副隊長さんの神経を逆なでしてしまったらしい。トントンの仕草が、足から指に移る。よかった。叩かれる対象が腕に変わった。そこなら思いきり連打してもらっても大丈夫だ。
「奥方様と出会う前の隊長は、非常に仕事熱心でした。朝は最初に来て、夜は最後に帰る。それどころか、本部に泊ることすらありました。それなのにご結婚なさってからというもの、それとは真逆の生活を送るようになってしまって……」
副隊長さんは嘆かわしそうに首を振った。その拍子に彼女の視線が室内を一巡して、わたしの体中の毛が逆立つ。
あのトロフィーがあった場所は、今は不自然な空白地帯になっている。もし副隊長さんがその謎のスペースに気づいてしまったらどうしよう?
きっと副隊長さんはわたしを拷問して、本当のことを洗いざらい喋らせてしまうに違いない。それで最終的には「壊れた取っ手の代わりに、奥方様の腕をちょん切ってトロフィーに取りつけましょう」って展開になるんだ!
少なくとも、ミケットが好きな恐怖小説だったら、絶対にそういうオチが待っているに決まってる。
でも、運よく副隊長さんは棚の空白スペースには気づかなかったようだ。何事もなかったように話を先に続ける。
「朝はギリギリに来て、時間になると真っ先に帰っていく。休暇は頻繁に取るし、何かというと家庭のことを優先して……。以前の隊長なら、今頃は歴代最年少の騎士団長になっていたはずなのに」
「騎士団長? すごいですね」
「何が『すごいですね』ですか! 奥方様のせいで、その夢は潰えたのですよ!」
気が動転していたせいで、わたしは話を半分しか聞いておらず、随分ととんちんかんな返答をしてしまったらしい。副隊長さんが鬼の形相になる。
「奥方様は、ご自分があの方に悪影響を与えているという自覚がおありなのですか? 騎士団長になれなかっただけではありません。隊長には何の責任もないのに、最近ではとばっちりで何度もひどい目に遭って……。あんな嫌がらせを受けているのも、元はと言えば……」
「キャンディス、待たせてしまってすまない」
フェルナンド様が戻ってきたので、副隊長さんの話は中断した。
重そうな鎧から身軽な騎士団の制服に着替えたフェルナンド様は、先ほど断念した代わりとでもいうかのように、わたしをしっかりと抱きしめる。
夫の腕に抱かれながら、わたしは軽い絶望を覚えた。
フェルナンド様、どうしてわたしが取っ手を直す前に戻ってきちゃったの? まだ副隊長さんも帰る気配はないし、これじゃあ、わたしの不始末のせいで失望させてしまう人が二倍になっちゃう!
こんなことなら、最初から誤魔化さないで何が起きたか言っておけばよかった。正直に謝ったら、二人が抱く悪印象もそれほどでもなかったかもしれないのに。
それとも、今からでも遅くはないんだろうか? わたしが猛反省していることが伝われば、二人も「こんなのよくあること」って言って、笑って許してくれるかもしれない。
「あの、フェルナンド様。わたし……」
わたしはおずおずと口を開いた。
「こんなことをしてしまって、本当に申し訳ないと思っています。一体どうやってお詫びしたらいいのか、見当もつきません」
よく考えてみれば、トロフィーの破壊は、わたしだけじゃなくてフェルナンド様の評判も下げてしまうような行為だったかもしれない。
だって、これから先フェルナンド様は、「あれがダンジュー将軍ね。奥方は破壊神だそうよ」と言われ、後ろ指を指されながら過ごさないといけないんだ。フェルナンド様は何にも悪くないのに……。
そう考えると、ますます気分が落ち込んでくる。どうして今日のわたしは、こんなふうにバカなことばかりしでかしちゃうんだろう?
「フェルナンド様……本当にごめんなさい。わたしのせいで、フェルナンド様は……」
「何を泣いているんだ、キャンディス」
フェルナンド様が少し戸惑った。指摘されて初めて、わたしは自分の頬が濡れていることに気づく。
「試合のことなら私は何も気にしていない。ただ、この部屋に私の名前が刻まれたトロフィーが置かれなかった、それだけのことだ」
抱擁を解き、フェルナンド様が部屋をぐるりと見回す。
置かれていないトロフィーは、ほかにもあるんですよ。わたしが壊しちゃったんですから。
そう言いたかったけど、声が喉につっかえてしまったように、言葉を発することができなかった。フェルナンド様がわたしの頭を撫でる。
「私にとって一番のいい知らせは、君に怪我がなかったことだ。……それとも、ほかに何か気になることでもあるのか?」
「あらかじめ申し上げておきますが、私は真実しか申し上げておりませんよ」
副隊長さんが会話に割り込んでくる。
「私はただ、仕事しか眼中になかった頃の隊長のほうがよかった、と奥方様にお伝えしただけです。奥方様と出会わなければ、隊長は今頃誰もが羨むような高い地位について、さぞかし幸福だったでしょうに」
「私はそうは思わないが」
フェルナンド様は断言した。そして、わたしに向き直る。
「キャンディス、私が一番大切にしているのは君なんだ。優勝トロフィーも団内での高い地位もいらない。私は、君がこうして傍にいてくれるのが何よりも嬉しいんだよ」
「フェルナンド様……」
「愛してる、キャンディス。……君はどうなんだ?」
「わたしも……大好きです」
言い終わらないうちから、フェルナンド様にまた抱きしめられる。夫の体のしっかりとした感触に、わたしの気持ちは段々と解れていった。
フェルナンド様の肩越しに、副隊長さんがつき合いきれないと言いたそうな顔になったのが見える。彼女は、腕組みをしたまま近くの棚にトン、と背をつけた。
その衝撃で、かろうじて棚の上に載っていた壊れたトロフィーの箱がぐらりと揺れる。わたしにできたのは、フェルナンド様の服をきゅっとつかむことだけだった。あっという間に、箱は床に叩きつけられる。
「どうしたんだ?」
背後で発生した大きな物音に目を丸くして、フェルナンド様が振り向いた。副隊長さんは「何かを落としてしまいました」と言いながら、わたしが止める間もなく箱を開ける。
「あっ……」
副隊長さんは、箱の中からトロフィーと取っ手を取り出す。ただし、わたしがトロフィーを箱に入れた時よりも状況は悪化していた。なんと、残っていたもう片方の取っ手まで取れていたのだ。
「なぜこんなところに入っていたんだろうな?」
フェルナンド様が呑気な口調で言った。一方のわたしは目眩を覚える。わたしが壊したのは片側の取っ手が一個だけだと言っても、二人は信じてくれないかもしれない。
「これは……今から三十年ほど前の試合のものですね。元のところに戻しておきましょう」
副隊長さんは何でもなさそうな調子で言うと、取っ手をトロフィーに押しつけた。……それ、無意味な抵抗だから。そんなことでくっつくくらいなら、苦労しないよ。
しかし、取っ手は魔法のようにトロフィー本体に吸いつけられて、決して落ちてこようとはしなかった。わたしはあんぐりと口を開ける。
そうこうしている間にも、副隊長さんはもう一方の取っ手もいとも簡単にトロフィーに取りつけ、棚の空白地帯にひょいと置いてしまった。騒動など初めから何もなかったように棚の上で輝くトロフィーを見て、わたしは混乱する。
「な……何で? だって、壊れたんじゃ……。副隊長さんは、魔法が使えるんですか!?」
「ここのトロフィーは、掃除しやすいように分解できる仕組みになっているんだ」
フェルナンド様はわたしの質問を笑って否定しながら近くの棚からトロフィーを取り上げ、「ほらな?」と言って台座から本体を外してみせた。
まさかの真相に、わたしはしばらく言葉が出てこなくなる。
つまり、あんなに慌てる必要はなかったってこと? 嘘でしょう……?
足から力が抜けたわたしは、ヘナヘナとその場に倒れ込んだ。
「どうしたんだ、キャンディス?」
フェルナンド様が困惑顔で、わたしの傍にかがみ込む。わたしは力無く笑った。
「大丈夫です。何も問題はありません」
そう、何も問題なんて起きていなかったのだ。わたしはトロフィーを壊していなかった。これで、フェルナンド様が破壊神の夫だと陰口を言われることもない。
「よかったです、フェルナンド様!」
わたしは夫に抱きついた。フェルナンド様は何のことかよく分からなさそうな顔をしつつも、何も言わずに黙ってわたしを抱きしめ返してくれる。副隊長さんが、呆れ顔で控え室から去っていった。
トロフィーの件はこれで決着がついた。誰の評判も傷つかなかったのは幸いだったと言えるだろう。
けれど、わたしがもう少しでフェルナンド様の評価を落とすところだったという事実は否定できない。それどころか、馬上槍試合では現にフェルナンド様が敗北する原因を作ってしまったのだ。
どうしてこんなことになっちゃたのかといえば……多分わたしに子どもっぽいところがあるからだろう。大人の女性は取っ手をうっかりもぎとったり、試合に乱入したりしないはずだから。
つまり、わたしにはまだまだ変わる余地があるっていうことだ。当然だろう。あの大人リストはまだ完成していないんだから。
リストの項目、あといくつ残っていたっけ?
今の自分にできることを考えながら、わたしはフェルナンド様と連れ立って控え室をあとにした。




