溺愛され続けるために必要な10のこと(1/3)
フェルナンド様に嫌われないために大人になる。
そんなふうに決意したのはいいけれど、問題はそのあとだった。
大人ってどうすればなれるの?
一応、色々と案は出してみたけれど、考えれば考えるほどドツボにはまっていき、わたしは机に肘を立てて頭を抱え込んだ。
まだ具体的な方針も決まっていないようじゃ、先が思いやられるというものだ。この作戦、ひょっとしたら計画倒れで終わっちゃうんじゃない?
フェルナンド様が帰宅したのは、そんなふうに心配し始めた時のことだった。
「奥様、旦那様のお帰りですよ」
ドアをノックした使用人にそう告げられ、わたしは椅子の上から跳ねるように立ち上がった。廊下を駆け抜けて、正面玄関で使用人に荷物を預けているフェルナンド様に抱きつく。
「今日はいつにも増して熱いお出迎えだな」
わたしを優しく抱き留めながら、フェルナンド様が頭を撫でてくれる。よかった。大人になる作戦は上手く進んでいないけど、フェルナンド様はまだわたしのことを嫌いになっていないみたいだ。
「今朝は挨拶もなしに家を出てしまってすまなかった。早い時間帯に会議があったんだ」
「分かってますよ。でも、次からは絶対に知らせてくださいね。わたし、眠くても頑張って起きますから」
「寂しかったんだな。本当に悪かった」
フェルナンド様が眉を下げた。夫を困らせたくはなかったので、わたしは「もう過ぎたことですから!」とオロオロする。
「ご飯にしましょうよ。朝早くからお仕事だったんですから、お疲れでしょう? 食べて元気になってください」
「君の顔を見たら、疲れなんて全部吹き飛んだよ」
フェルナンド様が柔らかく笑う。大好きな夫の目元の笑いジワを見ているうちに、「早く大人になる方法を考えないと」と焦るあまりピリピリしていた気持ちが、段々と楽になっていった。
その時、玄関ホールに呼び鈴の音が響く。使用人が出ようとしたけど、ドアの一番近くにいたのはわたしだったから、反射的に「はーい」と声を上げ、玄関扉に手をかけて大きく開いた。
「こんちは、新聞のお届けっす」
外にいたのは、新聞配達員の制服を着た十四歳くらいの少年だった。彼が差し出してきた新聞に書かれた「朝刊」という文字を見て、わたしは目を疑う。
「もう夕方ですけど……」
「すんません。道に迷っちゃって」
少年は心苦しそうに言った。なんだか疲れた顔をしている。
「俺、今日が初日なんですよ。いやあ、配達って結構キツいんですねえ。ほら、まだこんなに残ってる」
少年はげんなりした顔で、肩から提げている古びたカバンをポンと叩いた。
随分とパンパンに膨らんでるけど……これ、全部未配達の朝刊なの? 配達が終わる頃には、明日の朝になってるんじゃないかな? 夕方に届く朝刊と、一日遅れの新聞、どっちがマシなんだろう。
「大変なお仕事なんですね……」
「まったくっすよ。これで給料も安いんだから、話にならない……ああっ!」
ビリビリと布が裂ける音がして、カバンの底が抜けた。朝刊が玄関ポーチの上に散らばる。
「嘘だろ……」
配達員さんが顔を引きつらせながら朝刊をかき集め始めた。わたしもそれを手伝う。
でも、カバンは使い物にならなくなっちゃったし、この量を手で抱えるのは無理だよね。何かいい方法は……そうだ!
わたしはドレスの腰に巻いてある装飾用のリボンをしゅるっと解く。その結び目を解くと、あっという間に一枚の大きな布になった。そこに朝刊を入れて、布の四方を一つにまとめて結ぶ。ちょっと不格好だけど、即席の手提げカバンの完成だ。
「はい、どうぞ。お仕事頑張ってくださいね」
わたしは配達員さんに朝刊の入った包みを渡すと、彼を励まそうと思ってにっこり笑って手を握った。
「う、うっす」
配達員さんが照れたような笑いを浮かべる。
「あの、俺、四日後は非番なんすよ。もしよかったら……」
「君、申し訳ないが、正面玄関は来客用なんだ」
それまで後ろで話を聞いていたフェルナンド様が、突然会話に割り込んできた。わたしの肩を抱きながら、配達員さんににこやかな笑顔を向ける。でも、目が笑っていないように見えるのは気のせいかな?
「配達員や御用聞きは裏門を使うことになっている。覚えておいてくれ。ああ……それから」
フェルナンド様は配達員さんの手から包みを取り上げた。
そして包みの結び目を解くと、布は手元に残して、朝刊だけを配達員さんの手に押しつける。少年の細腕に収まりきらなかった朝刊が、いくつか玄関ポーチの上に転げ落ちたけれど、お構いなしだ。
「妻はこのリボンがとても気に入っているんだ。悪いが、容れ物ならほかを探してくれるか」
妻、という言葉をなぜかやたらと強調しながら、フェルナンド様はポカンとする配達員さんの鼻先でドアをピシャリと閉めた。わたしは呆気に取られる。
「わたし、リボンならたくさん持ってるから、一つくらいあげても……ふぁっ……」
いきなりフェルナンド様にキスされて、それ以上は言葉が続かない。まるで唇を隅から隅まで味わおうとするような濃厚な口づけに、背骨の付け根がじんじんと痺れてくる。
「何か問題でも?」
フェルナンド様がキスの合間に濡れた唇で囁いた。何を言おうとしたのかすっかり忘れてしまったわたしは、「いいえ」と言いながら、夫の首に腕を回す。
フェルナンド様がわたしのリボンを制服のポケットに入れるのが見えた。あのリボン、そんなに気に入ってたのかな? だから取り返したのかも……。
そんな冷静な思考も、フェルナンド様と触れ合っているうちに頭の片隅に押しやられて、やがて消えてしまう。
やっと唇が離れた時には、わたしの記憶からは配達員さんの顔がすっかり消えて、代わりにフェルナンド様のことしか考えられなくなっていた。
「さあ、食事にしようか」
フェルナンド様に優しい声で言われ、わたしはそっと夫に寄り添った。手を繋いで、二人で食堂へ向かう。
夕食が終わると、フェルナンド様はやり残した仕事があるとかで、書斎に引っ込もうとした。
けれど、わたしはまだ離れたくなかったから、「お邪魔はしないので、着いていってもいいですか?」と聞くと、フェルナンド様は「面白いことなんて何もないぞ?」と言いつつも了承してくれる。
大きな黒檀の机の上に書類を広げる夫を、わたしは傍らの椅子に腰かけて見つめた。
フェルナンド様は本を読んだり書き物をしたりする時は、細い銀縁がついた眼鏡をかける。
すると、元々大人な顔立ちがさらにキリッと引き締まり、知的に洗練されて見えるのだ。
眼鏡をかけたフェルナンド様は、難しい分野の研究をしている学者さんだといっても通るだろう。……難しい分野って何、って聞かれても困るけど。多分、数学とかじゃないかな。
とにかく、眼鏡姿のフェルナンド様もとても素敵なのである。だから、いつものわたしなら、夫の顔を瞬きも忘れて眺めていたことだろう。
けれど、今日は少しだけ事情が違った。わたしの視線は、フェルナンド様が作成している書類に吸い寄せられる。
『新兵の心得一覧』
タイトルにはそう書いてあった。わたしは思わず、「これ、何ですか?」と尋ねる。
「今度、私の直属部隊に配属されることになった新米兵士のためのリストだ。入隊して間もない彼らは右も左も分からない状態のはず。だから、こうしてやるべきことを箇条書きにして導いてあげるんだよ」
リストには、「本部の中庭で走り込み十周」とか「上官に会ったら道を譲って挨拶をする」とか、色々なことが書いてある。なるほど、とわたしは頷いた。
「つまり、このリストに書いてあることが完璧にこなせるようになれば、一人前の軍人さんになれるわけですね?」
「理論上はな」
フェルナンド様は面白そうに笑ってわたしの頭を撫で、またリストに取り組み始めた。
一方のわたしは、食い入るように『新兵の心得一覧』を見つめている。
これ、使えるんじゃない?
ひ弱な新米兵士でも、このリストに書いてあることが全部できるようになる頃には、屈強な騎士に成長している。
この理論は、ほかのところにも当てはまるんじゃないだろうか? たとえば、わたしの大人計画とか。
つまり、大人になるためにやらないといけないことをリスト化して、それを片っ端から完了させていけばいいわけだ。
そうすれば何をしたらいいのか迷わなくてすむし、リストの進み具合で、自分が今どれだけ大人に近づいているのかも分かる。
……すごい! 何、この隙のない作戦!? わたしって、なんて頭がいいんだろう!
いや、これは「リスト」っていう素晴らしいアイデアをくれたフェルナンド様のお手柄かな?
やっぱりフェルナンド様は最高だ。わたしは「大好きです!」と言ってフェルナンド様の頬にキスをすると、書斎を飛び出した。
思い立ったからには、ぼやぼやしている場合じゃない! 一秒でも早く大人になるために、完璧なリストを作らないと!
****
それから四日後。わたしは完成したリストをほれぼれと眺めていた。
『大人になるためのリスト』 ※期限は三カ月!
NO.1 夜更かしをする
NO.2 落ち着いた振る舞いを心がける
NO.3 上品な趣味を持つ
NO.4 食べ物の好みを変える
NO.5 見た目を変える
NO.6 フェルナンド様を支える
NO.7 お化けを怖がらない
NO.8 秘密を持つ
NO.9 知的な会話をする
NO.10 周りの人といい関係を築く
どう? かなりの出来じゃない? お昼寝の時間を削って作っただけのことはある。
このリストを全部こなせば、わたしは期限の三カ月後には見違えるくらい大人になっているはずだ。
気が早いけれど、明るい未来を祝し、わたしはリストを書き写した小さな手帳に向かって盛大な拍手を送った。ピンク色の表紙に描かれたウサギのイラストも、心なしか嬉しそうに見える。
でも、いつまでも浮かれているわけにはいかない。勝負はこれからだ。わたしはリストのNO.1からNO.10までをじっくりと眺める。
リストっていっても、上から順番に片づけていく必要はないだろう。まずはできることからだ。




