幼妻、大人になろうと決意する(2/2)
けれど、この幸せに水を差すような出来事は突然に起こった。
「キャンディス、君とは離婚だ」
フェルナンド様が冷たい声で言い放った言葉に、わたしは息が止まりそうなくらい驚く。
「ど、どうしてですか!?」
「君のような幼妻には愛想が尽きたからだ」
「そんな……! 待ってください、フェルナンド様!」
けれど、フェルナンド様は振り返ろうともせずに去っていく。わたしは遠くなっていく夫の広い背中に、必死ですがりつこうとした。
「フェルナンド様っ!」
自分の声で目が覚め、わたしは跳ね起きた。激しく胸を上下させながら、とっさに辺りを見回す。今いる場所がベッドの上だと分かった瞬間、肩から一気に力が抜けた。
「なんだ……夢か……」
わたしは額に張りついた前髪を掻き上げた。全身が汗ばんでいて気持ち悪い。
お湯の用意でもしてもらおうかな、と思いながらベッドから降りた拍子に、わたしは寝室にフェルナンド様の姿がないことに気づいた。
わたしよりも早くフェルナンド様が目覚めるのは別におかしなことじゃない。わたしは朝寝坊しがちだし、フェルナンド様のほうも、どうしても外せないお仕事が早朝に入っていることもたまにあるから。
けれど、この日のわたしは夫の不在にかすかな胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。
まるでフェルナンド様がこの屋敷を出ていったきりもう戻ってこないような気がしてしまい、ぶるりと身を震わせる
――キャンディス、君とは離婚だ。
――君のような幼妻には愛想が尽きたからだ。
夢の中のフェルナンド様のセリフが、心に重々しくのしかかってくる。わたしは力無くベッドの端に座り込んだ。
「あの悪夢……正夢になったらどうしよう」
何気なく口にした途端に、不安で押し潰されそうになる。
夫の温もりを求めてフェルナンド様が寝ていた辺りのシーツのくぼみをまさぐったけれど、彼が起きたのはもうずっと前だったらしい。
手のひらに伝わってくる布地の冷たい感触のせいで、逆にますます憂鬱になってしまった。
わたしは服を替えてからとぼとぼと寝室を出て、朝食を取る。
女主人の様子がおかしいことに屋敷の者たちはすぐに気づいたらしく、着替えを手伝ってもらっている最中や給仕中に、侍女や使用人から何度も「どうなさいました、奥様?」と尋ねられた。
けれど、わたしは気のない返事しかできない。
ろくに味も分からないままに機械的に食事を終えたあとは、何をする気にもなれず、ぼんやりと自室のソファーに横たわる。
そうしていると、思い出すのはあの悪夢ことばかりだった。「君とは離婚だ」というフェルナンド様の声が、ゴミにたかる羽虫のように耳の奥で響いている。
何気なく時計を確認すると、朝食を終えてからまだ一時間も経過していなかった。時間がたつのって、こんなに遅かったっけ?
せめてやることがあれば気も紛れるんだろうけど……。どうしてこんな時に限って、サロメやミケットとのお茶会の約束が入ってないわけ? わたしたち、少なくとも週に一回は会ってるのに!
親友のことを思い出したわたしは、二人ならこの状況にどんなコメントを寄越すだろうと想像してみた。
『だから言ったじゃないの。子どもっぽいと捨てられる、って!』
『そうね、捨てられるわよ』
ううっ、二人ともひどいよ……! ちょっとは慰めてくれてもいいじゃん! わたしは頭の中から友人たちの姿を大急ぎで消し去った。
でも、そうしてみたところで心は晴れない。昨日ミケットに言われた言葉が、じわじわと思考を埋め尽くしていく。
――あんまり子どもっぽいと、そのうちフェルナンドさんに捨てられちゃうんじゃないの?
フェルナンド様に捨てられるということは、もうキスもできないし、手も繋げないってこと。フェルナンド様に二度と「大好きです」と言えなくなってしまうということだ。
そんなの……寂しすぎる。
フェルナンド様のいない生活なんて考えられない。わたしは固く目を瞑る。お別れなんて絶対に嫌だ。何が何でも、そんな未来は阻止しなければならない。
じゃあ、どうすればフェルナンド様に離縁されずにすむのだろう?
考え込んでいると、またしてもミケットの言葉が頭に浮かんでくる。
――あんまり子どもっぽいと、そのうちフェルナンドさんに捨てられちゃうんじゃないの?
「子どもっぽいと捨てられる……ということは、大人になればフェルナンド様の妻のままでいられるってこと?」
ふと降ってきた答えに、わたしの心は一瞬にしてとらえられた。
考えれば考えるほど、これが正解のように思えてくる。わたしが大人になればフェルナンド様とお別れしなくてすむ。わたしが大人になれば、フェルナンド様に嫌われない……。
これから進むべき方向が徐々に見えてきた気がして、わたしはいてもたってもいられず、ソファーから飛び降りた。窓を大きく開け放ち、フェルナンド様の職場の騎士団本部があるほうに向かって叫ぶ。
「フェルナンド様ー! キャンディスは必ず大人になってみせますからねー! だから、早まらないでくださいよー!」
不意に、眼下の庭で大きな物音がした。視線を向けると、庭師が花壇の真ん中でひっくり返っている。わたしは「どうしたの?」と声をかけた。
「奥様が急に大きなお声を出すものですから……」
庭師は帽子を取り、頭を掻きながら立ち上がった。わたしは「ごめんなさい」と舌を出す。
「今、騎士団本部にいるフェルナンド様とお話ししてたの」
「それはそれは……。……ところで奥様、本部はあちらですよ」
庭師はわたしが声を張り上げたのとは真逆の方角を指差した。っていうことは今の決意表明、フェルナンド様に聞こえてなかったの!? 慌てて反対側の窓に駆け寄る。
けれど、窓枠に手をかけたところで思い直した。どうせなら、フェルナンド様の知らないうちにこっそりと大人になるっていうのはどうだろう?
『最近の君はなんだか大人っぽいな。ずっと私の妻でいてくれ』
わたしの成長に驚くフェルナンド様の姿が目に浮かぶようだ。
……うん、いける! 名づけて、「フェルナンド様が気づかないうちに、キャンディスは大人になっていました作戦」だ。
分かりやすくていいネーミングだけど、ちょっと長いかな? まあ、名前はどうあれ、やることは決まったわけだ。
わたしは大人になる。そして、大好きな旦那様との結婚生活を守るんだ。




