幼妻、大人になろうと決意する(1/2)
――あんまり子どもっぽいと、そのうちフェルナンドさんに捨てられちゃうんじゃないの?
ミケットの言葉に胸をざわめかせてしまったけど、幼なじみたちとのお茶会が終わって家に帰る頃には、すっかり動揺は収まっていた。
わたしがフェルナンド様に捨てられる? そんなこと、考えるだけでバカみたいだ。わたしたちは愛し合っているんだもん。だから、二人が別れるなんて絶対にあり得ない。何があっても。
夕方になって帰宅したフェルナンド様がいつもどおりだったので、そんな確信はさらに強まった。「ただいま。出迎えありがとう」と言いながら手にキスをしてくれたフェルナンド様は、穏やかに笑っている。
こんなに和やかな雰囲気が漂っているのに、お別れが迫ってるなんて考えられないよ!
フェルナンド様と夕食を共にしてお風呂に入る頃には、ミケットの言葉はわたしの頭の中からすっかり消え去っていた。
けれど、事件は忘れた頃に起きたのだった。
「客? こんな時間に?」
その日の夜。使用人から来客の知らせを受けたフェルナンド様は首を傾げた。わたしと一緒に寝室へ向かう最中のことだ。
「なんでも、お仕事の関係者だそうです。明日にしてもらいましょうか?」
「……いや。手間を取らせるのは悪い。着替えるから応接室で待たせておいてくれ」
かしこまりました、と言って使用人は去っていく。フェルナンド様がやれやれと言いたそうな顔になった。
「キャンディス、先に寝室へ行ってくれ。すぐに戻るから」
フェルナンド様はわたしの頬に軽いキスをして来た道を戻っていく。わたしは「いってらっしゃいませ~」と言いながら、小さく手を振った。
「フェルナンド様、早く来ないかな~」
言われたとおり、わたしは寝室でフェルナンド様を待つことにした。ベッドの端に腰かけて足をぶらぶらさせる。
けれど、十分待っても二十分待ってもフェルナンド様は戻ってこなかった。
そうこうしているうちに睡魔が忍び寄ってくる。ううっ、フェルナンド様を待ちたいのに……。目元をこすりながら、わたしは必死で眠気と戦った。
きっと、ベッドの上で待っているからいけないんだろう。ちょっと廊下に出て外の空気を吸ったほうがいいかも。
……あっ、そうだ! 応接室の前まで行くっていうのはどうかな?
歩けば眠気覚ましになるし、なにより、来客対応が終わったフェルナンド様に真っ先に会えるもん!
素晴らしい思いつきに内心で拍手喝采しながら、わたしは寝室を出る。知らない女の人と出会ったのは、ちょうど応接室の前に着いた時のことだった。
「こんな失態は今回で終わりにしてください、隊長」
応接室から出てきたのは、その辺りにいる男性よりもよほど背の高い女の人だった。きっちりと結い上げた髪が、いかめしい顔立ちをさらに厳しそうに見せている美人さんだ。歳は三十代半ばから後半くらいかな。
よく見ると首から顎の辺りにかけてうっすらとした傷があるけれど、それが彼女の威厳に拍車をかけていた。着ているのは騎士の黒い制服だ。笑顔よりも不機嫌な表情が似合うタイプの大人の女性である。
「隊長、娘さんがいたのですか? お嬢ちゃん、おいくつ?」
女性はわたしの存在に気づくと、小さい子を相手にするように少し膝を折って話しかけてきた。……十九歳と十カ月半ですけど?
「彼女は私の妻だ」
女性に続き、応接室から出てきたフェルナンド様が言った。わたしは「フェルナンド様!」と声を弾ませ、夫に抱きつく。
「なかなか来てくれないので、迎えにきちゃいました」
「手間をかけさせたな」
フェルナンド様が、大切なものを扱うようにわたしの頭をよしよしと撫でる。女性が口の動きだけで「妻?」と言ったのが分かった。びっくり箱を開けたような顔をしている。
「どちら様ですか?」
わたしは女性を見ながら夫に尋ねる。フェルナンド様は「私の直属部隊の副隊長だ」と説明してくれた。
「彼女は私の忘れ物を届けにきてくれたんだ」
「奥方様からも何か言ってあげてください。隊長がこんな調子では、部下に示しがつきません」
副隊長さんは呆れ顔で、フェルナンド様に一歩近づいた。
「私たちの部隊だけですよ。来月開かれる団内親睦会の出席者リストを出していないのは」
「その件なら、今朝の会議で皆に名簿にチェックを入れるように頼んでおいたが」
「言っただけでは聞かない者もいるでしょうに。ここはもっと厳しく尻を叩いて……」
わたしの頭の上で、二人はお仕事の話を始めてしまった。もしかしてフェルナンド様、叱られてる?
……と思ったけど、文句を言う副隊長さんの表情が柔らかくなっていることに気づいて、わたしはなぜかドキリとした。この人、こういう顔もできるんだ……。
「では、失礼いたします」
一通り話がすんだのか、副隊長さんは黒いマントをひるがえし、颯爽と去っていった。
その優雅な後ろ姿を見ながら、わたしはフリフリのネグリジェの裾をギュッと握りしめる。せめて、わたしもフェルナンド様みたいに着替えてくればよかった。マントのついた服なんて持ってないけど。
「キャンディス? どうした?」
副隊長さんの姿が見えなくなったあとも微動だにしないわたしに、フェルナンド様が不思議そうな視線を向ける。わたしは夫の濃い緑の瞳を覗き込んだ。
「フェルナンド様……わたしのこと、どれくらい好きですか?」
問いが無意識のうちに口をついて出てくる。フェルナンド様は突然の質問にも驚いたような素振りは見せず、そっと顔を近づけてきた。
「これくらいだ」
そう言って、フェルナンド様はわたしの唇に深々とキスをした。後頭部に手が回され、体が密着する。わたしの全身は、あっという間に日差しの下に置かれたバターのようにとろけてしまった。
「フェルナンド様……」
唇が離れると、わたしは息を乱しながら夫をうっとりと見つめる。
「わたしは、これくらいフェルナンド様が好きです!」
わたしは深呼吸をするように両腕をいっぱいに広げ、巨大な円を描いてみせる。フェルナンド様が「なるほど」と余裕のある笑みを見せた。
「それなら、私はこのくらい君を愛している」
フェルナンド様も両腕で円を描く。わたしは「ズルいです!」と口を尖らせた。
「これじゃあ、フェルナンド様の円のほうが大きいじゃないですか! わたしだって負けてませんからね! わたしもこれくらい……いいえ、もっともっとフェルナンド様のことが……ひゃあ!」
ぴょんぴょんとジャンプして腕で円を描いていたわたしは、うっかり着地に失敗してひっくり返りそうになる。でも、フェルナンド様がとっさに腕を伸ばして腰を支えてくれたので、なんとか床に激突せずにすんだ。
「今朝といい、今日のキャンディスはよく転ぶな。元気なのはいいことだが、怪我をしないうちに早く休もう」
「はい」
わたしは夫に寄り添いながら頷いた。二人で寝室へ向かう。フェルナンド様の大きな手が当たっている骨盤の辺りが妙に熱くて、わたしは自然と急ぎ足になっていた。
その夜は、いつも以上にフェルナンド様にぴったりとくっついて眠った。わたしの胸は、あふれんばかりの幸福でいっぱいになっている。




