完璧な旦那様の隠し事(5/6)
「フェルナンド様ぁ!」
わたしは夫にしがみついた。全身全霊を込めて、逞しい体をぎゅっと抱きしめる。
「無事でよかったです。わたし、心配で心配で……!」
「わざわざ迎えにきてくれたのか。ありがとう、キャンディス」
フェルナンド様がわたしの背中を撫でてくれる。二人で昇降機に乗り込むと、ガコンという音がして、フェルナンド様の背後でドアが閉まった。
「じゃあ、戻りましょうか」
わたしはフェルナンド様と腕を絡み合わせながら言う。フェルナンド様が二階のボタンを押し、昇降機は先ほどと同じく、のろのろと上昇を始めた。
先ほどは苛立ちの種でしかなかったこの速度も、フェルナンド様と一緒ならどうということもない。わたしは小さな密室で、フェルナンド様と思う存分キスを交わす。
フェルナンド様が服の上からわたしの背筋に指を這わせた。それだけで、わたしは立っていられなくなるほど気持ちがよくなってしまう。
膝が震え始めてきたわたしの背中を、フェルナンド様が昇降機の壁に押しつけてさらに激しい口づけの雨を降らせた。
素敵……。このままずっと目的地まで着かなかったらいいのに……。
……あれ? いくら昇降機の動きがノロマだっていっても、もう二階に着いていていいはずじゃない?
とろけていく思考の奥で冷静な声がして、わたしはハッとなった。
「ちょっと待ってください、フェルナンド様」
「キャンディス、もう少しだけ……」
「そうじゃなくて、この昇降機、止まってませんか?」
わたしの耳たぶにキスをしていたフェルナンド様が、ぴたりと動かなくなる。
「そうだな」
辺りを眺め回したあと、フェルナンド様が顔を引きつらせて頷いた。
……これ、まずくない?
「誰かぁ! いませんかぁ!」
わたしは扉を手のひらで叩きながら、外に助けを求めた。
けれど、ドアの外からは何の物音も聞こえない。一方のフェルナンド様は、階数表示のボタンを片っ端から押していたけれど、こちらも無反応だった。
「……キャンディス、少し退いていなさい」
フェルナンド様が扉に手をかける。そして、力を込めて左右に押し広げた。
けれど、向こう側にあるのは壁だと分かって、フェルナンド様はすぐに扉をこじ開けるのをやめた。ここからの脱出は無理だ。
どうしよう、どうしよう……!
頭をかきむしりながら何気なく上を見たわたしは、天井に扉のようなものがあることに気づいた。もしかして、ここから出られるんじゃない?
でも、昇降機の天井は、わたしの背丈じゃ全然届かなかった。そこで、フェルナンド様にも協力してもらうことにする。
だけど、この目論見も上手くいかなかった。長身のフェルナンド様でさえ、背伸びしても天井には指先すらつかなかったのだ。
「こうなったら、わたしを踏み台にしてください!」
わたしは破れかぶれになって、昇降機の床に四つんばいになる。
「やめなさい。君が潰れてしまう」
フェルナンド様に腰を持ち上げられて、床にきちんと立たせられた。そうかと思えば、フェルナンド様がわたしの足の下に頭をくぐらせ始める。
「ほら、これで届くだろう」
フェルナンド様に肩車されて、わたしは危うく天井に頭を打ちつけそうになった。思わず、足でお尻の下にいる夫の首を締めつける。
「キャンディス……」
「ご、ごめんなさい! 苦しかったですよね!」
わたしは慌てて足を広げた。フェルナンド様が足首の辺りを握って、わたしの体を支える。
体が安定したところで、天井の扉を押したり横にスライドさせたりしてみた。けれど、びくともしない。よく見ると、扉の四方がネジで留まっていた。
「フェルナンド様……ネジ回しとか持ってないですよね?」
「ああ。君のヘアピンか何かで開けられないか?」
なるほど。その手があったか! フェルナンド様って冴えてるなあ~。
わたしはポシェットの中からヘアピンを取り出し、しばらくネジの上でカチャカチャとさせる。
でも……ダメだ! ものすごく固く締められているのか、それともヘアピンなんかじゃ開かないようになってるのか、ネジは少しも回ってくれなかった。
わたしはヤケになって叫ぶ。
「やっぱり、わたしが踏み台になるべきだったんですよ! フェルナンド様なら、こんな扉くらい簡単に壊せるはずです!」
「キャンディス、そんなに暴れたら……」
バランスを崩した瞬間に、天地がひっくり返った。わたしは後ろ向きに倒れてしまい、狩人に仕留められた獲物みたいに、フェルナンド様の背中でぶらぶらと揺れる。
「フェルナンド様ぁ~。助けてぇ~」
あっという間に頭に血が上ってきた。筋肉なんて全然ついていないわたしのぷにぷにのお腹じゃ、上体起こしの要領で元の体勢に戻るのは無理だ。
「少し待っていなさい。頼むから今度は大人しくしていてくれよ……」
フェルナンド様はそろそろと床に腹ばいになる。た、助かった……。わたしはフェルナンド様の背中から、転げるように滑り降りた。
「大丈夫か?」
「はい……」
まだちょっとふらつくけど、少し休んだら元に戻るだろう。わたしは壁に背中を預けた。
それにしても……大変なことになっちゃったなあ。
扉からも天井からも脱出は不可能。そして、外にはわたしたちの声は届かない。
こういう時は、こんなふうに言うんでしょう? 絶対絶命!
わたしたちは、しばらく昇降機の左右の壁に背をつけて黙り込んだ。わたしはがっくりとうなだれる。
ひょっとして、こんなふうになっちゃったのはわたしのせい? この昇降機の中でずっとフェルナンド様と楽しく過ごしたい、なんてバカなことを考えたから、それが現実になっちゃったとか?
気落ちして精神的に参っていたせいで、わたしはその妄想がいかにもあり得そうなことだと思えた。
だから、フェルナンド様がこんなことを言い出した時は心底驚いてしまう。
「すまない、キャンディス。これはすべて私の責任だ」
フェルナンド様はため息をつきながら、床に座り込む。立てた片方の膝の上に腕を置く姿は、なんだか色気があって、こんな時なのにわたしはときめきを覚えてしまった。
でも、フェルナンド様の声があまりにも辛そうだったから、すぐにニヤニヤ笑いは引っ込んでいく。
「フェルナンド様は悪くないですよ」
どうしてこの件で彼が責任を感じているのか、わたしにはさっぱり分からなかった。だって、昇降機が止まったのは、フェルナンド様のせいじゃないでしょう?
きっと、フェルナンド様もわたしみたいに心が弱っているだけなんだろう。そのせいで、自分に原因があると思い込んでしまっているんだ。
わたしは影のある表情になっている夫を慰めようと、フェルナンド様の傍にかがみ込んだ。
「わたしは、一緒に閉じ込められたのがフェルナンド様でよかったと思っていますよ」
わたしはフェルナンド様の腕に頭を乗せた。
「だってフェルナンド様はとても頼りになりますから。フェルナンド様と一緒にいる限り、わたしは安全で、きっと助かるって思えてくるんです。……まあ、少し取り乱しちゃうことくらいならあるかもしれませんけど」
わたしはおどけた表情で舌を出す。
「でも、もうすっかり冷静さを取り戻しました。それもこれも、全部フェルナンド様が傍にいてくれるお陰です。やっぱりフェルナンド様はすごいですね。わたしの完璧な旦那様です」
わたしはうっとりとフェルナンド様の筋肉質な腕に頬ずりした。そんなわたしの頭を、フェルナンド様は優しく撫でてくれる。
けれど、その表情は暗かった。それどころか、さっきよりも表情がかげっている。あ、あれ……? 慰めたつもりだったのに、逆効果だったのかな……?
「キャンディス……知りたいか? 私の隠していること」
不意に、フェルナンド様がそんなことを言い出した。
隠していることって、嘘発見器にかけられた時に発覚した隠し事のこと? どうして今、その話になるんだろう。夫の言いたいことが分からずに、わたしは戸惑う。
「教えてくれるんですか?」
よく分からないけど、今が話すタイミングとして最適だとフェルナンド様が判断したからには、そのとおりなんだろう。わたしは夫の整った顔をじっと見つめた。
フェルナンド様がそんなわたしの眼差しを遣る瀬なさそうな表情で受け止める。一体何を告げられるんだろうと、わたしは息を潜めて待った。体中のあらゆる神経がピンと張りつめているような気がする。
「実は……」
フェルナンド様がゆっくりと口を開いた。口調がいつもよりもぎこちない。フェルナンド様も、かなり緊張を覚えているようだった。




