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幼妻は大人になりたい ~年上旦那様との溺愛生活を守るために大切な10のこと~  作者: 三羽高明


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アリさんの試練(3/3)

 郊外まで馬車を走らせてからしばらくすると、静かにたたずむ大きな屋敷が見えてきた。


「キャンディス! いらっしゃい!」


 馬車から降りると、待ってましたとばかりに物陰から少年が飛び出してくる。わたしは「ノアくん!」と手を振った。


「また背が伸びたんじゃないの?」

「えへへ、まあね」


 わたしが頭を撫でてあげると、ノアくんは自慢げに笑った。釣られてわたしも笑顔になる。


 ノアくんはこの年頃の子にしては背が高く、あと少しでわたしの身長を追い越してしまいそうだった。亜麻色の髪がふわふわと広がり、キラキラ輝く青い目は子犬のようだ。


「おはよう、ノア」

「あっ、伯父上。おはようございます」


 ノアくんは生真面目な仕草で礼をした。


 わたしには同年代の友人のように砕けた態度で接するノアくんだけど、フェルナンド様には礼儀正しく応対することにしているらしい。


 多分、わたしとは年齢が近いから「伯母上」と呼ぶと変な気分になってしまうんだろう。それか、フェルナンド様が威厳たっぷりだからかもしれない。


「お兄様、お義姉様。よく来てくださったわね」


 次にやって来たのは、ふんわりと波打つ髪の四十歳くらいの上品な女性だった。ノアくんのお母様、つまりわたしの義妹だ。……年上の妹、って少し変な響きだけど。


「ごめんなさいね。夫は急な仕事が入ってしまって、今日は家にいないの」


 義妹は頬に手を当てる。相変わらず忙しいんだなあ。


「キャンディス、遊ぼう!」


 ノアくんがわたしの腕をぐいぐい引っ張る。義妹が「あまり伯母様に無理をさせちゃダメよ」と注意したけれど、ノアくんの耳には届いていないようだった。


「見て、キャンディス! この木、この前花が咲いたばかりなんだよ!」


 ノアくんは、庭で一番大きな木のところまでわたしを連れていった。


「わあ……綺麗だね」


 枝いっぱいに小さく可憐な花をつける木を、わたしはしげしげと眺める。ノアくんは「いいでしょう?」と肩をそびやかした。


「高いところからなら、もっとよく見えると思うよ。……だからさ。どっちが上まで登れるか、競争しない?」


「よし、負けないよ! ……あっ」


 張り切って靴を脱ごうとして、わたしは大人リストの存在を思い出す。


『NO.2 落ち着いた振る舞いを心がける』


 木登りは、どう考えても「落ち着いた振る舞い」ではない。危ないところだった。わたしは靴の留め金をしっかりとかけ直す。


「キャンディス?」

「悪いけど、わたしはパス。ノアくん一人で登りなよ」

「ええ~、何で?」

「なんででも!」


 わたしが頑固に主張すると、ノアくんは「ちえっ、格好つけちゃって!」と口を尖らせた。靴を脱ぎ散らかすと、リスのような身軽さでするすると木を登っていく。


 そんな甥を、わたしは地上から眺めていた。


 これぞ大人の振る舞いだ。どう? 今のわたしって、最高に優雅で……あれ? 今、足元で何かが動いたような……。


 何気なく芝生の上に視線をやると、そこでうごめいていたのは、うねうねと身をくねらせながらこちらに這い寄ってくる虫だった。


「ぴゃああっ!」


 わたしは優雅さの欠片もない悲鳴をあげると、脇目も振らずに走り出した。慌てて木にしがみつき、犬に追いかけられているサルのように必死になって、ひたすら上を目指す。


「はあ……はあ……」


 かなり高いところまできて、やっと足を止めた。幹に背中を預けて息を整えていると、下から声がする。


「キャンディスの勝ちだよ」


 ノアくんだった。甥は利発そうな顔にからかうような笑みを浮かべている。


「やっぱり登りたかったんだね」

「ち、違うよ!」


 わたしは急いで首を振った。辞書を読んだから、こういう状況を表す言葉はちゃんと知っている。


「これは『ふかふかの力』なの! 突然虫が出てきたから、驚いただけだよ!」

「……それって、『不可抗力』のこと?」


 ノアくんが首を傾げる。眼下の庭から、「お茶の支度ができたわよ~」という義妹の声がした。 


「は~い!」


 ノアくんが木を降りていく。「待って!」と言いながら、わたしも続いた。


 庭の一角には、オシャレな丸テーブルと人数分の椅子が並べられ、その上にアップルティーと湯気の立つパイが置かれている。わあ! 美味しそう!


「いただきます!」


 席に着くと、わたしは早速大きく切ったパイを一口で頬張る。サクサクの生地を噛みしめた瞬間、中からとろりとした甘いクリームが出てきた。素敵! これならあと十個は食べられる!


「次は何して遊ぶ?」


 パイを飲み込んだノアくんが尋ねてくる。彼の口の周りは食べかすだらけだった。背は高くても、やっぱり十歳児だなあ。わたしは年上の余裕を意識しながら、「拭いてあげる」と言ってナプキンを手に取った。


「キャンディス、君の口元にもクリームがついているぞ」


 わたしの隣に座っているフェルナンド様が、かすかに笑いを含んだ声で指摘する。「えっ」と固まっていると、フェルナンド様の顔が近づいてきた。唇の端辺りに軽く口づけられる。


「ほら、これで綺麗になった」


 フェルナンド様は澄まし顔で椅子にかけ直す。「ありがとうございます」とわたしは体を傾けて、フェルナンド様の肩に頭を預けた。


「母上~? 何も見えないですよ~?」


 母親に手のひらで目隠しをされていたノアくんが気の抜けるような声を出す。義妹に目で促され、わたしは名残惜しい気分でフェルナンド様から離れた。


「そうだ! これを食べ終わったら、僕の笛を聞かせてあげるよ」


 やっと目隠しを解かれたノアくんが、気を取り直すように言った。義妹が眉をひそめる。


「この子ったら、勉強しないで楽器ばかり弾いているのよ」

「僕、いつか王都で一番大きな劇場で演奏するんだ~!」

「学のない子は、偉大な音楽家にはなれないわよ」

「そんなことないで~す!」


 親子は言い争いを始めてしまった。


 お勉強がつまらないのは分かるけど、大事なことではあるもんねえ……。悩んだ末、わたしは義妹の味方をすることにした。それに、子どもを正しい方向へ導くのは年上の役目だし!


 大丈夫。なにせわたしには「教養」っていう、大人の武器があるんだから!


「ねえ、ノアくん。音楽ばかりやっているキリギリスと、真面目に勉強するアリでは、将来、どちらが幸せになれると思う?」


 わたしは大人の落ち着きにあふれた態度で甥に尋ねる。


「何、急に?」


「いいから考えてみて。音楽浸けのキリギリスと、勉強家のアリ、どっちが素敵な未来をつかめるのかを」


 わたしの頭の中にあったのは、童話集に載っていたある物語だった。


 音楽ばかりやっていたキリギリスは冬を越せなくて辛い思いをするけど、せっせと食料を溜めていたアリは越冬できる。確か、そんなあらすじだったはずだ。


 フェルナンド様曰く、この話の教訓は「遊んでばかりいては、将来苦労する」ということらしい。


 この素敵な教えを活用しない手はなかった。でも、ただ頭ごなしに叱っても意味がない。大事なのは、自主的にやるべきことに気づかせることだ。だって、わたしは北風じゃなくて太陽だから!


 ああ……じーんとしちゃう。わたしって、なんて大人なんだろう。こういうのが「知的な会話」っていうに違いない。これで大人リストの『NO.9 知的な会話をする』は達成だ。


 悦に入っていると、ノアくんがぼそりとわたしの質問に答えた。


「……キリギリス」

「そう、アリでしょ……って、え?」


 わたしは戸惑った。


「どうして? どう考えても、アリのほうが幸せになるはずだよ?」


 ここで「アリ」って答えてくれないと、このあとの話が続かなくなっちゃうのに!


 そんなわたしの焦りをよそに、ノアくんは余裕の表情でパイをかじる。


「キリギリスは音楽の才能を見出されて、大物の音楽家になったから」


 ノアくんはアップルティーを一口飲んだあと、さらに続ける。


「有名になったキリギリスは、忙しくてアリの前で演奏する機会がなくなって、アリは悲しい思いをするんだ」


 そ、そんなのあり……? ……アリだけに。


 ……いや、つまらない冗談を言ってる場合じゃない。こんな答えが返ってくるなんて予想外だ。これじゃあ、わたしの教養の見せ所がなくなっちゃう!


「けれど、アリには家に帰れば夫がいた」


 うろたえていると、耳に心地いい低い声が沈黙を破った。フェルナンド様がわたしを見ながら微笑む。


「アリは夫に音楽の代わりに本の朗読をしてもらったから、そのうちに寂しい気持ちが薄らいでいったはずだ」


「フェルナンド様……!」


 わたしは声を震わせて夫に抱きついた。


「そのアリさんはとても幸せ者ですね!」

「アリの夫も幸せだろうな」


 フェルナンド様とわたしは熱烈なキスを交わす。


「母上~? また何も見えないですよ~?」


 母親にもう一度目隠しをされたノアくんが、とぼけた声を出していた。


 帰りの馬車の中で、わたしは手帳に書いた大人リストの『NO.9 知的な会話をする』にチェックを入れる。


 キリギリスもアリも幸せになって、童話は原作よりもずっと救いのあるラストになった。


 きっと知的な会話っていうのは、正しいことを言うだけじゃダメなんだ。皆がハッピーエンドを迎えられるような話をすること。そういうのが大事なんだって、理解できた気がした。

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