59話
「楓ケ丘に救急車がやって来るなんて、随分と珍しい光景ですこと」
普通の体調不良程度であれば校内の保健室で事足りるのだが、楓ケ丘の保健室は普通では無い。
医療棟と呼ぶに相応しいだけの機材と人材が常駐する楓ケ丘の医療棟であれば、レントゲンまでの設備が整っている為、滅多な事でなければ校舎内での検査、治療によって事が済んでしまう為、集団食中毒などが起こらない限りは救急車が楓ケ丘の敷地内に立ち入る事などほとんどなかった。
しかし、たった今サイレンをかき鳴らして怪我人を乗せて去っていく救急車には、通常の医療技術では事足りない程の重症患者と、特別な処置が必要な病人が乗っている為、病院に向かわねば治療する事が出来なかった。
「……妖魔と、倶利伽羅。わたくしの知らない世界の話、ですわね」
それに当たる前者は、旭燈唯雅。
倶利伽羅でも名のある実力者である彼は、封鎖された教室の調査と言う名目で四家の子息、神来戸獅子王の保護者兼立会人として同席したのだが、その場で会敵した上級妖魔の一撃によって下手すれば致命傷にも及びかねない程の手傷を負ってしまった。その彼の付添人として、去っていく救急車には唯雅の妹である旭燈彼方が同乗していた。
そして、その後に続く二台目の救急車には、窓からその光景を覗いている燦然院香織と共に封鎖された教室にて霊力に侵された宮部セナが乗っていて、容体だけで言えば彼女の方が命に関わる重体だった。それを聞かされた時に香織は一にも二にもなくセナを優先させるように訴えたのだが、やって来た救急隊員も周囲の「倶利伽羅」と呼ばれる彼らは男性の方を優先させ、セナはその次だった。
その時点で香織は目の前の彼らを信用には値しないと価値づけており、鮮烈なまでに脳裏に焼き付いた二人の人物の影を追うように彼女は窓から外を眺めているのだった。
「か、香織さん……」
「さ、燦然院さん、無事で、良かったです」
そんな彼女に声を掛けるのは、先に教室を脱出していた蝶野と蝉岡の二人。
教室に集められた時点で三人は感動の再会も果たしており、あの教室であった事を蝶野と蝉岡の二人が謝罪した上で、香織は「全て水に流しましょう」と手を打っていた。
二人の復讐に利用されていただけ、と知っても尚、香織は二人と友人関係である事を諦めずに向き合った。それは誰にでもできるような事では無く、永新が彼女を眩しく思う理由の一つでもあった。
呼びかけに振り向いた香織の表情に笑みが浮かべられているのを確認した蝶野が胸を撫で下ろした様子を見せるのは、香織が許したとしても二人の胸の中には罪悪感が芽生えてそれが香織に対しての引け目となっている証拠に他ならず、香織と二人の間にある友人関係と言うのは既に対等なものではなくなってしまっていた。
それでも、純粋培養お嬢様たる香織は対等な関係が築けていると思い込んで二人ににこやかに振り向くのだから、その度に二人は、こんなことなら突き放される方がマシだったと思えるような心地を味わわなければならなかった。それだけで、蝶野と蝉岡に対する罰は下ったと言えるだろう。
「こ、これから、私達の事について説明されるみたい。席について、だって」
「あら、気が付きませんでしたわ。声を掛けて下さってありがとうございます! さ、お隣に座りましょう」
「は、はい……!」
「そんなに緊張なさらなくて大丈夫ですわよ!?」
蝉岡、蝶野、香織の順で三人並んで教室の後方に腰かけるのだが、空席が目立つ教室の内部には三人の他にもう一人、孤島のように孤立してしまっている男子生徒が教室の角の席に怯えた様子で腰かけていた。
彼の名は霧島和也。
香織たちと共に封鎖された教室を異界化させるための撒き餌として贄とされた片割れの男。そして、ガールフレンドである宮部セナを異界化する教室の中に見捨てて逃げたろくでもない男代表のような存在であった。いかに器の大きな香織と言えども、彼を許す事は出来そうにもなかった。
そんなクズ代表のような霧島であったが、彼は今、見えない恐怖に脅かされるかのように激しい貧乏ゆすりを続け、疲弊し切った様子で呪詛のようにぶつぶつと一点を見つめたままうわ言を繰り返していた。
以上の四名のみが教室に集められた中で、教壇に立つのは、右腕から胴体の右半身にかけて包帯が巻かれた成人女性、旭燈此方。旭燈兄妹の末っ子が兄について行けなかった事への不快感を露わにしながら四人を睥睨する。
「あなた達の身に起こった事を説明するわ。……改めて、我々は国家認定の組織、倶利伽羅と言い――」
自己紹介も無く淡々と始まるのは、本格的な倶利伽羅と妖魔の話。
パニックに陥るのを防ぐ為に聞かされた簡易な内容よりも踏み入った話に、香織たちは耳を疑いそうになるのだが、実際にその目で、その耳で、その体で体験した事は嘘ではないと言う事を嫌でも理解させられているが故に信じる他無く、話が進む度に四人の顔色が悪くなっていく。
妖魔と言うのは、それだけ恐ろしく、悍ましい存在なのだと理解させた上で、倶利伽羅は取引を持ち掛ける。しかしそれは取引とは名ばかりの一方的な脅しでありながらも、只人である香織達にばかりメリットのある脅迫の内容だった。
「――端的に言うわ。あなた達の身に起きた変化、それらは私達の技術であれば、無かった事に出来る」
「「「ッ!!?」」」
「正確には、日常生活に支障をきたさない程度にまで抑え込むことが可能、と言った所ね。今見えている妖魔の姿は見えなくなるし、悍ましい声音も聞こえなくなるし、向こうからも感知されなくなる。悪くない話でしょう」
短期間でさえもそれらの症状に酷く悩まされていた三人が激しく頷く横で、香織は「良かったですわね」と穏やかに微笑む。彼女だけは、霊力に一切の適性が見られなかったお陰で他の三人が悩まされるような症状は発症しておらず、体調が僅かに悪くなる程度で済んでいた。
「その代わり、あなた達は妖魔や倶利伽羅に関する事の一切を他言無用としてもらうわ。生憎、あなた達の記憶を消す、なんて都合の良いものはないの。だからこれはあなた達の意識の問題に委ねる事になる。あくまでも私達倶利伽羅は秘密の組織なの。それが分かった人から、診断に移るわね」
「そ、それは、わたくしも含まれるのでしょうか……!?」
「あなたは……驚く程霊力を感じないわね。――可能性の欠片もない……か、ゴホン。それでも、ほんの僅かな残滓でも残してしまえば妖魔は襲い来る。つまりあなたも例外ではないわ。それとも、あなたが口外した場合にはお友達の処置にも関与してくる、と更に条件付ければいいかしら。分かったら、これ以上私の時間を取らないでくれるかしら」
「「ヒッ……!!」」
「……理解が出来た人から、隣の教室に来なさい。神来戸、メンバーを揃えて問診の用意を」
話は以上、と立ち去ろうとする此方の背中に質問を投げかけた香織であったが、一刻も早く兄の無事を知りたい此方からすれば、足を止める価値も無い彼女からの質問は神経を逆撫でされるかのようで、ほぼ反射的に目付きが鋭さを増すと言うもの。
しかしそれも一瞬で、此方は目付きを通常のものに切り替えた後に他の倶利伽羅を伴いながら隣の教室へと移動して行った。
「――っ、よ、要は、全部忘れて黙ってりゃいい話、だろ!? それだけでこの不気味な声が聞こえなくなるってンなら、俺はとっくに覚悟なんか決まってる……!!」
倶利伽羅が出て行ってすぐ、霧島は自分に言い聞かせるかのように声を上げて立ち上がったかと思えば、椅子も机も蹴飛ばしながら隣の教室に駆け込んで行った。
この状況に置いてその行動は正解であり、そもそも只人には選択肢など与えられてはおらず、黙って受け入れる他無いのであった。受け入れないのであればいずれ訪れる妖魔に襲われて変死、怪死を遂げる未来しか待っていないが故に、口外禁止を誓わなければならない。
それ故に、蝶野と蝉岡も焦った様子で椅子から立ち上がり、香織の手を引こうと試みる。
何せ、香織が動かなかった場合、巻き添えになるのは自分たちなのだ。その必死さは引き攣った表情が何よりも証明しているようだった。
「わ、私達も、行こう、ね……? お願いだから……!」
「お、お願い、し、します……!」
「落ち着いてくださいませ。わたくし、何も行かないだなんて言ってませんわ。ただ、あの人達が本当に信用できるかどうかの話をしたかった訳でして――」
瞬間、香織の言葉を遮るようにして、悲鳴のような声が響く。
「っ、信用、出来るよ……ッ!!!!!!!!」
「ッ!??」
「ま、真琴ちゃん……!?」
「信用するしか……、無いの……っ!! 私と、将司は……!!! だから、お願い……! これ以上、不安にさせないで……。もう怖い思いなんて、したくないの……」
「ご、ごめんなさい。わたくし、お二人を怖がらせるつもりはありませんでしたの……。一緒に、行きましょう?」
瞳を震わせる蝶野の表情は狂気に一歩足を踏み込んでいて、もしもここで香織が行くのを拒んでいたら、迷い無く香織に手を出していたかと思えるくらい、不気味な声が脳を揺らすと言う状態の彼女は、精神を酷く摩耗させ、追い詰めるには最適の環境であった。
香織の首肯を見届けた蝶野は、より一層疲弊した様子で引き攣った笑みを浮かべて、香織の後に続いて隣の教室へと移動する。
すると、教室の中には見慣れない幕が垂れ下がっており、四つの区画で仕分けられているように見えた。
「っ、お、おい!!! 遅ぇぞ、お前ら……!! 全員揃わないと、始めないって言われてんだ……!!」
「――揃ったわね。随分と荒れていたようだけど、少しは落ち着いたかしら。それじゃあ神来戸、あなたはそこの最も症状の軽い子を診断しなさい」
「……はい」
「――再三に渡って申し訳ございませんが、わたくしこの方に診断されるのは、嫌ですわ」
此方が指名した先、香織の担当が神来戸獅子王であると分かると、香織はそれをにべもなく拒否する。
その行動に、獅子王は露骨にも不愉快そうに表情を歪ませる。それは獅子王のみならず、霧島、蝶野、蝉岡に加えて此方も面倒そうに眉を顰めるのだが、香織は続けて別の人物を指名する。
「わたくし、あなたの診断を受けたいですわ。異性に診断されると言うのは嫌ですし、何よりもその方、とぉっても、臭うんですの。それはそれは、とぉ、ってもね。……それくらいの我儘は、許してくれるかしら。何せわたくし、楓ケ丘に通う我儘なお嬢様ですので」
「貴様……ッ!! この僕を――」
「いいでしょう。では、神来戸はこの男を診断するように。私は貴方を、お前はそこの男子生徒を診るように。……燦然院、我儘なお嬢様は任せます」
此方の手によって制された獅子王は眼鏡の奥から金色の瞳で睨みを利かせるが、香織にはその瞳は濁っているようにしか見えなかった。
一時はどうなる事かと蝶野と蝉岡が肝を冷やしたのも束の間、二人は此方と獅子王のチームの俱利伽羅と共にそれぞれの仕切りの中に入って行く。
最後まで香織を睨んでいた獅子王であったが、霧島に縋られてようやく己の使命を、役割を思い出したかのように彼らもまた仕切りの中に姿を消していく。
そうして残ったのは、同じ姓を持つ二人の少女。
「初めまして」
「……診断は、幕の中に入ってからにします」
にこやかな笑みをたたえる香織に対して、居心地悪そうに香織の視線から逃れるように幕の中に入って行く少女。
その幕の中で、診断は開始される。
「この垂れ幕の内側では、どんなに大きな声を出したとしても絶対に外に声が漏れません。その為、カウンセリングの際にプライベートな質問をする可能性がありますが、気にせず話して貰って構いません」
倶利伽羅の少女が診断用の定型文を口にし始める中、香織はそれ以降を遮って口を挟んでいく。
「――わたくしの名は、燦然院香織。名家、燦然院家の一人娘ですわ。プライベートに踏み込んでくるようでしたら、あなたも自己紹介が必要ではなくって?」
「……絵麻」
「あら、短い名前ですのね。エ・マさんかしら? わたくしが聞こえた名前は、もっと長かったはずですけど」
「…………燦然院、絵麻」
「まぁ!! 同じ姓とは凄い偶然があるものですわね。わたくし、自分と同じ姓はお父様とお母様しか知りませんの。良ければ、どちらの燦然院さんか教えていただいてもよろしいですか?」
「………………目的は、何」
「目的? 仲良くなりたいだけ、と言うのでは駄目でしょうか? わたくし、こう見えてもお友達が少ないのですわ。数より質、と言えば聞こえがいいかもしれませんが、出来る事ならもっとたくさんのお友達が居ても良いとは思いませんか? 今は二人……いえ、つい最近三人目が出来たのですわ。聞いて下さるかしら。その御方の名前は――燼月さん、と仰るのですが」
「――ッ!!!!」
「オホホ、分かりやすい反応をありがとうございます。あの中で、あなただけが神々さんの方を見ずに燼月さんの方を見ていたのを、わたくし見てしまいましたの。どういう関係か……いえ、燼月さんの事を、教えて下さるかしら?」
「……………………それは、出来ませ――」
「――わたくし、今度燼月さんともう一度お会いしますの」
「っ!!!」
「お代わりいただけるかしら? あ、間違えましたわ。お分かりいただけましたか? これは、取引ですわ。あなたの送る視線の正体、それは、深い愛でしたわ。それ故に、わたくしはあなたにだけこの取引を持ち掛けますの。どういたしますか? ――燦然院宗家の、絵麻様?」
「そこまで、分かっているなら、どうして」
「わたくし、頭は悪いですけど、馬鹿ではないつもりでいますの。わたくしの方が分家である事は薄々勘付いていましたの。何せ、お父様は働いている訳でも無いのに悠々自適。それなのに我が家は余るほどのお金が湯水のように湧いてくるのですから、不思議に思うのは当然ですわ。少し調べれば埃を被った書物が出てきましたもの。それと示し合わせれば、疑いようのない事実は確定しますわ。でもまさか、こんなファンタジーな世界だとは思ってもみませんでいたが」
「違う。どうして、永新君と、私を……」
「あら、身内の幸福を祈るのは何も変な事ではないでしょう? それに、わたくしはまだ、燼月さんに救われた恩を返し切れていませんの。その為にも、燼月さんをよく知る方の協力が欲しかったのですわ」
「……」
普段はまともに働くところを見せないピンク色のお嬢様脳細胞を活性化させた香織は、軽快なトークで自分のペースに持ち込みながら絵麻を包み込んでいく。
永新の名前を口にしてからというもの、彼女の眼からは瞬く間に警戒の色が失せ、恋慕に混じって複雑な感情が浮かんでくる。香織にはそこまで見抜く事は出来ないものの、絵麻が自分の話に前向きになっているのを確かな手応えとして覚えながら、二人は計画を詰めていく。
診断と言う名の会議が終わる頃には、他の被害者達のカウンセリングもつつがなく終わりを迎えたようで、妖魔が見えるようになった者には特別なコンタクトレンズを、妖魔の音や声が聞こえるようになった者には特殊なピアスを処方される事となり、霊力を封じ込める薬は香織も含めた被害者全員に一律に処方されるとの事で、一連の「呪われた教室」による被害は終幕を迎えるのであった。
「絵麻さん、わたくし今の時点で既に門限をかなり過ぎてしまっているのですが」
「……私が同行して説明します。此方様からも警護の許可を貰っていますので」
お疲れ様です、と撤収作業を終えた倶利伽羅に一礼した絵麻は、どこかぎこちない傲慢な演技をして見せる香織に苦笑を滲ませながら付き合わされる体を装う。
すっかり仲を深めた二人の様子を見て訝しむ視線は多くあるが、カウンセリングを経て相手を理解したような気分になるのは、実際に良くある事で、今回の中でも獅子王のカリスマに霧島は惹かれているし、蝶野と蝉岡の二人も近すぎず遠すぎない距離感を得たように感じていた。
故に、燦然院の二人は偶然波長が合ったに過ぎないと考えるのが妥当なのだが、ただ一人、神来戸獅子王だけは訝しむ様子を覆さないのであった。
「燼月、永新……! 決して逃がすものか……。この僕の手で、決着をつけてやる……!!」
何がとは言いませんが、絵麻はストーンで、香織はドーンです。何がとは言いませんが。




