58話
「だぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!!! クソがああああああああああああ!!!!!!」
逃げた先で、羅威竿は都会のビル群に沈んでいく夕日に向かって悪態を叫ぶ。
羅威竿が永新を連れて逃げた先は、楓ケ丘から遠く離れた、羅威竿達の事務所に程近い河川敷。
二人の身形が制服姿だからか、河川敷を通行する人々の視線は様々ながら、いかにも青春している様子の若者二人を訝しむような視線は一つも無かった。
そんな周囲を他所に、羅威竿は一頻り叫んだ後に満足したのか、永新の隣に腰を下ろしてコンビニのレジ袋から取り出した棒アイスを乱暴に開けたと思えば、自分の頭を冷やすべく「ガリガリ」と食らい付いて行く。
苛立ちを隠そうともしない羅威竿の様子に、夕日を見上げる事無く股の間に肩と視線を落とした永新は、今回の一件の流れを思い返して謝罪の言葉を口にする。
「……ごめん、なさい。俺が、足を引っ張ったから……」
羅威竿を苛立たせるに足る失態は、いくらでも思い当たる。
そもそも羅威竿や誠一郎の意図を一切汲むことが出来ずに足を引っ張った事。
あまつさえ、彼らの判断を無視して勝手な行動に務めた事。
目標の妖魔を倒す事に無駄な時間をかけてしまった事。
他にも挙げるとすれば幾らでも出てくるもので。
不用意に依頼主や関係者に同情してしまった事や、感情に飲まれそうになって自己を喪失しかけた事など、主に永新の心の弱さが数多く露見した事が失態に繋がっている。しかい、その中でも極めつけとして挙げられるのは、予想外の俱利伽羅の出現に瀕して思考が完全に停止してしまった事だと言える。
あの時、永新が動く事が出来ていれば様々な選択が生まれていたはずが、永新の心が俱利伽羅を前にした時点で、心に、記憶に染み付いた劣等感が「敗北」を意識していたが故に、羅威竿が出張る以外の選択肢を選ぶ事が出来なかった。
羅威竿一人であれば逃げる事も俱利伽羅を倒す事も容易だったはずだと、自分が足を引っ張っていたのだと思い当たってしまえば、一つの失態から永新の頭の中は自身を非難する言葉で埋め尽くされてしまう。
『他の誰にも引けを取らない特別な力を手にしたとでも勘違いしたのか? その力さえあれば、今まで見下されてきた人生が全て良い方に転がるとでも思ったのか?』
――違う。
そうやって非難する声を幾ら自分で否定しようとも、今回の一件で改めて自分の無力さ、弱さに気付かされたのは紛れもない事実であり、どんなに抗ったとてそれは現実から目を背けている事に他ならない。
そしてその行為は、目を背け続けた末に全てを失う羽目になった過去の自分と同じ行いであり、今度もまた、全てを失ってからでなければ分からないのかと俯いた先で一人、歯噛みする。
故に永新は、否定する声を否定する。
――自分は特別なんかじゃない、見た目が変わっただけで簡単に中身まで変わる訳がない。
――変わる為には、変える為には、弱さを捨てなくちゃいけないんだ。
弱さを乗り越えていけ、弱さを抱えて生きていけ。
そんな考えも過る中、永新はどれでもない、「捨てる」と言う選択を覚悟する。
永新は自分の限界を知っている。嫌と言う程思い知らされたからこそ、自分の弱い部分を受け入れて生きていく事なんて、不器用な自分ではできないと理解していた。
それでも、その弱い部分こそが永新を「燼月永新」たらしめる、自己を確立する上での欠かせない要素である事を理解した上で生きていこうとした結果、今回のような醜態を晒す羽目になった。つまり、永新が選んだ道と言うのは、妖魔として生きて倶利伽羅と戦っていかなければならない永新の道では、その弱さと言うのは致命的であり、永新の命のみならず周囲の誰かをも危険に晒しかねない時限爆弾のようなものであると理解せざるを得ないのであった。
今回はたまたま羅威竿の方が優勢であって、たまたま助かったに過ぎないのかもしれない。
次も、そのまた次も必ずしも上手く行くと言う確約は存在せず、むしろ弱さを抱えたままの永新が共に居る限り、いつか誰かを失うかもしれない。それが永新自身であるならばまだしも、自分を守ろうとした誰かの命であったならば、永新は自分を許せないだろう。
その可能性が生じるくらいなら、自分を捨てても構わない。
むしろ、捨てる事で自分は更に生まれ変われるんじゃないか――。
そこまで考え及んだところで、永新の耳に羅威竿の声が届いた。
「なんでお前が謝るんだよ、永新?」
「だって、俺が、俺、が…………。僕が、何も出来なかったから……!」
「……」
永新は羅威竿の顔を見る事が出来ずに、顔を俯かせたまま、自分でも分からない感情を乗せた声で自らの非を告白する。
それは自分の罪を告白しているかのように心が苛まれるのだが、それでも言わない訳にはいかない。自分の弱さから、これ以上目を背ける訳には、いけないから、と言う強い意志の込められた声音でもあり、隣の羅威竿がかじりついていた棒アイスの最後の一口がぼたり、と溶けて落ちる音がした。
「……真宵先生にも、言われてたんだ。倶利伽羅と、戦えるようになれ……って。それなのに、僕は、一歩も動く事が出来なくて……!」
それどころか、一瞬たりとも目を合わせる事も出来なくて。
あまつさえ、香織に同情されて、慰められて、悦んで。あんなもの、所詮は傷の舐め合いのようなもの。否、それよりも醜い、永新の独り善がりであったのは間違いない。何せ、あの場面で永新の機嫌を損ねれば、香織たちは羅威竿の一撃による余波か、異界化による霊力の浸食で無事では済まなかったはずだから。言うなればそう、ストックホルム症候群のようになって、自衛のための行動だったと考える方が道理であると言うのに、永新はあそこで立ち直った振りすらも見せて、自分は弱さを克服したんだと勘違いすら果たしていた始末。
むしろ褒められるべき点が見当たらない程に今回の一連の流れで永新は醜態ばかりを晒していて、目も当てられない。こんな自分の為に、真宵が時間を裂いてくれていたのかと思うと、自分が情けなくて嫌になる。
けれども、それでも。
白が期待してくれたように、真宵が信じてくれたように、その想いに応えたいと言う意志だけは絶えず燃えている。
だからこそ永新は「燼月永新」を確立させるとも呼べる自己を、弱さを、捨てる事を決意する。
それが、白の期待に応える為に、真宵の信頼に応える為に必要な段階だから。
一度弱音を吐いて、次に顔を上げた時には――。
そうやって考えて俯いていた永新に、羅威竿はその頭を抑えつけるかのように乱暴に、けれども心配するような手つきで永新の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。
「――わっ!? な、何、するの……!??」
「……言っておくがな、今回の一件、お前は十分良く働いた。正直、俺様の見解では、あの中級妖魔にも勝てねぇと踏んでたからな。だからこっそり攻撃の準備をしてたら勝っちまうんだから、俺様はあの時本当に不完全燃焼だった、って訳だ」
「……」
永新の頭から手を離した羅威竿は、涙が零れないようにキュッと唇を引き結んだ永新の顔を真っ直ぐに見ながら、永新とは違う視点で今回の一件を評していく。
「永新、お前が倶利伽羅と対峙して動けなくなることは、予め真宵から聞かされていた。だから、俺様は今回は別に倶利伽羅が出て来ようともお前に戦わせるつもりは最初から無かった。そもそも、出来る事なら会いたくも無かったし、もしも倶利伽羅が来た場合は誠一郎のやつが足止めする予定だったんだ。――つまり、今回の件は自分の仕事を全うできなかった誠一郎が悪い! 永新、お前が気に病むことは何一つとしてねぇ。分かったか?」
「でも……」
「でももヘチマもねぇの!! お前がお嬢様と仲良くなるのも最初っから織り込み済みだったし、中級妖魔戦では予想外の戦果も上げた!!! そんなお前の何処を俺様が叱る必要があるってんだ!?? お前はもう、既に自分の道を見つけてんだ。何を迷う必要がある、何を惑う必要がある。後はもう、ただひたすらまっすぐ進むだけだ。言ったはずだぜ? お前は好きにしていい、ってな。永新、お前は好きに動いて、好きに突き進め。惜しむくらいなら、全部抱きかかえて突っ走れ。お前にはそれくらいが丁度良い。それに、だ。今回倶利伽羅に対峙したが、お前は逃げなかった。それだけで十分な成果だ。一度できた事ってのは、大抵は二度目以降も出来るようになったまんまだ。次は必ず立ち向かえる。それに、お前が失敗したとしても、俺様達が必ず後ろにいる。いてやるからな。――頼れる先輩が傍に居るってのは、それだけで安心できるもんだろ?」
「ッ……!!!!」
――お前はよくやった。
裏表のない羅威竿にそうやって言われる事がどれだけ嬉しい事か、永新はこの瞬間に初めて知る。
腐ったヘドロ沼のような最低最悪だった倶利伽羅の世界に身を置いていた過去の環境から、ズブズブに甘やかされて蕩けさせられる白の腕の中、地獄のような鍛錬の日々の中で伝わりにくい信頼を混ぜ込んでくる真宵の元、と言った複雑な人格形成を経てきた永新にとっては、真正面から向き合って「燼月永新」と言う個を褒めてくれた存在と言うのは羅威竿が、頼れる先輩が居てくれると言うのは初めての経験で、脳が痺れるような感覚と共に胸に溢れる温かな感情の理解が追い付かずに目から涙が溢れては止まらなくなってしまう。
「……っ、でも、僕は……、俺はッ、弱いままじゃ、駄目だから……!!」
次から次へと溢れてくる涙を拭う永新にも、葛藤はあった。
当然だろう。何せ、捨てるべき永新の弱さと言うのは、永新を確立する「個」。永新がこれまで信じてきた自分自身を捨てる事だから。
――誰よりも心優しい永新は、私の誇りだよ。
亡き母親から贈られた、永新の心の支え。
それは永新が妖魔に堕ちようとも捨てきれない感情であり、それが永新の心に在り続ける限り、永新は決して非情に成る事は無い。それは妖魔として生きて行くには無用な欠陥であり、永新自身も自分が変わるに変わり切れない現状はそれがあるからだと理解していた。
それがあるからこそ、永新の心は弱く、強くなれずにいるのだと、本気で考えていたからこそ今回の失態に当たって、全てを忘れ去ろうと覚悟を決めたのだが、羅威竿には「そのままでいい」と言われてしまう。そして、それは永新が最も望む言葉であり、望む未来であるが故に、永新はそれを否定しなければならなかった。
「弱い? 誰がいつそんな事を言った? ……俺様は、お前の過去を知っている。知っているからこそ、俺様はお前を強いと言える。言ってやれる。だからこそ、永新。お前がそれを捨てちまった時には、過去のお前自身より、きっと弱くなる。お前には、それを抱えて強くなる事が必ずできる。断言しよう。真宵の修行を乗り越えられたお前なら、間違いないと、断言できる。何せ俺様は、真宵の修行を一日で諦めた男だからな。その点だけでもお前は俺様の尊敬に値する奴だ。最高の後輩と言えるだろう。だから自信を持て。それでも自分を信じられないと言うのなら、お前を信じる、俺様を信じろ。そんでもって、下を向くな、前を見ろ。前だけを見てろ、永新。お前の前には、俺様が居る。どっちに進めばいいか分からなくなったら、俺様に聞け。なんてったって俺様は、最高の後輩の、最高の先輩なんだからな」
「っ、――っ。…………はいっ!!!!!!」
そう言って、ニッ、と犬歯まで見せて笑う羅威竿の姿は、夕日に照らされて増々頼もしく見えて、永新は何度も嗚咽を噛み殺してから、涙で歪んだ視界のまま返事をするのであった。
ずずず、と何度も鼻を啜る音を鳴らしながら永新はようやく泣き止み、半分くらいドロドロに溶けたカップのアイスをプラスチックのスプーンですくって食べたのだが、甘いはずのアイスに少しだけ塩味を感じたのは、言うまでもない。
「――お前にはこの当たりのアイス棒をやろう」
夕日が沈んで、すっかり辺りが暗くなり始めた頃、ようやく立ち上がろうとした時に羅威竿は食べ終えたアイスの棒を無理やり永新の胸に押し付ける。そんな馬鹿な、と永新が暗がりの中アイスの棒を確かめると、そこには確かに「あたり」の文字が書かれていて、意外な幸運に永新は「でもどうして」と表情に出す。
「……道が分かんなくなったら俺様に聞け、と言ったが、正直俺様だって正解は分からねぇ。そんな時こそアイスでも食って、頭を冷やして俯瞰して物事を見てみるこった。そうすりゃ自ずと、道は見えて来るもんだ。分かったか?」
「……うん」
「そんじゃ、さっさと新しい事務所に帰るとすっかね」
「え? 新しい、事務所?」
「当たり前だろ。あのクソガキ連中から前の事務所は倶利伽羅に漏れちまってる。場所を移さねぇ訳には、いかねぇだろ? ほら、お出迎えが登場しやがったぜ――おラァっ!!!!!!!!!!」
「――ぐふぅ……!! フェイントが、上手くなったね、羅威、かん……!!」
永新の疑問に答えていた羅威竿が突如として回し蹴りを放ったかと思えば、土手に待ち構えていた誠一郎の腹部に見事にクリーンヒットする。
一度目は後方に下がる事で回避したものの、羅威竿の蹴りは二段構えで続く蹴撃は初撃以上の速度でもって迫ったからか誠一郎は避けきれずに地面を転がされ、悔し気な表情を見せながらもどこか赤らんだ頬を見せるのだった。
「てめぇ、倶利伽羅の対処はお前の仕事だったはずだぜぇ? よくノコノコと顔を見せられたもんだなぁ、おいィ?」
「異界も無い状態で校舎の中でやり合うなんて、周りに被害が出過ぎるかも、と思ってね。それに、異界化した教室の中までは入れないし、羅威竿なら戦闘が始まる前に逃げられると判断したからね。現場の状況判断だと言ってもらいたいけども……、永新くんに怖い思いをさせるつもりは無かったんだ。それは本当に申し訳なかったと思ってるよ」
「ったく……、まぁいい。それで? 新しい事務所は準備できてるんだろうな?」
「当たり前さ。むしろそっちが本命と言っても過言ではないくらいだよ! さぁさ、案内するからついておいで。お風呂は沸かしてあるからね。永新くんはどうだい? 僕と一緒に――」
「このご時世、男同士でもセクハラになるんだぞクソボケナス」
「……見てくれよ永新くん。僕の顔が変形するまで殴る癖にこれはパワハラじゃないらしいよ」
「何言ってんだお前、俺様達は妖魔だ。人間のルールが通用するとでも思ってんのか?」
「ふふっ、酷いパワハラを見たと思わないかい?」
「あはは……」
すっかり明るい雰囲気に戻った環境で、永新は泣き腫れた目元を緩めて苦笑を見せて、誠一郎が先導する後を黙ってついて行く。
新しい事務所に向かう道すがら、永新はふと思い出した疑問を羅威竿に投げかけるのだった。
「そう言えば、最初に『クソが』って叫んでいたのは、あれは、どうして……?」
永新は、てっきり自分の事で怒っているのと勘違いして余計な思考を進めてしまったのだが、羅威竿にこれでもかと励まされた後でいざ蓋を開けてみれば、羅威竿は永新をむしろ褒め称えるくらいで、怒っている様子など一切なかった。であるならば、羅威竿の悪態は一体誰に、何に対してのものなのかと尋ねた次第。
もしかして羅威竿のあの一撃は羅威竿にとって途轍もなく消耗してしまうものなのか、とありもしない可能性を探して永新が戸惑っている中、羅威竿はこれまでの何よりも悔しさの滲んだ表情で答えを口にするのであった。
「あれは……、俱利伽羅と出会っちまったせいで、お嬢様から成功報酬を貰い損ねた事へと怒りを表したものだ……。楓ケ丘に無理矢理入り込む為に送った賄賂、滅茶苦茶したんだぜ…………」
「羅威竿、お金大好きだもんね。まぁでも、それだけならまだ黒字だし、悪くないんじゃない?」
「良い訳あるかッ!!! 本当ならあれもこれもそれもどれも買ってもお釣りの来るくらい割の良い仕事だったっつうのに、しかも新しい事務所を構えるんだから、それの予備費等でむしろ赤字だっつうの!!!!!」
ギリギリ、と歯を噛み鳴らして威嚇する羅威竿に対して、倶利伽羅と接敵したせいで、と言われるといつもの軽口も返せなくなる誠一郎の横で、永新は恐る恐ると言った様子で手を挙げると、二人の視線がそこに集まる。急に注目されて微かな緊張が走るも、永新は羅威竿の心配を一掃するような報告をなんでもないかのように言ってのけるのであった。
「――香織となら、また会う約束、したけど……」
「ほ、本当か!?」
「わぁお。永新くん、僕より優秀じゃない???」
「最後、羅威竿が逃げる合図してくれた時に、またね、って言ったら頷いてくれてたし……」
「……それは、信憑性に足りるのかい? あくまでも口約束と言うか、そこに倶利伽羅が待ち伏せていたとしたら、かなり危険――」
「――いいや! あのお嬢様の事だ、馬鹿正直に永新を信用している可能性はかなり高い! っつうか、そもそも燦然院に近付く事自体危険なんだから今更可能性を考えたところで詮無き事!! それはつまり!! 成功報酬をたんまりともらえる、ッつう事だ!!! でかしたぞ永新!!! 事務所の設立が終わったら受け取りに行くぞ!! 当然、俺様もついて行ったらぁ!!! その後で、祝勝会だぁ!!!!!」
永新の一声ですっかり上機嫌になった羅威竿は早口で今後の展望を捲し立てたかと思えば、機嫌の良さをアピールするかのようにスキップまでして見せる。
そんな羅威竿の様子を見て肩を竦める誠一郎は、永新に「気を付けてね」と忠告するに留まって、お金に目が眩んだ羅威竿を捕まえに奔走する。
先程の威厳溢れる羅威竿の背中とはまるで異なる浮かれた姿に、永新は苦笑を浮かべるのだが、受け取った言葉の数々は紛れもない本物であると何度も反芻させた永新はどんどんと先に言ってしまう二人を追いかけてゴミの入ったレジ袋を片手に小走りしていくのであった。




