60話
「――さ、着いたよ。ここの二階が、新しい事務所さ」
「看板も何もねぇじゃねぇか」
羅威竿の言う通り、見上げた雑居ビルにはテナントの一つも入っていない様相を見せる。
二階に明かりが付いているお陰で辛うじて何かが入っているのだなと認識できるくらいで、何も言われなければ廃墟だと勘違いしてしまいそうなくらい人の気配がしないビルだった。
思い返してみれば前の事務所も内装はリフォームしたばかりかと見紛う程にきちんと整えられていたが、外装は古ぼけていたのを思い出す。
例えば、事務所以外のポストには大量のチラシが溜まっていて自分たち以外に誰も住んでいない事が丸分かりの建物である点だとか、コンクリートの中に埋められた鉄筋が一部剥き出しになっている点など、近寄りがたい雰囲気を放っている建物を敢えて選んでいるかのよう。
「そりゃあね。引っ越しする暇も無かったからさ。まぁでも、内装に関しては前の事務所と大差無い感じにしておいたから。それに、警戒されている今看板出すのは不味いんじゃないかい?」
「それもそうか。……そ・れ・に、だぁ! 俺様達にはもうすぐ成功報酬がたんまりと入ってくる訳だしな!! なぁ永新、先にお嬢様んとこ行かねぇか?」
「はい、駄目ったら駄目、って言ったでしょ。ごめんね永新くん、羅威竿ってばお金が絡むと間抜けになっちゃうからさ……。それじゃあ、好きにルームツアーでもしといてね」
「あ? お前は一緒に行かないのか?」
「ちょっとやる事があってね。あ、そうだ、あの子の事、永新くんに紹介よろしくね? 話は付けてあるからさ」
「あー、あいつ居んのか。まぁ、丁度良い機会か」
「あいつ……?」
永新が呆然と雑居ビルを眺めていると、羅威竿と誠一郎の間で会話は進み、永新が気付いた頃には誠一郎は「またね~」と手を振って去って行く瞬間だった。
永新は羅威竿の背中を追ってビルの急な階段を上って行き、何の変哲もない扉を潜った先、以前の事務所とは明るさも華やかさも、人の生活感もまるで異なる空間が広がる事務所が永新を待ち構えていた。
「……なんて言うか、普通?」
「そりゃあな。前の事務所は結構稼げてたからな、色々弄ってたんだ。まぁ、間取りもほぼ変わらねぇし、経営に必要なモンは大体引き継がれてらぁ。可もなく不可もなく、良い感じなんじゃねぇか? ――っと、見つけたぞ。おら、起きろ。起きろクソガキ」
「ガキ……?」
慣れない空間に永新がもじもじしながら、散らかった段ボールやゴミを見るや否や片付けずにはいられずに動き出した所で、羅威竿は前の事務所の時と同じソファを覗き込んでこの場における第三者の存在を仄めかす。
ソファは背もたれをこちらに向けているせいで羅威竿が覗き込む人物の姿は見えないのだが、羅威竿の口ぶりから小柄な人物であると予測しながら手招きされる方へ足を運んで行くと、羅威竿の視線の先に居る人物、その全貌が明らかになって行く。
「……んぅ。おぉ、らいかん。だれにものいってんだぁ。あたしのほうが、としうえなんだかんな」
「俺様よりちっせえヤツは、問答無用でガキ! デカくても思考停止してるヤツだって、みんなガキだ!!」
「そのりくつでいくなら、らいかん、おまえはおとなだな。かしこい」
「そうだろうそうだろう!!!」
「そしてあたしはまだこども。だから、まだねてていい……ぐぅ」
「そう言う事ならいいぞ……っていくねぇ!!!! 確かに子供は我儘で馬鹿なくらいが丁度良いが、年上のお前は話が別だ。そもそもお前を紹介しなきゃいけねぇんだよ!! お前も会いたがってただろ!? ほら、元人間の半妖半魔の燼月永新だ」
半妖半魔、それはもう妖魔では……? と永新が心の中で突っ込んでいると、羅威竿の台詞を噛み砕いて飲み込んだ童女が羅威竿の肩越しに覗き込んでいた永新と目を合わせた途端、重たそうに垂れていた瞼をカッ、と持ち上げて目を見開いたかと思えば、ソファで寛いでいた姿勢から飛び起きる。
そうして彼女は小さな手を永新に向かって目一杯伸ばすも、間に挟まる羅威竿が邪魔で届かない。しかし、彼女のアメトリンの瞳は確実に永新だけを捉えて離さず、あろう事か羅威竿の体をよじ登って肩まで到達すると、永新の顔面をぺたぺたと無造作に触り始める。
「お、おい、危ねぇだろ。落ちたらどうすんだ!?」
「……へぇ、ほう、そうか。いいね、とてもいい。こんなにもいきいきしたさんぷるははじめてみるよ」
羅威竿は彼女を振り落とす訳でも無く、身を乗り出す彼女の下半身を必死になって支えるのだが、彼女はそんな事も忘れているかのように永新の顔中をぺたぺたと触り続ける。
瞼の裏から口の中、顔の骨格を確かめるように触った後につむじまでもを確認した童女は満足したように息を吐くと、するすると羅威竿の体から降りてソファの肘掛けにかかっていたダボダボの白衣に袖を通すと、ようやく名乗るに至った。
「あたしは、ルゥ。ここでは、どくじにようまのけんきゅうをしているの。よろしくねぇ」
「こいつは基本的に人前に出ねぇからな、ちゃんとした名前が無ぇんだ。妖魔の研究、つっても、大半はこいつの興味関心が向く事しか調べようとしねぇ。だからこいつには、基本的に誠一郎と並行して情報収集に当たってもらう事が多い。……自称天才ハッカー、だっけか?」
「ぷろふぁいりんぐのてんさいだし、じしょうじゃない。まあ、ばかならいかんにいったところでわからないのはとうぜんか」
「とまぁ、小生意気なクソガキだが、悪い奴じゃねぇ。永新にも俺様や誠一郎を挟まずに直接情報の共有が出来たらいい、ってんでこいつに紹介したかったんだ」
「ん、よろしく」
ルゥ、と名乗った童女は、袖に隠れた手を突き出してくる。
これは握手を求められているのか、と悩んだ末に永新は彼女の手と思しき部位を握ろうと手を伸ばしたのだが、ルゥは永新のその手を軽く振って「ちがう」とむくれた後に、白衣の袖で永新の手を喰らうように覆って、その中で互いに握手を交わした。
彼女の小さな手は、強く握ってしまえば折れてしまいそうな程儚く感じてしまって永新は恐る恐ると言った様子だったのだが、彼女は永新の手の感触を何度も確かめるように握った後でにんまり、と笑うと「えっち」と呟くのだった。
「あぁ、永新はえっちだ」
「な、何言ってるの羅威竿!?!!?」
「ふふふ、てんさいじょーく。でも、これはさすがにあたしでもえっちだとおもう」
「な、何が!?!? 何が……!!?」
「これがわからないようじゃ、えいしんはまだまだおこちゃま。というわけで、はい、あたしたちにおちゃ、よういして」
「え、えぇ……?」
白衣の下で両手をぐぱぐぱするルゥの発言に悪乗りする羅威竿。
しかしその乗り方はどうもただの悪乗りのようには思えず、むしろ本気でそう思っているように聞こえてくるのだが、永新には何がどうえっちなのかが本気で分からないまま、強制的にお茶汲みを命じられるのだった。
即席の新しい事務所とは思えない程設備が充実している事務所の給湯室で、永新はやかんを火にかけてお湯が沸くのを待つ間、給湯室の内部を適当に漁ってお茶菓子を探し出し、古ぼけた事務所には不釣り合いな高級玉露を人数分用意して羅威竿とルゥが待つ場所へと運んでいく。
「なんだこの茶菓子のセンス。お婆ちゃんのお菓子じゃねぇか。ヨンヨンちょこ棒ねぇのか、ヨンヨンちょこ棒」
「なぁにを~? あたしのおかしだからな。もんくあるならくうんじゃない」
「文句じゃねぇぜ、ただの注文だ。お、この煎餅美味いな」
「ほら、えいしんもすわったすわった」
「はぁ……」
お茶とお菓子を運んだ永新は、ルゥの容貌をジッと観察する。
ルゥは、全てにおいて「小さい」と言う印象を抱かせる程に小さく、見ていれば見ている程に庇護欲に駆られてしまいそうになる。今もソファに腰かけていながら地面に足がついておらず、小学生の低学年程度の全長しか無い。
しかし、そんな小さな彼女ではあるが、見た目からして纏う空気は只者では無かった。彼女の伸び放題の赤茶の癖ッ毛は、顔の半分を覆い隠してしまいそうな勢いで、彼女のその小さな体では自分の髪に躓いて転んでしまいそうではないか、と不安に駆られる。
そして印象的なアメトリンの瞳は、今ではすっかり半開きになった眠たそうな瞼で隠されてしまっているが、その奥に見える瞳は変わらず美しいまま。
そんな風に永新がルゥの事を観察していると、突然ばっちりと目が合ってしまい、永新はどこか居た堪れない心地を味わうのだが、当のルゥは何も感じた様子は無く、袖を余らせた手をちょいちょいと動かして永新を手招く。
手招きされた永新は、すっかり慣れた様子でルゥの隣が指定されてそこに腰を下ろすと、お茶を一つ啜ったルゥが羅威竿にお菓子を勧めている永新を見ながら唐突に口を開いた。
「……ようまは、どこからきてどこにいくとおもう?」
「どこから来て、どこに行く……?」
「ババ臭ぇやつですまねぇな、永新。ちょっくら付き合ってやってくれ」
「……どこから来る、って言うのは、妖魔の出生に関わる事、でいいんですか?」
「けいごはいらないよ。あたしとえいしんのなかでしょ、ルゥってよんで。ぴーすぴーす」
「え、えぇと、ルゥ……?」
「相変わらず距離感バグってんだよな……」
永新が恐る恐ると言った様子で名前を呼ぶと、ルゥは満足そうに頷いた後に先の問いの答えを催促する。
初対面からぐいぐい来られるタイプに困惑しつつも、永新は彼女の問いに頭を回転させて自分なりの答えを捻り出す。
倶利伽羅として習った知識としては、妖魔は霊力が溜まっている場所で、自然発生するのだと言う。
そうして生まれるのが、最下級妖魔であって、その場の霊力を栄養として成長を遂げる事でようやく妖魔としての形を取る。言うなれば、霊力溜まりと言うのは妖魔の卵のようなものである、と永新の脳は記憶していた。
そこから一歩でも外に出てしまえば、妖魔はただ生きているだけで霊力を消耗する。その身に宿した霊力が尽きる前に新たな餌を求めて彷徨い、霊力を補給出来なくなればそのまま痕跡も残せずに消えてしまう。それが俱利伽羅の間で常識となっている通説ではあるが、ルゥは求めている答えはそう言うものでは無いのだろう。それが故に永新は頭を悩ませるのだが、呑気に塩辛いものと甘いものを交互に食べ進めてはお茶で口の中をスッキリさせると言う至福の時間を過ごす目の前の羅威竿を見て、永新は反射的にふと声を漏らす。
「……妖魔に、寿命があるのかどうか、って事?」
「うんうん、いいね、いいちゃくがんてんだよ。そもそも、ようまはいきているのか、っていうのもおもしろい」
「生きて、いるのか……」
「ちっちゃいころは、はかいしょうどう、さつりくしょうどうとかにつきうごかされていきてきた……。でもさ、それってほんとうにいきているっていえるの? じぶんのいしのないじょうたいでうごくのって、あるくしかばねとかわらないんじゃない? それはつまり、ようまはしんでいる!! ってことになるよね」
「……倶利伽羅では、霊力溜まりで最下級妖魔が生まれるから、そこが卵なんじゃないか、って思われてきた。それってつまり、最下級妖魔はまだ赤ん坊……いいや、胎児なんじゃないか、って思う。羅威竿達は、いつ自分の意思と言うものを持ったの?」
「ガキのもっとガキの頃の話か? そうだなぁ、思い返してみれば明確な事は分からねぇけど、中級になって大分経った頃だったかぁ? 上級に上がる直前、って感じだったな。それで言うと、あの中級妖魔はまだ意識を確立させていなかった、とも言えるな」
「あたしもおなじくらい」
「となると、そこでようやく、妖魔は呼吸を始める。つまり、人で言えば人生を歩み始める頃なんじゃないかな。だから、それに至るまで妖魔は、生きていない……と言うのは変な話で……」
「ふふ、えいしんはおもしろいね。あたしとはぜんぜんちがうかんがえだ」
「永新は真面目なんだよ、面白がるな。いいからさっさと本題に入れっての」
永新がふんふん、と唸りながら頭を悩ませている横でそんな話が聞こえてきて、永新はこれが本題では無かったのか、と耳を疑いながらルゥに目を向ける。
驚きふためく永新に対してルゥは桜色の唇を弛めて微笑んで見せると、お茶を軽く口に含んだ後に羅威竿に急かされた内容、彼女が永新に会いたがった本当の理由を口にするのだった。
「えいしんはいま、ようまをひとにたとえたね。そう……、ようまがひとにばけるように、あたしたちのようにしゃかいせいをもってせいかつにまぎれるように、ひととようまはおたがいに、けっしてとおいそんざいじゃない。もっというと、れいりょくをあつかうくりからと、れいりょくでからだをこうせいするようま。なにが、どう、ちがう? くりからもいきつめれば、からだのたいはんをれいりょくにへんかんする。それは、ようまじゃないの? くりからは、ただびとよりもようまにちかい。へんだとおもわない?」
「妖魔と、倶利伽羅が同じ……?」
永新は知らないが、倶利伽羅の中で頂点に君臨する実力者の多くは、その身を炎に転身させる術を持つ。それ即ち、体を霊力に変換させている状態と呼ぶに相応しく、当然その状態を保つだけでも命に危険が及ぶものの、一時的に妖魔と同じ環境に身を置く事になる。
そもそも、霊力と言うのは妖魔の力であって、人間がそれを扱えること自体おかしいのではないかと提言するルゥの言葉に、永新は言葉を詰まらせる。
生まれつきそうであったように、何も不思議に思った事の無い永新は、改めてその事実を突き付けられて体を震わせる。
ルゥのその先に続く言葉の可能性を幾つも考えてしまう永新は、そんな馬鹿な、と思いながらも青くなった顔は戻らない。
そんな永新の様子を見て、ルゥは安心させるように永新に身を寄せる。
身を寄せるのだが、彼女の眼は「本題はまだこれからだ」と言わんばかりに爛々と輝いて見え、永新は余計に体を強張らせる。
「おなじ、そう、くりからとようまはおなじなんだ――けどね。どんなにふたつのあいだにあるきょうつうてんをみつけてみても、そのふたつがけっしてちがうとしょうめいさせるけっかがこのよにはあるんだ。それが……」
ルゥは永新の胸に指を突き立て、更に身を寄せてくる。
永新はソファの端に追い詰められる形で、ルゥの言葉を聞かされる羽目になってしまうのだった。
「ようまにはひとかのじゅつがあるのにたいして、くりからはね、くりからは――けっしてようまにはなれないんだ」
「――え?」
その言葉は永新の存在を真っ向から否定するもので、真っ白になった頭で彼女の言った言葉の意味を理解するのは永新にとって、困難を極めるのであった。
以下、ルゥ語翻訳です。
必要無いって方は読み飛ばしてもらって構いません。
「……んぅ。おぉ、羅威竿。誰にモノ言ってんだぁ。あたしの方が、年上なんだかんな」
「その理屈でいくなら、羅威竿、お前は大人だな。賢い」
「そしてあたしはまだ子供。だから、まだ寝てていい……ぐぅ」
「……へぇ、ほう、そうか。いいね、とてもいい。こんなにも生き生きしたサンプルは初めて見るよ」
「あたしは、ルゥ。ここでは、独自に妖魔の研究をしているの。よろしくねぇ」
「プロファイリングの天才だし、自称じゃない。まあ、馬鹿な羅威竿に言ったところで分からないのは当然か」
「ふふふ、天才ジョーク。でも、これは流石にあたしでもエッチだと思う」
「これが分からないようじゃ、永新はまだまだおこちゃま。と言う訳で、はい、あたし達にお茶、用意して」
「なぁにを~? あたしのお菓子だからな。文句あるなら喰うんじゃない」
「ほら、永新も座った座った」
「……妖魔は、どこから来てどこに行くと思う?」
「敬語は要らないよ。アタシと永新の中でしょ、ルゥって呼んで。ぴーすぴーす」
「うんうん、いいね、良い着眼点だよ。そもそも、妖魔は生きているのか、って言うのも面白い」
「ちっちゃい頃は、破壊衝動、殺戮衝動とかに突き動かされて生きてきた……。でもさ、それって本当に生きているって言えるの? 自分の意思の無い状態で動くのって、歩く屍と変わらないんじゃない? それはつまり、妖魔は死んでいる!! って事になるよね」
「あたしも同じくらい」
「ふふ、永新は面白いね。あたしとは全然違う考えだ」
「永新は今、妖魔を人に例えたね。そう……、妖魔が人に化けるように、あたし達のように社会性を持って生活に紛れるように、人と妖魔はお互いに、決して遠い存在じゃない。もっと言うと、霊力を扱う倶利伽羅と、霊力で体を構成する妖魔。何が、どう、違う? 倶利伽羅も行き詰めれば、体の大半を霊力に変換する。それは、妖魔じゃないの? 倶利伽羅は、只人よりも妖魔に近い。変だと思わない?」
「同じ、そう、倶利伽羅と妖魔は同じなんだ――けどね。どんなに二つの間にある共通点を見つけてみても、その二つが決して違うと証明させる結果がこの世にはあるんだ。それが……」
「妖魔には人化の術があるのに対して、倶利伽羅はね、倶利伽羅は――決して妖魔にはなれないんだ」
必要であればルゥ登場の度に翻訳いたします。
ご活用ください。




