55話
地鳴りのするような叫声を上げて、下級妖魔共を踏み潰しながら四つ足で前進してくる妖魔の姿は、一言で言い表すとするならば、無邪気。
まるで子供のように玩具を散らかして、自らの遊び場に入った異物に対して強烈な拒絶反応を見せて喚き散らかす姿はどこまでも幼く見えるが、それが妖魔であるならば破壊力は一入であり、同時に邪悪でもあった。
故にこそ、永新は彼我の距離が一定になる一瞬を狙って、張り詰めた腓腹筋を爆発させるかのように地面蹴って真正面から中級妖魔に突貫する。
永新が知る子供の躾と言うのは暴力と怒鳴り声で屈服させる事であり、それが間違っている事を知ったのは、ここ数年の事だった。
「ッ、らぁぁぁぁあああああ!!!!」
しかし、妖魔相手に気を遣う必要など一切無く、永新は口から炎でも吐くのではないかと思わせる気迫を纏いて中級妖魔に接近した後、真宵と凍吉によって叩き込まれた戦い方の基礎をしっかりと反復させて先制の一撃をお見舞いして見せる。
その結果、そこにはスマートさの欠片も無い、泥臭くて血生臭い、野性味溢れる獣の如き鋭さで、迫る中級妖魔の顎をかち上げる永新の姿があるのであった。
――JA,RAAAAAAA……!!!
バゴンッ、と肉を打ち付けたとは到底思えない音を響かせて顎が潰れた中級妖魔は、紫色の血反吐を撒き散らかしながらそのナナフシのような体を大きく仰け反らせていく。
その余りの衝撃に耐えきれない妖魔は、そのまま背中から床に倒れて多くの下級妖魔達が下敷きになる中、その隙を埋めるような形でそれ以外の下級妖魔達が永新目掛けて襲い来る。
知性も無ければ理性も品性も無い下級妖魔の頭には「連携」の言葉は無く、ただ目の前に霊力を持つ餌がある、と言うだけで動いているに他ならない状況に、永新はこの隙に中級妖魔にトドメを刺しに行けないもどかしさが表情に現れる。
とは言え、纏炎の防御の上からでもほんの小さな掠り傷を付けられる下級妖魔であれば、数を揃えて作戦を実行に移すことが出来れば十分に永新を殺す事が可能である以上、決して油断は出来ない。
故に、永新は真宵の元で編み出した全力でもって応える。
「――渾成気闘・焔」
妖魔の持つ霊力の貯蔵庫、倶利伽羅が持つ眠っている霊力を励起させる能力。
その二つを用いて、永新の人魔一体となった肉体の最高のパフォーマンスをほぼ永続的に引き出す事に成功させるのが、『渾成気闘・焔』。
しかし、当然その代償は必要であり、それが肉体の激しい損耗であり、永新の戦う意志が続く限りは永新に保持していられるものの、永新の体が限界を迎えるのは時間で言えば「十五分」の保持が限度であった。それ以上は永新の肉体が霊力に耐え切れず、文字通り崩壊していく――かもしれない、と言うのが真宵と凍吉の見解であった。
実際に崩壊しているところを確認する訳にもいかず、けれども永新も体感ではそのタイムリミットを自覚しているが故に、それ以上の展開は難しいと認識していた。
「こっちも、時間がねぇんだ……! 一思いに――ぶっ殺す」
渾成気闘・焔、によって纏炎以上の戦闘能力を引き出すには成功したものの、それに付随する感情の発露が永新を豹変させ、口汚く罵るように見せるのだが、永新はそんな自分も嫌いではなかった。
けれども、理性によるブレーキが壊れた状態であるには変わらない為、いつ自分が自分で無くなるかも分からない。
激情を知らぬ自分も、激情に身を委ねる自分も、どちらも燼月永新であるのには変わりない事実。
それがどちらか片方に頼り切りになって、片方の自分が消えてしまう可能性と言うのが、永新にとっては体が崩壊していく事よりもひどく恐ろしかった。
――激情を知らず、心優しいままの燼月永新の事を、好きだと言ってくれた人が居るから。
そんな自分を自分の手で殺す事が何よりも恐ろしく、怒りを知って尚も自己を保つ精神の涵養が永新には求められていた。
だが、それは一朝一夕で出来るようなものではなく、喉の奥から吐き出される鬱憤を噛み殺すかのように血走った眼を見開いて、鼻息荒く迫り来る下級妖魔達を睥睨した永新は、妖魔の肉体と化した黒腕の五指に炎を灯す。
「――我流・邪空之葬」
両手に灯した十の炎でもって、永新は空中を引っ掻くように腕を二度振るう。
すると、五指に灯った炎が軌跡を描いて空中に尾を残したかと思えば、永新が霊力を励起させるのを合図に軌跡から炎が噴出し、迫って来た下級妖魔の波を纏めて燃やし尽くす。
真宵の下で永新が叩き込まれたのは、多種多様な戦闘技能。
基礎の基礎から始まり、応用一歩手前までを何千、何万回と繰り返し叩き込まれた結果、永新の記憶にはほとんど残っていないながらも、その体にはしかと経験として刻まれている。
霊力を用いた技術は知識として授けるのみで、渾成気闘・焔以外の霊力の扱い方は基礎しか教えられていない。何せ、永新の妖魔となった身体では「破魔弓術」も「紅蓮一刀流」も扱えないが故に、永新は我流を突き進む他無いのであった。辛うじて扱える「纏炎闘術無手焼灼流」だけは使えるものの、それらを用いる場合は決まって「黒い炎」が永新の体ごと燃やし尽くす。
これは永新が妖魔になる前の知識に基づいている可能性が高いと結論出した真宵は早々に霊力の扱いに関しては匙を投げ、戦闘技能に絞って叩き込んだ。それは永新を殺しの道具にする為ではなく、永新が一人で生きて行くための過程で必要な事だったのだが、当然気絶しても無理矢理叩き起こされる現実にそんな事まで思考を広げる余裕の無かったあの頃の永新ではそこまで思い至る事は無かった。
しかし、実際に白との圧倒的な実力差を前に生き残る事が出来たのは、真宵の修行があったからに他ならない。
そんな中で編み出した、永新の「我流」。
それは倶利伽羅の技を放とうとすると黒く変化する炎とは異なり、完全に出力を制御する事に成功した霊力によって、倶利伽羅と同じ進化の道を辿るに至った。
「そこも、危ないぞ?」
永新が描いた炎の軌跡は一度の励起で消えてしまうのだが、それ以上に線を引いてしまえば防御と攻撃を同時に行う事が出来る。
噴出する炎は下級妖魔を瞬く間に溶かしていき、遂に中級妖魔への道が開かれる。
後はトドメを、と一歩を踏み出そうとした、次の瞬間。
「ッ!??」
永新の体は地面を駆る事は無く、むしろ、グンっ、と前につんのめる形で前傾姿勢を取らざるを得なくなる。
永新は自分の身に何が起こったのか理解するまでに時間は必要なく、足元の床から生える手首に足を掴まれたのが原因である事に気付いて頭を上げた、刹那。
眼前に迫る、鋭利な先端。
「く、そ……ッ!!!」
それは一寸の狂いもなく永新の眼球を捉えており、思い切って横に跳ぶことでそれを回避する。
足首を掴んだ古木の枝のような手を引き千切る為に全力でもって体を動かしたのだが、地面から生えた手首は永新の予想を裏切るかのように脆く砕けて、捕らえられていた永新の足は簡単に自由を手にする。
勢いそのままに大きく転がった永新は、されども傷付いた頬を気にする素振りを見せずに先程まで自分が居た位置に深々と迫った棘が突き刺さるのを確認すると、それとほぼ同時に、後方で鳴った別の衝撃音に振り返る。
「――おいおい、永新。お前舐められてっぞ? ……一つ飛ばして後ろを狙うのは、ルール違反だろうがよぉ??」
――JA,RARA……!
そこでは、香織とセナの二人に迫った同じ棘を防いだ羅威竿の姿があって、羅威竿に防がれた棘はまるで雷でも落ちたのかと見紛う程に黒く焦げた様相を呈していた。
そんな中で、羅威竿は永新同様に足首を掴む手を適当に蹴散らしながら、遠く離れた先で倒れた振りをする中級妖魔に「忠告」を果たす。すると、中級妖魔は観念したかのように体を起こして憎しみに染まった目を羅威竿に向けた後に永新へと視線を移し、ナナフシのように細く、けれども頑強な四肢を持ち上げて威嚇をして見せた。
「永新! お嬢様はともかく、もう片方はそろそろ限界が近いぞ!! 急いだほうがいいかもよ!!」
「じ、燼月さん、わたくしには何が起こっているのかさっぱりですが、頑張ってくださいまし!! あ、あぁ!! 宮部さん、しっかりなさって!!!」
「大丈夫。すぐに、終わらせる」
「お? 自信満々ちゃんかぁ? ハイになると大分性格変わるんだなぁ?」
「……羅威竿は黙ってて」
後方でフヒヒ、と笑う羅威竿は放って、永新は熱い吐息を吐く。
渾成気闘・焔を行使し始めて、体感では五分が経過している。しかし、羅威竿が言ったように異界の外と中とで時間の流れが異なる場合、異界化を解いた後に永新の体に対するフィードバックがどうなるか分からない以上、長時間の使用は憚られる。
故に、求められるのは最初から一貫して、異界の所有者の始末。これに尽きるのであった。
――JARAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!
永新が動く事を察知したのか、異界の所有者である中級妖魔が猛攻に出るべく気合の雄叫びを上げると同時に、永新は地面を駆け出す。
下級妖魔を養分にした中級妖魔は、苛立ちから来る怒りの形相で地面に両腕を突き刺すと、忽ち永新の進路を阻むように大量の手首が生えては、地面を駆る永新の足を取ろうと躍起になって動く。
しかし、当然のように遮るように壁となって出現した道を永新が律儀に通る必要も無く、古木の枝のような大量に分裂した腕々が横に逸れて行く永新に縋ろうと迫り来るのを、永新は前傾姿勢で教室内を駆って躱していく。
それを見た中級妖魔は、近付いてくる永新と彼我の距離を離すべく己がままの異界化した教室を変容させて、更に遠のかせようと画策し、まるで熱々の飴を伸ばす作業のように、ただでさえ広かった教室を更に横に広げていく。
「もっと……、速くッ!!」
だが、異界がコピー&ペーストをするように一瞬で伸びる訳では無い事を知っている永新はすかさず霊力を脚部に集中させて速度を上げる。伸びる前に接近してしまえば、異界の干渉は受けないと判断して。
疾駆。
その速度は永新の持ち得る限界速度で、異界が広がっていくよりも速く駆ける永新は確実に中級妖魔との距離を詰めていく。
天井、床、壁から無尽蔵に生えてくる中級妖魔の手首、襲い掛かる下級妖魔の数々がその道を阻むように立ち塞がるが、それら全てを永新は振り切って駆けて行く。
永新が通った道には中級妖魔の手首がお互いに絡み合うように生えており、永新の速度についていけない証拠を残す。前を阻む壁のように聳え立つ障害物としての妖魔の手は永新の通り道ではなく見当違いの場所に生まれていて、異界化の対象となり上級妖魔相当の実力を授かった幸運とも呼べる中級妖魔であるが、最早永新のスピードに翻弄されるがままの状態となっており、文字通り手も足も出せない状況にあった。
――JA,RA,RAAAAAAAAAAA……!!!!
敵を同じくする下級妖魔は使い物にならず、されども自分の尽くす手が悉く通用しない相手を前に、そこでようやく中級妖魔の顔に焦燥が浮かび始める。
異界の操作よりも早く接近してくる永新を前に身動きを取るべく地面に突き刺した両腕を抜いて対峙しようと引き抜いた、刹那。
「判断、遅すぎるだろ」
炎が線を描くように妖魔の視界を縦に過ぎ去ったかと思った瞬間、嘲笑する訳でも無く、ただひたすらに淡々とした声でダメ出しを図った永新の踵が中級妖魔の頭部に突き刺さり、有り余る助走の勢いも加わった先制の一撃以上の衝撃でもって中級妖魔は広々とした教室の床に叩き付けられる。
――ッ、JARAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!
普通の中級妖魔であれば、今の一撃で頭部を粉砕されるか完全に意識を刈り取られるに至るのだが、流石は上級相当の力を授かっただけはある、と感心する程の速度で凹んだ頭部を持ち上げた中級妖魔は、異界化の影響で有り余る霊力を解放するに至る。
引き抜いた腕は、これまで腕を割いて生成していただけの触手が、腕と言う境目を失くすまでに無数の触手に分かれて敵味方の区別なく攻撃を繰り返し、その隙を縫うように先端が鋭く尖った別の触手が的確に命を奪う為に迫り来る。
「こいつはしまったな。……だが、この程度じゃ俺は止められない」
完璧に隙の無い二段構えに、永新は僅かに恐れ戦くのだが、逃げると言う選択肢が消えた永新がそこで退く事は無い。
故に、永新は最も触手による乱打の密度が少ない場所を探して巨大な中級妖魔の周りを移動していく。
中級妖魔にとって不運だったのは、先の踵落としの一撃で気を失わないだけの耐久力を持っていながら、それに見合っただけの衝撃耐性なるものを見に付けていなかった事だろう。
慣れない力に踊らされ、中級妖魔は今も生きているとは言え、脳天を強い衝撃が襲った事により焦点が合っておらず、本来であれば自ら退路を断った永新であれば十分に相手取れる程に相性の良い相手であるにもかかわらず仕留めきれない。
何しろ、永新は触手の乱撃以上に密度の濃い、一歩でも、否、半歩でも間違えれば忽ち死に至る可能性のある吹雪の中を進まされた経験すらある為、それ以下の密度でしかない触手の乱打の中を致命傷を避けて近付くのには慣れっこなのであった。
そうして見つけた中級妖魔が繰り出した最後の悪足掻きが如き乱打の嵐に空いた、たった一つの小さな穴。
そこに、天井に足を着けた永新は重力に身を任せて頭から落下していく。
永新が今何処にいるのかも分かっていない焦点の定まらない中級妖魔相手であれば、見つけた穴に入っていくのも容易で、永新が見定めた通りに触手のいくつかが永新を襲うのだが、どれも致命傷にはなり得ずに中級妖魔の背後にまで落ちて行く。
「――燃えて、尽きろ。魔鏖極天」
自由落下していく中、永新が突き出した右腕と唱える呪言は、いつかの日の再現。
迫り来る奥義を跳ね返すつもりでもなく、ただただ溢れ出す激情に身を任せて放った黒い炎の、再現。
致命傷にならないとは言え、全身に傷を負って血塗れである事に変わりはない永新が放ったのは、妖魔を滅する黒い炎。
それは白に向けて放った「残火」とは異なる、超高出力の黒い炎による鏖殺を現実のものにする倶利伽羅の切り札の術。
――JARAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA…………。
妖魔を滅する黒き炎の一撃を背後より受けた中級妖魔は、その身を貫かれた上に再生も間に合わないどころか封じられた状態で身体の内から己を糧に燃え盛っていく黒い炎に焼かれ、悶え苦しむ。
炎を消そうと藻掻けば藻掻く程全身に炎は回っていき、落ちた燃え種から周囲に散っていた下級妖魔に燃え移っては、更に燃えて行く。妖魔にとって恐るべき死の連鎖を呼ぶ黒い炎の中心に立つ永新は、白との闘い同様に己が身をも焼く炎に襲われながらも、肩で激しい呼吸を繰り返しながらその地に二本の足でしっかりと立っていた。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!!!」
永新にとって、この中級妖魔は単純故に非常に相性の悪い相手と形容しても過言ではなく、もしも与えられた力を十全に扱われていたならば永新の勝利は更に低い可能性だったに違いないとも言える程。
それ故に早急な対処が求められており、始めの一撃に加えてこちらの思い通りに事が運んだ結果、相手の意識を刈り取るとまではいかずとも、判断能力及び視界を奪う事に成功したのは全てにおいて永新に追い風が吹いた結果だろう。
戦いにたらればは禁物。
真宵から耳にタコが出来るまで言われた言葉であり、戦闘においては決して慢心せず、後悔しない選択を選び続けろと言われていたが為に、もし万が一に仕留めきれなかった場合を考慮して永新は自分が持つ最凶最悪の技で中級妖魔の始末を実践したのであった。
「失、敗か……っ」
しかし、永新の表情は晴れる事は無く、黒い炎を放って尚も感覚の残る右腕に視線を落として溜め息を吐く。
それは、魔鏖極天の実践導入が失敗に終わった事に対する感想で、今しがた中級妖魔に向けて放った黒い炎が「魔鏖極天」とは呼べない代物である証拠に他ならない。
焼灼流の残火ですら永新の身を焦がしたと言うのに、今の一撃はそれに足り得ない。あの時、白のサポートがあって初めて放つ事が出来た倶利伽羅の真髄たる黒い炎の威力の再現は、永新が我流を突き進む上で欠かせない。
妖魔を滅する黒い炎を自分への被害も無く成功したあの一撃を再現する事こそが、今の永新に求められた選択であり、永新が自分に課した課題なのであった。
残火にも及ばない威力だった黒い炎は、相手が上級相当の実力を秘めているとは言え、中級妖魔だからこそ殺す事が出来たに過ぎず……、と永新が今回の一件を回顧し反省を繰り返している中で、遠くから羅威竿が楔片手に手を振って近付いてくる。
「おうおう、お見事だったぜぇ、霊力残ってるかぁ? 見るだけでサブいぼが立っちまいそうな黒い炎だったぜ。俺様達にとっちゃ天敵とも言える訳だ。……ほら、さっさと異界の穴を閉じちまおうぜ」
良く見れば異界の所有者を倒した所為か、教室の異界化が次第に元に戻っていきつつある中で、羅威竿は前に真宵と共に異界の穴を閉じた時と同じ祝詞を口ずさむ。
「「――閉じろッ!!」」
そう叫んで異界の穴に楔を突き刺した永新と羅威竿は、異界の穴が完全に閉じたことを確認してから、お互いに顔を見合って拳を打ち交わす。それだけで、羅威竿が労ってくれているようで永新は心が満たされる思いに包まれる。
「ただまぁ、あの小娘の方はちっとばかし不味いかもなぁ」
「!? 早く、言ってよ……!」
「永新が気に掛けるような女か? アレは。明らかに邪悪な奴だっただろ。妖魔と比べても遜色ねぇってのは一種の才能だぜ? あれはよぉ。永新も知ってるだろ? この世で最も醜いのは人間だ、って。倶利伽羅も例外じゃねぇはずだろ?」
「……それでも、香織は赦した。そして俺は、その香織に依頼されたんだ。皆を助けてくれ、ってさ」
「……好きにしな」
「最初からそのつもり」
「ハッ、言うようになったじゃねぇか」
満たされる思いに水を差すように、羅威竿はセナの危篤を報せる。なんて事の無い様子でサラリと告げられた辺り、羅威竿の死生観と言うものを知らしめられたように思わなくもない永新であったが、どちらかと言えば永新の意見は羅威竿よりなのだ。その上で香織の依頼を優先させる事で永新は己の正しさを自分が認めようとしていた。
異界の穴が閉じた影響で教室の異界化が終息していく中、永新は自分の怪我も後回しにして羅威竿が守っていた二人の元へ駆け寄ると、羅威竿が言っていた通りに呼吸も浅ければ脈拍も弱いセナが横たわっており、香織が必死に声を掛け続けていた。
「宮部さん!! 宮部さん!! しっかりなさって!! もうすぐ、もうすぐ帰れるはずですわ!!!!!!!!!! ――ッ、燼月、さんッ、宮部さんが、宮部さんが……! いえ、燼月さんも、酷いお怪我ですわ……!!」
「俺の事は良い。少し診せてくれ」
永新の見てくれは見るからに満身創痍で、永新の接近に気が付いて顔を上げた香織はその様を目の当たりにして仰天するのだが、事実、致命傷の一つも無い永新は触れる部位の血だけを拭ってセナの様子を診る。
応急処置程度の知識は倶利伽羅時代に習っており、座学だけは平均以上を取る事が出来る永新にとってセナの症状は記憶にある通りの症状であった。
それは、只人が過剰な霊力に順応できずに脳機能が低下してしまう症状と同じで、知識の通りの対処を行えば命に別状は無いはずだ、と永新はすかさず行動に移る。
「スゥ――」
「ひゃあぁ……!!!」
永新が取ったのは、直接霊力を移す行為であり、それは傍から見れば人工呼吸と同じものであった。
霊力を移すだけならばお互いに手指さえ触れ合っていれば問題無いのだが、それは両方に意識があって初めて成立するもの。このように霊順応に拒絶反応を示してしまった場合は、倶利伽羅が霊力によって脳を保護してやらねばならず、その為には最も脳に近い口から直接霊力を流し込むのが最良なのであった。
これは医療行為なのだから、香織も変な声を上げないでもらいたい、と応急処置に従事しながら永新が心の中でそう呟いていると、何度目からの霊力の送入でセナの顔色と呼吸は落ち着きを取り戻していく。
「これで、一安心だ。後は専門の人に診て貰って。そうすれば元の生活が送れるようになるはずだから」
「本当ですの!? 良かったですわぁ……。燼月さん、神々さん。本当に、ありがとうございました」
「……」
永新は「本当にこれで良かったのか?」と言う問いが口を突いて出てきそうになるが、何の疑いの無い表情で喜んで頷く香織が見えた永新はそれを言う訳でも無く、ただ黙って感謝の言葉を繰り返すばかり。
そんな中で、羅威竿は取り出した仕事用のスマホに目を通していたかと思えば、不愉快さを露わにした表情で永新を見る。
「……? どうか、した?」
「あー……その、なんだ。えぇと――」
異界化の解けた教室では、これまで同様に電波が通うようになっていて、スマホが従来通りに使える事でも確認したのかと思い込んでいた永新であったが、教室の外から聞こえてくるただならぬ足音と羅威竿の様子から、そうでは無い事を思い知る。
「――倶利伽羅が、来る」
「ッ!!?」
その声に永新が息を飲んだのも束の間、教室の扉が勢いよく開かれて、忘れたくても忘れられない倶利伽羅の装束、霊具に身を包んだ正真正銘の倶利伽羅達が教室に雪崩れ込んでくる。
「――全員、無事、か…………」
その中には、不幸にも永新と顔見知りの倶利伽羅の姿もあって。
「――ッ、貴様……ッ! 燼月、永新ンっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
永新の姿を見るや否や、即座に抜刀する神来戸獅子王の姿に、永新は青い顔を見せるのであった。




