56話
「……っ、ぅぷ……!!」
思い出したくもない過去、見たくもない悪夢が蘇った永新は、教室の扉から雪崩れ込んできた倶利伽羅を見て、吐き気を催す。
立ち入って来たのは、総じて六名。
倶利伽羅と言う立場に慣れた様子の三人と、永新と同年代の三人。
その内の後者の中から一人が前に出てきて、永新に向けて刀の刃先を向けてくる。
「ここで会えるとは、思っても居なかった……会いたくもなかったがなぁ、黄金世代の面汚しよ!!!!! 貴様が同じ時代に生きているから全てが狂った!! 先生も、甘奈も、晴也も、七星も、永恋も、僕も……貴様一人が生きていたせいで、全てが台無しになったんだ!!! 甘奈が世代筆頭を降ろされたのも、晴也と七星が背負う必要の無い十字架を背負っているのも、永恋が抜け殻のようになったのも、全て、貴様が生きていたからだ!!! 貴様はただ生きているだけで迷惑をかける。貴様の父親も言っていたぞ? ――息子なんていない、あれは突然変異の化け物だ、とな。早く見つけて殺してくれ、と甘奈の父親に懇願していたのを僕は知っているんだ」
神来戸獅子王。
彼の口から零れる憎悪と厭悪に塗れた言葉はどれ一つを取っても真実であり、永新が外法を用いて妖魔に身を落とした事によって巻き起こった二次被害とも言うべき惨状だった。
しかし、彼の金色の瞳が怪しく濁ってしまえる程に目に宿った憎悪はそれだけに留まらず、燼月永新と言う存在を一片すらも許したくはないと強く憎む思いが込められているようだった。
それを前にした永新は「変わるんだ」と決めてようやく踏み出せた足を一歩、また一歩と後退させていき、その瞳から光が失われていく。
そんな永新の様子を前にしても、獅子王は変わらず、どころかむしろペースを上げて永新を罵る。
「……世代を汚し、倶利伽羅の歴史に泥を塗った貴様は誰にも望まれていないし、生きている価値も無い。それが分かったのなら疾く、死ね。……否、死ぬだけじゃ許されない。黄金世代の一人として、四家の僕が責任を持って貴様を殺す。刀の錆にすらさせずに焼き尽くして殺す。臓腑を引きずり出して殺す。貴様の人生を全て否定して殺す。生きた痕跡すらも残さず殺す。それを受け入れるのが、貴様の責任だ。覚悟しろ、燼月永新……ッ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
染み付いた悪夢のせいか、獅子王の言葉を反論も出来ずに受け入れてしまった永新は体が硬直してしまう。
――相手の言い分がどれだけ間違っていたとしても、自分は最底辺の人間であるが故に周りからの言う事は全て肯わなければならない。
幼少の頃より叩き込まれた、最も変えて行かなければならない永新の人格の格の部分に染み付いた悪癖は、妖魔になって忘れていたはずなのに獅子王の姿を前にすると同時に強制的に思い出させられる。
永新の人生を狂わせた呪いの荊が効果を発揮されると、永新は何も考えられず、何も動けなくなる。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」
「燼月、さん……? お知り合いの方、ですの……? それに、は、刃物、ですの……?」
傍に居た香織の声すらも耳に届かず、聞こえてくるのは自分の異常なまでに逸る心拍の音と、気道が狭まった絶え絶えの呼吸音のみ。永新の瞳は最早、目の前の獅子王以外を映さなくなっていて、恐怖に竦んだ脳内は逃げ腰で少しずつ後退していく事しか考えられなくなってしまっていた。
そんな思考停止した永新に対して、獅子王は構わず腰を落として瞬き一つの間に「纏炎」を発動させる。
「紅蓮一刀流ッッ!!! 初伝・桜花、一閃――」
ただの的と化した棒立ちする永新目掛けて、獅子王は一切の躊躇いなく刀を振るう。
振るわれた刃は寸分の狂いもなく永新の首に吸い込まれるように接近していく。
防御姿勢すら取ろうとしない永新の首であれば、只人が振るう果物ナイフでも簡単に傷が付くただの人間の生身と変わらない為、間違いなく「死」と言うものが永新に襲い掛かろうとした、刹那。
「――ッ!??」
教室に不釣り合いな雷鳴が轟き、永新の目の前に稲光が走る。
目の前がチカチカと瞬き、耳の奥がキンキンと鳴り止まない中、我に返った永新は自分の首がまだ繋がっている事を確かめた後に、同様に目と耳を塞いでいた香織に駆け寄る。
余りの衝撃に目の端に涙を浮かべる香織が何か言っているようだが、余りの轟音に永新の耳は音を上手く聞き取る事が出来ずに泣きながら口をパクパクとさせる香織を宥めるばかり。
なんとなくでも言っている事が分かってしまうのは、彼女の表情からでも分かりやすい性格をしているからだろうか、「なんですのこれは」と泣き叫ぶ様子が脳内で補完された永新は、黒焦げになった床から目線を上に上げていき、教室の扉へと巻き戻しされたかのように驚き目を瞠る獅子王の姿をその目で捉える。
彼は何が起こったのか理解するので精一杯の状況である中、その隣で彼の首根っこを掴む大柄な男性は鋭い視線を永新ではなく、その横を颯爽と通り過ぎて現れる小柄な男へと注がれる。
「――おいおいおいおいおい。いきなり罵詈雑言を浴びせてきやがったと思えば、言いたい事だけ言って斬りかかって来るってのは倶利伽羅の礼儀なのかぁ?? 妖魔の俺様に言われるくらいだ、どれだけ品が無かったか理解した方がいいぜ? それとも何か、今の会話はそこの小僧なりの『こんにちは、ご機嫌以下が?』って挨拶のつもりだったのかぁ? 倶利伽羅ではそれでお上品気取ってるみてぇだがな、お前……普通にセンスねぇよ?」
「ッ……!」
小さくも頼もしい背中。
外連味溢れるその風貌は、任せろ、と言っているようで、永新は先輩の雄々しさを信頼して、固唾を飲んで行く末を見守る。
羅威竿の挑発的な物言いを受け、獅子王は忌々し気にギリッ、と歯噛みしつつも、隣に立つ大柄な男性に制されて引き下がる。それだけで、この場においてその男性が獅子王よりも上の立場である事が分かる。
教室に入って来た時点で所作の動作一つを取っても落ち着き払っている姿を見ればそんな事一目瞭然だったのだが、獅子王の出現に困惑をきたした永新の脳はそんな分かりやすい事さえも見逃してしまっていた。
「……妖魔風情が品格を語るか。世界の異物でしかない、貴様ら汚物如きが」
「妖魔が異物ってのは認めるぜ。この世界の存在じゃねぇのは事実だしな。その上で、問う。――実害の出ていた異界の穴を放置した言い訳は何だ? 仕事の出来ねぇお前達に代わって、俺様達が封じてやったよ。ほら、これが楔だ。早いとこ固定させないと、またすぐ開いちまうぞ?」
「妖魔が、異界の穴を閉じた? 馬鹿な事を言うな!! そもそも、この場の異界の穴を開いたのは、貴様ら妖魔に他ならない!! 大方、僕達の目をかく乱させるための小細工に過ぎないのだろうが、そのせいで人的被害が及び、それを片付けてヒーロー気取りか? 妖魔と言うのは、考える事が実に浅ましいな!!」
「……」
「返す言葉も無いか!? そうだろうな。フンッ、貴様ら妖魔にとって異界の穴を閉じるメリットなど無いはずだ。それはつまり、人間社会に溶け込む為の嘘。こんなものに騙される奴なんぞ、脳味噌の足りない馬鹿な連中だけだ!! 黄金世代代表四家のこの僕の頭脳の前には意味を成さない。往生際の悪い事は止めて、さっさと僕達に殺されるがいいさ」
「……それで?」
「は?」
「探偵ごっこは、おしまいか?」
「貴様――ッ!!!」
「落ち着け、神来戸。妖魔の話なんぞ、聞く耳を持つ必要は無い。燼月永新も、同様にな」
「……分かっている。少し、頭に血が上っただけだ。クソッ、燦然院、水を寄越せ!」
「えっ? わたくし、ですの――むぐっ」
目の前の倶利伽羅六名は、誰一人として羅威竿の言葉を信じる様子は無い。
教室の中心に静かに佇む異界の穴に注意を払う様子が見える事から、倶利伽羅の手に渡った楔すらも偽物かと疑われている可能性すらある中で、不意に聞こえた同じ姓に香織が反応するのを、咄嗟に永新が口を塞ぐ。
獅子王の出現によるショックで間接視野すらも失っていた永新が取り戻した視界には、獅子王意外にも見知った顔がある事に気付いていたが故に即座に反応出来たのだが、永新はどうしてもそちらに視線を送る事が出来ないでいた。
燦然院絵麻。
永新にとって全てが壊れたあの日から出会ってすらいなかった彼女は、分厚い瓶底眼鏡を外していて、その美しく整った顔を曝け出していた。
「永新君……」
眼鏡を外して、薄い化粧が施された綺麗で明るい雰囲気を纏わせる彼女は、そのせっかくの美貌を崩してでも永新に縋るような視線を送り続ける。どうしても何かを伝えたいと必死に目線を送る彼女に対し、永新は腹の奥から昇ってくる喉を焼く酸っぱいものに追われるように目線を下げて口元を覆う。
「燼月さん……」
その明らかな永新の異変に気付いた香織が身を寄せてくれたお陰で落ち着きを取り戻すのだが、ただでさえ悪夢のオンパレードに苦しめられる永新を他所に、倶利伽羅と羅威竿の間では更に対立がヒートアップしていく。
「彼方、此方。刀を取れ」
「「はい、お兄様」」
「神来戸、お前達は退路の確保及び、燼月永新の抹殺だ。良いな」
「僕に命令するなと言ったはずだぞ、旭燈。裏切り者も、僕を馬鹿にした妖魔も、まとめて僕が殺す。次は無いと思え」
「こちらも言ったはずだ、死にたくなければ命令に従えと。従えないと言うのなら、お前は邪魔だ。引っ込んでいろ」
「ハハッ! 最初っから仲間割れかぁ!? だが、俺様を甘く見て貰っちゃぁ――」
「「「――紅蓮一刀流、中伝・落火斬」」」
「……お?」
「言ったはずだ。妖魔の話に、耳を傾ける必要は無い、とな」
「えぇ、お兄様の言う通りです」
「はい。私達兄妹の前に、妖魔は必要ありませんとも」
この状況にもかかわらず、プライドを捨て去れない愚かな獅子王とに構わず命令を口にする男を見て、羅威竿が煽り文句を吐きかけた刹那、瞬転かと思える程の速度で羅威竿に迫った三人の倶利伽羅による大上段からの一太刀が三度襲い掛かり、羅威竿は無抵抗のままその体を三枚に下ろされてしまう。
自分が切られた事にも気付いていないような羅威竿に、男は最後に刀を横に振って羅威竿の首を斬り飛ばすと、退屈そうにそれだけを言い残して永新に目線を移した。
――次の瞬間。
「……やーやー、お見事な一太刀だったぜ、旭燈三兄妹」
「「「――ッ!??」
人苛立たせる事にお似合いの生意気な声が聞こえてくるのは、彼らの足元から。
それも、教室の床に転がった両断されているはずの、生首から聞こえてくる声、と言う余りにもショッキングな映像を前に、永新は香織の目元を覆い隠す。
何が起こっているんですの、と、どこかこの状況を楽しんでいるような香織の声が聞こえてくる中、永新は先輩の雄姿をその目に収めんとする。
「――旭燈唯雅、旭燈彼方、旭燈此方。倶利伽羅内じゃ有名な三兄妹。兄の唯雅が守りの要で、妹の二人が攻撃の後の隙を突くスタイル。過去に中級二十体を浄滅した記録の持ち主で、当然の如く、守りだけでは無く攻めに転じても俱利伽羅の中では一線級の実力を持つ兄と、連携が巧みな妹二人のコンビネーションは抜群……とは聞いていたが、まさかここまでとはなぁ? 百聞は一見に如かず、ってのは良い言葉だ。……しかし、まぁ――自分達より格上の妖魔とは、対峙した事が無いんじゃねぇのか?」
血の一滴も流れていない羅威竿の体は、切り口からプラズマを発して切断された箇所が結ばれ、まるで逆再生の動画を見させられているかのように羅威竿の体が元通りにくっ付いて行く。
それは真宵のような霊力を用いた治癒の能力では無く、羅威竿に物理攻撃が通用しない事を示しているようだった。
「――学校で習わなかったかぁ? 血は霊力、霊力は血、ってなぁ。ってなりゃあ、妖魔にだって血は流れてる。それが出ていないのを確認していながら次に移ろうだなんてのは、倶利伽羅の職務を果たしたつもりで居るだけ。称賛される自分達に酔っているだけに過ぎねぇぞ、馬鹿三兄妹?」
「ッ……、紅蓮一刀流、中伝・砂時雨、六連!!!」
「無駄無駄無駄無駄。何もせずにただ見逃してくれりゃあ、俺様もこんな事しなくて済んだんだけどなぁ……? 本当の力ってもんを見せてやるよ」
口から吐かれる言葉とは裏腹に、羅威竿はいつになく楽しそうな表情を浮かべて、旭燈兄妹の攻撃を全て透かしていく。不思議な事に、羅威竿の体は倶利伽羅の刀による攻撃を全て透かして、羅威竿の体には一切傷が付かない。それが羅威竿の妖魔としての権能なのか、と観察する永新同様に、先程まで旭燈兄を舐め腐っていた獅子王ですらそのやり取りを目の当たりにして不安の色を伺わせていた。
「神来戸、お前達は下がって――」
「おいおい、ここまで来て仲間外れは可哀そうだろうが。一緒に相手してやるって、遠慮すんな」
羅威竿の異常さにようやく思い至った旭燈兄が撤退の意を示して後ろを振り返ると同時に、羅威竿は満面の笑みを浮かべて指を鳴らした。
すると、瞬く間に教室中を黒い雲が覆い始め、それまで教室だったはずの空間がまるで積乱雲の中に移動したかのように景色が移り変わる。
「これって……異界?」
「ご名答だぜ、永新。お前はそこの二人を守ってやれ。……ずっと見ているだけ、任せているだけってのは先輩の威厳が廃れちまうし、体も鈍っちまう。ここらでいっちょ、ぶちかましてやろうじゃねぇか、ってな」
「――で、出られません!! 完全に、閉じ込められました!!」
「……っ」
「なんだ、これは……! こいつが、上級妖魔だとでも言うのか……!? 中級なんぞ、比べ物にならないじゃないか……!! 冗談じゃない……っ!!!」
「「お兄様」」
「……覚悟を決めろ、お前達は、この俺が死なせはせん。燼月永新の始末も後回しだ、今は、生き残る事だけを考えろ」
羅威竿の調子と倶利伽羅達の温度差で風邪を引きそうになる中、羅威竿は自分に都合のいい領域を生成して、ご機嫌に笑ってみせる。
「キハハッ!!! 安心しろよ、俺様を満足させてくれれば帰ってやるからよぉ!! 精々死なねぇように努力しな!!」
どこからどう見ても悪役にしか見えない羅威竿はそう言いながら、異界化した積乱雲の中を天高く昇っていくのであった。




