51話
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返信は出来ませんが、全部目を通しています。嬉しいです。
「復讐ってのは甘露な蜜で、赦すってのは煉獄を素足で歩くようなもんだ。今回の依頼主は甘い蜜を選んだようだが、永新……。お前はどうする?」
「……」
「簡単に答えが出るようなら、今更悩む必要もねぇわな。だが、いずれは答えを出さなければならない問題であるのもまた事実だ。……お前が白麗様を殺す動機は、確か復讐だったはずだろ? 倶利伽羅の世界に未練は無いとも言っていたが、あの時のお前の目は、ただただ目を背けているようにしか見えていなかったからな」
「そんな事も、言った気がする……」
「そいつを責めている訳じゃねぇ。考え方、意見ってのはその時の置かれた状況、立場によって、時間が経てば変わるのが普通だ。だから俺様は、あの時の及第点の答えしか出せなかったお前にじゃなく、アップデートを果たした今のお前に聞きてぇんだ。……今の永新は、どうしたいかをな」
駅から一本道のように続く楓ケ丘に向かって歩く道すがら、羅威竿は電車内での話題を引きずるように持ち出し、永新に問いかけ続ける。
永新が何をしたいのかをはっきりさせる為と分かっていながらも、まるで一つの答えに導こうとしているようにも思える羅威竿の口ぶりに若干の警戒心を抱くが、羅威竿の心地良い言葉の数々に永新は吸い寄せられるようにして耳を傾けていく。
永新が考えた通りにもしも羅威竿の掌の上で踊らされていたとしても、復讐を遂げられるのであればそれでいい――とまで考えたところで、永新はハッとした様子で顔を上げる。
「……羅威竿は、俺に復讐を望んでいるのか?」
「なんだ? 俺様が望めばお前はそれを叶えてくれるのか?」
「……そう言う、訳じゃない」
「それなら、聞くだけ無駄だ。お前の思考にノイズが入るだけだからな。……そうだな、お嬢様の答えを見てからでも遅くはねぇだろうよ。それまでは好きに悩めよ若人よ――ってか?」
「香織の、答えを?」
永新の睨むような問いに間髪入れずに顔だけを振り向かせて笑って質問で返してくる羅威竿に、永新は思わず肯定の意を示してしまいそうになった。
それは永新の意思決定の弱さが如実に表れた一瞬であり、その一瞬を羅威竿は見逃さない。故にこそ、永新が成長できるように導くべく、後輩の前ではあえて最後の質問には答えずに含みを持った笑みを浮かべるだけで留めてから、余裕を持った先輩風を吹かせて道を指し示して見せるのだった。
黒塗りの高級車が並んではそこから楓ケ丘の制服を着た生徒達が次から次へと姿を見せていく中を闊歩して行く羅威竿の後ろを黙ってついて行く永新は、羅威竿の言葉やこれまでの事を踏まえて思考を巡らせ、「自分が何をしたいのか」と言う漠然とした問いに対する答えを模索する。
復讐は?
――したい。
誰に?
――分からない。
なら、その胸の怒りは? 悲しみは? 憎悪は何に対するもの?
――分からない、何も、分からない。
けれども、永新がいくら考えたところで、答えは決まって「分からない」に収束するばかり。
そもそも、永新が怒りを抱いたのは、彼の十五年と言う短い人生の中で一度しか無い。そのたった一度の機会こそが、永新が倶利伽羅と決別を果たしたあの日の事。
恩師と呼ぶには誇大広告過ぎる老教師を、その手で弾き飛ばした、あの瞬間――。
あの時だけは、永新は我を忘れたかのように激情に支配されていた。怒りの感情だけではなく、永新が噛み殺して飲み込み続けてきた怨嗟の如き負の感情を纏った炎は漆黒に染まり、自分を殺しに迫った老教師を弾き飛ばしたのであった。
元より、人よりも怒りの感情が薄い永新にとって、復讐に起因する怒りの感情や生まれ持っての矜持と言うものを、永新はほとんど持ち合わせていない。
それは、常に見下されて足蹴にされ、踏み台として扱われ続けてきたが故の、自己の喪失。明らかに狂った成長過程において形成された永新の「自己」と言うのは余りにも人間として未熟であった。
それが故に、永新はあの時感じた激情を今ではもうすっかり思い出せなくなってしまっていたのだ。
今の永新が知っている限られた感情は、悲しみと深い絶望、それから、腹の底が震えるような愉快さと、全てを包み込んでくれるような愛情の形。
未だ短い付き合いの羅威竿や誠一郎、真宵と凍吉が教えてくれたのは、自分を押し殺さない気楽さ。人々から忌避されるとしても、永新にとって妖魔として生きるこの瞬間はとても居心地が良かった。倶利伽羅として過ごして来た息が詰まるような日常が嘘のように思える今と言う時間は、永新にとって感じた事の無い、かけがえのない大切な時間に急成長を遂げていた。
(……怒りや悲しみに包まれるより、今この瞬間が何よりも、楽しい。)
今こうして、袖を通すはずの無かった制服に身を包んで、知らない学校に潜入したりして――。
俱利伽羅として生きていたなら絶対に体験できなかったであろう今の状態が何よりも楽しくて、永新は逸れた思考のままふふっ、と小さく笑みを零す。
永新が怒りに狂う事無く、妖魔となった自分を肯定できたのは偏に、倶利伽羅として生きてきた中で失われつつあった「愛」をその身に宿していたから、と言う他無い。
ただ一人、永新を憂い続けた最愛の母が死んだ後、父親からも永恋からも切り離された永新に愛を注いでいたのは他ならぬ白であり、幼き体に詰め込まれた尋常ならざる負の感情を溢れさせないよう、それら全てを覆い隠して包み込んでしまうような愛を与えられ続けた。
しかし、それで培われたのは「他者に認められる自分を許容する事」だけであって、「自己を認める」にまでは至らない。誰かに「ここに居ていい」と言われて初めて頷く事が出来るように、「自分はここに居ても良いんだ」と自ら居場所を作る事が出来ないと言う、決定的な欠点を抱えているのが今の永新なのであった。
それに加えて……。
「――見ろよ」
「今日も来たのね」
「どう見ても――」
羅威竿と二人、息苦しい制服を着崩して教室の扉を潜れば、談笑を交わしていたクラスメイト達が一転して沈黙に走り、その後に再度談笑に戻ったかと思えば、ひそひそとこちらの悪態を囁き合う。
いかに永新が負の感情を持たずとも、目の前でこんな事をされれば不快感を感じずにはいられない。
その上、妖魔に生まれ変わったとて永新の心の傷が無かった事になる訳ではない為、過去の日々が蘇るかのような光景を目の前に永新の呼吸が荒くなる。
「随分と歓迎されてねぇなぁ!? まぁ、安心しろ。俺様達は明日には居なくなってるからよ」
過去のトラウマが刺激されてフラッシュバックする永新の横で、羅威竿は礼儀作法に精通するお坊ちゃまお嬢様連中には刺激の強い態度で机に脚を乗せると、嫌がらせとはこうやるんだ、とばかりに堂々と悪態を吐いて見せる。
心の傷が癒えるには時間が必要だが、癒える程の時間が経過したと言える程永新の心の傷は浅くは無い。
今のように、ふとした瞬間に、余裕から生まれた隙間を縫って、心の傷は痛みを発する。羅威竿の堂々たる悪態に目を背けるようにして談笑に戻っていく生徒たちの多くはそんな思いをしないのだと思うと、永新は自分の心をズタズタになるまで嬲った倶利伽羅に怒りを覚えるのだが、同時に身体に刻まれた恐怖も思い出す。
そんな自分を「弱い」と考える永新にとって、真宵の下で修業に勤しんだ日々は、そう言った物事を考える余裕すら生じ得なかった点から考えると良い環境だったとも言える。故にこそ、永新は無意識に戦う事、没頭する事を念頭に置いてしまいそうになるのだが、本当の意味で自分を変える為には過去と向き合って、真宵や羅威竿に突き付けられた疑問である「永新は何がしたいのか」と言う問いに対する答えを見つけなければならないのだと腹を据える他無いのであった。
永新が長い時間をかけてようやく羅威竿の問いのスタートラインに立つ事が出来たと思えば、今日も完璧なまでに決まった縦ロールと派手に主張する豊かな胸を張ったお嬢様こと、燦然院香織が優雅な出で立ちでもって登校してきた。
「おはようございます、燼月さん、神々さん」
「おはようさん、お嬢様」
「おはよう。……昨日は、大丈夫だった?」
「えぇ、その件ですが……丁度良いですわね。わたくしを見ていて下さい」
登校して早々に香織は昨日の答えを見せつけるようで、香織に遅れて教室に入って来た蝶野と蝉岡の二つの人影を確認すると同時に深呼吸を繰り返して二人の元へと足を運んでいく。
見ていてくれ、と口にした香織の横顔は永新にも分かるくらい不安に満ち溢れていて、その先の未来を案じて恐怖しているのが丸分かりだった。それでも香織は目を逸らす事は無く、一晩かけて導き出した答えを示すかのように迷いのない足取りで立ち向かっていく。
香織の姿を視認した二人はギョッとした様子を隠し切れず、蝉岡に至っては顔を青白くさせてまで驚いて逃げる素振りすら見せるものの、香織によって呼び止められていた。
何を話しているのか、耳をすませば聞こえてきそうなものだが、聞き耳を立てるのは無作法と言うべきか、それをするのは憚られるようで永新は黙って事の成り行きを見守るばかり。しかし羅威竿の方は「無作法? 何それ美味しいの?」とでも言わんばかりに堂々と耳をそばだてて盗み聞く。永新の視界に入り込んでいるのを承知の上で話の内容が進むのに合わせて大袈裟な反応を見せる羅威竿の顔がちらちらと映っては気が散ったものの、最後まで優美な立ち姿で話し終えた香織は振り返ると、事が上手く行ったのを知らしめるかのように、その美しく儚い二本の指を立ててピースサインを作って見せるのだった。
最終的に、香織の話によって蝶野と蝉岡が頭を下げた様子が目に映ったのだが、話の流れまでは分からない。けれども、香織が満悦そうな笑みを浮かべているという事は円満に終わったのだろうと推測できる。そしてその答え合わせとばかりに、席に戻って来た香織は腕を組んで豊満な胸を寄せ上げたかと思えば、上機嫌に語り始めるのだった。
「――お二人と、仲直りしましたわ!!」
「へぇ、そりゃあ良かったな」
「香織は、それで良いの……?」
「えぇ、もちろんですわ。わたくし、蝶野さんと蝉岡さんのお二人とお友達になった事を後悔なんてしていませんもの。全てをつまびらかにした後、それでもお友達を続けましょうと言ってきましたわ。これが、わたくしの考えた答え、ですわ!!」
「……」
香織の出した答えを聞いて、永新は放心したかのように漫然と口を開くのみ。
彼女は一体何を言っているんだ、と思う反面、それを羨ましく思う自分が居る事に驚いていると、背中に軽い衝撃を受けて我に返る。
「……おめでとう」
「えぇ、ありがとうございます。それで……、燼月さんの悩みは晴れましたか?」
「俺の、悩み?」
「昨日のあれから、燼月さんはわたくし以上に落ち込んでいるように見えたので……。わたくしの勘違いや思い過ごしなら、それで良いのですが、もしも本当に悩んでいるようでしたらわたくし、お力になります! なれるかどうかは、聞いてみないと分かりませんが……。それでも、わたくしは燼月さんも神々さんもお友達だと思っておりますので、もしも困った事があったらなんでも相談してくださいな」
「……ぁ、うん」
「ハッ。相談所――言わばプロの俺様がお嬢様に相談したくなる時が来るとは思えねぇけどなぁ」
「必要が無ければ、それが一番ですわ。それでも、どんな人でも時には弱音を吐きたい瞬間や誰かに話を聞いてもらいたい事があるものですわ。わたくし、街を救うヒーローを守る事が出来るような人間になりたいんですの」
「俺様達がヒーローだってよ。遠くかけ離れてるのにな」
席に腰を下ろした香織の横顔は、不安から解放された安堵に満ちていた。
如何に恐れを知らない様子の香織と言えども、偽の友情と言うものは酷く堪えたのだろう。蝶野と蝉岡の二人からすれば、これ以上関わり合いたくないと言われてもおかしくない状況だったが故に、元鞘に戻ると言うべきか、描いた通りの結末に至って胸を撫で下ろしているのだろう。
それは永新には出来なかった選択で。
逃げる事しか出来なかった永新にとって、彼女はその名に恥じぬ通り燦然とした輝きを放っていて、見るだけでも眩しい存在。
そんな彼女が不意に零した夢の話に羅威竿は茶化して見せたが、永新は反射的に答えてしまっていた。
「……素敵だと思う」
途端、香織は顔面を綻ばせ、永新の手を取って感激の意を示す。
「そう言って下さったのは燼月さんが初めてですわ!! もっとも、わたくしの夢を話したのは数少ないのですけれども。それでも、そんな風に言って下さったのは燼月さんが初めてですの。……燼月さんは、なんて言葉にしたらいいのか分かりませんが、人の痛みが分かるお人です。だからその言葉も、嘘じゃないって分かりますわ。燼月さんは、感情をあまりお顔に出されない方ですが、とってもお優しい方なんだって、分かりますの」
「……ありがとう」
「……いつまで手ぇ握ってんだぁ?」
「ひゃあッ!!? し、失礼いたしましたわ……! と、殿方の手をこんなにも長時間握ってしまうだなんて、わたくし、普段はこんな破廉恥な真似は致しませんの……! 誤解されませんように……!! ひゃああ……!」
香織の真摯な口ぶりに魅せられた永新が漫然とする横で、羅威竿が見守るような笑みを浮かべて茶々を入れてくる。すっかり赤面してしまった香織を置いて、永新はほのかに香る香織の香水が移った手を反対の手で触りながら、香織の選択を受けて判明した答えを反芻させていく。
(やり返すだけが、道じゃない。赦す事もまた選択の一つ……だとしたら、俺はどうしたい? 心のままに復讐をして、本当に晴れるのか? それとも、ありもしない執着に焦がれるのを、捨て去るべきなのか? 俺の本当にやりたい事、夢は――)
脳裏に浮かんでくる様々な人の顔。
その中で一際思いの強い相手を思い浮かべて、自分が何をどうするべきか、目的をはっきりと自分の中で定める。そうして迷いが無くなった時、永新はきっと、何も恐れなくなるだろう。過去の影に怯える必要も、無くなるはず。
それでも、永新の中でこびりついた様々な感情や思念に折り合いを付けるのは難しく、一筋縄ではいかない。あっちを立てればこちらが立たない、とでも言うかのように、永新の心には大量の矛盾が転がっていて、永新はその日、授業も話半分で聞き流しながら自分が何をしたいのか、何をすべきなのかを徹底的に考える為に時間を費やすのであった。
そうして訪れる放課後の時間。
「――さぁ、お楽しみの依頼解決の時間といこうぜぇ」
今日一日の授業を殆ど仮病を使って抜けていた羅威竿がどこまでも悪辣に笑って言うのだった。




