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50話

 


「……電車で移動するより、自分足で走った方が早いってのは、生きづらいよな」

「突然、どうしたの」



 燦然院香織と分かれて事務所に戻り一夜を明かした明くる日の朝、永新は羅威竿と共に転校二日目の朝を迎えて楓ケ丘に登校すべく電車に揺られている最中、混雑する車内で羅威竿は突然そんな事を零した。


 電車内は下り方面が故に乗車率120%のような状態ではなく、登校するには早い時間ともあって座席に空きが見られる。楓ケ丘に通う生徒の大半がお嬢様やお坊ちゃんであるが故に、電車内に同じ楓ケ丘の制服に袖を通した生徒の姿は一人二人しかいない。

 そんな中、人の生活に紛れなければならない環境に身を置いているにも拘らず羅威竿は声を殺す訳でも無く通常の声量で常人では決して話題に上がらないような事を口走るのだから、永新は羅威竿の言っている事に心の中では同意しながらも「何言ってんだこいつ」と言うスタンスを周りに見せつけなければならないでいた。



「電車よりももっと早い新幹線って言うのがあるんだよ」

「ンな事ぁ知ってるわ。ただまぁ、新幹線に乗らなきゃならねぇくらい遠出するなら、真宵に頼めばいいしな」

「それでも……」

「外面ばっかり気にして生きるなんざナンセンスだぜ、永新。ここいらの連中はどいつもこいつもスマホに目線を落としてばっかで誰も俺達の話なんざ聞いてねぇよ」



 必死に取り繕おうとする永新に対して、羅威竿はあっけらかんとした様子で永新に発破をかけるように言ってのける。その声に永新が辺りを見回すと、車内に同乗する誰も彼もが手元のスマホに目を落とすか、目を閉じて眠っているかの二択。中には永新や羅威竿と同じように会話に乗じているのも見られたが、誰も永新と羅威竿に特別注目している、なんて視線は一切感じられない。


 人の脳は視覚によって捉えた情報を最優先に取り込む為、認識していない情報は優先して意識から除外されていくもの。人は見た目が九割とはよく言ったもので、為人でさえも視覚情報がほぼ全てを補完してしまえる。

 そんな人の認知機能を活用したのが、主に倶利伽羅が用いる認識阻害と人払いの結界。

 倶利伽羅も妖魔も、あくまでも影の存在。都市伝説として君臨する程度の、正体を掴ませない霞のような存在でなければならないが故に、俱利伽羅は霊力と言う不可視の力を用いて常人の認知機能を作為的に弄る事を可能にした結界を用いて、長い間その存在をひた隠して来た。


 そんな便利な機能ではあるが、倶利伽羅として烙印を押された永新には、精神の涵養が済んでいない者が悪用しない為にと言う施策によって破魔弓術初級すらも習得できない永新は涵養が為されていないと判断されて術式すらも秘匿されていたために発動は難しい。それが故に妖魔となった今でも人目を必要以上に警戒し続ける永新であったが、羅威竿はそれを「馬鹿馬鹿しい」と一蹴して見せる。



「人間ってのは意外と自分の事にしか興味はねぇもんだ。それが赤の他人なら尚の事。どいつもこいつも皆、今を生きるのに精一杯なんだよ。わざわざ誰か怪しやつだの困ってるやつを探して首を突っ込みに行くやつなんざ、頭がどうかしてるか、自己満足に浸りたい空気の読めない奴ってだけだ。分かったか?」

「……凄い、良く分かった」

「へへへ、もっと感心してもいいんだぜ」

「いや、羅威竿が真面目な事を言ってるのに驚いただけ」

「は? おいこらちょっと待て。それはどういう意味だ? ――ったく、また誠一郎とか真宵辺りに変な事吹き込まれたんだろ。あいつらの話は大体話半分で聞き流せ。これは先輩たる俺様から後輩に送る金言だな」

「分かった。そうするよ」

「……お前、俺様の話まで半分で聞くつもりだな? そうじゃねぇからな?」

「ふふっ、冗談だよ。先輩の言う事は絶対、そうだったでしょ?」

「おう! 分かりゃあいいんだ。分かりゃあな」



 素直な後輩たる永新に「先輩」と呼ばれて上機嫌に笑って見せる羅威竿。

 がたんごとん、と軽やかに電車に揺られる羅威竿に向かって永新は「そんな先輩に聞きたい事があるんですけど」とわざとらしく遜りながら問いかけると、羅威竿は増々笑顔を深めて「何でも聞いていいぞ」と言ってのける。

 そんな羅威竿に対して、永新は昨日からずっと引っ掛かっていた疑問を人目を憚る事無く真っ直ぐに問いを口にする。



「――香織が虐められている事、最初から気付いていたでしょ」



「はて、何の事やら……と言いたいところだが、その通りだ」


「それだけじゃない。蝶野と蝉岡の二人が香織に近付いて来た理由も、全部知っていた」


「……それで? どうして黙っていたのか聞きたいってか?」


「……」



 本題に踏み込んだ永新の目は真剣そのもので、羅威竿がふざける素振りを見せたのも束の間、永新の真摯な態度が伝播したかのように態度を切り替えた羅威竿は後に続くはずの問いを先取りし、永新は黙って首肯を返す。


 羅威竿が次に口にする言葉は永新が個人的に気に掛けている香織の運命が決められるようで、一瞬にして固唾を飲むような空気が永新に降りてきては、注がれる熱視線にその緊張が宿るかのよう。

 だと言うのに、それに対する羅威竿は相も変わらずあっけらかんとした様子で簡単に言い切るのであった。



「――依頼には、関係無いからな」


「関係、無い……?」


「あぁ、関係無い。俺様は金さえ積まれればなんでもやる。そして、今回金を積まれて依頼されたのは、あの教室の調査だ。そこにあいつらの関係を踏まえる必要がどこにある? 必要なのは、依頼を達成するに当たって必要な情報のみ。その取捨選択をできない奴から死んでいく。俺様は、今回の依頼に関しては奴らの人間関係なんて糞喰らえってんで、捨て去った。これが俺様の見解だ。納得いったか?」


「……それなら、どうして昨日、俺を香織に付けさせたの。羅威竿も、誠一郎さんも、俺の過去は調べ尽くしているはず。……それなのに、どうして、()()()()()()()()()()()()()()()()



 永新は、激しく怒る訳でも無く、咽び泣いて悲しむ訳でも無く、ただひたすらに、自分の心の弱さを訥々と吐き出す。

 あんなものを目の前で見させられて、永新が何も感じないはずが無い。それを分かった上で羅威竿は香織についてやれと言った。今思えば、誠一郎も永新に目の当たりにさせるかのように事の運びを黙って見守り続けていた。


 だと言うのに、羅威竿はその件について「関係無い」と切って捨てる。

 その意図が一晩考え続けたとしても永新には計り知れず、直接羅威竿に尋ねた次第。


 自分に何をして欲しいのか、何をするべきなのか。

 重なる情報をかき集めても羅威竿達の意図が分からない永新は、自分が今何をすべきなのかが分からずに宙ぶらりんになった自分に恐怖する。これまで何もかもを与えてくれていた(ハク)も真宵も居ない今、自分がやるべきことは何なのかと考えても分からない事が何よりも恐ろしかった。


 それ故に、永新は羅威竿に支持を求める。

 何事にも意味を見出して、自分が何をするべきかを理解するために。


 ――だと言うのに、そんな永新の意図も見透かしている上で、羅威竿は決まってあっけらかんと小さく笑って答えを口にする。



「――特に、理由は無いな、うん」

「は?」



 永新にとってみれば、一世一代の大勝負とばかりに腹を据えて弱音を吐いたつもりだったが、羅威竿からすれば全てはその言葉の通り。香織を永新に任せた理由は、なんの感慨も無ければ思い入れも無い、ただの思い付きに過ぎない、とでも言わんばかりの惚けっぷり。


 言うに事欠いてそれか、と、余りにもふざけた回答に永新が腹を立てて眉を寄せる中で、羅威竿はそれを指摘するように自分の眉間を指で叩いて見せる。



「……何が言いたいかって言うと、永新には自分の好きなように動いてもらっても構わない、って事だ。それこそ、自由にな。それこそ、俺様達の邪魔をしたとしても、望むところだ」

「それだと、連携が取れなくて……」

「はっ、俺様達を誰だと思ってやがる。青二才のお前がどう動こうとも、俺様達が依頼を完遂する事には変わりねぇ。お前如きに邪魔される程、貧弱な綱渡りをしている訳じゃねぇのさ」

「でも、俺が一人で出来るような事なんて……」


「……本当に自己評価が低いなこいつは。――永新、お前は『変わった』ンじゃねぇのか? いつまでも誰かの指示でしか動けないようじゃ、昔のお前と同じだ。誰かに手を引いてもらわなくちゃ動けないようで、変わったと言えるのか? 永新が言われた事を求められている以上に熟す奴だってのは聞いている。だからこそ、お前には俺様達一同、期待してんだ。だから、胸張って好きに動いてみろ。フォローもカバーも尻拭いも、俺様達が全部やってやるからよ」


「……っ」



 羅威竿の目に嘘偽りは無く、口にした言葉が全て本心である事は疑うまでもなく理解できる。それが故に羅威竿の言葉は永新の心を震わせた。


 これまでの永新の人生は、全て誰かが敷いたレールの上を走るだけの人生だった。

 初めて永新が脱線と言う名の第二の人生を歩み始めたのが、雪山で「変わるんだ」と誓ったあの日。


 それは紛れもなく永新の、自分の為だけの道を見つけた瞬間であったが、それまでに培われた永新の限りなく低い自己肯定感によってそれは無かったものとして記憶されてしまっていた。それ以降の強くなる為に進むと決めた道も永新の意思であるにもかかわらず真宵の指導によるものだと勝手に変換され、今日に至る修行の日々も、全て真宵が敷いてくれたレールを歩いて来たものだと永新は信じて疑わない。


 褒められた経験はあれども、泡沫の夢でしか無かった記憶など無いも同然。それ以上に否定し続けられた永新の人生において、「自信」と言うものは欠片も形成された事も無い。

 それが故に、永新は自分の成果を何一つとして誇る事は無く、むしろ重箱の隅を突くかのように道程の欠点を洗う事ばかりに注力してしまう。それは永新の欠点であり、幼少の頃より育まれてきた荊の呪いであった。


 自信が無いのは責任を負うのが怖いから、逃げたいから。そんな弱音ばかりが纏わり付いた永新は、自分に出来る事など何一つとして無いと自覚しているが故に、真宵に言われた「お前に出来る事しか言ってない」と言う言葉は非常に奮い立つ思いが湧いて来るようで、真宵は永新のような人間の扱い方を十全に理解していた。


 ――出来る事しか出来ない。


 それが燼月永新と言う、人間を止めても尚もコンプレックスに苛まれ続ける愚かな生き物の姿であり、そんな永新に「好きにやっていい」と突き放す羅威竿の言葉は永新にとって「期待していない」と言われているのと同じでありながらも、彼の瞳が嘘を吐いていない事が分かるが故に、永新はどうすればいいのかを本気で悩むのであった。



「……俺、が、やりたい事……」

「今すぐ決めろって訳じゃねぇ。学校まではまだまだ遠いからな、ゆっくり考えると良い」



 漠然とした永新にとっては哲学のような問いに頭を悩ませる横で、羅威竿は退屈そうに足を投げ出す。周りから嫌な目を向けられようとも気にもしない辺りは羅威竿らしさが溢れているように思えるが、他者の迷惑になるような行為は同行者としても恥ずべきものである以上、悩む素振りをしながらも永新は羅威竿の太腿を軽く叩く。


 足を引っ込めた羅威竿が電車に揺られるのに退屈して「今日の弁当なんだろうな」なんて世間話を繰り広げ始めた横で、永新は延々と思考を続ける。空返事になろうとも気にしない羅威竿の横で適当に相槌を打ちながら、永新は必死に「自分のやりたい事」と言うものを考え続ける。


 そんな中で、突如として羅威竿が一転二転とコロコロと話題が切り替わっていく世間話を切り上げたかと思えば、「そう言えば」と思い出したかのように話を振ってくる。



「二人の依頼内容に変更が出たから、そこんとこよろしくな」

「はぁ」

「調査に加えて――、霧島、宮部の二人の始末が加わるぜ」


「はぁ。…………っ、ハァッ!?!」



 呆然と返事を繰り返すだけの機会と化していた永新にとっても羅威竿が落として来た爆弾は聞き逃す訳にはいかず、綺麗な二度見を決めた永新は車両内に響くような絶叫と共に思わず腰を上げてしまうのだが、すぐに羅威竿が「すみませんねぇ」と車両の前に手を掲げ、立ち上がった永新を座席に引きずり戻す。すっかり逆転した立場にもかかわらず永新は困惑した様子で羅威竿に詰め寄る。



「電車の中では静かになぁ、永新よ」

「ど、どういう事……!? あの二人を始末、ってつまり、殺すって事……? 蝶野と蝉岡の二人が、新しく依頼……? それで、どうして始末に――」

「あーどうどう、どうどう。ステイステイ。落ち着け永新」

「……依頼に追加って言う事は、羅威竿はそれを正式に受けたんだね……?」

「急に落ち着かれるとそれはそれで困るな……。だがまぁ、想像の通り、あいつらの依頼は正式に受けてやったぜ。追加の成功報酬もばっちり搾り取ってやるつもりだ」



 そういう事を聞きたかったんじゃない、と羅威竿の返答に表情を顰める。

 そんな永新を前にして、羅威竿は依頼を引き受けるに当たっての経緯を説明していく。



「今回の件、大本の問題は楓ケ丘に蔓延る内部進学組と受験組の隔絶した空気にある。一日過ごしたならもう分っているだろうが、プライドの高い金持ち連中は奨学金を借りてでも入ってくる受験組の連中を憎んでいる――否、下に見ているんだろう。大方、高貴な自分がどうして庶民なんかと同じ教室で、とでも考えているんだろう。自分達も親の金が無ければ同じかそれ以下だって言うのにも関わらずな。勿論、例外ってのは何処にでも存在する。同じ心境を抱えていながらも目に見えての虐めを行うなどの行動を取るのが馬鹿らしいと思っている自分は賢いと勘違いしている奴、本当の育ちが良くて受験組を見下しもせず卑下もしないが受験組では近付く事すら容易ではない本物の金持ち、そして空気の読めない馬鹿の三種類。あの燦然院のお嬢様は言うまでもなく、三つ目だろうな」


「依頼の発端は、受験組の蝶野と蝉岡、内部進学組の霧島と宮辺の対立、と言う事か……」


「正解だ。あの時あいつらが語った、()()()()()()()()()()()()()()、っつうのは真っ赤な嘘。霧島と宮辺に脅されるなりなんなりされて、行かざるを得なかったんだろう。事実、監視カメラには封鎖された教室に立ち入ったのは蝶野と蝉岡の二人だけで、クズ二人の姿は確認できてないからな。そんで、そこに巻き込まれた燦然院のお嬢様ってのが、恐らく蝶野と蝉岡の二人が虐められているのを助けに入って巻き込まれたって感じだろう。霧島と宮辺がそれを逆恨みして、今度はお嬢様が標的になっているって訳だ。そしてお嬢様に助けられていながらも蝶野と蝉岡の二人は霧島と宮辺には逆らえず、率先してお嬢様を虐めているんだろう。友達の振りをしながらな」



 何でもないように言ってのける羅威竿の言葉に、永新は言葉を詰まらせる。

 永新は渇望の果て、砂漠を彷徨った末に見つけたオアシスが蜃気楼でしか無かった時の絶望を知っているからこそ、香織の置かれた立場に誰よりも同情できる。


 拳を堅く握り締めた永新を横目で確認しながら、羅威竿は更に言葉を続けていく。



「どう考えてもクズの仕業だ。死んだところで誰も悲しまねぇ、その二人を、昨夜から誠一郎に任せて例の教室に閉じ込めておいた。誠一郎にはまだ殺すな、とだけ言ってあるから生きてはいると思うが、果たしてどうなっている事やら」

「その教室は、やっぱり……()()の?」

「あぁ、昨日の放課後に調べに行ったが、アレは間違いねぇ。簡易の異界の穴が出来上がっていやがった。知らぬうちに楔が抜かれたんだろうな、穴が開いてから十五年も経てばかなり成長してたぜ」

「異界の、穴……」

「まぁ、それに関してはどうってこと無いけども、以上が経緯ってやつだ。理解できたか? クズが二人と、被害者ぶって加害者に回ったクズ二人、それから何も知らない馬鹿なお嬢様が一人ってのが今回の主な登場人物だな。蝶野と蝉岡はこれを機にお嬢様の金を使って復讐を果たそうとした――ってのが本当の依頼だ。……永新、お前はこれを、どう思う?」

「復讐……」



 その言葉に、永新の胸の奥で忘れていたはずの憎悪が息を吹き返す。

 あの日に屈辱を、悲しみを、絶望を。理不尽な恐怖を添えて襲ってきた連中に、同じだけ味わわせてやりたい。


 そんな思いが渦巻く中で、羅威竿は永新に問いかける。



「永新は、復讐をしないのか?」

「え……?」

「永新には復讐をするだけの権利はあるし、力もある。後は行動に移すだけ。そうだろう?」

「……分から、ない。()には、何が正しくて、何がしたいのか、分からない……!」

「強制はしねぇよ? でも、もしも永新がヤるってンなら、俺様は協力するぜ。誠一郎や他の連中も、きっと手を貸してくれるだろうさ。だから、もしヤる時は是非とも誘ってくれよ?」



 羅威竿の誘いに頷いてしまいそうになる永新は、体を震わせて立ち止まる。

 自分が何をしたいか、すらも分からない状態で果たして頷いて良いものなのか、と慄く永新が助けを求めるように羅威竿に視線を送ると、同時に降車のアナウンスが車内に流れる。



『次は、楓ケ丘高等学校前――』

「お、次で降りるみてぇだな。永新、そんなに悩む必要はねぇよ。自分の思うがままに、動いてみろ。俺様から言えるのは、このくらいだ」

「思うが、ままに……」



 永新の背を叩いて励ますように笑って見せる羅威竿に誘われて、永新は騒めく心を落ち着かせるために深呼吸を繰り返す。やがて凪のように静まり返る心に平静を取り戻した永新は「もう少し考えてみる」と返して電車を降りて楓ケ丘に向かって行くのであった。






「………………もしかして、今のって、永新君?」






 その背を見つめる視線に、気付かぬまま。












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