49話
「ン? 鍵掛かってるじゃねぇか」
「ですから言ったでしょう? 屋上は危険ですので立ち入り禁止と……。ほら、別の場所を探しましょう――」
「それはつまり、俺様達で独占できるって訳だ。――よし、開いたな」
羅威竿は聞く耳を持たない訳ではない。
自分に都合の良いように解釈する耳を持っている為、聞く耳を持たない事よりも質が悪い。
香織の忠告も聞き流した羅威竿は鍵の掛かっているドアノブをガチャガチャと回したかと思えば、次の瞬間にはただ鍵を外すにしては大きな開錠の音が響き、無残にもドアノブが破壊されて床に転がるのだった。
「ひぇっ……!?」
「……開いちゃった事だし、入っていいって事じゃない? ちゃんと封鎖してない方が悪いし」
「そ、そんな道理が通用するはずがありませんわ……!! あぁ……! 品行方正で通っているわたくしの内申が……!!」
「そんな取ってつけたような内申で飯が食えるか? 友達を救えるか? そんなくだらねぇ矜持は犬にでも食わせとけ」
「なっ……! わたくしのベスちゃんに変なものは食べさせられません!! うぅ、蝶野さん、蝉岡さんからも何か言ってくださいまし……」
「せ、先生方に見られたりでもしたら、大変な事に――」
「実際に封鎖されている教室に立ち入って災いを貰って来た身分で良く言えるな。ましてや、その事実を教師や保護者にバレるのを嫌って俺様達のような部外者を頼った分際で、なぁ?」
「「……っ!!」」
ひょんな事から香織が犬を飼っている事も、その飼い犬の名前が「べス」だと言う事が判明した傍ら、下手に藪を突いて妖魔を起こしてしまった蝶野と蝉岡は羅威竿の尤もな意見に返す言葉も無いようで身体を堅くさせて息を飲むことしか出来ないでいた。
元はと言えば、封鎖されているはずの教室に蝶野と蝉岡、残る二人の男女が不用意に立ち入ったのが事の始まりである以上、二人は羅威竿が目の前で行う横暴な行いに文句を言う資格など無い。
「お昼でも食べながら話をしよう」
「おう、そうだな」
「……わたくし、普段は食堂を利用していますの。お弁当なんて持ってきていませんわ」
「俺の弁当を分けてあげるから。誠一郎さんが作ってくれたお弁当だよ」
「っ! せ、誠一郎さんのお手製お弁当!? そんな高価なもの、譲っていただいてよろしいのですか!? 喜んでいただきますわ!!」
「半分だから、半分」
誠一郎に持たせられたお弁当に食いついた香織は、先程まで気持ちが沈んでいたのが嘘のように元気を取り戻しては、爛々と輝く瞳でお弁当を覗き込むのだった。
永新が広げた弁当箱は、高校生男児が好んで使うようなシンプルで無骨なデザインのもの。箱を開けば彩り豊かなおかず達が出迎え、みっちりと詰まったご飯の上には煌々と輝く宝石のような梅干しが君臨していた。
「ぁンのクソ野郎……!!」
「ん? どうしたの羅威か――プッ、くくっ……! か、可愛い弁当だね……!」
「羅威竿さんは随分可愛らしいお弁当箱ですのね」
「……あの野郎、帰ったらぶっ殺してやる」
香織に弁当を取り分けていると、肩を震わせる羅威竿が居たので彼の手元を覗き込んでみると、羅威竿が広げた風呂敷の中には日曜朝に放送されている女児向けアニメ、「魔法少女ミラきゅるん」の絵柄がプリントされたお弁当箱が置かれているのを見て、額に青筋を浮かべる羅威竿の前で永新は笑い転げるのを必死で殺す事で精一杯なのであった。
「――それで、例のお前たち二人を巻き込んだ本命の男女二人ってのはどこにいやがる?」
弁当の中身は永新と変わりない羅威竿は、精一杯の悪意をふんだんに盛り込んだ可愛らしいピンク色の外側を気にしないようにして食事を早々に終えた所で、わざわざ人のいない場所に移って話すべき内容をようやく口にすると、香織、蝶野、蝉岡は顔を見合わせる。
午前の間、教室の後ろからクラスメイトの様子を伺っていた永新と羅威竿の目には香織が冷笑される場面しか映らなかった。しかし、香織を虐めるにしては余りにも勢いが弱く、どう考えても長続きしそうにない流れだった。
虐めと言うのは、空気が作り出すもの。
長い間それを味わい続けた永新だからこそ分かる空気の違いは、このクラスに香織を虐めの標的に据えた張本人たちが不在であると感じ取っていた。今はただ、残った空気を保つためだけに、惰性で香織を嬲るだけの状況になっている事を、永新はすぐさま嗅ぎ取っていた。
「……学校に来ていないのは、間違いないね。もしかしたら、他クラスの人かもしれないけど」
「いいや。教室に二つ、開いてる席があっただろ? あれはこいつらが言う例の男女のもので間違いない。そうだろう?」
「……はい。男の名前は、霧島和也。女の名前は、宮部セナ。その二人が私と将司の二人と一緒に、封鎖されている教室に、肝試しで行きました……」
「ぼ、僕達が先に教室に入った後、順番に入っていく予定だったんですが、僕達が入ってすぐに、外にいた二人から悲鳴が上がったんです……!」
「……それで? 当時の状況説明は既に調べ上がってるっつうの。俺様が聞きたいのは、どうしてその二人を引っ張り出して来なかったのか、って言う事。俺様が受けた依頼はその二人のお守りじゃねぇの。あくまでもお前達の依頼を遂行しにやって来てる訳。それで、その二人が居ないとお話にならない訳。そこンところ、分かんねぇかなぁ……!? 俺様も慈善事業でやってる訳じゃねぇの。この商売、舐められたら終わりなの、分かってるか?」
「「ひっ……!!」」
いつの間に用意したのか、監視カメラが捉えた映像を切り抜いた写真を胸元から取り出して叩き付けた羅威竿は不機嫌さを露わにさせて二人を問い詰める。
羅威竿が性急な素振りを見せるのには理由があって、羅威竿と三人が結んだ契約の中には活動期間が一日伸びた場合に伸びた日数だけ成功報酬が下がると言うものがある。これはこう言った職務における実質的な日数制限でもある為、最高等級の報酬満額を受け取る為には最短で事件を片付けねばならなかった。
そして今回羅威竿が設けたのは、活動実施から二日間と言うフェアどころか依頼者側に有利と言える程に極めて短い期間を設定していた。これは学生相手と言う条件を踏まえて誠一郎と共に判断した結果の日数であり、それはお互いの協力関係があって初めて達成される時間であった。
故にこそ、依頼者の協力が得られなかった状況に納得がいかずに苛立ちを隠せない。そして、誠一郎からの報告でこの二人が今日に至るまで事態の隠匿に走ろうとしている状況も加味して、更に目を細めて威圧していく。
「――お、お待ちください!」
そんな中で、永新から分けてもらった弁当をちまちまと小さい口で食べ進めてようやく食べ終えた香織が、不穏な空気も気にする素振りを見せずに三人の会話に割り込んでいく。
「お二人は何も悪くありませんわ!」
「……その心は?」
「ぅぐっ、えぇと、ですわね……」
「お前には期待していない。引っ込んでろ」
「……っ!」
「羅威竿、それは言い過ぎ。苛立っているのは分かるけど、空気を悪くさせる必要は無いでしょ」
「……委縮させても、意味はねぇもんな。永新の言う通りだ、お前達はもういい。後は俺様達がどうにかするから、何もするな。何もせずに黙って指を咥えていろ」
流石の永新も口を挟まずにはいられない程に悪化した空気を前に制止の声を掛けるも、それでも何の支度も用意されていない派遣先に腹立たしいものを隠さずにはいられないのか、羅威竿は言う必要の無い悪態を吐いてこれからの展望について思案していく。
「……いいえ、いいえ!! わたくし、ただ黙って指を咥えて見ているだけなんて許せませんわ!! こうなったらわたくしが、そのお二人を連れて来て差し上げますわ!! それで、文句はありませんでしょう!?」
どんよりと沈んだ空気の中、羅威竿に切って捨てられた香織が不撓不屈の精神で肩を震わせ立ち上がり、宣誓が如く怒り肩できっぱりと言ってのける。
蝶野と蝉岡の二人が唖然とする中、羅威竿は「好きにしろ」と言って手を振るだけで悔しさを滲ませる香織を顧みる事は無く、「ご馳走様でした! とっても美味しかったですわ!!」と礼儀正しく手を合わせた香織はそのまま屋上を後にしていってしまう。
そんな面倒な気配に溜め息を吐く永新は、羅威竿の意図を汲んで香織の後を追って屋上を去るのだが、それに続こうとした蝶野と蝉岡の二人が羅威竿に呼び止められる声が去り際に聞こえたものの、その話の内容までは聞き取れないのであった。
「お前達は残れ。話がある……いいや。お前達の方が、俺様に話があるんじゃねぇのか――」
退屈な授業を終えた放課後、永新は香織と共に羅威竿から教えられた例の男女の住所に向かっていた。
羅威竿は蝶野と蝉岡を引き連れて封鎖された教室の調査に向かうようで、別行動だ。
「や」
「ッ!! 誠一郎さん!!!」
楓ケ丘高校を出てすぐ、下校する生徒たちの注目を意にも介さない様子で二人を待っていた誠一郎がにこやかに右手を軽く掲げて挨拶をすると、香織が飛び跳ねて彼の下に駆け寄っていく。
「羅威竿のヤツ、臍曲げたんだって? まぁ、分からなくもないけど、相手は子供だからねぇ。いや、まぁ、羅威竿は子供が嫌いだからなるべくしてなったとも言えるか……」
「誠一郎さんもご一緒して下さりますの!?」
「まぁね」
バチコン、と華麗にウィンクを決める誠一郎は、分かりやすく羅威竿の差し金だと伝えてくる。
喧しい黄色い声援を受ける誠一郎を連れて、永新達はまず最初の目的地である霧島和也の住むタワーマンションに足を運ぶ。
流石は楓ケ丘に通う生徒と言うべきか、住まいも成功者を体現したかのような住まいであった。
当然のようにオートロックの鍵を開けた誠一郎に続いて、絨毯の敷かれたロビーを抜けてエレベーターが向かう先は、地上三十階。どこもかしこも高級ホテルかと見紛う程に綺麗な佇まいに、永新は昔遊びに行った小暮日家本邸を思い出す。
あの時の自分に未来の話をしても決して信じてはくれないだろうが、自分を押し殺して涙を隠す為に笑顔を振り撒いていた日々と比べれば何十倍も居心地が良いとさえ思える。住めば都と言うべきか、永新は妖魔に囲まれた今の環境を悪くないと感じていた。
「ここ、ですわね……」
「それじゃあ、さっさと連れて行こうか」
「お、お待ちになって! わたくし、まだ心の準備が――って、え……?」
何の躊躇もなく呼び鈴を鳴らす誠一郎は、中に人が居るのを確信しているかのように一切の暇なく呼び鈴を連打し続ける。
誠一郎の前に居留守など意味が無い、とでも言わんばかりの連打に香織は言葉を失ってしまうも、数分と保たずして扉が乱暴に開かれる。
「――うるっせぇぇえ!! ってか、誰だてめぇ……は……? 本当に誰だ、お前……?」
吊り上がった眉に、鋭い目付き。苛立ちを隠せない表情ではあるが、その顔に疲れた様子は見られず、至って健康体のように見える青年は開いたドアを閉じさせるつもりは無いとばかりに手をかけた誠一郎を見上げて僅かに後退る。
「君を連れて来るよう頼まれてね。用自体は明日なんだけども、面倒だから今から連れていく事に決めたよ。文句は受け付けてないんだ」
「は……? はぁァッ!? な、何言ってやがんだ!? た、頼まれた!? 誰に――って、ハッ! よく見ればですわさんじゃねぇか!! まさかあいつら、本当に頼みに行きやがったのか!? そんでもって、まさか本当に釣れたってのかよ!! ハハハっ!! これは傑作だぁ……! まんまと騙されてるじゃねぇか!! ――おい、お前達はもう下がっていいぞ。金なら後でくれてやるから、こいつを置いて帰れ。俺は今からこいつを使ってセナと遊ぶからよォ……! おいセナ! こっち来てみろよ! 面白れぇもんが見れるぞ!!」
「え~、何? 今ちょっと――って、ですわさんじゃん!! え、マジ!? どっきり大成功的な? なにこれなにこれぇ、超ウケるッ。待って、まじで騙されてんじゃん!!」
「え、え……? な、なんですの……? わ、悪い夢か、何かですの……?」
誠一郎の微動だにしない笑みを前に、誠一郎が「やる」と言ったらやる男だと認識したのか、本気の恐怖を表情に浮かべて霧島が訳も分からず後退ったものの、その後ろに香織が居る事に気が付いた途端、彼は態度を一変させる。
豹変したかのように上機嫌になって気色の悪い笑みを浮かべたかと思うと、同じ部屋にいたのか標的の宮辺セナを呼ぶや否や、本気で困惑する様子の香織にスマホを翳して何度もシャッターを切り、二人の間で文字通り笑い者にする。
目の前で起こった事に永新は最初思い当たらずに不快感をあらわにしたものの、誠一郎が見せた指示に従って沈黙を貫く事を決めた。
霧島と宮辺、誠一郎と永新とをグルグルと回って視線を彷徨わせる香織は最悪の想定に思い至ったのか、その目に涙を浮かべ始める。
「あれあれあれ~? 泣いちゃいまちゅか!? 今更状況が理解できまちたかぁ!? ――そうだよ、お前は騙されたんだ、嵌められたんだよ!! バ~~~ッカ!!!! そこの二人は親父の子会社の社員! 俺達はあの馬鹿な奴隷二人をお前に嗾けさせて、法外な値段を払わせるって言ういたずらをしてたワケ!! でもまさか本当に払っちまうとはなァ!! あいつらよりですわさんの方がずっと馬鹿なんじゃねぇのォ!? ギャハハハハハ!!!!!」
「てってれ~! ドッキリ、大成功~!! ってね、この動画アップしたら伸びるんじゃない? アハッ、見てよこの顔っ。ブス過ぎて笑えるんだけど!!」
「そんな……、そんな……! お二人は、知っていたんですの……? 知っていて、わたくしを騙したと言うんですの……!? う、嘘ですわ!! そんなの、嘘に決まっていますわ!!!」
誠一郎と永新を交互に見上げた香織は、霧島と宮辺から告げられた一連の流れの裏側を知って、あまりにも荒唐無稽と思いたい程に出来上がり過ぎている自分の置かれた状況に、顔を青褪める。
脳裏に浮かび上がった可能性を何度も振り払おうと試みるも、香織の信頼を裏切った明らかな信頼損失の影響がモロに響いているようで、香織から蝶野、蝉岡は疎か、羅威竿や永新への信頼が崩れていく音が聞こえてくる。
ただ一人、最後まで信頼を揺るがせなかったのは、彼女が淡い恋心を寄せる誠一郎ただ一人だけで、しかしてその誠一郎も事の成り行きを見定めるかのように足に縋る香織を一瞥するだけに留めた。
「せ、誠一郎さん……、嘘だと、嘘だと仰ってください……! わたくしを、ここから、助けて……!!」
「ギャハハハハ!! みっともねぇ、情けねぇなぁですわさんよぉ。いつもみたいに口煩く俺達を罵ってみろよ!! ――ノブレス・オブリージュ。自分達に与えられた地位に相応しい行いを、だっけか? あれだけ口煩く俺達にそれを強いて来たその結果がどうだ!? それを貫いてきた結果、お前は今、自分に相応しい結末を迎えているか!? ハッ、結局は自分の好きに生きるのが一番賢い選択だ。弱者を顧みている時点で、お前は自分の地位を溝に捨てているようなものなんだ。知ってるか? 弱者程、他者を蹴落とす事に躊躇ないんだぜ? 今回の一件も、俺達が考えたんじゃねぇ、あいつらが考えて行動を起こしただけなんだよ。お前は初めから、誰にも望まれていないんだよバ~ッカ!! 初めてお友達が出来て、良い夢見れたか? 後は目障りな燦然院を潰して、俺達が台頭する時代だ。無様に野垂れ死ね」
「あ……、あぁ……!!」
「――話は、それで終わりか?」
「は? なんだ、その口の利き方は。おい、部下の躾くらいはきちんと――ッ!?」
霧島の愉悦に満ちた邪悪な笑みと共に告げられた香織への鬱憤を晴らす物言いを受けて絶望する香織が膝を折って屈した瞬間、永新は隠し切れない程の怒りを携えて霧島に詰め寄っていく。
それを見た誠一郎が「ヤレヤレ」と肩を竦めるのだが、永新はお構いなしに霧島に詰め寄ると、徐にその細い首を鷲掴みにして身体ごと持ち上げる。
「ぁ、ぐぎぃっ……!?」
「お前の話は不愉快極まれり、だ」
「僕が言った事を忘れたのかい? 僕は、彼女を此処に連れて来るよう命令を受けたんじゃない。君達を連れていくよう言われているんだ。無駄な高説をどうもありがとう。一ミリも理解できなかったけどね」
「ちょっと和也!? どういう事なの!? ねぇ! 意味わかんないんだけど!!!」
「え……? どういう、事ですの……?」
突如として起こった騒ぎに涙と鼻水に塗れた顔を上げた香織は、不思議そうな顔で誠一郎と永新の背を見る。
「説明する義理は無いんだけど、そもそも僕達はこいつの父親の子会社なんかじゃないよ。それは香織さんが二人を連れて来たから君が一番分かってると思っていたんだけどね」
「あっ……。そう言えば、そうでしたわね……」
「大方、二人から話を聞いた香織さんが二人の誘導を聞かずに僕達の所にやって来たんだろうね。そこは香織さんが自分で自分を救ったファインプレーとも言える」
「まぁ、そんなお褒めにならないでくださいまし……」
「……まぁ、その時点で君達の計略は頓挫しているにも拘らず、自分達は体調不良の名目でサボって後は獲物が釣れるのを待つだけとは、随分と怠惰でお粗末な計画だと言わざるを得ないよ。こんな連中がこれから先の未来を担っていくだなんて、本当に気の毒だとしか思えないね」
「か、和也を離しなさい!! 和也のお父さんはこの町の議員で、私のパパとも仲が良いのよ!? パパなんて社長だし、わ、私達に手を出した事、絶対に後悔させて――」
「親の力を振り翳して威張り散らす子供は何度も見て来たけど、君達程愚かな子供は見たことが無いよ。……法外な利息を貪る金融会社と繋がっているだなんて知られたら、この子の父親の議員生命はそこでおしまい。そして、それと繋がっている君のパパも、会社の経営が傾くのは間違いない。さて、もう一度聞くけども――抵抗しないでもらえるかな?」
「あ……、あぁ――」
永新の手の中ですっかり失神してしまった霧島を捨て置き、誠一郎の言葉に宮部も泡を吹いて気絶する。
その光景を見て、誠一郎は「馬鹿は扱い易いね」と微かに暗い笑みを浮かべたかと思えば、安心させるような笑みを浮かべて香織の方を振り返る。表情の使い分けに長ける誠一郎を見て永新は自分の表情筋を揉んでみるが、白と一緒に居る時のような感情表現は難しかった。
「……お二人は、知っていたんですの? わたくしが騙されている事に」
「……」
「僕は事前に、永新君は触れ合ってみてから、ってところかな? 羅威竿が監視カメラの写真を見せたと思うけど、あそこに映っていたのは蝶野さんと蝉岡さんの二人だけ。こいつら二人は封鎖されている教室に近付いても居なかったからね。……まぁ、後はご想像に任せるよ。本人の口から聞くなり、なんなりね」
「……っ、わたくしは――」
「誠一郎さん、こいつら、どうやって運ぶんですか?」
「普通に運ぶよ? ……あぁ、カメラや人の目は気にしなくていいよ。そう言うのが得意な子に手伝ってもらってるからね。もし万が一警察のお世話になったとしても、香織さんには触れさせないから安心していいよ」
そう言って、永新が霧島を、誠一郎が宮部を担いでタワーマンションを後にする間、誰ともすれ違う事はなく、無事に人目の付かない場所に運び出す事に成功するのだった。
その間、香織は一言も発することなく、ただ黙って後を着いて来るばかりなのであった。
「……わたくし、そろそろ門限が近いのでお暇させていただきますわ」
「そうだね。永新君後は僕がやっておくから、途中まで送って行ってあげて」
「そ、そんな、大丈夫ですわ。わたくし一人でも――」
「暗くなるのが早いから、気にしなくていい。それと、駅までは一緒だから」
「あ……。そ、そうでしたわね……。よ、よろしくお願いしますわ」
誠一郎の生暖かい目を背に感じながら、永新は二人並んで帰路につく。
それは、どこか懐かしい永恋と並んで歩いた一度きりの道を思い出して記憶をなぞるようで、永新は自然と謝罪の言葉を口にしてしまっていた。
「……ごめん」
「……それは、何に対しての謝罪ですの?」
「いや、何でもないけど。ただ、さっきの事で嫌な思いをさせたと思うから、謝る」
「謝る必要は、ございませんわ。わたくしの、普段の行いが悪かっただけですので。わたくしの思想を押し付けてしまったから、こんな事になってしまったのかもしれないと思えば、悪いのは全てわたくし――」
「それは違うよ。香織は、何も悪くない。いつだって、騙す方が悪い。だから、香織が後ろ髪引かれる思いをする必要なんて、あっていいはずがないんだ。だから香織は、胸を張っていればいい」
「……ふふっ。燼月さんからそんな事を言われるとは、思っても居ませんでしたわ。少し、心が軽くなった気がします。ありがとうございます、燼月さん」
永新が掛けた言葉は、あの時の自分に掛けてあげたかった言葉。
それを言って感謝の言葉まで返されるとなると、永新はどこか気恥ずかしい思いになって香織から目線を逸らしてしまう。
「……明日からの事は、もう少し考えてみます。その上で出したわたくしの答えを、燼月さんは許してくれますか?」
「許すも何も、香織が決めた事だ。俺はそれを尊重する事はあれど、否定するような事は絶対にない」
「まぁ、嬉しい事を言って下さるのね。――それでは、わたくしはこちらで失礼しますわ」
「あぁ、また明日、だな」
「えぇ。また明日、ですわ」
茜色の空が宵に染まる中、ちらほらと街灯が灯り始めた頃に、永新と香織は駅前で分かれる。
彼女が迎えの車に乗ったのを確認してから永新は電車に乗って、追加の連絡を確認しながら事務所へと帰って行くのであった。




