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29話

 


「――ぅ、頭痛い……昨日の記憶が、全然ない……」



 軽く動かすだけでも痛みが走る軋む体を起こした永新は、焦点の定まらない視界と、ぐわん、と揺れる頭を必死で抑え込んで意識を覚醒させていく。

 永新の知らぬところで凍吉が言った通りに床に就くまでの記憶が無い永新は、目が覚めて最初に「どうやってベッドに辿り着いたのか」と記憶を浚う事から始まる。


 弱者を切り捨てるスパルタ人であればとっくに殺されていてもおかしくない永新を、真宵はスパルタ人も青褪める休憩すら許さない永遠に続く修行の永久機関を完成させており、それに組み込まれた永新は意識を飛ばしても体が動く限りは修行を強制されていた。その証拠に、翌朝に目を覚ました永新が覚えているのは、日が傾き始めた辺りの記憶まで。そこから先は何も覚えておらず、思い出すだけでも――否、思い出そうとしただけでも体が悲鳴を上げ始める。


 それでも、学園に通っていた時のような毎朝憂鬱な気分に押し潰される、と言う深い絶望感や不快感は全くない。

 過去と今を比べて違いを挙げてみれば幾らでも相違点が上がると言うものだが、その中でも最たる違いと言うのが、実力の向上をハッキリと認識できている事だろう。


 倶利伽羅にだけ許された霊力の鍛錬から遠く引き離された学園での生活では決して感じ得なかった霊力が高まる実感。それは長い時間をかけて永新の中に蓄積された「落ちこぼれ」と言う名のコンプレックスをじっくりと溶かしていくようで、その身に宿る霊力が確実に成長している事に感動すら覚えてしまう。


 かと言って今日もまた昨日と同じ目に逢うのかと考えると体の震えが止まらないのだが、昨日より強くなった自分を信じて、鬼も悪魔でさえも裸足で逃げ出してしまえるあの鬼畜妖魔(真宵)に立ち向かうべく気合を入れてベッドから立ち上がろうとした、その時――。



「……んぁ? もう朝か?」



「――かひゅっ……!?!?」



 突如として眼前に出現する人影。それも、今し方悪態吐いた相手が()()()()と上体を起こしてきたものだから、永新は驚愕の余りか細い吐息と共に口から心臓が飛び出してしまいそうな衝撃に見舞われる。

 咄嗟に口元を覆ったから助かったものの、突如として目の前に現れた鬼畜妖魔もとい、真宵の姿に「どうしてベッドの上(ここ)に居るのか」と言う困惑が連続する永新は後退しようとして壁際に背中をピタリと付ける。



「――どっ、どどど、どうして、真宵先生が、ここに……!?」



「はぁ? 何を今更驚いてんだ? 昨日も同じベッドで寝ただろうが」



「へぁっ!? き、昨日も!?」



 くぁ、と伸びをして大きな欠伸をする真宵は掛かっていた布団から抜け出し、健康的で耽美な四肢を永新の前で曝け出す。昨日同様に胸元の緩いキャミソールと下着しか身に着けていない姿はあられもないと言っても差し支えない身だしなみで、そんな恰好で教え子のベッドで同衾するなど、何を考えているのかと問い詰めたい思いに駆られる永新。しかし彼女の発言から記憶を浚う永新にそんな余裕などなく、昨日の朝の出来事を思い返す。


 ――お。起こしたか?

 ――タイミングよく扉から顔を覗かせた真宵が。

 ――ベッドに残った温もりが。


 思い返してみれば、自分が寝ていた部分にしては広い箇所に温もりが残っていたように思える。それこそ、今のように永新と真宵が二人寝ていれば辻褄が合うような広さで。

 それに加えて、真宵が扉から顔を覗かせた際に最初に告げた言葉が、自分が起きた事によって永新の目を覚ましたかと伺う素振りは現状も相俟って彼女の発言が真実であったと告げるようなものであると断定した永新は、目に映った真宵の下着姿を消すべく熱を持ち始めた自分の顔を背ける。



「お? なんだ、燼月。照れてんのか? 女の体を見るのは初めてかぁ~? ……って、なんだその反応。もしかしてお前、見た事が、あるのか……!?」


「……」


「――沈黙は肯定!! 誰だ? って言うかいつだ? お前にぞっこんだった小暮日の娘か? それとも火加々美か、御厨か? いや、流石に四家は無いか……となると別の生徒か? いや、待てよ……。もしかして、白麗(びゃくれい)様か……?」


「……っ」


「ははぁん? ……それで、白麗様の体は、どうだった? モチモチで、フワフワだったか?」


「は……? もちもちで、ふわふわ?」


「そうだよ! あんだけ可愛い白麗様だぞ!? その体はもちろん、モチモチでフワフワに決まってんだろぉ!? なぁ、実際のところ、どうだったんだ? 白麗様ってばいつも厚着してるから分からねぇんだよ。なぁ、どうだったんだ!?」


「……いや、その」


「――教えてくれないと今日の修行は昨日の十倍キツくするぞ」


「モチモチフワフワで、良い匂いがしました」


「ははぁッ!!? 良い匂いまで……っ!! そうだろう、そうだろう! 白麗様はやっぱりそうだろうと思った……!! それで、白麗様はどんな顔するんだ? お前が触れて、白麗様はどんな反応を見せる? なァ!?」


「ぇ、うぅ……!」



 あくまでもプライバシー。(ハク)とそのような関係であった事は今更否定しないが、中身まで暴露するつもりは無かった。けれども、真宵の圧に負けてすんなりと吐かされたのは仕方が無いだろう。本気と書いてマジと読むくらいに本気の目をした真宵を前にして沈黙を貫く事など不可能で、心の中で(ハク)に謝罪を口にする。


 積もった雪が陽光を反射させて輝く白銀の清かな朝に似合わない下世話な会話で盛り上がる真宵は、永新からもたらされた情報に増々ヒートアップしていき、ただでさえ壁際に追い詰められていた永新を更に追い詰めていく。

 早く、早く、と催促を繰り返す真宵を前に、これ以上はと耐えていた永新に遂に折れる限界が近い、その時だった。


 救世主が扉を破壊しかねない勢いで扉を開けて、寝室に飛び込んできたのは。



「――ご飯ッ!! 出来たって呼んでるんだけど? 要らないの?」



「……は~い」



 フライパン片手に苛立ちを隠そうともしない凍吉は、相も変わらず可愛らしいエプロンを身に着けてベッドの上で猥談を繰り広げていた永新達を力強く睨む。すると、永新と凍吉を見比べた真宵は自分の空腹に気が付いた様子で永新から離れて寝室から出ていく。出ていく最中、昨日と同じように「パンツを履け」と凍吉に指摘されながらも食卓に向かって歩く姿は、正しく三大欲求に素直な獣のようであった。

 真宵に向けていた睨みつける視線が永新に移ると、胸を撫で下ろしていた永新は肩を跳ねさせてベッドから飛び降りると、寝室から体を翻した凍吉の背に続いて歩く。



「……今の話、羅威竿にはしない方が良いぞ」

「え、あ、はい……」

「あいつ、あの顔で白麗様にガチ恋だからな。下手な事を言うと消し炭にされるぞ」

「羅威竿が……。と言うか、聞いてたんですか?」

「……あれだけデカい声で話していれば、外にも聞こえてくる」



 眉間に皺を寄せつつも耳を赤く染める凍吉の姿に凍吉の苛立ちを前に恐縮し、聞かれていたと言う事実を認識して勝手に羞恥に悶える永新は気が付かないまま、同じ屋根の下で過ごす仲間を待つと言う思考の一端も欠片も無い真宵が勝手に朝食に手を付け始めた食卓へと、微妙な空気の中向かうのであった。











「――死、ぬッ!!!」

「安心しろ。死にはしないからな――っと、もう聞こえて無いか」


 鬼畜妖魔こと真宵相手に朝食争奪戦で敗北を喫し、昨日と同じように凍吉から投げ渡されたお情けの丸パン一つを胃に流し込んだ後、永新は真宵に引き連れられて修行を開始するに至ったのだが、昨日は日暮れ時まで保っていた意識は昼前に喪失され、そこから先は断片的な記憶のみが続く羽目に。

 朝に脅した「十倍」が凍吉に遮られた事で確定してしまった事に嘆きながらも決死の思いで真宵の指導に食らい付いていったものの、昨日よりも早くに意識を失ってしまい真宵の手によって叩き起こされては眠らされる地獄の鍛錬が続いたのであった。











「――ハッ!!? 夢か……。いや、そんな訳ないか……」



 相も変わらず気絶から目覚めた永新は気を失う直前の記憶が曖昧なままで、気を失うのが早かったせいか目を覚ましたのは星々の光が目にうるさい、深夜。

 夢かと思える体験も、不意に目を覚ました際に全身に走った筋肉痛のような痛みのせいで夢だと思い込みたい断片的な記憶が現実のものだと思い知らされる。


 上体を起こした永新の隣では、その長い手足を小さく丸めて頭から布団を被って眠る真宵の姿があり、スヤスヤと夢を見る真宵の姿は、本当に昼間に永新をボコボコのギッタギタにした鬼畜妖魔の姿だとは思えない程に愛らしく感じられる。だがしかし、そんな愛らしい姿だとしても、今は視界に映すだけでも体に叩き込まれた鬼畜の所業とも言える修行の数々によって反射的に体が戦慄してしまう為、そそくさと逃げるようにして寝室を飛び出す。


「……? 凍吉さん?」

「ん……? 何しに起きて来たんだ、お前」


 飛び出して向かう先であるリビングに足を踏み入れると、月光が降り注ぐ位置のソファに腰かけワイングラスを片手に持った凍吉に気が付く。ただでさえ夜の冷気で冷え込むと言うのに、リビングに満ちる凍吉の冷気によって更に肌寒くなった永新が身を捩ったのを見て、凍吉は放出していた冷気を引っ込ませる。

 相も変わらず冷たい素振りを見せる凍吉ではあるが、こうして人の機微に敏感であったり、嫌嫌言いながらも永新と真宵を追い出そうとしない様子を見て、永新は凍吉にどことない親近感を覚える。


「目が、冴えちゃって……」

「……まぁ、あれだけボコボコにされたらそうなるか」

「あんまり覚えて無いんですけど、それって、どのくらいでしたか……?」

「…………聞かない方が良い」


 思わず激しく顔を顰めてしまった永新を見て、クスりと笑った凍吉。その直後に小さく腹の虫を唸らせる永新に対して、凍吉は「ちょっと待ってろ」と言って華麗な手際で軽食を用意してくれる。手頃なサンドイッチを前に永新は、食べていいのか、と目を輝かせるのを見て凍吉は笑ってどうぞ、と手を差し伸べてくれる。


「……ところで、人化の術は習得できそうなのか?」

「人化の、術……?」

「は? じゃあお前、今あいつから何を教わっているんだ!?」


 夜食を食べ終えた永新にお粗末様、と声を掛けた凍吉からの問いに、永新は首を傾げる。


「何って……戦闘技能? 霊力を使って、妖魔と戦う為の力の使い方を……」

「…………もしかしなくても、あいつから何も聞かされていないのか?」

「何か、って、何を……?」


 永新の反応を見て深い溜め息を吐く凍吉に、永新は雲行きが怪しい雰囲気を感じ取る。

 足を組んで、言うべきかそうでないかを天秤にかける凍吉に、永新は「知らなければならない事か」と問いかけ、聞く準備は出来ているとばかりに凍吉を見据える。

 その様子を見て、凍吉は呆れたように頬をかいて居住まいを正すと、改めて永新に向き直ってから言葉を発し始めた。



「……話ってのは、他でもない。――白麗様の事だ。妖魔の王であるあの御方も、例に漏れず一匹の妖魔に過ぎない。故に、月の満ち欠けによる霊力の増減には影響を受けるし、その比率は他の妖魔と比べても桁違いだ」



 妖魔と月の満ち欠けは大きく関係していて、満月が近くなればなるほど妖魔の持つ霊力は増幅され、新月が近くなればなるほど霊力は減衰する。その月の満ち欠けこそが、自力で霊力を励起させる方法を持ち得ない妖魔に与えられた唯一の霊力の増幅方法とも言える。


 ――満月の夜になると妖魔が活発化する。


 これは妖魔の霊力と月の満ち欠けが大きく関係しているからであり、その上下幅は元となる霊力が高ければ高い程大きくなる傾向にある。この内容と言うのは学園で学ぶ事であり、当然永新の頭にも刻まれていて既に見知った情報であるのは間違いなかった。

 しかし、今更その内容が何を以てして(ハク)に影響するのか、永新には考えが及ばない。



「……次の満月まで、後一週間。恐らく、それが白麗様が自我を保っていられる最後の満月の夜となる」


「っ!? それって、どう言う……」


「俺達のような、人に化けられる妖魔でさえも、満月の夜は人化が解ける。それくらい、霊力を抑え込むのは苦しい。そして、それと同時に増幅される本能を抑える事もまた、難しい。満月の夜に妖魔が暴れ出すのは、増幅した霊力に当てられて正気を、理性を失ってしまうからだ。そしてそれは、霊力の増加幅が大きい妖魔程、顕著になると言うもの」


「……次の満月で最後、自我を保っていられるって言う事はつまり――」


「およそ一か月後。二度目の満月の夜には、白麗様は間違いなく自我を失うだろうな。そもそも、本来は次の満月がタイムリミットでもあったんだ」


「何か、乗り越える方法が見つかった、と言う訳では、無い……?」


「最近の出来事で白麗様の身の周りに起こった変化など、お前だけだ。人を妖魔に堕とす儀式……否、霊術によって一時的に衰弱する事で、白麗様は満月の夜を乗り越えようと考えたのだろう。だが、そんな真似は二度と出来ない。繰り返してしまえば、満月の夜に関係なく抑え込んでいる自我に隙を与える事になるのは間違いないだろうからな」


「それじゃあ、もしもこのまま(ハク)が二度目の満月の夜を迎えたとしたら――」


「その場合、白麗様にとっては最悪の展開が待ち受けている――と言う事しか分からないな。それが実際どうなるのかは、分からない。白麗様が妖魔の王として君臨するようになるのか、それとも暴走し、妖魔諸共倶利伽羅を滅ぼすのか……。白麗様の行く末は、白麗様ご自身でしか分からない。あの御方が何を考えているのかは不明、と言うのが正直なところだ。妖魔の王が妖魔の王である事を諦める選択、と言うのは我々妖魔にとっては理解し難いものだからな」



 振り返れば、(ハク)と出会ってから、共に最下級の妖魔を狩る間も何をするでもない日々でも、満月の夜だけは絶対に(ハク)に出会うことは出来なかった。彼女を探して夜の街中を彷徨ったとしても、決して見つからない。けれども、次の日になればケロリとした様子で顔を見せるものだから「そういうもの」だと認識してしまっていたが、改めて(ハク)が妖魔であり、妖魔の王であると知った後では情報の重みが違う。



「ここまで話して来て分かったと思うが、もしもお前が白麗様を殺害するのであれば、残りの約一か月と言う短い時間で、出来る事を全てやらなければならない。その過程で倶利伽羅に邪魔されるなんて事はあってはならないし、ましてや他の妖魔連中に妨害されるなんてこともあってはならない。――だと言うのに、お前は今、自分が何をしているかも分からない状況で鍛錬を重ねているなど、正直言語道断も良い所だ」


「外を出歩くにも、この体じゃすぐに倶利伽羅が駆け付けてくる、と……」



 もし仮に、今すぐに戦闘技能を習得したとしても、霊力を蓄える為に妖魔を狩るべく町中を出歩いたとしても、妖魔の肉体に変化した永新の体では倶利伽羅を吸い寄せるばかり。幾ら妖魔に堕ちたとは言え、人である倶利伽羅を霊力の為だと言って貪るのは人としての尊厳すら失っているように思えて気が引けてしまう。その上、自由に行動できないようでは効率的な霊力の回収も不可能である以上、真宵や凍吉のように霊力の放出を完全に抑える人化の術は必修と言っても過言ではない。むしろ、現代に生きる妖魔として(ハク)への殺害の意思の有無に関係なく、人化の術は無くてはならない必須技能とすら言えるだろう。


 危機感を募らせるには十分な話を受けて焦燥感が生まれた永新は、より一層自分の力を認識して前に進めるよう決意を新たにするのと同時に、説教じみた口振りを加速させる凍吉に対して浮かんだ疑問を素直にぶつける。



「真宵先生は、凍吉さんは(ハク)に関しては部外者だって言ってましたけど、実際はどうなんですか?」

「……それは、俺が部外者の分際で何を言っているのか、と言いたいのか?」

「い、いや、そう言う訳じゃなくって……。部外者なら、わざわざこうして忠告する必要も無ければ、こうして面倒を見てくれる必要も無いじゃないですか。それなのに、どうしてこんなにも世話を焼いてくれるのかな、って……」

「……元はと言えば、お前達が勝手に転がり込んできたんだがな」

「え゛っ、そうなんですか……!?」

「……今更出て行けとは言わん。早く出ていってくれとは常々思っているがな。俺のベッドが占領されているわけだし」

「それは、申し訳ないです」

「……いや、いい。気にするな。悪いのは全て、傍若無人なあの鬼畜女だからな」

「あはは……」



 酔っ払っているのか、少しだけ頬を染めて軽口に興じる凍吉は、いつも浮かべている冷たい表情も溶けて、緩んだ様子を見せる。やはり、どこか自分と似た雰囲気を纏う凍吉に永新は心を砕きやすく、同時に彼が言葉を吐き出そうとしているのが見て取れた事で、永新は用事も済んでいると言うのに席を立てずにいた。

 そうして静かに待っていると、凍吉は今までの雰囲気とは一変させて、目線は揺れるワイングラスに注がれたまま、しんしんと降り積もる雪のように重たい様子で言葉を口にした。



「……燼月永新。お前は、俺とどこか似ている気がする」

「……俺も、そう思います」

「……これが意図的かどうかは分からないが、少し、俺の話を聞いてくれるか――」



 そうして語り出されるのは、凍吉の過去。

 永新にとってもそう遠くない過去の日の事だった。







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