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30話

 


 ――怪我してるの?



 現在(いま)から数えて、十年以上も前。

 百瀬(ももせ)凍吉(とうきち)は、とある一件で大怪我を負った。

 それこそ、人化の術で倶利伽羅の目を欺くために保つのも難しいくらいの消耗で、致命傷にも近い、大怪我を。

 這う這うの体で逃げ延びた凍吉に声がかけられたのは、そんな時だった。


 舌足らずで、警戒の色も無い鈍重で優しい声。

 凍吉が顔を上げてみれば、視線の先に居たのは短い手足と、丸っこい頭をした人間。それも、瀕死の凍吉に幸運が巡って来たかのように、霊力に満ち溢れた人間の女の子であった。

 辛うじて人の形を保っているだけの凍吉に対して、その幼女はそっと手を伸ばしてくる。


 馬鹿な子供だ。妖魔に手を差し伸べるなど「食ってください」と言っているようなものでしかなく、失った霊力を取り戻す為にも、差し伸べられたその手が触れた傍から食ってやろうと凍吉はジッと堪えた。

 今か今か、と待ち構える凍吉に、幼女が何の思惑も無く、ただひたすらに親切心のみで伸ばした手が凍吉の冷たい妖魔の体に触れた、次の瞬間。


 凍吉はその幼女を頭から食ってしまおうかと構えていたと言うのに、凍吉のその体は()()()()()()()()()()


 それは瀕死の状態だから、という理由でも無ければ、その前に事切れた、という訳でも無い。


 ただただ、幼女の掌から伝わる温かな人の温もりに、初めて触れた、初めて与えられた人の温もりと言うものに感動して凍り付いた結果――、動けなかったのだ。



「――痛いの痛いの、飛んでけ~。……ほわぁ。とっても冷たいねぇ」



「――っ」



 ほにゃ、と口元を緩めて笑う幼女は、妖魔である凍吉の姿に物怖じするどころか、むしろ興味を抱いて触れてくる。そして、傷を負った凍吉に対して人の温かみを持って接してくれるその幼女に、凍吉もまた興味を抱く。

 餌か羽虫の如くとしか認識していなかった「人間」と言うものに対して、凍吉は生まれて初めて一人の個人を区別して認識した結果、凍吉は幼女がしてくれたように自分の腕を人のそれに変え、恐る恐ると言った様子で幼女の肌に触れる。



「きゃっ」


「っ!!」


「はわぁ。ひんやりしてて、気持ちいねっ!」



 幼女の反応に一度手を引くも、幼女の側から自分の手を引かれ、その手に柔らかな頬の感触と、血の通う温かな人肌の温度に、凍吉は暫くの間言葉を失ってしまった。

 けれども、いつまでもそうしていられるはずもなく、幼女を呼ぶ大人の声が遠くから聞こえてきた事で凍吉は幼女から手を引き、再び森の中へと姿を消そうと試みたその時、幼女の方から凍吉を引き留める声が上がる。



「……また、会える?」

「…………あぁ。必ず」


「――わたし、()()()! あなたの名前は!?」

「……吹雪(フブキ)、だ」

「フブキ……。またね!」



「――ササラ様、勝手に居なくなられては……何やら嬉しそうですね?」

「うんっ! 新しいお友達が出来たの!!」

「おや、それは喜ばしいですね。是非、ご当主様にもお話を聞かせてあげましょう――」



 それが一生に一度の出会いと別れであり、今後一切かかわり合う事はない、とこの時の凍吉は考えていた。何せ、その幼女、ササラは倶利伽羅の一族。妖魔とは宿敵の運命であり、もし仮にもう一度会う事があるとすれば、妖魔と倶利伽羅の関係。そこに友情と言うものは無く、ただ敵対するのみ、と言う考えが当たり前だと、頭では割り切っていた。


 しかし、初めて触れた人の温もりに感動を覚えた凍吉の心は、身体は再びの接触を求めて動き出しており、気が付けば潜伏してササラの様子を伺ってすらいる自分に驚きと困惑を隠せなかった。


 そこまで来て、「ササラの様子を見るだけ」、「倶利伽羅と関わり合いにならなければいい」、と自分に言い聞かせ闇の中からササラを見守っていると、彼女の周りは忙しなく、ササラが一人になる時間が多い事に気が付く。その度に見せるササラの寂しそうな表情に、凍吉は思わず彼女の前に姿を見せてしまうのだった。



「――! フブキ!!」

「しっ、静かに。俺が此処に来ている事は、秘密だ。誰かが来たら、俺はすぐに帰るからな」

「うんっ。秘密ねだね。あ、でもでも、お父様には――はわわっ、秘密、なんだよね!?」



 誰に言い訳をしているのか、ササラ以外に見つからなければそれでいいのか、と自問する凍吉の心はその問いに対して沈黙を貫き通し、ササラと関わる事を見て見ぬ振りをする事に決め込んだ。


 それから、凍吉はササラとの日々を過ごし始める。

 始めは、ササラを通して人間と言うものを知りたい、と言う欲求があったのだが、次第にササラについてもっと知りたいと願うようになり、ササラと関わり合いを深めていく事で妖魔としての凍吉の考え方そのものが変わって行った。


 そして、凍吉の中に生まれた変化、芽吹いた感情、それが「恋」だと言うものに気が付いたのは、ササラと関わり始めて数年が経過した頃だった。

 彼女が倶利伽羅の中でもトップクラスの名家、北の盟主に名を連ねる名家である事に加え、彼女の父親が病に伏した事をきっかけに、凍吉はササラに別れを切り出すに至る。



「それでね、お父様が――。……フブキ? どうかした?」

「……俺はもう、ここには来れない。今日が、最後だ」

「!? っ、そっか……。また、寂しくなっちゃうな」

「……俺は妖魔で、お前は倶利伽羅。元から、こうなる運命だったんだ。これまで、見逃されていただけだ」

「わたしは、フブキと一緒が、いいけどなぁ……。そうだ! わたしが、妖魔になるって――」

「――それは有り得ない。父親を泣かせるような真似だけは、絶対にするんじゃない」

「……フブキは、それでいいの?」

「……叶うなら、俺もお前と――」



 二人の視線がぶつかり合い、その距離が縮まる。


 このまま関係を続けていれば、ササラの全てを凍吉の存在が崩壊させてしまうかもしれない。

 それだけはなんとしても避けねばならず、その為には自分がササラの前から去ればいいだけの話。

 だがその前に、少しでも自分と言う存在を彼女の中に留めておきたいと願う浅ましい自分が、いつの日の再現かのように凍吉の手がササラの頬を撫でる。


 けれども、凍吉の中にある妖魔としての自分が最後のブレーキを踏んだおかげで、ササラとの距離はそれ以上詰まる事は無く、悲し気に目を伏せるササラから目を背けるようにして凍吉は彼女の前から姿を消した。






「――その後も、俺はササラとの約束を守って、倶利伽羅を襲うことなく、こうして細々と生きているだけなんだ」



 凍吉が語った倶利伽羅との逢瀬を繰り返した過去の日々を聞いた永新は、否が応でも永恋の存在が脳裏にチラつく。


 彼女は今どうしているだろうか。泣いてくれているのだろうか。それとも、燼月永新と言う名の妖魔を滅する事に意気込んでいるのだろうか。

 もしも叶うのであれば、悲しんでいてくれると嬉しい――などと言う、自分から別れを告げておいてなんとも都合の良い、女々しい感情が胸の中で渦巻く永新は、そんな自分に嫌気が差す。


 凍吉のように、忘れるべき、離れるべきだと言い聞かせて、永恋に関する思考を追い出すかのように彼の語った過去の出来事から疑問を拾い上げていく。



「フブキ、と言うのは?」


「妖魔としての、通り名のようなモノだ。むしろ、そっちが本名に近い。凍吉、と言うのが人としての通り名で、妖魔としての通り名がそれだ。羅威竿にも、誠一郎にも、あの鬼畜女である真宵にだってあるはずだ。聞いてみると――」



「――面白そうな話をしてるじゃあねぇか。なぁ、燼月?」



「……ま、真宵先生。起きてたんですね」


「ベッドから温もりが消えてなぁ、寂しくて起きちまった。ンで、耳を澄ませてみれば面白い話をしている訳で……。凍吉がロリコンだ、ってのが良く分かる話だったろ?」


「だっ、誰がロリコンだ!? 俺はあくまでも清く正しい感情を向けているだけであって……。それを言うなら、白麗様だって千年以上ある年の差で――」


「――白麗様の悪口は、見逃さねぇぞ、おい?」


「くっ……!」



 余りにも傍若無人な真宵は、ただそこに居るだけでその場の空気を支配してしまえる程に存在感を放っていて、真宵の前では誰も頭を上げていられない。恐らくそれは妖魔に限った話ではなく、倶利伽羅だとしても彼女の前に相対する事は疎か、横に並び立つ事すら難しいだろう。

 真宵の本質を知らずとも、彼女が放つ危険な重圧を前にしては、妖魔も倶利伽羅も等しく無力に思える程に圧倒的な力の差を感じさせるのは、余計な羽虫を(ハク)に近寄らせない為か、それとも自分だけが(ハク)に仕えているという独占の表れか、もしくはその両方か。



「オレの通り名を知りたいんなら、力を示す事だ。羅威竿と誠一郎も、同じくだな」

「……もちろん。必ず教えてもらいます」

「はんっ。生意気だなぁ、お前はよぉ! このこの!」


「……お前の通り名は、俺も知らないんだが?」

「当たり前だろ。あの時お前はオレに負けたからな。それとも何か、もう一回やるか?」

「……もしかしなくても、最初に怪我していたのは、真宵先生の仕業?」

「……そうだ。若気の至り、とでも言うべきか……」

「元はこいつも、白麗様を狙う妖魔の一人だったんだ。今じゃすっかり丸くなっちまったが、初めて会った時はそりゃあもうツンツンでな。まぁ、オレに指先ですら触れられない時点でお察しの通りだ」


「…………お前とは相性が悪いだけで」


「ンぁ!? 聞こえねぇなぁ!?」


「くっ……! 何でもない……!」



 永新にとってみれば凍吉でさえも超えられない壁として既に立ちはだかっているのに、それを遥かに超える真宵と言う名の高い壁が待ち構えているかと思うと、苦笑を通り越して青褪めるばかり。

 けれども、真宵よりも更に上にいる(ハク)をこの手で殺すと言う目標がある以上、どんなに高い壁だろうと乗り越えていかなければならない。今こうして(ハク)の手を取った先にある未来に立っている以上、むしろ立ち向かっていかなければならない壁がはっきりと見据えられているだけでも贅沢とすら思えなければならないのだと、永新は覚悟を新たに定める。



「それよりも、だ。真宵、お前、こいつに満月の夜について言ってなかったな?」

「ん? あー、そう言えば、伝え忘れてたな。その時に言えばいいかと思ってな」

「……まさかとは思うが、生贄にでもするつもりだったのか?」

「何が悪い? 実践に勝る経験は無いと言うだろう。その先で何を掴めるかは、燼月次第。今は掴むためにも腕を伸ばす方法を教えているだけだ。そもそもスタートラインにも立てていないのだからな」


「――え゛っ。まだ、スタートラインにも立ててないんですか……?」



 覚悟を定めたのも束の間、唐突に告げられた自分の現在地に驚きを隠せない永新は思わず声を漏らしてしまい、その驕り高ぶった精神を調教し直してやる、とばかりに照らされたライトの光で更に残虐さを増した真宵の笑みが永新を捉える。



「ひぇっ――」


「スタートラインに立つって言うのはだな、組手でオレに瞬間移動を使わせるようになって初めて届く場所なんだ。それを、お前は、もう既に立っているつもりでいたと? そんな成果を、いつ、お前が出したと言うんだ? んー? どうなんだ? えぇ?」


「ご、ごめんなさいぃ……!」


「……実に、大人げないな」


「生意気言う燼月には、()()()特別指導と行こうじゃないか。折角目が覚めたんだ。この時間を有効活用しようじゃあないか。ははは、そんなに喜んでくれるとはオレも嬉しいぞ~?」



 真宵に担ぎ上げられ、ん゛ー、ン゛ー! と叫ぶ永新を見て、真宵は何をどう勘違いしたのか笑顔で外に向かって歩いて行く。

 その様を目撃した凍吉は、酔えもしないワインをちび、と口に含んだ後、実力では決して敵わない鬼畜暴力妖魔に連れ去られていく永新に手を合わせて「ご愁傷様」とばかりに祈る事しか出来ない。凍吉に出来るのは、せめてもの情けとして、寝床と食事の提供のみ。


 そうして、三日目の修行は永新の油断した発言と真宵の気まぐれに酔って早朝と言うにはまだ深い夜が広がる深夜二時から始まり、その日は自分の実力を理解しろとばかりに気を失う直前で叩き起こされ続けると言う、気絶させてくれるだけでも昨日までの修行がどれだけ優しかったのかを痛感させられる日だったと、永新は語る。

 しかし、そのお陰で今の自分に足りないものを確認することが出来たお陰で、明日以降の修行がより効率的になる、と考えることが出来るようになった。


 永新に足りないもの、それは――。



 霊力の励起を除く、全てにおける練度。それはつまり、基礎以外何も出来ていないと言う事であり、この翌日から真宵の実践主義がより一層勢いを増すと言う事を、今日の永新はまだ知らなかった。








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