28話
――よく頑張りましたね、永新。
「――っ」
「お。起こしたか? 丁度良い。案内するから、早く付いて来い」
「あ、はい……」
白の声に反応して目を覚ましたかと思えば、タイミングよく真宵が顔を覗かせる。
夢見心地の感覚の中、曖昧な返事を口にしながら寝室を見回すも、そこは永新の知っている空間などではなく、見知らぬ小屋の一室であった。そして、永新を現実に引き上げた声の主が不在である事から、聞こえた声が夢の中の出来事だった事を思い知って肩を落とす。
まともに眠ることが出来たのは何時振りか、と布団に残る温もりに吸い込まれそうになる思いを堪えてベッドから立ち上がりながら、永新は意識が途絶える前の事を思い返す――のだが、自分がどうやってここまでやって来たかを満足に思い出す事が出来ないでいた。
朧げながらも覚えているのは、小屋が見えたその瞬間まで。自分は確かその直後に気を失ったはずでは……、と思案する永新に、扉の向こうから真宵が呼ぶ声がして寝惚けた思考を急いで切り替えて寝室の扉を潜る。
「ほら、お前も顔洗いな」
「なんでそんな恰好、なんですか……」
「家の中までかっちりしたくないんでね。それともなんだ、恥ずかしいのか? 思春期めぇ。うりうり」
「元とは言え、先生だった人が取る行動とは思えない……!」
「ははっ、大分砕けてきたな。ま、今日からが本番だ。気張って行こうな」
「あ、そう言えば何するか聞いてない――」
「始まってからの、お楽しみだ。朝食の用意は出来てるからな。早く来いよ」
扉を潜った先、寝室と廊下を挟んだ向こう側にある洗面所ではキャミソールと下着だけを身に着けた目のやり場に困る格好で水を滴らせる真宵の姿があり、永新は思わず目を背けてしまう。そんな永新の初心な反応が気に入ったのか、真宵が必要の無いスキンシップを図って来るのに対して永新は緊張を誤魔化すかのように悪態吐くのだが、真宵は腰に手を当てながら笑ってリビングへと向かって悠然と歩いて行く。
口をゆすいで顔を洗った永新は、真宵が落として行った水滴を辿るように手にしたタオルで拭いながらいい匂いのする方へと進んで行くと、聞き馴染みのない第三者の声が耳に飛び込んでくる。
その時点で永新と真宵以外にも小屋を使っている人物が居る事に若干の緊張が走る。何せ、聞こえてくる声は荒々しく怒鳴っているような声であって、お世辞にもフレンドリーな声とは判別できなかったから。
恐る恐るリビングへと近づいていくと、真宵にズボンを突き付けて相対する人物の影が見えてくる。
「――せめてパンツくらい履け!! 後、水滴を垂らすな!! 全部拭いてこい!!!」
「パンツは履いてるだろ? それとも何か、もっと詳しく見たいってのか?」
「お前の裸なんぞに興味はねぇ!! それと、次にルールを守らないようなら、飯は抜きだ」
「……チッ、分かったよ」
「なんで借りてる側のお前が図々しいんだよ」
真宵と相対する人物は背丈だけで言えば永新と同じくらいだが、待とう雰囲気は大人のそれであって、見てくれは羅威竿に近くとも中身は誠一郎のような素振りが感じられる青年、と言う印象を抱かせる。真っ当そうな雰囲気に該当するのが、真宵に常識を説くその姿勢と、胸から提げられたエプロン姿。
三白眼と淡い水色の髪は冷たい印象を感じさせるが、三つ編みになって垂らされた髪とエプロン姿と言う冷たい印象とは不釣り合いな恰好に、一転して親しみやすさすら覚えてしまえる。
そんな青年に対して、注意されている側だと言うのに真宵はどこまでも傲慢な態度のままで、食事の権利をチラつかされてようやく彼の忠告を受け入れる事に。それでも不服さは滲ませつつもズボンに足を通していく真宵の姿に後ろから「そら見た事か」と笑みを浮かべていると、不意に青年が「それと――」と言ってこちらに視線を向けてくる。
「そこで見ているお前もだ。上を羽織るなりなんなりしてくれ――」
よくよく思い返してみれば、永新の恰好も真宵の事をどうこう言えるようなものでは無く、上半身裸のままであった。それ故に指摘されて羞恥から顔を赤く染めて来た道を引き返そうとするのだが、生憎と持ち合わせが何もない事に気が付いて「何か羽織るものを……」と助けを求めると青年は嘆息し、真宵にはゲラ笑いされながら朝の食卓に着く羽目になるのであった。
「――紹介するけど……、まず燼月。こいつは百瀬凍吉。オレ達と同じで妖魔だ。ンで、凍吉。こいつが燼月永新。元・倶利伽羅だ」
「は、はじめまして」
「……どうも」
「この人が、前に言ってた、仲間?」
「いや、違うな。凍吉はただの野良の妖魔だ」
「野良の、妖魔……?」
それだけ言うと、話は以上だとばかりにムシャムシャ、と用意された朝食を手当たり次第に頬張り始め、雑な紹介を済ませた真宵は「後は二人で何とかしろ」とばかりに二人から意識を外して一心不乱に食事に夢中になる。
その間、永新と凍吉はテーブルを挟んで向かい合う形でお互いに見つめ合うのだが、頬杖をついてジッ、と品定めするかのように睨む凍吉の眼光に苦笑いを返す事しか出来ない。
羅威竿や誠一郎の時のように間を取り持ってくれる存在はこの場に不在で自分の力でなんとかしなければならないこの状況は永新にとって天敵のような時間であり、気を紛らわせる為だけに真宵の食い散らかした食べかすを除去するなどして気を紛らわせるばかり。
そんな中、品定めを終えた凍吉がつまらなさそうな声音で永新へと声を掛ける。
「……お前は、何の為に力を求める? あの時、変わるんだ、と叫んでいたのは、自分の為か?」
「なんで、知って――」
「この山で起こる事は大体把握している。だから、答えろ。お前は、何の為に力を求めるのか」
冷気を放出するかのような冷たい眼光は、永新を捉えて離さない。
下手な答えを口にしたなら最期、凍え死んでしまうのではないかと思わせる程の寒気を覚えた永新は、一瞬気を取られて息を飲んだものの、居住まいを正した後に凍吉の問いに対する答えを考えるまでもなく予め用意されていたかのように口にする。
「――自分の為だよ」
「そうか。なら、お前は不適格――」
瞬間、手元に置かれたコップに入った水が凍りつく程の冷気に襲われるが、永新は決して怯むことなく真正面から凍吉に答えを返す。
「でも、それは白の為でもある」
「……白麗様の、為だと? 何を不遜な――」
「――白に、頼まれたから。殺してくれ、って。……白が何を考えているかは分からないけど、俺は白の為に、白を殺せるだけの力を求めて此処にやって来た。でも、その本質は、俺がもう二度と大切な物を失わない為のもの。その為には、俺自身が変わらなくちゃいけないから。その為に、俺は力を求める。……この答えに何か、文句でも、ある?」
変わるんだ、と誓ってからと言うもの、永新は自分の意志がハッキリと認識できるようになっており、その意志の強さは、凍吉が手を出すのも躊躇う程の眼光をその目に宿す事さえ可能としていた。
妖魔であれば無条件で慕い従う妖魔の王である白への不遜な物言いも、もしも彼女が永新のこの発言を聞いていたとしても、喜んで笑みを零すに違いない。
同じく白を慕う存在である真宵すらも持ち得ない、彼だけが得ている特別な「確信」を武器に睨み返した少年を前に、凍吉は冷気を散らす選択を迫られるのであった。
「……ありがとう」
「ふんっ。気に喰わないのは変わらないがな」
「凍吉ぃ。お前、汗かいてるぞ?」
「…………うるさい」
答えに納得した様子では無いにせよ、冷気を収めて敵視する様子は解消された。
その様子を見て悪戯な笑みを浮かべる真宵は、凍吉が珍しく汗をかいている姿に茶々を入れるのだが、襲い来る冷気から解放された永新の方が肩で息をしてじっとりと湿る程汗をかいていたため、永新は苦笑を浮かべる事しか出来なかった。
そんな二人を他所に朝食を満喫した真宵は指を舐め取ると、晴れ晴れとした笑みを浮かべて立ち上がる。
「――自己紹介も食事も済んだ事だし、早速鍛錬と行こうか、燼月ぅ!!」
「え、まだご飯食べてな――っ、全部平らげてる!?」
「……ほら、これでも持って行け。また倒れられても迷惑だからな」
「あ、ありがとう!」
三人前用意された朝食も、永新が凍吉とやり取りしている間に真宵によって全て平らげられており、テーブルの上に残されたのは空になった皿の数々と汚く散った食べカスのみ。
空腹を訴える腹を抱えて絶望する永新であったが、見かねた凍吉からどこからともなく取り出した丸パンが投げ渡され、先程まで敵視されていたとは思えない待遇に永新は困惑しつつも礼とパンを口にして真宵に引きずられるようにして外に連れ出されるのであった。
真宵に引き連れられて雪が降り積もった樹海の中を歩く事、十数分。
纏炎を使っても尚も寒い空の下、真宵が足を止めたのは永新が上って来た川のさらに上流だった。
纏炎を維持して真宵の後を追うだけでも、寒風が吹き晒す中で足場の悪い道のりは永新の体力を奪っていく。そんな永新を上流で仁王立ちして待ち構えていた真宵は、永新の呼吸が整うのを待つ素振りも無いまま話し始める。
「――さて、これからオレはお前に霊力を使った戦い方を教える。だけれどもそれは、白麗様を殺すことが出来るものでは無い。あくまでも、他の妖魔や倶利伽羅と戦う為の力を授ける程度だ。これをお前なりに昇華させて、ようやく白麗様に手が届くと言った所だな」
「はぁっ、はぁっ……。倶利伽羅は分かるけど、他の、妖魔……?」
「妖魔は霊力を蓄える。その霊力は空気中や様々な物質にも存在しているにはいるが、それらは数えるのも無駄なくらい微量に過ぎない。そんな環境の中で霊力を喰らう為には、同じく霊力を持った倶利伽羅か、妖魔しかいない。極稀に一般人の中に霊力を持った者が生まれる事があるが、そいつらは例外だな。放っておけば妖魔に勝手に食われる。競争率も、倶利伽羅が陰ながら保護している事が多く、狙うだけの価値は無い。そして、オレ達を狩ろうとやってくる倶利伽羅の連中は妖魔にとっては餌が自ら寄ってくるようなもんだから襲い掛かるが、そいつらは大体殺されてしまう。それでも、偶然生き延びることが出来て成長し知性を得た妖魔の殆どは同じ思考に到達する。――わざわざ殺されるリスクを背負わずとも、同じ妖魔を喰らえばいいんだ、とな」
「同族を、喰らうの……?」
「心配しなくとも、妖魔に横の繋がりは無いから問題ない。強いて言うなら、オレ達のように目的を同じくしている仲間こそが唯一の横の繋がりだな。そして逆に言えば、燼月。妖魔であるお前もまた、同じ妖魔から狙われる対象でもある、と言う事だ」
真宵の脅すような物言いに永新は思わず息を飲まざるを得ない。
ただでさえ永新は倶利伽羅追われる身だと言うのに、妖魔からも狙われるのだとしたら単純に危険が二倍だ。その事を考えただけでも恐怖で体が竦んでしまいそうだった。
するとそこで、永新はとある一つの仮説に行き着いてしまう。
「だがまぁ、オレの教える事を身に付ければ問題は無い。倶利伽羅のような化け物連中を相手取るよりも、戦う事しか能のない妖魔と相対する方が何倍も楽だからな」
「……もしかしなくても、真宵先生や羅威竿、誠一郎三の他にも、人に化ける妖魔が存在しているの……?」
「あぁ、そうだ。倶利伽羅の目線から言えば、そいつらは軒並み上級妖魔ってところだろう。凍吉のやつも、漏れなく上級妖魔だな」
「凍吉さんも……襲ってくる可能性が……?」
「ゼロではないな。……言っただろ? あいつはオレ達とは目的を同じくしていない、野良の妖魔だ、ってな」
真宵の迷い無い返答に永新は思わず短い悲鳴を漏らす。
もしそうなら、朝食のあの問答の瞬間、返答を間違えていたら本当に瞬間冷凍されていたかもしれないと思うと、今更になって震えが止まらなくなる。
あの瞬間、永新の返答は凍吉を「納得させた」のではなく、凍吉を「黙らせた」に等しい結果だった為、今から帰る事を考えるのが恐ろしくてたまらない。一瞬とは言え、放出された冷気は相当のもので、真宵は気にしていないようだったが永新であれば余裕で凍り付いてしまえる程の出力であり、永新にとってそれを為せる霊力の持ち主は脅威でしかない。
「他にもお前を狙っている妖魔は多くいるだろうな。それこそ、殺しても問題が無い倶利伽羅が出歩いているのだから、より上位の存在に近付こうと画策する妖魔の類はお前を狙わない理由が無い。それに加えて、お前は白麗様に近い存在だから、ってのもあるがな」
「白に……? 白を殺す事に賛成している真宵先生達の他にも、白を狙う妖魔が?」
「当たり前だ。白麗様は妖魔の王。白麗様が野に放たれた以上、白麗様を手にして妖魔の時代を起こすのを夢見る者が居るのは当然だろう。そんな連中はごまんと居るが、その足掛かりにお前が狙われてもおかしくは無い。――ハッ! 燼月、お前……まさか、こうして質問を繰り返して修行の時間を削る算段か……? 良い度胸してるじゃないか。えぇ゛?」
「ち、ちちち、違いますよ!? ただ、気になった事が多かっただけで……」
「質問はオレが出す修行の課題にクリアしたら一つ答えてやろることにしよう。今決めた。よし、それじゃあ早速始めていくとするか――」
ちょっと待って、と言う決死の抵抗も無駄に終わり、永新は真宵の修行に強行させられる羽目に。
その日は、結局真宵の掲げる無理難題に何一つとして応えることが出来ずにただひたすらに霊力の扱いを叩き込まれた。
霊力が切れたと言えば、フラフラの状態で霊力の励起を強制され、その状態で真宵との組手。何度胃の内容物を吐き散らかしたか分からないくらいに滅多打ちにされ、もしも朝食をしっかり胃に収めていたらと考えるだけでもぞっとするような内容に死に物狂いで食らい付いて行った。
自分を変える為に、と必死で食らい付いたのには、明確な成長を実感できたと言うのも大きなポイントでもあった。朝言われて出来なかった事が、昼には成長を見せていて、日暮れには少しでも出来るようになっている。これまで無駄な努力を積み重ね続けて来た永新にとって、初めて得た確かな実感と言うのは極めて強い中毒性を放ち、真宵の課題達成目指して必死で鍛錬に取り組んだ。
その結果、欠けた月が二人を照らす時間まで永新は修行に明け暮れ続けた。
と言うのも、霊力が無くなれば体術。体の限界が来れば真宵の医療術。体に余裕が生まれれば霊力の励起と体術。霊力が戻れば妖魔としての霊力の使い方。そして霊力が尽きれば――と言う、見る者が見れば発狂しかねない無茶を貫き通した結果、凍吉が待つ小屋にようやく帰って来た時には、永新は意識を飛ばした状態であった。
「……あれじゃあ、明日も目が覚めた時には何も覚えて無いだろ」
「その分体に叩き込んであるから問題は無い」
「……どうしてそこまでして、あんなやつを気に掛ける。修行を見させてもらったが、妖魔としての才能も、倶利伽羅としての才能も無いじゃないか。あんな落ちこぼれに、どうしてわざわざ――」
「――燼月が、燼月永新であるからだ」
「……ふん。意味が分からん」
「そうか? それに……、お前が言う程、あいつは筋が悪い訳ではない。燼月は着実に、その身に宿る霊力をモノにしている。お前が抜かれるのも、そう遠くは無いかもな?」
「絶対に有り得ないね。あんな、落ちこぼれに……」
「お前の言うその落ちこぼれに、汗をかかされていたのは事実だろう? 羅威竿も、誠一郎にも見せなかった汗だ。……それとも何か。昔のお前に、重なるか?」
「…………極めて不快だ」




