22話
「――消えた……。助かった、のか……?」
安堵の吐息を漏らして呟いたのは、四家の一人である天炎晴也。
情けない、と言われても何であろうとも、先程まで身動きの一つも満足に取れないプレッシャーを味わった身としては、今こうして生を実感していられる事がどれだけ幸運か。
されども、重圧から解き放たれた、と言うよりかは狐に化かされていたかと思えるくらい、目の前で起こっていた惨事が嘘のように感じられて仕方が無い。
当事者である燼月永新の姿も、妖魔の王の姿も、突如として現れた宿無真宵によって掻き消えてしまったのだから。
妖魔の王、多くの倶利伽羅が足を踏み入れた彼女の領域は純白に染まる広大な境内だったはずが、妖魔の王がそれを手放した瞬間からすっかり色を取り戻して、住宅街の隅に置かれた小さな神社へと成り果ててしまったのも、晴也を含め他の倶利伽羅達に先の出来事が白昼夢のような出来事だったのではないかと勘違いさせる。
けれども、今もなお続く小暮日永恋の慟哭は夢でもなんでもなく確かに現実のもので、永新に置いて行かれた彼女は力なく地面に腰を下ろして蹲るばかり。彼女の悲しみに暮れる悲鳴は手を差し伸べる事さえも躊躇わせる程に絶望を声に乗せており、この場において最も彼女と親交があるはずの御厨七星でさえも黙って寄り添う事しか出来ない程の慟哭であった。
そして、そんな永恋に恋慕する神来戸獅子王は、永恋にそこまで愛を向けられる永新の事をより一層憎み、嫉妬に狂う。永恋の愛の矛先を自分に向けるのではなく、永恋が愛を向ける先である永新を排除しなければならない、と怒りに猛るばかり。
「――永新っ……、永新は、何処に……っ!!?」
息を切らして最後に永新が立っていた場所に駆け込んできたのは、燼月永政。
永新と血の繋がった唯一の肉親であり、自分の妻、即ち永新の母親が死んだ際に永新に対して「人殺し」と罵った張本人。
彼の後に続く大勢の倶利伽羅も臨戦態勢を取って周囲を警戒しながら近付くも、何の変哲も無い神社に倶利伽羅以外の生体反応は一切無く、事態の把握に動くために霊力を込めた符術を用いて人払いの結界を神社一体に張り巡らせる。人払いの結界さえあれば、ただの住宅街の片隅に置かれた神社に見慣れない格好をした人物が大勢集まっていたとしても一般人は誰も気にも留めなくなる。
しかし、事態把握に動き出すに当たって必要な陣頭指揮を執る者が不在な中、一人の男が声高に叫ぶ。
「――この件は緊急案件として、負傷した倶利伽羅の後を継いでこの俺が、叢雨勇哉が陣頭指揮を執らせてもらう!! 異論は全てが終わった後に聞こう!」
「……勇哉、俺達はどうすれば――」
「晴也坊ちゃん、詳しい話は後です。今はただ、俺の指示に従ってください」
声高に叫んだ倶利伽羅は非常に大柄で、腰に佩いた大刀は老教師が振るっていた大太刀よりも存在感を放つ。後ろに撫でつけた金髪と爛々と輝く碧眼は彼の古風な名前とは裏腹に日本人離れしていて、非常に誰かの記憶に残りやすい人物であった。
そして実力の面でも相当のもので、晴也が見知った顔を見つけて声を掛けたように、彼は天炎家に晴也の家庭教師として雇われるだけの実力の持ち主であり、この場においては老教師に次ぐ実力を誇っていた。それ故に誰からも異論の声や目が向けられることなく、勇哉が指揮を執る流れとなる。
「まずは負傷者の介抱から! 現場から最も近くて医務官が常在する場所を知る者はいるか!?」
「はいっ! ここからでは学園が最も近いかと!」
「あの医務官か。救急車の手配は!!」
「既に完了しております!」
「勇哉、学園の医務官は――」
「晴也坊ちゃん、今は人命救助が優先です。坊ちゃんたちには後程、燼月永新と対峙した時の状況を――」
「――人命を優先させるなら尚更、私達の話を聞くべきかと思います、叢雨勇哉様」
「む、火加々美のお嬢様。かの御仁の応急処置の方は……」
「皆様の手を借りたお陰でなんとか、と言った所ですね。しかし、早急に診て貰わなければならないのは変わりません。その為にも、私達の話を聞いていただけないでしょうか」
倶利伽羅の先達が勇哉の指揮通りに動き出すのを傍目で見ていた晴也であったが、報告しなければならない情報があると進言しようと試みるも、如何に四家と言えども長年妖魔と命のやり取りをしてきた彼らにとっては成人の儀を抜けたばかりの新人倶利伽羅。そんな晴也の話に耳を傾けようとしない大人達を前にしても諦めずに声を掛け続けようとした晴也の援護をするように、老教師の応急処置から帰って来た火加々美甘奈が口を挟む。晴也と変わりない少女と言えども、彼女は確かに「世代筆頭」と言う、大人達に話を聞かせるに足る肩書を有している為、彼女の一声でようやく晴也の言葉に耳を傾けてくれるようになる。
それは同じ四家として差を見せつけられたかのようではあるが、背に腹は代えられぬとばかりに甘奈に対して感謝の言葉を添えると共に、晴也は最後に目撃した光景をありのまま口にした。
「――なんと……! 学園の医務官が、妖魔の王と共に、だと……!?」
「もしもこれが事実だとすれば、由々しき事態です!!」
「早急に学園へと報せ、調査を申し入れろ! なれば、負傷者を運び入れる先は病院となるな。晴也坊ちゃん、火加々美のお嬢様、情報提供感謝する。手遅れになるやもしれなかったところだ。――病院には満床だとしても若い奴らを叩きだしてでも空けろと伝えておけ! この御仁は、決して死なせてはならぬと心得よ!! 良いな!!」
「「――ハッ!!」」
勇哉の言う「病院」と言うのは当然、倶利伽羅御用達の病院であり、常日頃から妖魔との戦いで傷ついた倶利伽羅が治療される場所。総合病院と謳っている以上通常の患者も入院しているのだが、その大半があらゆる負傷で送り込まれた倶利伽羅の患者で占められており、医者も看護師も俱利伽羅の関係者で構成されていた。
それから間もなくして、手配した救急車が到着。
老教師は意識も希薄な状態で運ばれて行き、一同の心に蓋をするかのように重たい雲がかかる。
それと同じくして、四家と小暮日家の保護者が順に到着して、それぞれが保護者の下で知る限りの情報を共有する中、倶利伽羅から再び聴取を受ける永政に多くの忌むような視線が突き刺さる。
「……燼月永新の外法に始まり、妖魔の王の復活。そして学園の医務官がそれに与しているとの疑惑。どれか一つをとっても重大案件なのは変わりない。こんなもの、現場で判断できるようなものでは無い。故に、【連盟】にこの情報を報せる。文句は無いな、燼月永政」
「はい……。本当に、どうしてこんなことになってしまったのか……。妻から霊力を奪った時点で、俺は――」
「霊力を、奪った? 倶利伽羅が妊娠中に霊力が弱まるのは事実だが、そうではない、と?」
「あぁ。あの子が妻のお腹に宿ってから、妻の霊力が吸い取られるように衰弱していった。お医者様も、異常だと言う程に。正直、あの子を産むだけでも妻は限界だったんだ。その後も霊力が戻る事は無く、七年前に妻は……。あの子は、死ぬ直前の母を、見殺しにしたんだ。そして、今回の外法の一件だ。これを、忌み子、人殺しと呼んで何が悪い!? 段々と妻に似てくるあの子を愛そうと努力はしたんだ! それが妻の遺言だったから! でも、俺には無理だった……! ――なぁ、俺は一体どうなるんだ!? 外法に堕ちた倶利伽羅の父親が罰せられるのだとしたら、縁でもなんでも切る! 俺は、本当に無関係なんだ――ッ!?」
これまでの不満をぶちまける永政を見て、それを咎めようと言う人物は誰もいない。
外法に堕ちた家族と縁を切る、と言うのは抱いて当たり前の感想であって、むしろそれを咎める方が倶利伽羅としては異常。それは倶利伽羅として生きる以上、倒して浄滅させる対象であるはずの妖魔を庇う行為に他ならないから。
しかし、例えそうであったとしても、最も身近であったはずの永政が永新をこき下ろすような発言に、黙っていない少女が一人。
七年もの間我慢し続け、積もりに積もった鬱憤を晴らすべく事故の保身のために永新の事を悪く言う永政はその陰に直前まで気が付く事が出来ずに、何の躊躇いも無く放たれた平手打ちが永政の頬を襲った。
「――っ、ふざけた事を、言わないで下さいッ……!! 永新は、永新はずっと苦しんでいたのに……、あなたなんかよりもずっと長い間苦しんできたのに、どうしてそんな、非道い事を言えるのですかッ!? 永新が外法に手を出したんじゃない、私達が、永新を外法に手を出さなきゃいけないくらい追い詰めた事を、どうして分からないんですかッ!?」
「っ、……」
狭小な神社に甲高い平手打ちの音が響き渡り、注目が集まる。
注目を集めたのは目元を赤く泣き腫らした少女、小暮日永恋であるのは言うまでもなく、彼女の保護者である使用人が止める暇もなく彼女は実行に移して思いの丈を言い募った。
永政の口から吐かれた言葉の数々は、永新の家庭での環境を想像するには十分なもので、どうしてもっと早く気付かなかったのか、と永恋の胸中はどうしようもないたらればで埋め尽くされる。
そして、永恋は自分が誰かを責める事が出来るような人間ではないと、永新に選ばれなかった時点で思い知ってはいるものの、それでも実の父親の口から忌み子、人殺しと言う言葉が出てくるのは我慢ならなかった。
もっと早くにこの事実に気付いていれば永新の傍に居れたのに――と諦めるつもりは一切ない永恋の頭の中は今も永新でいっぱいのまま、発展していく彼女の思考はとある答えに辿り着く。
「……永新の傍に、居る為には――」
「お嬢様?」
「落ち着いたか、小暮日のお嬢さんよ。それじゃあ、一部始終をその目で収めた皆様方は、これより【連盟】からの聴取を受けてもらう。心配しなくても、何も悪い事はされない。俺達に話した通りの事を、もう一度話してもらえればそれでいい。その後の事は……そうだな、【連盟】から皆様方の親御さんに伝えられるだろうから、それまでは謹慎って形を取らせてもらう。……言うまでもねぇ事だとは思うが、今回の一件は只事じゃねぇ。妖魔の王が関わってんだ。この情報はくれぐれも慎重に扱うように」
これまで軽々しく「妖魔の王」と口にしてきたは良いものの、この神社を一歩外に出ればそこに広がるのは平和な世の中。安泰の世の実現の為、下級の妖魔と言う災禍の芽を狩り尽くす倶利伽羅においそれともたらして良い情報ではなく、妖魔の王の一件はきちんと統制した上で報せなければ、悪戯に混乱をもたらすのみ。
しかし四家たるもの情報の扱いはそれ相応に理解があって当然で、みだりに漏らしたりなどしない。即ち、勇哉の注意喚起は自身と共に神社に駆け込んだ倶利伽羅達に向けてのものであり、多くの倶利伽羅が口を一文字に結んで深く頷く。
それから間もなくして四家の元には正当な保護者が付き、寂れた神社には不釣り合いな程に錚錚たる面子が揃ったものの、倶利伽羅が口にする【連盟】へと即座に移動し、瞬く間に神社はもぬけの殻と化す。
――その日、倶利伽羅見習いの燼月永新が外法を用いた、と言う嫌疑で家宅捜索に逢ったものの、燼月家、及び学園には不在。しかして妖魔の領域内にて遭遇。その時点で外法を使用した痕跡は明らかであり、事態の終息に動いた倶利伽羅が応戦。しかし燼月永新は外法によって得た力にて抵抗、結果として相対した倶利伽羅一名が瀕死の重症を負った。現場に居合わせた新人の倶利伽羅四名と倶利伽羅見習い一名は無事保護され、事態の把握のために聴取にかかった。結果、即日に燼月永新は外法に堕ちた者――妖魔と同じ扱い、即ち見つけ次第即刻抹殺すべし、と全国の倶利伽羅に通達が為された。同日、学園所属の医務官、宿無真宵が消息を断ち、現場に居合わせた倶利伽羅から聞くに燼月永新を逃がしたのは彼女の仕業と断定。彼女もまた、外法に堕ちた者として即刻抹殺の命が出されることに。そして倶利伽羅に連なる者が二名も外法に堕ちた、という情報以上に倶利伽羅全体に激震を奔らせたのが、妖魔の王の復活である。倶利伽羅の総本山である【灼火導連盟】は即刻非常事態を宣言し、力を取り戻す前に、現世に被害がもたらされる前に抹殺、もしくは再封印を実行すべくそれに連なる情報の開示と言った内容が全倶利伽羅に通達されたのであった。




