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23話

 


 吹き荒れる風に巻き上げられた紙束が、空気に触れた傍から焦げて黒く滲んでいく。

 部屋中に巻き散らかされたその様を見て永新が抱いた感想は「片付けるの大変そう」と言う場違いな程に落ち着き払った一庶民的で平凡な感想だった。


 普通であれば取り乱してしまうような状況で永新の心が一切揺らいでいないのは、外法によって体が作り替えられたせいか、それとも自分以上に取り乱す人物を目の当たりにしているからか。




「――ぎゃあああああああ!!!!! な、ななな、何してくれとんじゃボケぇぇぇぇッ!!!」




 真宵の生み出した陽炎の尻尾に身体を潜らせたかと思いきや、一瞬のうちに景色が変わり、永新の目に飛び込んできたのはどこにでもあるような小さなオフィスの一室。それも、()()()()()のデスクの上に、(ハク)と永新、それから真宵は移動してきたのであった。


 真宵の瞬間移動、とも呼べるそれは出現する際に熱と衝撃を生むようで、そのお陰でデスクに集められた資料は疎かオフィス内に局所的な熱風が吹き荒れた事で、永新が大変そうだなぁ、と憐れむような光景の出来上がり。


 それに伴い、真っ先に立ち上がって奇声が如き怒号を張り上げるのは、永新達の背後の人物。

 テーブルを挟んで応接中の、恐らくこのオフィス側の人間と思われる男性が目尻を吊り上げた憤怒の形相で声を張り上げる反対側、つまり永新の前方では、応接相手の学生らしき男女三人組が永新達を見上げて皿のようにした目で目の前の光景を網膜に焼き付けるかの如く瞬きの一つもせずに言葉を失っている。


 その余りにも混沌とした状況に、テーブルの上から自然な動作で降りる(ハク)は楽しそうに笑みを湛え、真宵に至っては怒号張り上げる男性に対して迷惑をかけたこちら側が下手に出る訳でも無く、むしろ却って怒りを煽るように喧嘩腰で食って掛かる。



「――なんだよ文句でもあんのか!? 羅威竿(らいかん)の分際でオレに喧嘩売るつもりか!? あ゛ぁ!?」



「黙れやぁこッの、クソ女ぁ!!! 俺様が折角必死こいて集めた資料を全部無駄にしやがってからにぃ!!! 毎度毎度俺様の邪魔しやがって、今日と言う今日は絶対に許さねぇ!!」



「許さねぇってどうやってだ? 一度もオレに勝てた事のない()()()()坊ちゃんが、どうやってオレを許さねぇつもりなんですかぁ!? お前には一生負け犬姿がお似合いだからなぁ! この前なんてハンデ二つあっても負けてまちたもんね! くすくす、今度は三つに増やしますかぁ?」



「ンだとゴラァ!!! 二つのまんまでも勝てるわ、この貧乳!!!」



「あーっはっはっは!! 負け犬の言葉は掠りもしないねぇ!! 少しは大きくなったらどうだい、()()()()()――」



 顔を合わせれば喧嘩するような仲に見える二人のやり取りは喧しく、永新の事も(ハク)の事も、ましてやたった今まで応対していた学生達がいる事も忘れて罵り合いをヒートアップさせていく二人。何が二人をそこまで熱くさせているのかは不明で、初めて味わった瞬間移動に永新が驚きふためく暇が無かったのは二人のせい。



「――今日はごめんよ。また後日、こっちから連絡するから、その時に話を聞かせてね」


「えっ、いや、ちょっと待ってください! 今、何も無い所から人が――」


「ん? 何のことかな? それじゃあ、またね」


「いや、そんな反応しても私達はハッキリとこの目で見て――」



 そんな二人に気を取られていると、憤慨する男とは別の男性がいつの間にか学生達を引き連れて入口へと案内しており、永新と(ハク)、真宵が出現したという事実を無かったものにしようとしている。なかなかに無理のある通し方だと思われるが、抵抗しているのは中心の女子生徒だけであって、残る二名の男子生徒は自分の目がおかしかったのかと首を傾げるばかり。その上で現実離れした美丈夫に「何も無かった、いいね?」と迫られれば頷く他無いようで、閉まった扉の向こうで女子生徒の「見ましたから――」と言うくぐもった声が遠ざかっていく。


 そこで一段落ついたのか、困ったように眉を顰める美丈夫が床に散らばった紙を拾い集めながら永新の元へ足を運んでくる。困った顔も整っているという同性としても腹立たしいくらい見蕩れてしまえる男は(ハク)の前までやってくると静かに跪き、(ハク)の手の甲にキスを落とす。



「お久しぶりでございます、白麗(びゃくれい)様。この夕薙(ゆうなぎ)、貴方様の御帰りを心よりお待ちしておりました」



「……汚いですね」



「――アヒィンッ!!」



 美丈夫の男が(ハク)に跪く。

 どれだけ背景が散らかっていてもそれだけで絵になる光景だと言うのに――、(ハク)は口づけを落とされた手を引き、男の献身に何か声を掛けるでもなく罵倒を浴びせると同時に男の顔面を引っ叩いた。


 明らかに普通ではない状況に理解が追い付かない永新であったが、弾き飛ばされた男がデスクの瓦礫の中で恍惚そうな表情を浮かべて体を跳ねさせるのを見て、増々理解が追い付かない。

 どう考えても収拾のつかない状況の中、目の前の光景に唖然とするほか無い永新に振り向いた(ハク)が満面の笑みを浮かべる。



「それでは永新、詳しいお話は彼らから伺ってくださいね。私は少し、疲れたのでお休みします。……誓った約束、楽しみにしていますからね?」


「ぅ……」



 ぐいっ、と身を寄せてくる(ハク)からは、妖魔の王を体現する血生臭い匂いなど一切なく、(ハク)が身に纏う上品な甘い香りだけが永新の鼻孔をくすぐったかと思えば、永新の不意をつくかのように彼女の柔らかな唇が頬に軽く振れ、混乱に続く困惑で頭がいっぱいの永新はまともな返事をする事も出来なかった。



「俺様は、だ、な――」


「あ? お前何処見て――」



「――真宵、脚」

「はいッ、ただいま! 白麗様!!」



 静かに離れていく(ハク)は真宵を呼び寄せ、尻尾の陽炎へと姿を消していくのだが、その間、真宵と喧嘩していた憤怒の表情を浮かべていた男は、今度は先程の学生たち同様に「信じられないものを見た」とばかりに驚愕に満ちた表情を浮かべて顎をガクガクと震わせるばかり。


 (ハク)の一声に文字通り尻尾を振って喜んだ真宵は(ハク)と共に陽炎の中に消え、残されたのは大量の紙束が乱雑に散らばる焦げ臭いオフィスと、瓦礫の山で蕩ける美丈夫。それから、硬直したままの男と何も知らされていない永新のみと言う状況。


「……よし。考えるのは、後にしよう」


 状況を把握するべきだ、とは理解できるものの幾ら見渡しても見覚えのある景色は一つも見当たらず、肝心の話し相手である男性二人も微動だにしないと言う異常事態に放置された永新は、一度考えるのを放棄して部屋中に散らばった紙を集め始めるのであった。











「――っ、お゛ぉい!!? 何寛いでいやがるんだてめぇ!!!」


「ようやくお目覚めですか」


「てめぇが真宵を使ったせいで折角の仕事がパァだ、パァ!!」


「はぁ、パァ……」


「馬鹿にしてんのかてめぇ!? いいか後輩、まずはこの散らばったオフィスの片付け、か、ら――ってぇ、いつの間にか綺麗になってやがる!!?」


 順調にノリツッコミを果たした男性は、見るも無残だったオフィスの内部がすっかり綺麗、どころか散らかる以前よりも綺麗に輝く有様に目を疑う。

 そんな男の前に差し出されるのは、来客用の湯飲みと温かいお茶。


「――まぁそうカリカリしないで。永新君ってば、凄いテキパキ動いて掃除してくれて……。この子は即戦力だよ」


「いえ、そんな……」


「改めて、僕は夕薙(ゆうなぎ)誠一郎(せいいちろう)。よろしくね」


「は、はぁ、よろしく、お願いします」


 ライトブルーの髪が揺れる度にキラキラと輝かしいエフェクトがかかって見える美丈夫は、夕薙誠一郎と名乗り、人好きのする柔らかな笑顔は、誰からも人気だった天炎晴也を思い出して苛立ちと胸が締め付けられるような感覚に襲われる。


 (ハク)に殴り飛ばされた彼は永新が片付け始めた頃に我に返り、自己紹介を兼ねて二人してオフィスの掃除に取り掛かったのだが、彼はその時の事を思い出して永新を立ててくれる。

 しかし褒められ慣れていない、長い間人と関わり合っていなかった永新は、新たな肉体に生まれ変わったとて、精神面は幼いまま。何しろ、思春期の大半を(ハク)としか過ごしていないのだから、対人性能など期待するだけ無駄。

 しかし美丈夫の男――夕薙誠一郎はそんな事など気にする素振りも無く親し気に接してくれていた。顔も整っていれば内面まで整っているとなると非の打ち所がないとすら思えるのだが、吹っ飛ばされて涎を垂らしながら悦んでいる姿と言う、彼の全ての美点を打ち消せるくらいに大きな欠点を思い出してしまって永新は苦笑せざるを得ない。



「……おい、てめぇどこまで話した!? ってか、俺様はどれくらい気絶してた!?」

「何も。本当に自己紹介しかしてないよ。一時間弱、ってところかな?」

「は? 一時間も二人でいて何にも聞かれてねぇのかよ!?」

「そうだね。彼、なかなか引っ込み思案なのかも」

「かぁ~~~ッ!!!?」



 大口を開けて大声を上げた男は、好戦的な性格が顔付きに滲むようで、金髪、と言うよりかは黄色に近い頭髪は頭頂部が黒に変わっている事から染め色と分かるが、真宵のような黄昏時のグラデーションは感じられず、はっきりと黄色と黒で分かれる頭は身持ちの軽い印象を受ける。

 彼の粗野な振る舞いはそれを裏付けるには十分ながらも、隣に座る誠一郎が信頼している様子からして、印象とは違う人間なのだろうと二人のやり取りを盗み見る永新は推察する。


 どっかり、と応接に使用するソファに深く腰掛けた好戦的な男は背もたれに頭を乗せて「あ~」と考える時間を置いて天井を仰いだ後、反動をつけて起き上がり永新の前に悪辣な笑みを浮かべて口を開いた。



「――俺様は神々(みわ)羅威竿(らいかん)。好きな事は血沸き肉躍る戦い、嫌いな事は馬鹿の相手をする事だ。それで、お前は馬鹿か? それとも馬鹿じゃないか?」


「俺は……、永新。燼月永新。十五歳。好きな事は……、分からない。嫌いな事は……、分からない」


「はぁ? なんだそりゃ。つまらねぇやつだな」


「まぁまぁ。この年頃の子はみんなそうなんですから」



 人生の半分以上を誰かの為に使ってきた永新にとって、自分の事は何も分からない。


 (ハク)と過ごすようになってから、色々な事に挑戦した。けれども、何をしようにも過去に受けた心的外傷があらゆる過去を脳裏に過らせ、満足に取り組めた記憶すらない。

 その中で唯一永新が黙々と取り組むことが出来たのが、最下級妖魔を無心で狩り続ける事。即ち、亡くなった母親に会う為なら、永新は頑張ることが出来た。だがそれも、永新にとっては「やりたいこと」ではなく「やらなければならないこと」であり、趣味という訳でも無い。


 それでも、一つだけはっきりと分かっている事がある。

 でも、と永新が語気を強めると、二人は興味を示して視線を向ける。

 二人の視線に晒されて永新に微かな緊張が走るものの、一度動き始めた自分の口は止められない。

 言わなければならない、と確信めいたものが永新の口を動かしているようだった。






「――()()()()()は、決まってる。……(ハク)を、この手で殺す事だ」






「……へぇ」

「……ほぅ」



 瞬間、言ってやったと、興奮する自分がいる反面、言ってしまった、と後悔する自分がいるのが分かる。

 二律背反。外法から目が覚めてからと言うもの、どっちが自分の本心なのか分からない時が頻繁に訪れるの為、自己の確立が曖昧な時がある。それでも、たった今永新が口にした「やりたい事」と言うのはどちらの自分にも通ずる一つの固い意志であった。


 そんな永新の固い意志を確認した二人の反応は、両者共に苦虫を嚙み潰した様な表情を見せる。



「白麗様を、ねぇ……」

「お前如きが、殺す、だぁ……? そいつぁ面白ぇ冗談だなぁ、新入りぃ」



 永新の発言が癇に障ったのか二人の永新を見る目が変わる。

 品定めするような不躾な視線から、敵か否かを見分ける鋭い視線へと。



「……永新君、君は、倶利伽羅だろう? ――あぁいや、責めている訳じゃあないから、そう焦らなくてもいい。僕の性質上、人の体を良く見る事が多いからね。君の体つきは倶利伽羅に非常によく見られる形をしているからね」

「その上で問う。……てめぇが殺したいと宣うその信念は、お前個人のものか? それとも、倶利伽羅としてのお前のものか?」



 返答次第では、と言葉が続かなくとも、彼らが永新の返答次第で攻勢に出るのは明確で、その空気を永新はひしひしと感じていた。


 今の永新にとってその質問は本質を抉るようなものであり、言ってしまえば永新は自分が何者であるかを定義するためのアイデンティティが喪失していると言っても過言ではない。

 自分が二人いるように感じられるのも、七年前のあの日に自分を殺したのが事の始まり。それから(ハク)と二人で居る時間でしか生を実感できなくなっていた永新は、遂に生まれ変わった。そう定義すれば、永新の本質は(ハク)が作り替えた堕ちた後の妖魔である自分であり、倶利伽羅である自分はとうの昔に死んでいると言える。


 故に永新は、自分を名乗るに相応しい言葉を頭の奥から引っ張り出して、生き生きとした輝きを宿した瞳を二人に向けて答えるのであった。



「……俺は、確かに俱利伽羅の血を継いでいる。――けど、俺は、倶利伽羅としては出来損ない、と烙印を押された落ちこぼれだ。だから見返してやろう、なんて思いは一切ない。あの世界に未練なんて……、残していないから。俺が欲しいのは、(ハク)をこの手で殺す為の力。母さんの仇だけじゃない、自分の為に、(ハク)殺して(救って)やりたいんだ」



 頭に浮かんだ言葉をすらすらと書き連ねていけば、自分の感情が整理されていくかのようで、霧が掛かっていた頭が次第に晴れていく。


 (ハク)を殺したいのは、母親の仇だけじゃない。

 (ハク)がそう願ったから。(ハク)が、殺してくれと笑うから。


 それでも、決して巧いとは言い難い拙い言葉は理解されないか、と自分の発言の後に広がる無言の時間に不安を覚え始めた頃、下から睨み付けるような形相だった羅威竿(らいかん)がフッと表情を緩めて口を開くと、一段高くなったトーンが永新を歓迎する。



「――ハッ。及第点、ってところか。悪くもねぇが、良くもねぇ」


「初めから言っていたでしょう。彼は即戦力になる、と。彼女が考える意図は未だ遠く理解が及びませんが、理解が及ばずとも僕としては君を歓迎する意思はありますから安心してくださいね」


「ありがとう、ございます……」


「まずはその他人行儀な話し方を止める所からだな。まぁ、お前がどうしても、って言うならそのまま敬い続けて貰っても構わねぇけどな」


「ははは、羅威竿は初めての後輩が出来て喜んでいるんですよ。なので、気を悪くしない程度に付き合ってあげてください」


「先輩……?」


「ちなみに僕の事は好きに呼んで構いませんからね。名字でも、下の名前でも、お前でも、おい、でも。なんなら、毎回違った言葉で罵っていただくのも――ンッ、年下の男の子から罵倒を浴びせられるだなんて考えただけでも興奮が――ッ!」


「…………せ、誠一郎さんで」


「こいつ、時々スイッチ入るから気を付けてな。そうだ、俺様もきちんと自己紹介しねぇとだよな。もう知っているだろうが……。おら変態、しゃっきりしやがれ」


「おっと失礼。そうだね羅威竿。アレを見せないと、だね」



 真宵と喧嘩する姿を初めに見たせいか近寄りがたい、と思われた羅威竿も軽く打ち解けただけでも面倒見が良さそうに感じられ、誠一郎の方も若干特殊ながらも接しやすい。

 そんな二人であったが、両者が「アレ」と口にして服の袖を捲った――次の瞬間。






「――俺様達も()()なんだわ」

「これから、よろしくお願いしますね」






 ただの人間の腕にしか見えなかった前腕部を空気に晒したかと思うと、二人の腕は忽ち変化し人ならざる者へと印象をひっくり返す。

 知っているだろ、と笑う二人に対して、何も知らされていない永新にとっては青天の霹靂以外の何者でもなく、情けない吐息を漏らすので精一杯なのであった。




「……へ?」


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