19話
「え、永新が、ウチの子が、外法に手を出したなんて、何かの間違いです……っ!!」
「――燼月永政!!」
教室に残っていた生徒に帰宅命令を出した老教師は学園に永新の姿が無い事を知るや否や多くの倶利伽羅を連れて燼月家へと向かった。
しかし、老教師らが動き出すよりも早く永恋は教室を飛び出して一人燼月家へと向かおうとしたのだが、永恋の身分は未だ「倶利伽羅見習い」である以上、勝手な行動は慎まなければならず、先達である倶利伽羅によって取り押さえられてしまう。
それでもどうしても、と悲痛な面持ちに反して瞳だけは決して諦める気配のない様子で訴える永恋に老教師は折れざるを得ず、既に成人の儀を突破して正式な倶利伽羅と認められている四家の庇護の下、勝手な行動をしない事と言う約束で永恋の同行を許可した結果、老教師と大勢の倶利伽羅に守られる形で四家の子供達、更にその四家の子供達に守られるように永恋と言う布陣で燼月家へと赴くのであった。
途中、騒ぎを聞きつけた別の学級の一人の女子生徒が彼らの前に立ちはだかったのだが、その女子生徒と顔見知りであった世代筆頭たる火加々美甘奈が説得に動いた。甘奈と同様に他の四家とも顔見知りのようであったが、永恋はその生徒に一瞬だけ目を向けただけに留まり、甘奈と女子生徒を置いて燼月家へと急いだ。結果、辿り着いた頃には別の倶利伽羅の部隊が燼月家へと踏み込んでいて永新の父親である永政が聴取を受けていた。
「せ、先生!? それに貴方達は確か……っ、こ、小暮日家のご息女まで……!!」
「永新のお父様、ご無沙汰しております。ですが今は緊急事態ゆえに、挨拶は省かせていただきます。単刀直入に伺いますが――永新はどこですか? 永新は外法なんかに手を染めるような人じゃありません。それは永新のお父様もご存知でしょう? 永新さえ見つかれば、この無駄な騒ぎも終息しますので、永新が何処に行ったのか、もしくは何処に行きそうかを教えてくださいますか? 私が、永新を、連れ戻しますので」
誰よりも一歩前に踏み出した永恋は、目の前で行われる倶利伽羅による強引な家宅捜索を腹立たしく思いながら永政に詰め寄る。
調査と言うには些か横暴で、倶利伽羅達が永新の暮らした家を虱潰しに荒らしていく様は、部外者である永恋だとしても苛立ちを感じずにはいられない。ましてや、現時点では疑惑の段階に過ぎないにもかかわらず倶利伽羅達の行動が「永新が外法に手を染めた」と言う前提で動いているかのようで、永恋は腹を立てる。けれど今は永新のことが最優先であると怒りを押し止め、永新の事を何も知らないくせに知ったような態度を振舞う倶利伽羅達を目にした永恋は拳を固く握り締める。
その怨念の如き情に応えるように、背中を向ける四家にすら凌駕する霊力を迸らせていた。
永恋は何も知らない大人達が大好きな彼の事を好き勝手に憶測で物語る度に、彼女は自分が傷付くよりもずっと苦しむ。
もし許されるのならば、今この場で燼月家に土足で踏み入る倶利伽羅達を力尽くでも追い出したい、とさえ思っている程に腹立たしかった。
そんな一歩でも間違えれば爆発しかねない永恋を遮ったのは、永恋を含むこの場の誰からも信頼を得ている老教師だった。
「落ち着け小暮日。先に説明しただろう。燼月――この場合では、永新か。永新が見習いの規則を破り単独で最下級の妖魔を討滅していたとの報告が上がっているのだ。それも、複数回もだ。これだけでも十分に疑いの目を向けられるだけの証拠と成り得るのだ」
「それはッ……、それはただ、永新が自分の力を試したかっただけかもしれなくて……!」
「そう思いたいのであればそれでいい。だが、もし仮に永新が外法に手を出していた場合、我々倶利伽羅はその責任を果たさねばならない。……外法に堕ちた倶利伽羅が我々のみならず、只人にまで被害を及ぼす前に、奴を――妖魔として滅さなければならないのだ」
永恋を落ち着かせるのと並行して現実を突き付ける老教師の言葉に、永恋は返す言葉が思い付かずに口ごもるばかり。
思い浮かぶ返答も、それら全ては永恋の希望的観測に過ぎず、忌々しい程に腹立たしい俱利伽羅達の行動が正しい事も頭では理解できていても、不満もまとめて飲み下して納得できるほど永恋に人生経験はない。ゆえに、彼女はふくれっ面を通り越して憎悪すら汲み取れるような表情を浮かべながら引き下がる他無かった。
「……永新は、絶対に外法になんか手を出していません。永新は、そんな事をする人じゃ、絶対に無いから」
「先入観は時として危険な場合もある。いざと言う時に私情を捨てられぬ者は、倶利伽羅に相応しく無い。……どんなに親しい間柄であろうとも、衆目から疑いの目が集まった時点で先入観ではなく、疑いの目を向けるんだ。それが、正しい倶利伽羅の在り方と言うものなのだ」
「先入観を持っているのは、先生も同じで――」
「――小暮日のその姿勢は美点だが、もしも、でいい。最低限でもいいから疑いの目を向けるよう心掛けろ。本当に疑わしき行動を取っていなかったか、疑わしい行動を取る余地などなかったか。疑いを晴らすには信頼、と言う名の人の目が、証拠が必要になる。今一度、思い出してみろ」
「……っ」
しかし、老教師の言葉に永恋は遂に沈黙せざるを得なくなる。
永恋でさえも、永新の事を常々疑っていた。それは外法に手を染めているのか、などと言う大それたものでは無く「約束を覚えているのか」と言う些細な疑念。そしてその疑念は今日、永新が約束を違えて姿を現さなかった事で明らかになって、永新への信頼は揺らぎ、疑念はより一層深まるばかりであったのは事実。
それは永恋のみならず他の四家も同様のようで。
「確かに、言われてみれば永新の奴、最近……、と言うかずっと変だったよな」
「授業も放棄しがちで……」
「とうの昔に諦めたものかと思っていましたが」
「……こうして僕達は総じて、燼月永新への疑念を抱えている……。そして燼月を知らない人からすれば、燼月を知る僕達の印象が全てとなって、何よりも証拠になり得る。そう言う事ですね、先生?」
「でもそれだけで決めつけられるなんて、おかしいよ……! 余りにも、理不尽だよ……!」
「確かに永恋の言う通り、それだけで事実と断定するにはかなり無理がある。けれども、そこに実際に永新が倶利伽羅のルールを破ったと言う問題が浮上すれば話は別だ」
「私達倶利伽羅は国によって法に囚われずに秘密裏に動くことが出来る、いわば法規的組織。それは私達が何をしても良い、何にも縛られない、という意味ではありません。最後の一線、倶利伽羅の、身内のルールは絶対に順守しなければならないと言う縛りをもってして初めて、法規的組織として自由を授かれるのですよ」
「……つまりは、あいつがルールを破った時点で、この捜査は不当でも理不尽でもない。この国における倶利伽羅の存在を揺るがす可能性のある容疑者を抹消すべく動く事も、あたし達倶利伽羅の仕事の内、って訳……か」
駄々を捏ねる永恋にとって老教師の言葉以上に説得力を持ったのは、幼馴染と呼べるほどに密接な関係を築いてきた四家の言葉であると同時に、見習いとは異なる正規の倶利伽羅として実際に活躍を見せる世代において最前線を走る先達としての言葉に、永恋は遂に言葉を失う。
永恋が俱利伽羅として生きるのであれば、もし仮に永新が倶利伽羅を裏切る行動を取っていたとしたならば、永恋はその手で永新を止めなければならない。彼らの言葉を受け入れるのであれば、その結末まで覚悟を決めなければならない立場に彼女はあった。
そんな永恋の葛藤をも見透かしたかのように老教師は口を挟む。
「――そして、もしも本当に永新が外法に手を出したのならば、それを止められなかった私にも責任がある。燼月の担任として、一人の大人として。……永新が外法に手を出さなければならないような状況にまで気が付けなかった、もしくは追い詰めた責任が、な。……その時は私が責任を取る。お前たちに友を殺させるような真似は、絶対にさせん。良いな?」
老教師の、真なる倶利伽羅として、一人の教師としての覚悟を前にした生徒たちは、揃って息を飲む。対して、学園関係者らの会話に耳を傾けていた永政は老教師の覚悟に肩を震わした。
「別に友という訳ではありませんの。筆頭として、火加々美の名を背負う者として、私にも責務と言うものがあるだけです」
「右に同じ、だな」
「甘奈と獅子王は相変わらず冷たい奴らだなぁ」
「……そもそも晴也さん達はあの日以来まともに関わった事があるのですか? 遠巻きに見ているだけで満足していた分際で、一方的に友と呼ぶ方が烏滸がましいのではなくて?」
「それは……。確かに、甘奈の言う通りだけどさ、悪いと思って行動に移さずに後悔してるから、今度こそは行動で、態度で示さなきゃいけないと思ってるだけ。別に、変な意味とかは、無いから」
「…………烏滸、がましい」
「――生徒がうるさくてすまない。つい教師風を吹かしたくなる」
「いえ、お構い、なく」
「それで、永新の往く宛に何か心当たりは無いのか?」
老教師のその声に永政は微かに肩を跳ねさせ答えを言い渋るような素振りを見せるも、永恋の懇願するようなまなざしを受けて、彼は力無く首を横に振った。
こうも覚悟を定めてくれている息子の同級生と、大勢の倶利伽羅。それらを巻き込む程の大騒動を前に、永政は恥ずべき家庭の事情を吐かざるを得なかった。
「ここ最近……いや、ここ六年くらいだろうか。情けない話だが、妻を亡くしてから、永新とどう接していいか分からなくて距離を取っていた。俺にも仕事があって……、と言うのは言い訳に過ぎないが、ほとんど会話をした記憶は無い。……永新はどうやら早朝に家を出てから、帰ってくるのは夜遅く。家に帰ってこない日も多かった。……小暮日家のお嬢様。貴女からの手紙も、全て、家で確かに受け取って大切に保管しています。こんなにも永新の事を想ってくれているのは我が子として鼻が高いのですが、その永新には渡せていません。本当に、申し訳ありません……」
「やっぱり……」
憔悴した様子で語られる燼月家の家庭事情に心当たりが無いとは冗談でも言えず眉を顰める四家の子息令嬢。
それに反して、永恋だけは不安で満ちていた心中に一抹の希望を灯らせていた。
その事に誰も気付かない中、老教師は呆れた様子で永政に事実確認をする。
「それはつまり、永新が、お前の子供が何処に頻繁に通っているか、今何処に行っているのか分からない、と言う事だな?」
「はい……。永新、俺は父親失格で済まなかった……! だから、頼む。どうか、どうか無事に、帰って来てくれ……!」
永政は、ここに来ても尚、妻の死を前にしてパニックに陥って永新に対して投げかけた発言と言う永新に対しての負い目を伏せて語った。事情を知らない者からすればさぞ、悲劇に映るだろう。
だが、彼の魂胆は愛する妻であった新夏の忘れ形見が失われる事への恐怖。その一色に限られる。その姿は正しく、誰の目からも見ても永政の姿は「我が子の喪失に悲観する父親」としか見えなかった。
そして永政が老教師と情報共有を果たしている間に残された倶利伽羅達によって燼月家の調査も粗方終えられたようで、永新に関する手掛かりは永政の発言通り、燼月家で過ごした僅かな時間の痕跡程度しか見つからず、調査は早々に手詰まりの状態に陥っていた。
「何も出ないってことは、永新は無罪って事か?」
「そんな簡単な話じゃありませんよ。一度かけられた嫌疑は本人を見つけ出すまで晴れる事はまずありません。今も燼月さんがこの騒ぎをどこかで嗅ぎ付けて早々に身を隠した可能性も捨て切れないのですから」
「あたし達に出来る事は少ないかも知れないけど、少しでも手伝いましょう」
「あぁ、そうしよう」
「永新、どこにいるの……?」
永新を悪者に仕立て上げようとする倶利伽羅の面々を他所に、永恋は一心に願う。
永新に会いたい。永新が無事でありますように。永新が――。
――シャララン。
その時、永恋の耳に軽やかな鈴の音が届く。
倶利伽羅達の喧騒に紛れても尚もはっきりと、どの方向から聞こえてくるのか分かるくらいにはっきりと聞こえる鈴の音に思わず顔を上げると、自分以外の誰にもその音が聞こえていないかのように大人達が揃って手詰まりな様子が繰り広げられているばかり。
「……っ!」
「永恋、どうかしたか?」
今も断続的に響く鈴の音だと言うのに、自分以外の誰にも聞こえていない状況から思い浮かぶのは、永恋が「会いたい」と心より強く願った人物のシルエット。
「永新……そこに、そっちにいるの……?」
「ちょっ、待てよ、永恋!」
「ハァ!? どこ行くの!?」
「勝手な行動は慎めと言われただろうに……!」
「ハァ……。先生、着いてきてください」
「ん? ――って、お前達、待て!! 止まらんか!!」
永新を希った傍から聞こえた鈴の音は、まるで永新が呼んでいるかのよう。
否、呼んでいるかのよう、ではなく、呼んでいるに違いない、と頭の中で変換される。
そう考えては、誰かの制止など最早永恋の耳には入ってこない。
――待ってて永新……っ。今、行くからね……!
燼月家周辺の住宅街の路地を、何の法則性もないまま駆け抜ける。
土地勘がある訳でも無い永恋の突飛な行動に四家と老教師は翻弄され、永恋の動きを止める事すら出来ない。
そうして近付くにつれて大きくなる鈴の音だけを頼りに息せき切って向かった先で一行を迎えたのは、大きな白い鳥居と、小さな御社が鎮座する静寂に包まれた神社の境内。
敷地面積はとにかく広大で、白色の玉砂利が敷き詰められただけの境内にぽつんと置かれた御社の光景と言うのは、誰の目にも不気味に映る。
明らかに異常な存在感を放つ空間に誰もが視線を彷徨わせる。
何の変哲も無い住宅街にあるにしては明らかに異質。
白が満たす空間は酷く静かで、立ち入ってはならないような気配が感じ取れる。
「……いますね」
「あぁ、なんだこの、禍々しい空気は……」
「永恋、ここ、どこ……?」
「……あの社、誰か、いる」
「……小暮日を除いた倶利伽羅総員、構え。ここはもう、敵の領域だ」
「「「「っ……!?」」」」
この場において、永恋以外の四家は皆、既に成人の儀を終えた正式な倶利伽羅として認められた者達。
故に、この場における立場は生徒としてではなく、一人の倶利伽羅としてでなければならない。
老教師の一声に忽ち緊張が奔り、虚空より取り出した弓と刀を握る手に汗が滲む。
「まさかこんなところに潜んでいたとはな……」
「あの、先生、ここは……?」
「ここは、異界と呼ばれる空間。上位の妖魔が好んで使う霊術の一つで、迷い込んだ一般人を食らうための巣穴と言われている。……それもこれだけの空間に神社の一つとは、相手は相当に変わり者の妖魔かつ、かなり上等な妖魔と見て良いだろう。通常であれば周りの景色に溶け込むように作られ、熟練の俱利伽羅でさえも見つけるのは困難なのだが、この違和感……。相手の妖魔が何を企んでいるかは分からんな。それ故に小暮日よ、お手柄だったな。そして倶利伽羅のひよっこ共。最悪の場合、お前たちは小暮日を連れてここから逃げ――」
老教師が七星の問いに答え、染み付いた教師としての本分を振るう。
そして最悪の事態に備えて次なる指示を飛ばそうとした、その時だった。
何の前兆もなく突如として小さな御社が大きな音を立てて内部から食い破られるかのように砕け散ったのは。
「っ?!」
「おい! 待て、永恋!!!」
何事か、と倶利伽羅の四家と老教師が武器を構えるより早く、永恋の体は導かれるかのように動き出していた。
駆け出す永恋の目は、大量の土埃を巻き上げて崩れる御社の中から飛び出してきた二つの影に注視されており、砂塵に浮かぶシルエットを見て永恋は声を張り上げる。
間違いない、あれは――と。
喜びにも似た、悲恋の叫びを。
「――永新……、永新ッ!!!!」




