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13話

 


「――燼月、お前には今日から霊力の授業に参加してもらう。それに伴い、監督生として小暮日を付ける。良いな?」

「………………え?」


 神来戸獅子王の圧力によって永恋と距離を置かざるを得なくなったあの日から、数えて二年もの時間が流れた。


 その間、永新は獅子王やその他四家やクラスメイトの監視する眼差しに晒されながら永恋を避ける事に徹底した。初めは縋るような眼差しを永新に向けていた永恋だったが、永新の徹底ぶりや周囲の妨害を理解したのか、半年ほど経った事には永新に見向きもしなくなった。

 だが、その程度で永恋が諦めるはずは無く、霊力の実践授業にて誰の目も消えた頃合いを見計らって永新に接触してきた時は、永新も逆らうことが出来なかった。そうして会えなかった時間を貪るように逢瀬を重ねていたものの、永恋の些細な変化から獅子王に気付かれ、永新は陰で更なるやっかみを受ける事となった。


 永新が永恋と言う四家以外が絶対に手出しできないような後ろ盾を手放したことによって、永新への嫌がらせと言う名の虐め行為はエスカレートしていった。永新の物を隠す、壊すは序の口で、最近では獅子王の指示に従って永新に寄って集って暴力を振るう者さえ出てくる始末。それも永新が被害を訴えられないギリギリの線引きで調整してくる辺り、頭が回るとも言える。

 だが、ただ殴られるだけなら永新にとっては虐めとしてはまだ楽な部類。自分が傷付けばそれで終わるのであれば、終わるまで耐え続ければそれで良いだけなのだから。そんな数ある虐め行為の中でも永新が唯一「嫌だ、やめて」と反抗し大きく声を上げたのは、身体に恥辱の文字を刻まれんとした時だった。

 始めはマーカーで悪戯に線を引く程度の行為が、永新が黙っているのを良い事に悪辣さを増していき、永新の反抗する素振りが彼らの嗜虐心を動かしたのか、遂には永新の衣服を剥いて、その細い体に消えないペンで文字を刻まれると言う行為は何よりも永新の尊厳を傷付けた。

 その行為を受けた日だけは、絵麻が待つ第二図書館へ行く事も無ければ、いつでも頼れと言ってくれた真宵が受け入れてくれる保健室にも行けるはずも無く、体調が優れないと嘘を吐いてまで早退せざるを得なかった。


 そんな、永新にとって地獄でしかない環境でも腐らずに学業を諦めなかった理由は、愛する母親の新夏の存在と、似た環境に身を置く絵麻の存在が非常に大きかった。


 この二年の間、永恋との距離が離れていく一方で、第二図書館で毎日のように顔を合わせてはお互いに励まし合い続けてきた絵麻とは急激に距離が縮まっていた。

 永新ほどでは無くとも、絵麻もまたクラスメイトから爪弾きにされている身として共感を得やすく、また感性も似ていて第二図書館で話題に尽きなかった事もあって二人の距離はこの二年の間で秘密を共有し合う程度には仲良くなっていた。それこそ、絵麻は永新が噂の霊力無しの出来損ないである事も知って尚、それでも努力を重ねる永新は凄いと受け入れてくれていた。


 そして、この二年で重ねた努力の成果が今、老教師にも認められたかと思いきや、続く言葉に永新は己の耳を疑うばかり。


 獅子王の妨害を受けてからの一年弱、絵麻とは違って永恋とは一切関りを持てなかったが故に、永新は老教師の言葉に困惑を禁じ得ない。


「――よろしくね、永新っ」

「う、うん……」


 老教師の言葉に追随して、含みのある笑みを浮かべる永恋。

 それに対し、永新はただ黙って頷く他無く、永新が駄々を捏ねる暇も無いまま授業へと移る。


「……」


 二年ぶりに手にした弓矢は、初めて手にしたあの時よりも軽く感じて、二年と言う月日が長い時間だったと実感させる。

 子供が成長するには十分な時間が流れたのだと、永新は高揚する胸の高まりに、自然と弓を射る手に力が入る。


「――火打ちッ!!」


 深呼吸を繰り返しても、緊張は収まらない。

 けれども、自分の内に眠る霊力が応えてくれようとしている事だけは分かる以上、永新は静かに霊技を放つ。


 ――破魔弓術初級、火打ち。


 風を切る音、的に矢が立つ音、爆散する音。

 今度は意識を失うことなく最後まで自分の成果をその目で収めることが出来て、永新は自分の性徴を確かに実感する。


 自分以外にも多くの生徒が集まる修練場の片隅で、過去に日の目を浴びた永新に今も尚注目しているのは、たった一人だけだった。


「うーん。次はもっとこう――グッとやって、パッとやってバビュン! って感じでやってみて?」

「ごめん、えれ、小暮日さん。何言ってるか、全然分からないよ……」

「……分かんないかな、ちょっと貸してみて」


 永新の声に、はっきりと不愉快さを表情に浮かべた永恋は、永新から弓を借り受ける。


 この二年の間、永新が成長したのと同じように永恋も年を二つ重ね、背丈も精神も共に成長していた。

 より一層可憐さを増した永恋に対して永新は褒める言葉の一つも無ければ、寂しさを分かち合う事すらない。どころか、むしろ更に突き放すかのように接する永新に対して半ば「呆れ」の感情を抱かずにはいられなかった。

 永新を独占出来ない不愉快さと、現状を素直に受け入れてしまった永新に対する不満は、ようやく永新と話せた感動を遥かに上回って表層に顔を覗かせるせいで、永新にとって永恋は若干の恐怖すら感じるようになっていた。それが条件反射であるのは永新も理解しているのだが、心に負った傷が原因である以上根本からの治療は施しようがないのであった。


「――破魔弓術()()火炎奔(かえんばし)り」


 瞬間、突如としてけたたましい馬の嘶きのような高音が修練場内に響き渡り、永恋の番えた弓に炎が宿る。


 永恋が手本とばかりに放つのは、破魔弓術中級。

 それも、中の上と呼ばれ、現段階では同じ学年で四家と永恋以外に習得した者はいないと言われる「火炎奔り」。


 永恋の静かな声音と共に放たれた霊技は、炎を象った馬が駆け抜けるかの如く燃え盛る火炎が尾を引いて一直線に的へ向かって奔って一つの的を粉砕したかと思えば、その衝撃で散る波のような炎が左右に並ぶ的をまとめて燃やし尽くした。


「「おぉ……!」」


 永恋の放った霊技は、永新の火打ちなど足元にも及ばない、どころか比べるのも烏滸がましいとすら思える程、同年代では四家同様に頭一つ抜けた存在感を放つ。

 永恋が弓を収めても尚も轟轟と燃え盛る炎を目の当たりにして、永新の時には見向きもしなかったクラスメイト達がこぞって永恋の霊技に感嘆の声を漏らす。


「こうやるの! 次は永新の番ね。もう一回、やってみて」

「……無理だよ。僕には、出来ない」

「……永新、そんなんじゃ、また皆に置いて行かれちゃうよ。ほら、もっと頑張ってよ」


 だが、いくら凄い手本を見せられても、永新にはそれを真似る事すら出来ない。

 何せ、二年が経ってようやく霊力の実践授業に参加する事を認められたとは言え、今も火打ちを一発放っただけで霊力切れを起こす体たらくぶり。いかに立派な手本を用意されたとて、永新にはそれを真似る手段が無い。それは最早倶利伽羅としての致命的な欠陥であり、今更授業に参加できた所で先を行く同級生らに追いつくのは至難と言わざるを得ないのであった。


 更には、破魔弓術初級を修めた者から順次習得していく【纏炎(てんえん)】と言う霊力で肉体を保持、活性、強化する技術が永新の自信を完膚なきまでに叩きのめす。


 神童、と呼ばれるだけの霊力の励起に成功していながらも、身体の鍛錬に没頭するしか無かった永新にとって、この二年の間に得られた身体能力と持久力は、永新が努力して得ることが出来た唯一の成果。だがそれらは所詮、独学で非効率極まりない過程を経て得られた、()()()()()()()()()()()()程度に過ぎない。

 現役の倶利伽羅と言う、結果に繋がる為の過程を知る家庭教師を持つクラスメイト達は効率的な霊力の運用によって理解を深めた結果、一年も過ぎた頃には永新に追いつき、二年経った今では永新は遥か後方に置いて行かれている状況だった。


 纏炎を覚えたクラスメイトに、次から次へと追い抜かれていく感覚は、何度も味わった底辺の土の味がした。


 二年前の時点で、永新の事を「神童」と謳って持て囃す者は誰一人としていなかったものの、現状の永新は最早俱利伽羅に非ず、「只人」として誹りを受ける立場にすらあった。


「……永新、もっと頑張ろうよ」

「……ッ」


 永恋がそう言って立ち上がるよう声を掛けてくるが、永恋が言うように断じて永新が()()()()()()()()()()()()


 事実、永新は今、破魔弓術初級の火打ちを相応の火力でもって見事に放ったのにも拘らず、気を失わずにこうして立っていられる。これを成長と呼ばずして何を以て成長したと言えるのか。


 しかし、そんな植物の如き長い月日をかける成長速度など、蹴り飛ばし、鼻で笑うかのようにして成長していく他のクラスメイトから見れば、永新の成長は無いに等しい。


 その事を、まさか永恋の口から聞かされるとは思ってもおらず、永新は永恋の配慮に欠けた発言を受けても言い返すことが出来ぬまま、修練場を後にする。これ以上留まっていても、永新に出来る事は無いから。


「………………っ」


 永恋の視線を背中に感じながら、永新は奥歯を噛み締める。


 四家の嫌がらせも、理不尽な暴力も、これまで耐えて来られた。それはきっと、心のどこかで「努力を積み重ねれば、永恋なら認めてくれるだろう」と言う甘えがあったから。昔を知る永恋なら、きっといつか本当の自分を見てくれるから、等と言う、自分から彼女から離れる決断をしておいてそれがどれだけ甘い考えだったかを痛感する。


 だが、それでも。

 永恋に努力を認めてもらえなかった事実は永新の心に重く圧し掛かり、永恋の言葉が耳から離れない。


 どんな嫌がらせよりも、永恋にそれを言われる事の方が、永新にとっては何よりも苦しく、悔しいものだった。






「……ただいま」


 念願叶った喜びと絶望が綯い交ぜになった感情を内包したまま、永新は帰宅する。


 帰宅した永新は、今も変わらず母親が待つ寝室に真っ先に向かう。

 だがそれも二年経った今では意味も変わり、永新は日に数時間しか起きていられない程に病状が悪化していく母の世話をする為でもあった。


 今より一年程前、新夏の容態は急変し、小暮日家から紹介された医者の話では、減少の一途を辿る霊力から見て、いつ目を覚まさなくなってもおかしくは無いとの事。

 その話に対して、新夏の事だけを愛する父親、永政は「ヤブ医者めが」と罵って殴り飛ばした。その医者は永政が永新を育児放棄している事実を知っている為、永政に殴られても尚、燼月家から去ろうとはせず、今も時折顔を合わせば永新にお菓子を振舞ってくれる。


 そして、昏睡状態に近い新夏の命を延命するために新夏には複数の管が通され、家の中では新夏が生きている証拠とも言える計器の音が静かに鳴り続けるようになった。

 倶利伽羅の特殊な血に応じた医療機器の導入は燼月家の財布に大きな打撃を加えた為、永政は雇っていた家政婦を解雇して昼夜問わず妖魔と戦い続ける事によって政府からの給金を得て、新夏はどうにか延命させられていた。


 故に、永新は家に居ない父親の分まで目を覚まさない母親の面倒を見て、家政婦の居なくなった分だけ家の管理を任せっきりにされると言う状況に置かれているのであった。


「今日はね――」


 それでも永新は大好きな母親の為、自分に出来る事を精一杯熟す。

 治療に必要な医学知識も無ければ、霊力をまともに扱えない永新が母親の為に出来る事と言えば、使われなくなって衰弱していくばかりの母親の体を揉み解し、学園であった事を少しばかり脚色して話すことだけだった。


 静かな寝息だけが返ってくる一人芝居が終われば、次は家事の全てに取り掛からなければならない。

 朝は日が昇る前に起きて遅刻ギリギリまで母親の世話をして、放課後は霊力の授業を早々に切り上げて母親の面倒を見て、家の隅から隅までを綺麗にして、食事の支度。夜は寝る間も惜しんで学園の課題と鍛錬に時間を割く。

 母親の身の回りを整えなければならない永新は、朝に絵麻と図書館で潰す時間が無くなってしまったのが申し訳なく思ってその事を絵麻に告げると、絵麻は何か言い渋る様子を見せた後「応援してます」と笑顔で声を掛けてくれたのを覚えている。


 こんな生活を続ける事一年弱。まだ第二次性徴を迎えたばかりの永新の体では大人と違って不都合も多く、何をするにも時間がかかる。


 他の人が見れば、霊力の授業をサボっているから結果が出ていないと言うが、それでも着実に成長を見せる永新は良くやっていると言えた。朝早くに第二図書館で語らう時間が無くなったとは言え、絵麻だけは永新の身の上に同情してくれて、永新の努力を認めてくれていた。


 そうこうしている内に時計は夜の十時を差していて、ようやくありつけた夕食を前に手を合わせた頃、家の鍵が開く音がする。


「お、お帰りなさい、父様。ご飯の用意が――」


「――食事は要らない。シャワーを浴びたらすぐにまた出る。着替えを用意しろ」


「……はい、父様」


 久し振りに永新が起きている時間に帰って来た永政は、永新に目を向ける事無く脱衣所へと向かって行く。


 父親と、最後に食卓を共にしたのはいつだっただろうか。

 思い出せない程に過去の出来事となったそれは、永新に妄執のような憧れを抱かせる。


 家族で食卓を囲う姿は、どの家でもありふれたものであるにも拘らず、燼月家では夢でしか見ることが出来ない光景。

 その思いを発散するかのように、永新は絵麻と昼食を取る時間を何よりも楽しみにしていた。


『――永新くんの、一口ちょうだい?』

『絵麻のも何かくれたらいいよ』

『それなら、これとか……』

『ピーマンって、絵麻が嫌いなだけじゃん。まぁ、いいけどさ……』

『駄目ですよね――って、良いの!? やったぁ。永新くんのお弁当、好きですよ』


 ささやかな昼食を持ち寄り、二人で雑談をしながら食べ進める時だけは第二図書館にゆったりとした時間が流れ、何でもないような時間が特別のように思える。最近ではお弁当の味付けを絵麻好みに調整してしまえる程、永新はあの時間を気に入っていた。


 だが、永新が第二図書館に向かう途中や一人になった瞬間を狙って、嫌がらせは襲い来る。


『俺達の事、見下してただろ!!』

『お前は、倶利伽羅も恥だ!』

『只人同然の偽物め! 見せかけの、塵芥め!!』


 罵詈雑言を浴びせかけるだけならまだしも、ゴミを投げつけられる事も多々ある中で、そのような真似をするのは大半が燼月家と同じ最底辺の家柄の持ち主ばかり。


 最底辺と言えども、彼らが行動する後ろには必ず四家の影があって、それは決まって神来戸獅子王が目を光らせている事に、永新は気が付いていた。

 しかし、永新がその事に気付いていながら老教師に虐めの件を告げる事は無かった。


 老教師は誰に言われたか、頻りに永新に対して「大丈夫か」と問いかけるようになった。

 それが何を意味するかは不明ながら、永新は「大丈夫です」と断り続けてきた。虐めの証拠ならいくらでも転がっているのに、と思わない事も無かったが、永新は数多くの嫌がらせが浴びせられる生活の中で、自分が「大丈夫ではない」と認める勇気が無かっただけの話。

 僕は大丈夫なんだ、と自己暗示の如く繰り返し、折れる事を許さなかったのは自分を虐めてくる連中へのせめてもの抵抗の証であり、折れたら二度と立ち上がれないと理解していたからだろう。


 けれども、それとは別に四家に泥を被せたくない理由があった。


『――お前達、何をやっているんだ!』

『永新、大丈夫か!? 何か困った事があったらいつでも俺に言うと良い!』

『なんてったって、俺はお前の()()だからな! 永新!』


 暑苦しい程に頼もしい、天炎晴也と言う男。

 彼の存在は永新があれだけ嫌がらせを重ねてくる四家に対して抱く悪感情を帳消しに出来るくらい永新の心に深く入り込んでいて、学園における精神的な支柱のような存在であった。それは永新のみならず他の生徒も同様で、晴也は四家と言う立場を笠に着る事無く、誰に対しても親友と言う名のポジションを確保できる、まさに太陽のような男だった。


「……絵麻と晴也の為にも、腐ってなんて、いられないよね」


 そんな事を思いながら、父親の為に用意した夕食を片付ける。

 あの様子では朝も帰ってこないだろうから、朝食の用意も必要ない。


 連日の睡眠不足により、既に睡魔に襲われる永新であるが、母親に一言二言話しかけた父親が家を出た後は、自分の時間である。

 復讐も兼ねて授業の課題を終えた後、永新は鍛錬のために庭へと出る。


「スゥ、ハァ……」


 数々の肉体鍛錬の中、呼吸を意識して霊力の励起を促す。

 これは他でもない晴也から教わった鍛錬法なのだが、一年以上続けてもその成果は現れない。

 永新が火打ちを使っても気絶しなくなったのが成果だと言われればそうかもしれないのだが、永新にはこの鍛錬が役に立っているという実感は無かった。

 以前、どんな効果があるのか尋ねる機会があって、そこで尋ねたところ、晴也は悩む素振りを見せた後に「ふとしたタイミングで急激に効果が表れる」と絞り出すように答えたため、永新はそれを信じて今も続けていた。


 一日活動して疲労困憊の肉体に鞭打つような無理な肉体の行使は永新にとって苦痛でしか無い。あまつさえその努力が結果に繋がっていないのだから、この鍛錬に対する永新の熱量は高いわけではない。それでも、永新は愚直なまでに晴也の言葉を信じてこの意味のない鍛錬を継続し続ける。少しでも俱利伽羅として大成するために永新が出来る事と言えば、この鍛錬を除けば他に思い当たらない。天炎晴也の言う事を信じる他に、永新は努力の積み重ね方を知らないから。

 もしもここで永政が永新のしている事を目撃したならば、それが何一つとして霊力の向上には結びつかないと指摘できるのだろうが、永政が自分の息子を気にかける事など一切なく、新夏しか映らないその目は永新に向けられないまま時は流れていく。


 そうして永新は肉体が限界を叫ぶ更にその向こうへ辿り着き、疲れ果てた肉体を引きずるように汗を流し、日付が変わった頃にようやく気絶するかのように眠りにつく。

 その後、日が昇る前に目を覚まし、睡眠もほとんど取れていない状態で朝の支度と母の世話をしてから、学園へと向かう。時折母親が朝に目を覚ますと、いつも「ごめんね」と永新に向かって謝罪の言葉を口にする。永新にとって自分が重荷になっているのではないか、と考えての発現なのだろうが、永新はそんな事など考えても無ければ思った事も無い。永新はただ、今までのように「いってらっしゃい」と背中を押して欲しいだけだと言うのに。


「……行ってきます」


 いつも通りの通学路に、永恋はもう待っていてくれない。

 一人で登校する道は寂しさを感じる暇も無いくらい忙しなく、疲れが残ったままの永新は授業を受けてもカックリ、カックリと船を漕いでいる時間の方が多く、授業の内容も右から左へ抜けていくばかり。気が付けば授業が終わっていた、なんてことはこの一年で良くある事で、いつの日か永恋も助けてくれなくなった。


 そのせいで永新はただでさえ低い成績を更に落として、その件でも様々な憶測を呼び、憶測は憶測のまま永新を貶める言葉となって襲い来る。

 周りからは怠惰であると言われるも、それを否定できない永新はただひたすらに黙ってその言葉たちを受け止める他ないまま時間は流れ、やがて午後の霊力の実践授業が始まる。


 そうした流れが永新の――八歳になった永新の一日であり、永新にとって最も苦しみ抜いた記憶とも言える年だった。







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