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124話

 



 ――我流・千変万火。



 それは、倶利伽羅の技術の粋を集約させた『纏炎』による身体機能向上を遥かに凌ぐ、永新による、永新の為の、永新だけの特別な霊技であった。

 その真髄は「千変万化、ありとあらゆる事象に対応する事が出来る」と言う、只の真似事と言うには完全無欠な性質を持っていた。例えば、永新の目で捉えられていたとしても、体が反応できない攻撃があったばあい、それを反応させるのが『千変万火』であり、その攻撃が点での攻撃であろうとも、線や面での攻撃であろうとも永新の体は常に最善にして最適な行動が取れるようになる。それはつまり、『千変万火』を発動した永新には、今まで通じていた攻撃の一切が通じなくなり、初見の技であっても見切られるようになると言う事。この霊技を発動した以上、永新の体には、一切の攻撃が届かなくなったも同義であった。


 しかし、そんな強力無比とも言える『千変万火』にも弱点は存在している。

 それこそが、限界は永新の元の身体機能に帰結する、と言う点。


 本来であれば、永新の持ち得る身体能力では、先の白香厭麗の一撃を避ける事など出来なかったはず。視認すら出来ずに、永新はこの世に別れを告げる暇もないまま無残な肉片となって境内を赤に染めていたに違いない。


 だと言うのに。本来あるべき未来を、永新は――否定した。

 否定するために、引き返す道を、失った。


 永新が手を出したのは、単純明快にして唯一の解決策。

 己の恐怖を、心の弱さを飲みこむ事。ただそれだけであった。


 清濁併せ吞む、と言うのとは異なるもので、永新が手を出したのは、「自分を捨てる事」。

 心の弱さが自分だけではなく周囲を傷付けると言う事を誠一郎から嫌と言う程教え込まれた永新は、自分の心も、恐怖も何もかもを、自分にまつわる全てを擲つ事で、白香厭麗を――妖魔の王を殺す道を進む事を選んだ次第。


 それが故に、永新はルゥのアメトリンの瞳と、羅威竿の雷の霊力。自分の体にとって異物であるそれ羅二つを、霊力によって巧みに操る事で妖魔の王の一撃を避けて見せた。その結果、妖魔の王に対抗するために引き延ばした身体強化は永新の体を気が狂う程に苛むのだが、永新は最早、自分の体を顧みる事は二度となくなっているのであった。



「……気でも狂ったか、小僧」



 左目からは常に出血が伴っており、とめどない血が永新の左の頬を濡らすものの、視界は良好なまま。

 全身は常に雷によって肉を裂くような痛みが走るものの、自分の痛覚に意味など無いと謳う永新は、真宵と並んだその顔に笑みすら浮かべる。


 それは文字通り、気でも狂ったとしか言いようがない有様であると同時に、諫めるはずの立場にある真宵はそんな永新を止めようとすらしていなかった。

 今ここで永新を止めたところで、真宵一人では妖魔の王は殺せない。だが、今ここで永新を止めなければ、彼は間違いなく命を落とす。そして、命を落としてでも妖魔の王を殺す、と言う気概は本来の目的と合致している為、真宵が止める理由は永新の命以外には存在してない。もし仮に真宵が永新を止めようとしたとしても、既に「自分」を捨てている永新を止めるには何もかもが足りていなかった。真宵自身が、永新の覚悟を踏み躙ると言う、覚悟すらも。



「……」


「初めから狂ってるよ」



 白香厭麗の嘲笑交じりの言葉に、永新は何の気兼ねなく答えて見せる。



 ――(ハク)と初めて出会ったその時点で、燼月永新と言う少年の気は狂っていたと言えるだろう。



 父親からは一切愛されないどころか憎しみさえも向けられ、母親から注がれた愛は向けられた憎悪によって上書きされる。行為を向けてくれているはずの永恋は自分ではない何かを見ていたし、他のクラスメイトは自分を排除しようと睨んでくる。助けてくれる大人は、何処にも居ない環境。


 そんな異常としか言えない環境で、一体どうして僅か六歳の子が正気で居られるものか。

 自分の置かれた状況が普通であるとしか知らない無垢な子にとって、自分の置かれた状況が異常であると知る手立ては一切無かった。

 子供と言うのは存外賢いものであり、それは永新も例外では無かったものの、置かれた環境に対する疑問が生まれる余地すら無かったが故に、自分の置かれた環境に適応するように、永新は正気を保つために気を狂わせていった。追い詰められる事が正しいのだと。出来ない自分が悪いのだと。落ちこぼれの自分は努力が足りていないのだと――自らを追い詰めて。


 その結果出来上がったのが永新であり、それを壊した結果が今の永新なのであった。



「私に弓を引く行為が何か分かっているのか、小僧。私は貴様の母体……。つまり、母であるぞ? それを貴様――小僧自身の手で手にかけるつもりか? その細い腕で、吹けば飛ぶような体躯で。もしそうなれば、晴れて貴様は母殺しの汚名を被る訳だ。――いや、もう既に貴様は一度、母を殺しているんだったな? その時の感情を良ォく思い出すといい。だが安心しろ。貴様は私の、母の手によって殺される事で、その罪は雪がれる。それとも何か……。もう一度、あの時の暗い感情を味わいたいとでも思っているのか? 知っているぞ。今も貴様の頭の奥では、たった一人の肉親である父親からの罵詈雑言が消えていない事を。その不幸の味を、もう一度味わう羽目になると言うのだ。覚悟は、出来ているんだろうな? 小僧の脆くも弱い精神性で、重荷を担げるとでも思っているのか? 貴様のそれは蛮勇に過ぎぬ。唯々諾々と子犬らに従わされているに他ならない。もう一度考え直せ。貴様に相応しいのは、何かをな」


「……」


「分からないのであれば、教えてやろう。貴様に相応しいものは何か。それは、私の糧となる事だ。喜べ、小僧。貴様はそこで物言わぬ亡骸となるだけで私に貢献できるのだ。あぁ、安心すると良い。そこな子犬も、倶利伽羅共も皆、貴様と同じ場所に送ってやる。……母殺しの汚名を被る必要など無い。言ったはずだ、小僧。妖魔としても、人間としても中途半端にして不適格な貴様には、生きる資格が無いとな。であるならば貴様は自分自身に何が相応しいか、もう分っているはずだ――」


「……それで?」


「……は?」


「俺を説得する言葉は、それだけか、って聞いてるの。……死にたくないから帰って下さい、の一言でも聞ければ俺にも一行の余地はあったんだけど……それだけなら、お前の話にこれ以上耳を傾ける価値は無いよ、妖魔の王」


「――なんだと?」



 妖魔の王の言葉を遮ると言う無礼な真似に苛立ちを覚えると同時に、燼月永新の口から放たれた言葉に対して明確な怒りを覚えた白香厭麗は、自身の感情の昂ぶりを抑えきれない様子を見せる。

 穏やかに永新を追い詰めていたはずの声は底を尽いたように低くなり、余裕を湛えていたはずの目にはいつの間にか愚弄された事に対する激情が乗って眼光が鋭さを増す。


 途端、白香厭麗の感情に左右された霊力は、倶利伽羅であろうと妖魔であろうとも激情に応え、爆発的に膨れ上がる。空間を揺るがし、白香厭麗の髪を逆立たせる程の霊力が怒りの矛先である永新に向けられる。

 普通であればただそれだけで下級の妖魔でさえも跡形もなく消し飛んでしまえるような、息が止まる程に濃密な殺意が乗った声。今までの永新であれば押し潰されてしまいそうな空気を前に、『千変万火』を発動させた永新は涼しい顔で妖魔の王の威圧を迎え入れる。



「…………フッ。愚かしいな、小僧。虚勢を張っているのが丸分かりだ。見れば分かる。その体、長くは持たないのだろう? 虚勢を張ってでも私の前に立ったのは褒めて遣わす。だが、私はこのまま逃げ続ければいい。それだけで、貴様は死に至る。私が手を下すまでも無い。変わらず、私が優勢であるのは紛れも無い事実だ。――だが、妖魔の王として、私に挑んでくる勇ましき者に背を向けるなど、他ならぬ私の王としての名に傷が付く。例えそれが、蛮勇であったとしてもな」



 白香厭麗が見たのは、妖魔の王の単純なる力を前に身体を軋ませる燼月永新の姿。

 権能でもなんでもない、ただの力の一端を前に、燼月永新の体は耐え切れないのだ。それは、燼月永新にとって明確な弱みであり、先の一撃を避けるだけでそうなった、と分かってしまえば、妖魔の王には虚勢を張る燼月永新が愚かしく思えて仕方が無かった。後はただ、奴が勝手に滅びるのを待てばいい。しかし、妖魔の王の矜持がそれを許さないからこそ、奴の体が滅びるまで攻め立てる――。


 そう考えた白香厭麗であったが、燼月永新の虚勢を張るに至った尋常ならざる霊力の迸りの根幹が見えずにいた。

 それこそが、白香厭麗の本能が未だに警鐘を鳴らし続ける「恐怖」に対しての答えが得られない事への、恐怖。圧倒的優位であるにもかかわらず、燼月永新が瀕死であるにもかかわらず、彼が持ち得る妖魔の王を殺す事の出来る力が、いつまでも猛威を振るい続ける。いつまでも影に忍んでいるかのように離れない。だからこそ、白香厭麗は消えぬ恐怖を打ち払うかのように口数で焦燥を悟らせぬようにして時間を稼ぐ。そんなみみっちい方法を取らざるを得ない程に、燼月永新が恐ろしいと言う事実さえも鬱陶しい妖魔の王は、それでも逃げる訳にはいかずに、死神へと立ち向かう。口にした「妖魔の王だから」と言う理由も第一ながら、今ここで確実に燼月永新を排除しなければ、今後一生、その死神の影が纏わり付くのが、火を見るより明らかだったが故に、妖魔の王は燼月永新と言う名の亡霊に立ち向かわなければならないのであった。


 妖魔の王が「見えぬ恐怖」と称した燼月永新が身に纏う尋常ならざる霊力の奔流。それを、妖魔の王は知らない。



 ――白香厭麗は、『千変万火』を知らない。



 それこそが永新が妖魔の王の命に手が届き得る最大にして唯一の可能性であり、(ハク)が残してくれた、白香厭麗に永新が浸け入る事の出来る唯一の隙であった。


 (ハク)が妖魔の王としての記憶、即ち白香厭麗の記憶を有しているのと同様に、白香厭麗は(ハク)が見聞きした記憶を引き継いでいる。故に、白香厭麗は燼月永新がどのような人物であるかを知っているが、(ハク)が見聞きしていない物事、つまり『千変万火』については知り得ないのであった。


 永新が纏う霊力の真価も、永新の身に起こっている変質も何もかも、何一つとして理解できない状況でありながら、恐怖を禁じ得ないと言う事態が、白香厭麗にとって説明しようがない恐怖であった。そして、何一つとして知らない燼月永新に対して、身に覚えたその恐怖を打ち払う為には「燼月永新を殺す」以外に方法が無い、と言う事実にすら恐怖を抱かずにはいられない。

 確実に自分を殺す力を持った燼月永新に対して、その力が何たるかも分からない未知に対して、妖魔の王は怯えていた。誰だって、包丁を抜き身で持つ人には近付きたくないし、拳銃を持った人に近付きたくはない。自分の体に危害が及ぶかもしれないからだ。そしてその心理は妖魔の王であっても同じ――否、これまで()と言うものから、定まった摂理から離れた場所に居て死と言う概念から最も遠い位置にいたからこそ、初めて相対する死への恐怖は並の人間以上に強いだろう。


 そして、妖魔の王たる白香厭麗が、妖魔でも無ければ人でも無い、中途半端な燼月永新に対して恐怖を抱く等と言うふざけた事実に苛立ちを隠せない。(ハク)が持つ記憶は、破魔弓術の初級を三発撃っただけで霊力を切らすような倶利伽羅で、妖魔としても力を覚醒させられていない弱者であるはずなのに。



「蛮勇? 俺にとっては誉め言葉だよ。だって、俺はお前さえ殺せれば、それで良いんだから。それで、十分なんだから」



「……ッ、気狂いめが――ッ!!」



 白香厭麗の表情からはすっかり余裕の失せた様子で、鋭い眼光は永新のみに注がれており、隣にいるはずの真宵は最早眼中にすらなかった。


 そんな白香厭麗に対して、永新はその視線を更に釘付けにするように言い放つ。




「――お前、俺が怖いんだろ? その目を見れば分かるよ。これまでずっと、俺が湛えていた瞳をしているから」




「ッ!!? 抜かせ、小僧ォ……。私は、妖魔の王であるぞ……? 貴様のような力無き者とは、違う。だが、小僧の勘違いを正すのは、親の役目だろう。見せてやろう……妖魔の王の、力と言うものを――」




 白香厭麗が解放する力の一端。

 黒き霊力が飃風となって永新達を阻む中、真宵は妖魔の王から目を逸らさずに横にいる永新に問いかける。



「……燼月、それはどれだけ持つ?」

「持って、五分――いえ、三分ってところですね。でも――」

「皆まで言うな。お前は、オレが必ず――」



 隣に並び立つ永新の方を見る事無く、言葉尻が白香厭麗の薙いだ風によって掻き消されるのだが、永新はそれを追求する事は無かった。正確には、そんな余裕など、一切無かった。



「思い知るがいい。妖魔の王の、力を――」



 何故ならば、白香厭麗が振り翳した手の先に浮かぶ巨大な()が、二人の元に向かって迫っていたから。


 開始の合図など無いままに、最後の戦いの幕は妖魔の王によって、乱雑に、乱暴に、暴虐に開かれるのであった――。











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