123話
「ッ、しまっ――!?」
真宵と高速戦闘による攻防を繰り返していた妖魔の王・白香厭麗は、突如として立ち上った異常な気配に気を取られ、生まれた隙を突かれた白香厭麗は、一部妖魔化を果たした真宵の鋭い一撃をもろに受けてしまう。
「余所見は厳禁、だろ?」
霊力によって出力が常識の範疇を超えた真宵の一撃は、見事なまでに白香厭麗の横顔に突き刺さり、白香厭麗は、玉砂利が敷き並べられた白の境内を派手に転がされる。
真宵の一撃は頑強であるはずの妖魔の王の頭を容易く陥没させ、白香厭麗から一時的に思考を排除させる事に成功する。真宵の手にはそれだけの手応えがあったし、白香厭麗を無力化するにはこの好機に追撃を仕掛けるべきだと判断を下したものの、真宵は前に出そうとした足を後ろに引き戻すのであった。
状況からして、二度は訪れないであろう好機。それをみすみす逃した真宵の判断は不正解でありながらも、踏みとどまった判断は正解と言えるものだった。
何故ならば、無防備にも地面を転がった白香厭麗の姿、それこそが戦闘における駆け引きの嘘の一つでもあったから。もしも今、この瞬間に真宵が追撃を選んでいた場合、常識外れの再生能力によって既に回復していた白香厭麗によるカウンターが炸裂し、逆に真宵が喰われる側に回っていた事だろう。
しかし、罠は発動させなければ所詮置物に過ぎない。
目線一つの動きから、指先の挙動の一つに渡って幾重にも隠匿された罠を読み切り、それらを避けて目標へと着実に歩みを進める真宵は、妖魔の王を殴り飛ばした場所から牽制するように睨み付けるに留まり、白香厭麗は罠が不発に終わり、戦闘の駆け引きにおいて読み負けた事に舌打ちをしながら悪態を吐く。
「……チッ。たかだか一撃当てただけで、調子に乗るなよ、子犬……! 貴様の攻撃では、私は殺せない。その事を忘れたか? 私は貴様の遊びに付き合ってやっているに過ぎん事を」
「ハッ。もしもそうであるのなら、今後一生、笑い話には苦労しねぇって話だ。飼い犬に手を嚙まれるどころか――玩具にぶん殴られる気分はどうだ? 妖魔の王サマよ。オレはまだ、本気にすらなってねぇぞ」
封印され、長い月日の経過によって衰えた戦闘勘では、現代にて『最強』を誇る真宵に上回られるばかりだと言う屈辱を受け、忌々し気に語る白香厭麗。
それに対して、体の一部の妖魔化で妖魔の王を御する事に成功している真宵は「本気を出させてくれ」と挑発するような態度を示し、妖魔の王の視線を自分に集約させる。
だがしかし、
――真宵と妖魔の王の戦いに、意味は無い。
他ならぬ白香厭麗の発言がそれを証明しており、妖魔の王が言うように、真宵の相手をしているのは単なる余興に過ぎないのであった。
故に、真宵が本気を出していないのと同じように、妖魔の王もまた、本気を出していない。
獅子は兎を狩るのにも全力を出す、とは言うが、妖魔の王が真宵を相手取るのは、戯れと同義。
百獣の王は子供の戯れに本気を出す程、愚かでは無い。言うなれば、妖魔の王は真宵と盤上遊戯をしているようなものであった。
そのため、互いに手探りでぶつかり合った程度であり、力の出力の具合で言えば真宵が五割、妖魔の王が三割の力しか引き出していなかった。しかし、長い間封印されていた事に加えて、とある後遺症の影響によって、現段階での妖魔の王は、引き出せたとしても全盛期から見て六割程度と言った所が限度。それも、かなりの無理を押して引き出せる力の限界がその六割であり、妖魔の王が持ち得るプライドの高さからして、真宵はまだしも、永新相手にそれだけの力を引き出すと言う事は絶対に有り得なかった。
しかし、白の願いを叶えるため、白との約束を果たすためには、白香厭麗に隙を作らせなければならない。そしてその為には、奴に全身全霊の力を引き出させる事が必要不可欠なのであった。
(……だからこそ、オレが奴に全力を引き出さなければ倒せないと思わせなければならない。それこそがこの局面におけるオレのやるべき事。やらなければ、ならない事。これは――オレに課せられた、使命だッ!)
「……まだ吠えるか、子犬よ。フッ……。だが生憎、私は他に用が出来たのでなぁ――」
真宵が妖魔の王に全力を引き出させる事、ひいては彼の者に隙を作る為に命を賭す覚悟を決めたのを横目に、白香厭麗は不敵に笑う。
己の使命に全身全霊を捧げる覚悟を定めた真宵に対して、妖魔の王はその覚悟を鼻を鳴らして笑い飛ばす。
何度でも繰り返すが、妖魔の王にとって真宵との闘いは余興。盤上遊戯に興じる程度の暇つぶしであり、彼女の覚悟など些事に過ぎない。故に、真宵を相手にして本気を出すような真似――相手の術中に自ら足を踏み入れるような行為は、妖魔の王にとってはリスクとリターンが噛み合っていないため、初めからその選択肢など存在していなかった。
白香厭麗が目指す目的はただ一つ。
――自分の命に手が届きうる存在、燼月永新の抹殺。
ただそれだけだった。
同時に、白香厭麗にとって燼月永新と言う存在は、産み落としこそしてないけれども己の体が作った、正真正銘の我が子も同然。そしてそれを自分の手にかけると言う一種の儀式めいたこの行為にこそ、意味があるのだった。
白香厭麗の目から見た我が子は、貧弱。
その一言に尽きるものであり、どれだけ世界が歪められようとも、貧弱極まれりな燼月永新を壊すのはいとも容易いものであった。故に、妖魔の王は妖魔らしく、どれだけ芸術的に、どれだけドラマチックに我が子を破壊する事が出来るかを己に強いた。それがどれだけ傲慢であるかなど、考える必要も無く。
何せ、白香厭麗は妖魔の王。妖魔の頂点に君臨せし者が何よりも妖魔らしく、人の命を軽んじて何が悪いのかと開き直るかの如く、残酷に、残忍に、残虐に甘美なる思考を巡らせた結果、『妖魔の王の血』と言う妖魔の王を殺すに相応しい武器を手にした――否、武器に選ばれた燼月永新が、「強大な力を前に膝を屈し、自ら首を差し出す」と言う理想を、白香厭麗は即座に思い描いた。
そしてその想像通り、燼月永新は愚かにも、自らが手にした武器で自らが強くなったと勘違いをして、絶対に届く事の無い刃を白香厭麗に向けた。
その瞬間の、余りにも甘美にして味わい深い蕩けるような興奮は、白香厭麗であっても過去に類を見ない程に満たされるものだった。
蛮勇を振り翳し、希望を奪われ、真実を知って打ちひしがれ、無残にも沈んでいく我が子の様と言うのは、復活したばかりの体には毒とも言える程に甘い快楽であり、妖魔としての欲求が満たされていくような愉悦を覚えていた。
――我が血を引く者を、我が子を殺す事がこんなにも楽しいものだとは。
――これが終わったら、また子を成そう。
決して忘れる事の出来ない愉悦を覚えてしまった妖魔の王は、どこまでも驕った考えでもって真宵と対峙していた。視界の端には、こちらの動きさえも捉えられないような愚鈍な我が子を常に抑えながら。
妖魔の王が求めるのは、過去も現代も変わらず、ただ一つの欲求。底の抜けた器が、満たされる事。それに尽きると言うもので、土台からして決して満たされることは無い欲求であった。
だがしかし、最低最悪の行為によって妖魔の王は一瞬の間とは言え、満たされる事を知ってしまった妖魔の王は、これから先、幾度となくこの悲劇を繰り返すのだろう。白香厭麗には、妖魔の王としての力が、それを実現できるだけの力が備わっているから。
そして、白香厭麗の満たされなかったはずの器が満たされるのは、我が子をその手にかける瞬間だと理解していた。
だからこそ、真宵との戯れと言う余興によって蓄積させた憤りを、その最高の一瞬で発散させる事を理想としていた。
だと言うのに、
――なんだ、アレは。
白香厭麗は、永新の異変に目敏く気付く。
気付いたからこそ、真宵に一撃を貰う羽目になったのだが、それでも尚も、燼月永新から目を離せないでいた。
妖魔の王の胸に沸き上がるのは、疑念。溢れ返る憤懣に対する、疑念のみ。
自分は何に怒りを抱いているのか。白香厭麗は一瞬、思考が閉鎖されたかのような感覚に陥ってしまう。その時点で、相対しているはずの真宵の姿など視界から外れていて、見つめる視線の先にある異変を起こした燼月永新から目を離せないでいた。
その根幹にあるのは、本能が訴える、恐怖。
自分を殺し得る存在が目の前に出現した、生物であれば誰しもが持っている危険を察知する本能。
この世界の食物連鎖を統べる人間の天敵である妖魔。その王にして絶対の力を持つ白香厭麗が、生まれて初めて感じる、恐怖。それを与えたのは、同じ妖魔の王の血を分けた我が子、燼月永新であった。
先程までは余興に興ずる余裕があったはずなのに、今や白香厭麗の手には汗が滲んでおり、その事実だけでも遺憾と言わざるを得ない。
――燼月永新は、私の飢えを……渇きを満たしてくれるはずの物であるはずだ。
そんなものに恐怖を覚えると言う事自体、妖魔の王にして、燼月永新を己の欲求を満たす為だけの存在として見下していた白香厭麗にとっては屈辱以外のなにものでも無かった。
だからこそ、白香厭麗は燼月永新を仕留めに動く。
これ以上、自分の中に在る恐怖を容認しないために。自分の欲求を、優先させるために。
「ッ!? これは……ッ!!! ……クソッ、燼月……っ。逃げて、くれ――!」
邪魔は入れさせない、と妖魔の王が移動と共に行使したのは、妖魔の王の権能。互いの力量差に応じて対象の妖魔としての性質を施錠する能力。
王の権能によって瞬間移動を封じられた真宵は、一瞬平衡感覚を失い、その身をよろけさせるのだが、ただそれだけで自分が自分で無くなったかのような感覚に陥り、行動に遅延が起こる。
真宵の身に起こった現象。それは例えるのなら、今の今まで使っていた身体機能の一つが突如として停止したようなもの。――歩いている最中に突然足の感覚が無くなったら。手を動かして作業している時に突然手の感覚が無くなったとしたら。その人は即座に動けるだろうか。否、動けるはずが無い。自分の身に起こった異変に困惑するばかりで、その状況において即座に冷静な判断を下す事さえ難しいだろう。何せ、明確な異常なのだから。分かっていても動けない。それが人の脳の処理速度による限界だからこそ。
だがしかし、真宵は妖魔そのもの。人とは比べ物にならない程に優れた処理速度と判断能力を持ち得る上級妖魔である。そんな真宵ですら己の身に起こった事象に一瞬、気取られる。数秒間の肉体の欠損とも呼べる妖魔の王の権能に対して、真宵は「やられた」と胸の内で悪態を吐く。
それでも、不具合の生じた体はすぐに動かせなくとも、論理的思考は働き続け、妖魔の王の狙いが燼月永新に移った事を理解すると同時に背後にいるはずの真宵が守るべき存在に向かって祈るように叫ぶ。
真宵が動けない数秒さえあれば、永新に恐怖を忍ばせた時と同様に彼へと迫る事は造作も無い事実。
既にその事を証明して見せている白香厭麗は、身動きの封じられた真宵を尻目に、永新の元へと肉薄していく。
――余興は終いである。
殺すに足る理由が出来た、とばかりに握られた拳には、放たれれば永新の体など防御など意味すらなさずに消し飛ぶに違いない霊力が込められており、如何に妖魔の王の目を引く程の霊力を放つ永新と言えどもそれを止める手立ては存在していなかった。
「死ぬがよい」
首から下げたガラス球を握って目を伏せていた永新を前に、白香厭麗は何かに急かされるかのようにして終焉を告げる言の葉を口にする。
刹那、白の細身の体には似つかわしくない、着物の隙間から目を奪われるような脚線美を覗かせながら歴戦の猛者が見せるかのような堂々たる踏み込みが起こり、敷き詰められた玉砂利が悲鳴を上げるようにして弾け飛ぶ。直後、もたらされるのは音を置き去りにした、刀による一閃を思わせる正拳突きが永新の頭部を打ち抜いた――、
――かに思われた。
「……何が、起こっ――」
白香厭麗の手に残るのは、空を切った拳の全くない手応えと、永新が居た場所に残る微かな紫電を切った感覚。
確実に穿ったはずの燼月永新が掻き消えたと言う現象を前に困惑を隠せない白香厭麗。妖魔の王が事態の把握に努めようと動き出した、その瞬間、妖魔の王の頭が爆発四散し、入れ替わるように何者かの足が白香厭麗の頭と置き換わるように出現する。言わずもがな、追い付いた真宵が繰り出した蹴りであった。
「――……行けるか、燼月」
「問題、ありません」
頭部を失っても変わらず動き続ける妖魔の王の肉体。
その不気味さを前に、妖魔の王の拳を避けただけの永新の隣に、真宵が並ぶ。
そして掛けるのは、共に戦えるかどうかの声。
音を置き去りにしても尚も余りある衝撃を生んだ妖魔の王の拳。それを棒立ちの状態から避けて見せた永新に対して、真宵は称賛する訳でも無く、心配する訳でも無い様子で横に並んだのには、訳があった。
それは、永新の佇まい。
彼の言う『千変万火』は、妖魔の王が殺意を乗せた一撃すらも見切って見せる程に強力無比である。だが、それの代償が余りにも大きすぎた。
現在、永新はルゥより授かった左目から血を流しており、全身に奔らせる雷を思わせる羅威竿の霊力は身体機能を革新させるに至るものの常に全身を傷付けているような状態。どう見ても普通ではないような永新の状態に対して、真宵は心配する声を掛けるのを、憚られた。
ここに至るまでに永新がどれだけのものを授かり、背負い、潰されてきたのかを知っているからこそ、彼の覚悟に横槍を入れるような真似が出来なかった。
正しく、真なる意味での覚醒を果たした正真正銘の『千変万火』は永新の命を削るものであり、真宵には永新がそこに至った覚悟を蔑ろに出来る程、優しくなんて出来なかったのだ。
だからこそ、共闘を申し込んだ。
今の永新であれば十分に白香厭麗と対峙する事も可能であるし、そこに真宵が加わるのだから、この作戦の成功確率がぐん、と上がったようなものであった。
――永新の命を、犠牲にするような形で。
「あぁ、苛立たしいなァ……。むしゃくしゃするなァ……! そうまでして死に急ぎたいなら、殺してやろう……。肉の一片すら、血の一滴すら残さずに消し飛ばしてくれようか……ッ!!!!」
再生した頭を掻き毟る白香厭麗は、取るに足らない雑魚だと、いつでも殺す事は出来ると、自分の欲求を満たすだけの玩具だとしか思っていなかった燼月永新に反逆の意を示された事に甚くご立腹の様子を見せ、更なる霊力の解放へと繋がっていく。
「行くぞ、燼月。合わせられるな? これが、最後の機会だ」
「……はい、先生」
恩師と呼ぶには、学園での関りがあまりにも少ない。
かと言って、関りだけで言えば皇龍火が最も多かったと言えるが、彼が燼月永新にとって恩師足り得たのは、それこそキチンと向き合ってくれていた六歳当時のみだっただろう。
だと言うのに、永新が未だに真宵を「先生」と呼んでいるのには、彼が本当の意味で真宵を教師として、人生のお手本にして、永新にとっての永遠の憧れとして君臨してくれているからこその呼称であり、敬意の表れでもあった。
そんな永新の頭を最後に力いっぱい撫でた後、真宵もまた、抑えていた霊力を放出していく。
「オレも、本気を出そう、って訳だ。オレが言う事はただ一つだけだ。――オレを信じろ」
「いつだって、ずっと信じていますよ。真宵先生の事は」
「知っているさ。だからこそ強調したんだ。行くぞ、永新――」
真宵はそう言って、どこか嬉しそうに不器用なはにかみを見せた後に、永新の前へと歩み出て、全身の妖魔化を果たしていく。
永新が、千変万火を。
真宵が、全身の妖魔化を。
そして白香厭麗は、一つの目標たる、全盛の頃から見て六割の力を引き出させる事に成功する。
であれば、後はやるべきことは決まっている。
みるみるうちに妖魔化を果たし、高らかに吠えた真宵の声を合図に、正真正銘、最後の戦いが、始まる――。




