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125話

 



 妖魔の王、白香厭麗が力を解放した直後に選択したのは、圧倒的物量での圧殺。


 絹糸が如き純白の髪の束と着物を自分を中心にして巻き起こる飃風に靡かせ、天に翳した一本の指を振り下ろす。

 妖魔の王が指先に灯したのは火種――ではなく、白き空間に浮かんだ巨大な霊力の塊、()のような何かであり、永新一人を殺すには過剰と言わざるを得ない。けれども、妖魔の王を殺し得る存在である燼月永新を確実に葬り去る為に取る行動としては、最適解でもあった。


 燼月永新に、飛び道具は無い。

 言わば、燼月永新を接近さえさせなければ、彼の肉体に限界が訪れるまでこうして超火力をぶつけて近寄らせなければいい。ただそれだけで、白香厭麗は燼月永新と言う本能がうるさいほどに囁き続ける「恐怖」を黙らせる事が出来るのだ。であるならば、妖魔の王が取る選択はこの最適解のみであり、一切の情け容赦なく燼月永新を追い詰めればいいのであった。


 だが、最適解がいつ如何なる盤面でも最適解足り得ると限らない。

 何故ならば、その最適解は燼月永新と単独で対峙した時にのみ最適解と成り得るものであって、今の状況下では、最悪手の一つとして数えられる選択でもあった。何故ならば――、



 ――今の燼月永新は、一人では無いから。



「燼月ッ!!」

「はい――ッ!」



 白香厭麗の背後で陽炎の如く景色が歪んだかと思えば、陽炎より這い出るように押し出された燼月永新が、一瞬にして白香厭麗へと接近する。その手には血清の詰まったシリンジが握られているが、それをカムフラージュするように手のひらで巧みに覆い隠した永新は、気付かれぬままにその針先を白香厭麗の体に差し向ける。


 血清さえ注入されてしまえば、(ハク)の体を蹂躙する満月の効果は失われ、元の(ハク)へと戻るはず。それさえ達成できれば、白香厭麗の妨害は介入する余地を失くし、(ハク)は快く自らの死を受け入れる無防備を晒すはずであった。


 だが、そうも容易く事が運ぶ事は有り得なかった。

 次の瞬間、永新の手が隠し持っていた血清は、甲高い音を立てて砕かれ、中身が散らばってしまう。




「小賢しい小細工如きで……私に手が届くとでも思ったか――愚者共がぁッ!!!」




 永新の手を襲った衝撃は、文字通り人間離れした反応速度で白香厭麗が放った回し蹴りが()()()事によるもの。


 掠った、と言う事は、千変万火によって常に永新の脳の回路を焼き切るような情報量を取り込んでくるルゥの目によって本気を出した妖魔の王の動きを捉えた結果、羅威竿の雷によって並み居る上級妖魔さえも凌駕するような反応速度を手にした永新の肉体がすかさず手を引いて見せたものの、白香厭麗の動きは更にそれを上回ったと言う事。


 千変万火は、相手の力に応じて出力を増し、常に「後手の先」を自らに引き寄せる我流の霊技なのだが、永新の体が妖魔の王に適応した次の瞬間には上回られているなど、最早妖魔の王の底知れぬ実力に舌を巻く他無い。



「くっ……!」



 白香厭麗の足先が軽く触れただけで血清の入ったシリンジは砕かれ、それを手にしていた右手の手首から先が引きちぎられたのだから、永新は表情を顰める。痛みもあれば、衝撃もある。それに加えて、体の部位が欠損した事で生じる羅威竿の雷の操作不良によって永新の視界はブラックアウトを繰り返し、更にはたかだか回し蹴り一つで巻き起こった鎌鼬の如き旋風が、永新の体を大きく打ち付け、永新の体は後方に弾き出される。


 幸運だったのは、永新の手に隠れた血清が永新の血肉と混ざって散らばった事によって白香厭麗はそれを忌み嫌うように着物の袖で身を隠した事だろうか。それによって白香厭麗は後方へと逃れ、永新は恐れていた追撃を免れた。そして受け身を取る過程で手首を再生させるに至ったのだが、白香厭麗は燼月永新を恐るべき剣幕で凝視しながら、既に次なる行動に移っていた。


 しかし――、




「――余所見は厳禁。そう言ったはずだが?」




「っ、こ、いぬ、ぅう……ッ!!!!!」




 永新ばかり見ていた白香厭麗は次なる行動に移った直後、横から差し込んでくる真宵に全くと言って良い程気付いておらず、永新と同じように四肢を妖魔化した真宵は、毛皮に包まれた拳を白香厭麗の横脇に突き立てたのであった。


 拳を打たれてようやく真宵の存在を思い出したのか、白香厭麗は忌々し気にウルフカットの女に呪詛の如き吐息を吐き残して、殴り飛ばされていく。



「――月影」



 殴り飛ばされた白香厭麗は、空中で受け身を取って姿勢を整えると、地面に両手をついて跳び上がった妖魔の王は両の足で地面に着地すると同時に攻撃へと転ずる。狙う先は、もちろん燼月永新であり、短く告げられた声に反応するように霊力を纏ったいくつもの玉砂利が宙に浮かび上がると、(ハク)の着物と同じ柄の白い花弁となって、永新目掛けて襲い掛かる。


 千変万火を発動させた永新でさえも驚く程に早い適応、隙の一つも生じない、受け身から流れるような攻撃態勢への移行は敵ながら天晴と言わざるを得ない。


 飛来する複数の花弁に対して永新はと言うと、未だ右腕の再生に手間取ったままであり、飛来する花弁の数々を避けようとする素振りが見られなかった。



「……くっ」



 それもそのはず。右腕を欠損した永新の体は、千変万火を正常に働かせる事が出来ていなかったからだ。


 永新の千変万火は、ルゥの目と羅威竿の雷があって初めて妖魔の王にも匹敵するだけの力を宿らせる事が出来るのだが、強化幅に伴う肉体への負荷と言うリスクに加えて、当然の如くどちらか一方が欠けた場合のリスク、今までの出力を維持する事が叶わなくなる、と言う危険性も孕んでいた。

 そして今永新の身に起こっているのが正にその状態であり、全身を循環させるように巡らせた羅威竿の雷が永新の体から自由を奪っていた。右手が欠損した事で雷は放電され、永新の体では到底無理筋な動きを実現していた重大な要素が抜け落ちてしまっている状態であった。

 そしてそれ以外にも、ルゥの瞳もブラックアウトを繰り返すばかりで、まともな状況判断を下す事が困難になりつつある中で、永新は辛うじて飛来する攻撃を視認する事が出来ていたものの、全てを避けるには如何せん、体が重た過ぎた。



「致命傷は、避ける――ッ!!」



 チカチカ、と明滅を繰り返す視界。

 それ即ち、千変万火の代償である事を理解する永新は、もし仮に生き残ったとて、己の視界はもう二度と光を映さないかもしれないと悟りながらも奥歯を噛み締めて飛来する白の花弁を直撃を避けるように動いていく。


 耳が裂け、頬が裂け、手足の表皮が削れていくも、辛うじて活きるルゥの目が全てを見切ってくれるお陰で永新は全ての飛礫を避ける事に成功する。その頃には、千変万火による代償が更に苛烈さを増してくるようで、ガンガンと鳴り響く頭痛に永新は最悪を想起する。ルゥの目を霊力で操る事は脳へのダメージが非常に大きく、右手の再生に霊力を集中させている影響で脳へのダメージを相殺し切れなかったのだ。

 そうなれば最後、永新は戦いながら廃人になる道しか残っておらず、右手を完全に再生させて千変万火を再点火させない限り、ルゥの目を千変万火と同じ条件で使用した場合、永新は廃人コース一直線であった。


 それを身を以て知る永新が顔を上げた、その時だった。




「――月影」



「……ハッ」




 今の飛礫は斥候、即ち様子見でしか無かったと言うかのように放たれた二陣は、ルゥの目を使わなくとも未来の予測が出来るようであった。


 ――無理だ。


 永新の目がその無数の飛礫を視認したと同時に把握できたのは、己の死の運命。

 右手の再生には、あと数秒かかる。それから千変万火を再点火させるのに、数秒。総じて十秒の時間が必要だった。しかし、その十秒もの時間があれば、永新の体が穴だらけになるのは間違いない。


 だが、ここにきて永新の脳裏に「諦める」などと言う言葉は浮かんで来ず、廃人になってもいい、そんな覚悟を持って再びルゥの目に頼ろうとした、その時だった。



 ――GAO。



 永新は突然項の辺りを掴まれた、否、噛まれて浮遊感を覚えたかと思えば、次の瞬間には景色が切り替わっており、眼前に迫っていたはずの不可避の弾幕を、横から見える場所に移動していた。

 これは、慣れた今では違和感も何も感じ得ない真宵の瞬間移動に他ならず、しかして真宵の姿はどこにも見当たらない。


 その代わりと言っては何だが、永新が居た場所には別の何か。永新を摘まみ上げた存在が堂々と君臨していた。



 ――GAAAAAAAAAAA!!!!



 真宵の代わりに君臨していたのは、藍色の毛並みと茜から白に変わっていくグラデーションがまるで一つの芸術作品かのように思える、神々しくも気高い巨大な狼。真宵の姿が消え、代わりに出現した狼から見るに、あの狼が真宵、と言う事になるのだが、狼の横顔に残る面影に、永新は一人納得を果たす。


 その狼の特徴は、何と言っても陽炎の如く揺らめく巨大な尻尾と、その巨大な尻尾と同じくらい大きな巨躯だろう。禍々しくも雄々しい生え揃った牙を剥いて喉から吐かれたのは、妖魔の王に対する明確な威嚇。


 途端、白香厭麗は嫌な顔をして、本来向かうはずだった永新が消えた事で狼に向かって飛礫を飛ばす。


 飛来する飛礫に対して、ぐっ、と四肢に力を込めるように身を屈めた真宵は、一切の恐れなど無いかのように()()()()()()()地面を蹴った。


 ただそれだけで、足場にしていた地面は隕石でも落ちたのかと思えるようなクレーターを生み出し、真宵は前進する。

 直後、大量の飛礫が真宵の体に、鼻先に届きそうになった寸前で真宵の姿は陽炎に飲み込まれるかのようにして姿を消したかと思えば、永新が居る方向とは逆の位置に狼は出現する。



「チッ……! 子犬が、邪魔を、するな――ッ!!」



 白香厭麗は腹立たし気に声を荒げ立てると、霊力に物を言わせるかのように永新に向けていた飛礫よりも多い数の飛礫を境内を駆け抜ける夕闇の狼へと向けて放つ。

 飛礫の一つ一つに込められた霊力は、直撃すれば真宵でさえも無事では済まないような威力を放ち、着弾した傍から砲弾でも落ちたのかと錯覚するような威力でもって地面を爆散させていく。


 だが、それら全ての飛礫を、真宵は瞬間移動にて回避して見せる。

 白香厭麗も、霊力の歪みで真宵の移動する先は分かっていても、移動した先に飛礫を置いて措くような真似は出来ない。先に置いて措かれたとしても、真宵がそこを避けて別の場所に移動すればいい話なので、飛礫によって爆発する境内を縦横無尽に駆け回る真宵に対して白香厭麗は後手に回らざるを得ない状態であった。


 永新に対して遠距離攻撃が妥当であったとしても、真宵には却って消耗させられるばかり。


 であるならば、膠着した状態の真宵への対処を早々に切り上げた白香厭麗は、真宵への対処を適当に熟しつつ、狙いを永新へと切り替える。


 大きく移動しながら最適解にして最善手の適宜な遠距離攻撃によって真宵を近付けさせない白香厭麗は、ちょこまかと動き回る真宵から目を逸らし、瞬間移動によって逃がされた先の永新を「見つけた」と言って視界に捉えた、その時だった。




 ――バクン。




「ぐぁ……っ!? 貴様――その、姿は……!!」




 白香厭麗が目を逸らした瞬間を狙って、真宵は首から上だけを己の陽炎によって妖魔の王の胴体に向けて移動させ、その牙が、その顎が、白香厭麗の胴体を確実に捉える瞬間を飛礫から逃れながら根気強く待ち続けた。


 その結果、隙と呼ぶには余りにも小さすぎる、隙とは呼べないような一瞬を狙って真宵は白香厭麗の胴体に首を移動させ、妖魔の王体に真宵の首が噛み付くと言う、猟奇的にして狂気的な光景が生み出されたのであった。

 僥倖であったのは、妖魔の王の右腕も巻き込めた事か。それとも、同時に永新の右手が再生され、千変万火に再点火が為された事か、もしくはその両方か。


 待ちに待ったこの好機。

 逃してなるものかと永新が二本目の血清。即ち最後の一本の血清を手に動き出そうとしたその瞬間、白香厭麗は自由に動く左手で燼月永新に向けて飛礫を放った。



「うっ……!」


「――獣、風情が……、これで勝ったと思ったか!? 私を、妖魔の王を、舐めるなよ……ッ!?」



 千変万火によって飛礫を恐れる必要は無くなったとは言え、遠距離攻撃に対抗する術が無いのは変わりない永新はその場で足止めを食らってしまい、真宵が生み出してくれた隙を生かす事が出来ない。


 その間に、白香厭麗は苛立ちを隠し切れない様子で空いている左腕を振り翳したかと思うと、突如としてそれを振り下ろす。真宵の横顔――正確には、狼の右目に向かって、左腕を振り下ろした。



「――!!!!!」


「チィっ……! 離せ、獣風情が……ッ!!!」



 直後、吹き上がる鮮血。

 音にならない悲鳴が上がる。


 低く唸るような、濁った呻き声が真宵の口から吐かれるが、一度噛み付いたその口は決して放そうとはしない。


 右目が潰されようとも、むしろ目を閉じようとする瞼の力だけで白香厭麗の腕を抑え込んでその首を乱暴に左右に振り乱すのだが、千載一遇と言っても過言ではない好機に永新は間に合わない。飛礫を掻い潜って接近しようと試みるのだが、いくら足を動かそうにも接近には未だ、程遠い。



「……子犬よ、今この瞬間、貴様の能力を封じた場合、どうなるのだろうな? 首と胴が別れを告げるか? 見ものだな。いざ、実戦と行くか」



 グゥゥゥ、と唸りながら白香厭麗の行動を阻害していた真宵であったが、その中で不意に聞こえた白香厭麗の言葉に、思わず首の動きを止めてしまう。妖魔の王の言葉に、狼の体をして尚も背筋に走った寒気を覚えてしまったからだ。


 白香厭麗は、妖魔の王は、やると言えばやる王である。

 これはブラフでもなんでもない、己の口に咥えた白香厭麗の体から放出される霊力が、真実であると物語っているそれは、真宵自身にすらどうなるのか予測できないような条件。


 ――胴体と首を切り離した状態で瞬間移動の能力を封じられたら、どうなるか。


 陽炎によって繋がっている状態が強制的に封じられた場合、この体は一体どうなるのか。

 当然、白香厭麗の言葉が脅しである可能性は高いし、首か胴のどちらかに引き寄せられる、と言う可能性も少なくは無い。


 けれども、空間によって両断される、と言う可能性も少なからず存在している以上、ここで何も為せぬまま燼月永新を一人残して真宵が離脱する事だけは避けなければならない、と言う考えに思い至った真宵は、白香厭麗の霊力が行動に派生する前に、閉ざしていた瞼と口を開き元の状態に戻っていく。



「そうだ。それでいい。……これで、思う存分、小僧を殺せると言うものよ」



 自らの体に戻って来た自由に凱歌を歌うようにして中空を舞う白香厭麗は、まんまと言葉に乗せられた真宵を嘲笑う笑みを浮かべた後、燼月永新に向かって強襲を仕掛ける。


 永新には未だに飛礫が襲い掛かっている状況。

 飛礫が巻き上げる土煙が永新の視界を遮る今、真宵と白香厭麗のやり取りなど分からない永新にとって、その強襲は如何に千変万火であろうとも、避けられるものではない。今、彼が適応しているのは飛礫であって、永新の頭の中では強襲が来る事など想定されていないのだから。


 であるならば、回り回って今こそが白香厭麗にとって絶好の機会。

 燼月永新を、本能が恐怖する忌々しい存在を仕留める、絶好の機会なのであった。



「倶利伽羅共の言葉を借りるならば、こうか? ――灰燼に帰せ、とな」



 にたり、と笑った妖魔の王は、ズタボロになった着物すらも己を彩る一部と化して宙を舞う。


 そうして放たれるのは、必殺にして絶死の一撃。


 妖魔の王が生み出した、妖魔の王による、妖魔の王の為の、()()











「――黒き月光(ルナ・アーク)











 瞬間、黒き閃光が一条の尾を引いて、土煙を裂く。


 燼月永新が居る場所に、一切のズレなく閃光は着弾し、異界にヒビが入るかのような爆発が、起こるのであった。







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