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105話

 



 嗚咽が止む。


 涙が涸れ、喉が渇く。


 帰って来てからずっと、泣いてばかりいる永新は今更になってその事実に思い至り、思わず恥ずかしくなって顔を上げようとするのだが、ルゥがそれを許さない。時間の経過に比例してルゥが永新の頭を抱く強さは増していき、「もうすこし」と言って永新の頭頂部に鼻先を埋めるルゥの言動はまるで、別れを惜しむかのようにすら思えてくる。

 永新の涙を受け止める為に密着した二人の距離が、いつの間にかルゥに勇気を与える為のもの、と意味が変わっている事に冷静さを取り戻したばかりの永新は戸惑うばかり。


 しかし、羅威竿の喪失は、同じ仲間であったルゥにとっても一入である事は当然であり、ルゥもまた永新同様に悲しみの海に投げ出されていた。そんな当たり前の事にも気付かずに、辛くて苦しいのは自分だけだと泣き叫んでいた自分がどれだけ恥ずべき存在であったのかを自覚する。



「……ごめん、俺ばっかり、泣いて……」

「ううん。えいしんには、かなしむけんりがある。あやまることじゃない。あたしも、なきがおは、みられたくないから。……でも、すこしだけ。ないてもいい?」

「うん。うん……っ」



 だがルゥはそれを咎める訳でも無く、嘲るでもなく、泣いても良いかと永新に伺いを立てる始末。

 何事にも無関心を務めているような彼女だが、その心根はどこまで優しいのか。ともすれば、その無関心さは誰か一人に入れ込み過ぎないようにするための防衛策なのかとすら思えてしまうルゥの優しさに触れ、永新は黙ってルゥの背に手を回す。

 触れたら壊れてしまいそうな程にか弱いルゥの体を守るように抱いた永新の頭上で、静かに嗚咽が漏れ聞こえる。鼻を啜る音は次第に間隔を短くしていき、暫くの間、二人で悲しみを分かち合うのであった。











「話を戻すんだけど……」



 目元を赤く腫らした二人は横並びになってソファに腰かけ、酸素の減った脳が睡眠を欲する中、お互いに口を閉ざして舌の上で言葉を転がしていると、永新が先に口を開いた。



「俺は妖魔だった訳だけど、結局のところ、人と妖魔の間に子供は出来るの……?」

「できないよ。ようまにせいしょくのうりょくはないからね。まぁ、せいてきかいかんをかんじることくらいはできるだろうけど……。あたしもためしたことがないからわかんない」

「いや、べつに、そう言う事を聞きたかった訳じゃ……。となると、母様はどうやって俺を孕んだんだと思う? つまりは、俺を母様の胎に宿したのは、何者なんだと思う?」



 燼月永新の正体は、妖魔である。

 その事実が発覚したのはまだ良い。驚きはしたものの、結局のところ永新には変えようのない事実である以上、受け入れる他無いのだから。

 本当に悩むべきは、その情報に付随する様々な謎の方である。その一つが、燼月新夏の胎に妖魔を宿した人物。一体どうして、どうやって妊娠した倶利伽羅の胎に近付けるのかが、謎であった。



「ふつうにかんがえれば、なにかしらのたいみんぐでせいいちろうがてをだしたわけだけど……、せいいちろうは、えいしんのこのけんさけっかをみるまでえいしんがようまだってことをしらなかったみたいだから……」

「ただ忘れていた、って言うのは?」

「せいかくてきに、かんがえにくい、かな。となると、せいいちろうがこうほからはずれるとなると、かんぜんにあんしょうにのりあげるわけだけど」

「となると、別の方法で? ……妖魔は霊力溜まりに発生するのだから、倶利伽羅の体内で生成されても、おかしくは無い、とか?」

「ぐうぜんのさんぶつとかんがえたわけね。でも、それはありえない。まえにみせたえいぞうみたく、ひとのたいないでようまがうまれるためにはくりからのたいないかんきょうのすうひゃくばいこいかんきょうじゃなきゃうまれないから。……ほかにかんがえうるとしたら、こんかいとおなじようにちゅうしゃきかなにかでようまのもとがたいないにちゅうにゅうされたかのうせい、とか?」

「医者の、可能性……。でも――」



 先程まで悲しみに打ちひしがれていた永新とルゥの二人は、一人では抱えきれない程の悲しみを二人で分け合った事で素直に前を向けるようになり、いつまでも一つの感情に暮れて囚われ続けている訳では無かった。

 二人で永新の疑問の答えを求めて可能性を出し合い、一つ一つを削っていく。ルゥの言葉通り、最も可能性があった誠一郎が違うとなって一度は暗礁に乗り上げたものの、二人の知恵が揃った事で次から次へと可能性が生まれては、潰していく。


 傍から見れば何の成果も上がっていないように思えるその光景だが、ありとあらゆる可能性を一つずつ潰す事は、アレは違った、と言う答えを生んでいるのであり、知的探求には欠かせないプロセスなのであった。


 そしてあれも違う、これも違う、と生み出す可能性の全てを潰して回った結果、ルゥが最後の可能性に到達する。



「――しぜんはっせいは、ない。いしゃのぼうりゃくでもなけば、ちちおやのみゅんひはうぜんしょうこうぐんでもない。ほかにもいくつもかのうせいがでてきたわけだけど、どれもちがかった。そうなると、さいごまでのこったかのうせい……ずばり、えいしんのしゅっせいには、びゃくれいさまがおおきくかかわっているとかんがえるべきかもしれない」



 最後まで残った唯一の可能性。それは白麗――つまり、(ハク)が関与していると言う可能性。

 (ハク)は封印から目覚めた後、長い間姿を隠していた。「私を殺してくれ」と言う伝言だけを置いて。そして再び姿を現すようになったのは、永新が生まれてから。ルゥ達も知らない(ハク)のその間の動き。誠一郎を除けば、人の体に妖魔を埋め込むなどと言う荒業を実行できるのはそもそも(ハク)以外に存在していない為、必然的に(ハク)と言う答えに行きつくのであった。

 しかし、ただそれだけでは生粋の研究者たるルゥは納得出来ないために、その他のあらゆる可能性を一つずつ潰していき、最後の一つになるまで記憶を振り絞った。だが、最後に残った一つが答えである、なんて単純な思考をしていれば可愛いものを、ルゥはそれでもまだ、(ハク)の可能性を潰しにかかったのだが、その時に(ハク)が永新と大きく関与しているであろう証拠を見つけたが為に、ルゥは断定するのであった。



「えいしんの、ち。あのとき、たくさんとったでしょ」

「うん。抜かれ過ぎて、ぐったりしたのを覚えてる」

「それで、あたしはいま、けっせいをつくってる。そのときに、えいしんのちをつかってみたんだ」

「体から、抜いた血で? でも、血清は毒に対抗する成分を抽出するもので……」

「そう、ふつうはありえない。でも、えいしんのちは、からだからはなれてもなお、いきていたの」

「え゛ッ……。なんか、気持ち悪くない?」

「ううん。そのおかげで、たすかってるし、いまもたすけられた」

「それって、どう言う?」

「えいしんのちは、まだいきてる。だから、けっせいのざいりょうにしようとおもってやくえきをたらしたところ、かじょうはんのうをみせたの」

「過剰反応? それって、もしかして……すぐに効かなくなった、とか?」

「……しってるの? でも、うん。そうなの。ちがくすりをとりこんだの。いうなれば、てきおうした」

「……俺も、同じだ。誠一郎に打たれた薬も、効果が出る前に分解されて、それで……血清を作った」

「もしかして、ぶっつけでつかったの? それでこうかは――っと、はなしがそれるまえにけつろんをいうとね、あたしはこのちのせいしつを、みたことがある。それが――」



 ――白麗様の血。



 体を離れても尚、意志を持っているかのように蠢く、血の塊。

 血は霊力、霊力は血である、と称するように、血の一滴にさえもふんだんに霊力が溶け込んだ、特異体質。こればかりは霊力の多さでは決まらず、生まれながらにして決まる性質であった。

 そして、妖魔化と称して一万匹もの妖魔の霊力を体内に取り込んだ永新の体はその性質が呼び起こされ、先の一件のような、毒への抵抗であったり、自らの血を分けて血清とするなどと言った、常識の埒外にある行動が取れるのであった。

 そして、永新の霊力操作に長けた技術、と言うのも、常に頭の天辺から指の先までを霊力の奔る血液が循環しているからこそ、永新の霊力操作は頭一つ抜きん出ているのであった。


 そんな、特徴的な血。

 ルゥが知る限りでは(ハク)と永新以外に存在しないと言われる、唯一無二の血の性質。

 それらが意味する事など、最早考えるまでも無く答えが浮かび上がってくる。



「俺を作ったのは、(ハク)、なのか……?」

「そうかんがえられる、ってだけだよ。ふかくかんがえすぎちゃ、だめ。それに、もしもほんとうにそうであるなら、ほんにんのくちから、きくべき。あたしたちがいましているのは、おくそく。かくていしたじじつは、なにもない」

「そう、だよね……」



 ルゥの言葉に、永新は頭が真っ白になる前に我に返る事が出来、背中に冷たい汗が伝うのを感じる。

 それに加えて、永新の出生に関してはまだまだ謎が多い。妖魔であるにもかかわらず、何故人の形をしているのか。そもそも、燼月新夏から永新が生まれたのだとしたら、元々彼女の胎に宿った子供は、どこに消えたのか。


 考えれば考える程、自分と言う存在の歪さ、この場に立っている事の不条理さが際立つばかりで、自分と言う存在が希薄になってしまう。


 度重なる衝撃の連続で、これ以上の情報をシャットアウトしようとする脳の緊張をほぐすかのように、ルゥの言葉に耳を傾ける。横に向けた視線の先では、心許ない様子で指先を絡めるルゥの姿があって、永新はこの場の空気を換えるべく、ソファから立ち上がる。



「さっきの話からすると、血清が出来たの?」

「うん。こうかのほどは、あたしのからだでじっしょうずみ。あとはけっせいを、びゃくれいさまのからだにうちこむだけ。そのあいだに……びゃくれいさまをころしてあげて」

「……分かった」



 ルゥは、どこからともなく取り出した注射器を永新の手に包み渡す。

 シリンジにはサラサラと揺れる血清が詰め込まれており、それは紛れもないルゥの魂の結晶であり、羅威竿の雷に加えてルゥの魂をも受け取るのであった。



「びゃくれいさまへのききめは、おそらくいっぷん。そのかんに、ぜんぶ……ぜんぶおわらせること。……たのんだよ、えいしん」

「……はいっ」



 見上げてくるルゥの瞳に珍しく力が宿り、見返す永新もまた、力を込めて返事をする。

 輝きを宿したアメトリンの瞳はまるで銀河のように揺れ動く。きっとその目は、風に揺れる髪の毛の一本からすらも永新の感情を読み取ってしまえるのだろう。永新の感情を覗き見て、ルゥは何を思うのか。対する永新の漆のような艶を見せる漆黒の瞳は、感情の制御を完璧にこなしているかのように感情と言った感情が宿らないルゥの表情からは何も読み取れない。悩みどころか、喜怒哀楽の一つすらも見通すことが出来ないのは、その目を伝授してくれたルゥの師匠としてのプライド故か。それでも、助けてもらってばかりいるルゥに対しての恩返しとしてでもいいから、一度でいいからルゥの考えを見透かしてみたいと考える永新は、全てが終わった後の目標として据えるのであった。


 ただ、何一つとして読み取れないルゥの感情とは反するかのように、彼女から受け取った血清の入った注射器からは込められた強い意志が感じられて、より一層覚悟が強まる思いだった。



「えいしん」



 そんな中、自分の名前を呼ばれた永新は思わず、と言った様子で「はいっ!」と際立った返事をすると、これまた珍しく、ルゥはこれまででとびきりの笑顔を浮かべるのであった。



「きばらなくて、いい。……あたしは、このままだとせんとうではきっとやくにたたない。それでも、びゃくれいさまのねがいをかなえてあげたい、というおもいはだれにもまけないつもり。だからえいしん。あしたは、がんばって」


「明日……。明日ッ!?」


「うん、あした。ろくじかんもしないくらいあとかな。まよいがむかえにくるとおもうから」


「それも、予知夢で……?」



 ルゥが初めて見せた笑顔は、太陽のようでも満開の花のようでもなく、例えるならそう、人一人居ない朝靄のかかるどこまでも静謐で穏やかな湖のような、そんな神秘的な笑みであった。だが同時に、その笑みはどこまでも寂しそうで。



「うん。だからえいしん。いまは、ゆっくりやすんで。うでとめは、なおしておいてあげるから。……いまは、えいきをやしなうために――」


「ッ!?」



 永新を見上げるルゥの瞳が突如として言葉と共に妖しく光ったかと思えば、永新の意識は瞬く間に温かな泥濘へと誘われていく。

 瞼が降りて倒れ込む永新はルゥの小さな体に支えられ、永新は抵抗の余地も無いまま瞬く間に脱力していく。永新が意識の無い状態でも身体的反射が起こるとは言え、それらは全て敵意や殺意に対するカウンター。永新に対して慈愛の想いしか抱かぬルゥの行動に対してカウンターを発動させる意味は無く、意識を覚醒させる必要などどこにもなかった。


 それ故に、どんなに抵抗したとしても、永新はルゥが見せる夢の世界へと強制的に旅立っていくのであった。



「……さようなら、えいしん。よいゆめを」



















「――ハッ!?」



 永新が再び目を覚ましたのは、それからきっかり六時間が経過してからの事だった。

 体に掛けられた白衣を捲り上げて飛び起きた永新は、二つの眼で周囲を見渡し、自分が置いて行かれたのではないかと推察するも、テーブルに置かれた血清の姿を見つけてホッと安堵する息を零す。


 夢の中で誰かと話していたような、到底思い出せないような夢の記憶を浚って思い出してみるが、まるで靄が掛かったかのように何も思い出せぬまま永新は右手で背もたれを、左手でソファの座席を抑えて立ち上がった所で、自分の体に起こった異変を感じ取る。



「手が……!!」



 あぁそうだ。霊力が不足していて治すに治せなかった、黒い炎の糧として捨て去った妖魔の腕が生えているでは無いか。その変化に、永新は自分が意識を失う直前の出来事を思い出す。



『うでとめは、なおしておくから』



 ルゥの言葉が本当なら、これを治してくれたのはルゥであり、今見えている左の目も、治してくれたのだろう。


 であるならば、永新がすべきことはただ一つ。ルゥに礼をするべきなのだ。

 何しろ、彼女には貰ってばかりいる。出会った時からずっと常に冷静でいてくれる存在、と言うのは永新の精神的支柱にも成り得る存在であって、ルゥと一緒に居る時間は、不思議と嫌な事を全て忘れられていた。


 永新にとってルゥは頼りになる姉のような存在で、羅威竿と対を成す形で大切な存在。

 最後の戦闘には参加できないとは言え、こうした形で助けてもらっているのだから、ルゥが力及ばずだなんて誰にも言わせてなるものか、と永新は事務所の中をルゥの影を求めて探して回る。



「ルゥ? どこに居るの? 起きたよー?」



 ダボっとした白衣を片手に事務所の中を隈なく探すのだが、荒れ果てた事務所の中にルゥの姿は疎か、気配すら感じられない。となると、上の研究室で新しい研究でも始めているのか、と永新は足を三階に向けた。

 研究室に立ち入るのは初めてだ、と少しばかり緊張しながらドアノブを回し、中に踏み入れる。そこでもルゥの名前を呼んで探して見るが、電気の付いていない真っ暗な研究室にも、人の気配は一切しないでいた。


 ここにもいないとなると、一体何処に、とルゥの行きそうな場所を思い返してみた時、不意に永新は視線を横にずらした。


 そこには、ガラス器具が並んだ棚が置いてあるだけなのだが、天井から降りそそぐ光が反射して、薄らとだが永新の顔を映し出す。


 そこに映っていたのは――。






「……は」






 黒の瞳と、()()()()()()()()()()()()()姿()であった。


 その姿を目の当たりにした直後、永新はバン、と音を立てて棚に擦り寄るのだが、そこに映っているのは、どれだけ瞬きを繰り返したとて、どれだけ目を擦ったとしても変わらない二つの眼を持つ燼月永新の姿であった。


 瞬間、永新の脳裏に過ったのは、最悪のイメージ。


 そもそも、腕が再生するのは分かる。妖魔化した四肢を構成するのは、霊力だから。霊力が骨を作り、霊力が肉を作り、霊力が神経を作っている。だからこそ、損耗の程度が欠損であろうとも、大量の霊力と時間さえあれば、いくらでも再生できる。



 ――だが、目は?



 永新の目は、妖魔化なんてしていない。妖魔化が浸食を進めているとは言え、永新の頭部は何一つとして妖魔に変わっている訳では無いのだ。

 であるならば、このアメトリンの瞳は、いったいどこから来たのか。


 そんな事、考えるまでも無い。

 意識を集中して見れば分かる事だから。その左目に宿る静謐な霊力は、間違いなくルゥのもの。

 ルゥは、自分の力では戦いに参加できないからこそ、最後まで自分に出来る形で、(ハク)の願いを叶える為に、文字通り命を削ったのだ。身命を賭して、永新と言う希望に全てを賭けたのだ。


 そうとしか、考えられない。



「俺は、また……ッ!!! 二人に、まだ何も、返せてないのに……っ!!!!」



 また、助けられたのだ。

 また、命を擲ちさせたのだ。


 片眼ではどうやっても(ハク)には勝てないと踏んで。ルゥは、自分が居なくなろうとも、勝利を掴むために、その身を賭したのだ。


 全ては自分の失態が招いた悪夢。羅威竿を見殺しにして、ルゥには命を変えさせた。それがどれだけ傲慢で、どれだけ残酷な事か、永新には痛い程よく分かると言うもので。


 だと言うのに、永新の目からは涙が零れない。まるで本当に涸れてしまったかのよう。


 涙の一滴すらも流す事ができなくなった永新は、広くなった事務所の真ん中、ソファの上で己の不甲斐なさに打ちひしがれる。



「……っ」



 だが、泣く事は許されない。悔やむ事は許されない。恨む事も、憎む事も、何一つとして許されない。

 それらは、自分を信じて自分に賭けてくれた羅威竿とルゥの覚悟を踏み躙る事に繋がるから。二人を冒涜する事に繋がってしまうからこそ、永新はただひたすらに奥歯を噛み締め、右の目から血の涙を滴らせるのであった。






「――燼月」






 どこまでも環境に恵まれただけの自分。恵みに対して何も返す事が出来ない不孝者。そんな自分を卑下し、悔やみ、懊悩するばかりの永新であったが、彼の流す血の涙を拭う指先にハッとして顔を上げると、そこには最強の妖魔、宿無真宵の姿があった。


 真宵は、顔を上げた永新の色の違う二つの瞳を見ただけで全てを理解したかのように一度だけ目を伏せた後、次に持ち上げられた顔には覚悟に染まった表情だけが張り付けられているのであった。



「……行くぞ、()()。腹ァ決めてけよ」


「……はい」



 それに感化されるように、永新は立ち上がる。

 真宵は、背中だけで語る師匠である。故に、永新は彼女のライダースを目に留め、小さく返事をする。吐いた息は想像の何倍も熱く、まるで肺の奥で炎が燃え上がっているかのようであった。


 邪念に満ちた精神統一は終わりを迎え、永新は真宵の開いた陽炎へと足を踏み入れていく。




「……行ってきます」




 振り返った先には、もう誰も居ない。

 羅威竿も、ルゥも、誠一郎も、誰も居ない。

 誰も居なくなった事務所にそれだけを告げた永新は、もう二度と帰っては来ない、とだけ胸に秘め、陽炎を潜っていく。


 そうして次に開かれるのは、最後の戦い。

 (ハク)の願いを、羅威竿とルゥの願いを叶えるために、永新は立ち向かっていく――。











最後のルゥ語翻訳です。

必要ない方は飛ばしてもらって、どうぞ。



「ううん。永新には、悲しむ権利がある。謝る事じゃない。あたしも、泣き顔は、見られたくないから。……でも、少しだけ。泣いても良い?」


「できないよ。妖魔に生殖能力は無いからね。まぁ、性的快感を感じる事くらいは出来るだろうけど……。あたしも試した事が無いから分かんない」


「普通に考えれば、何かしらのタイミングで誠一郎が手を出した訳だけど……、誠一郎は、永新のこの検査結果を見るまで永新が妖魔だってことをしらなかったみたいだから……」


「性格的に、考えにくい、かな。となると、誠一郎が候補から外れるとなると、完全に暗礁に乗り上げる訳だけど」


「偶然の産物と考えた訳ね。でも、それは有り得ない。前に見せた映像見たく、人の体内で妖魔が生まれる為には倶利伽羅の体内環境の数百倍濃い環境じゃなきゃ生まれないから。……他に考え得るとしたら、今回と同じように注射器か何かで妖魔のもとが体内に注入された可能性、とか?」



「――自然発生は、無い。医者の謀略でもなけば、父親のミュンヒハウゼン症候群でもない。他にも幾つも可能性が出て来た訳だけど、どれも違かった。そうなると、最後まで残った可能性……ずばり、永新の出生には、白麗様が大きく関わっていると考えるべきかもしれない」


「永新の、血。あの時、沢山採ったでしょ」


「それで、あたしは今、血清を作ってる。その時に、永新の血を使ってみたんだ」


「そう、普通は有り得ない。でも、永新の血は、体から離れても尚、生きていたの」


「ううん。そのお陰で、助かってるし、今も助けられた」


「永新の血は、まだいきてる。だから、血清の材料にしようと思って薬液を垂らしたところ、過剰反応を見せたの」


「……知ってるの? でも、うん。そうなの。血が薬を取り込んだの。言うなれば、適応した」


「もしかして、ぶっつけで使ったの? それで効果は――っと、話が逸れる前に結論を言うとね、あたしはこの血の性質を、見た事がある。それが――」


「そう考えられる、ってだけだよ。深く考えすぎちゃ、駄目。それに、もしも本当にそうであるなら、本人の口から、聞くべき。あたし達が今しているのは、憶測。確定した事実は、何も無い」


「うん。効果の程は、あたしの体で実証済み。後は血清を、白麗様の体に打ち込むだけ。その間に……白麗様を殺してあげて」


「永新」


「気張らなくて、いい。……あたしは、このままだと戦闘ではきっと役に立たない。それでも、白麗様の願いを叶えてあげたい、という思いは誰にも負けないつもり。だから永新。明日は、頑張って」


「うん、明日。六時間もしないくらい後かな。真宵が迎えに来ると思うから」


「うん。だから永新。今は、ゆっくり休んで。腕と目は、治しておいてあげるから。……今は、英気を養う為に――」


「……さようなら、永新。良い夢を」


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