104話
燼月永新が何者であるか。
倶利伽羅に聞けば、「妖魔」と答えが返ってくる。
黄金世代に聞けば、「落ちこぼれ」と答えが返ってくる。
それらが示すように、燼月永新は倶利伽羅としては不適合な存在。
同じ一つの目標に向かって突き進む集団の中で一人だけ足を引っ張る存在がいたら、誰もが彼を見下す。虐めて良い存在だと認知が広がれば、誰も彼を庇うものはいなくなる。庇ったところで、守ったところで、メリットが無いから。どれだけ傷付けても、どれだけ尊厳を破壊したとしても、やり返して来ないサンドバックのような存在。それが、俱利伽羅から見た燼月永新と言う人物。
信じていた人から、そして実の親からも存在を否定された経験を持つ永新もまた自分をそのように認識していた。俱利伽羅と言う俗世から隔絶されたコミュニティでは、その和を乱す自分が悪。倶利伽羅の世界でただ置いて行かれるだけの自分は、妖魔と同じ悪であると、永新の歪んだ自罰的な価値観は、そう言った環境で培われてきた。
だがそれらは、俱利伽羅の世界では燼月永新と言う器を評価するだけの基準が存在していなかった、と言うだけの話であった事を永新は白から教わった。それこそが、倶利伽羅の長い歴史の中で常に争い続ける、妖魔の世界。妖魔の世界は、地獄のようだった環境から永新を助け出してくれた白を筆頭に、多くの妖魔が永新を認めてくれた。努力を重ねれば、それだけ妖魔の力の扱いは上手くなり、褒めてくれる人が居る。そんな当たり前の環境が永新にとっては余りにも居心地が良く、まるで天国のような場所であるとすら思えてしまう程だった。故に、永新の十五年と言う辛く苦しくも短い人生の内で、百分の一にも満たない程に短い付き合いだと言うにもかかわらず温かく迎えてくれた妖魔達の存在は、永新がどれだけ渇望しても手に入れられなかった本物の家族のよう。初めて心の底から欲しいと願ったものが手に入った感覚は言葉にして言い表すのも難しい程の感動に包まれ、絶対に手放してなるものかとすら思えていた。例えそれが、倶利伽羅との敵対を意味する行為であったとしても。
これらは要するに、倶利伽羅には倶利伽羅の、永新には永新の適合する世界があった、と言うだけの話。
相容れなかった。ただそれだけの話――。
――では済まされないのが、燼月永新と言う異質な存在。
白の願いを果たす為に集った妖魔側の裏切り者である誠一郎が、裏で手を引いて作り出したとされる、妖魔化の薬。人の体に埋め込んだ妖魔を活性化させ、受肉させると言う、残虐な薬品。言葉巧みに惑わし、あらゆる油断を用いて大勢の倶利伽羅を巻き込んだ実験では、多くの倶利伽羅がその被害に逢った。その結果、妖魔に堕ちた倶利伽羅の大半はまともに力を得る事も無いまま駆除されて行ったのだが、中には適性を見せて中級妖魔相当、即ち意思を持つ妖魔として覚醒する者も出てきた。しかし、それらの妖魔達は倶利伽羅としての経験を持ち得ながらも、倶利伽羅の技術は何一つとして扱う事は出来なかったと言う。
変わり果てる前に使っていたはずの力の数々。破魔弓術、紅蓮一刀流どころか、息をするように使っていたはずの纏炎すらも、その妖魔は使えなくなっていたと言われ、得体のしれない力を振り回されるだけの大した能力も持ち得ない中級妖魔は、下級妖魔が如く単純な死を迎えたのだと言う。
過去に例を見ない、大量の倶利伽羅が外法へと道を踏み外す結末。
妖魔化した倶利伽羅は、力を失う。倶利伽羅の長い歴史の中でも、外法によって堕ちた倶利伽羅が辿る道は同じであると記録にも記されている以上、誠一郎によって実験体にされた倶利伽羅はその道を辿っているのだ。
しかし、特異な存在である燼月永新は果たしてどうか。
白による儀式で妖魔の血と混ざり合って反転した事で妖魔化した永新だが、持ち得ていた倶利伽羅の能力を失わず、むしろ俱利伽羅であった時には決して使えなかったはずの『纏炎』すらも使いこなせるようになっているのだから、これを例外と言わずして何と呼ぶのか。
それに加えて、永新は倶利伽羅全体の本懐とも言える『黒い炎』にも到達しており、それによって恩師を撃退している。当然、俱利伽羅であった時点で既に永新が黒い炎を使えていた、と言う話は誰も聞いた事が無い。何せ、倶利伽羅時代の永新は、初歩の初歩である破魔弓術の初級をたった三発撃つだけで霊力を切らして気を失ってしまう程に目も当てられない存在であった。
そんな永新が妖魔になったから、と言うだけで新たな力を得るどころか、前例を覆すような結果をもたらしたのは適性があったから、と言うだけでは説明が付かない。
更に加えるとするならば、永新は妖魔としても異端児であり、本来であれば妖魔と言う種族の括りにある限り、妖魔の王である白を殺す事は出来ない。それは偏に妖魔の王の力が強大だから、と言うだけではなく、妖魔である以上自分達の主上の存在に手が届いてはならない、と言う縛りが生まれながらに課せられているから、と言うのがあった。故に誠一郎や人形使いと言った妖魔の王の座を狙う妖魔達は、自分達の手に変わる妖魔の王の命に手が届き得る存在を探し求め続けているのであった。
確かに妖魔の王たる白の力は強大であるが、それを超える事は難しい訳では無い。事実、最強の妖魔と呼び声高い宿無真宵にかかれば、満月の夜に姿を現す白の『本性』をたった一人で抑え込む事すら出来るのだから。故に、殺す事は不可能では無いはずなのに、殺す事が出来ない。それこそが妖魔の王としての権能とも言うべき、課せられる縛りなのであった。
そんな中で、突如として反転して生まれた、燼月永新。
彼は妖魔の王を殺す事が出来ると、他ならぬ妖魔の王自身の口から明言された。それは、彼が倶利伽羅だったから。倶利伽羅の力を持っていたから。そう考えられてきた。
妖魔としても異端の永新は、その事実を以てあらゆる期待を背負わされた。だがその使命は、今まで背負ってきたどんな期待よりも心地よく、喜んで背負いたいと思えるような重荷であった。むしろ、永新にとってそれは、「お前は特別だから」と言ってもらえているかのように誇らしく、アイデンティティにすら成り得るようなものだった。
だがしかし。そんな永新の誇らしい感情も、何もかもが、たった一言で揺らいでしまった。
――君は、初めからずっと、妖魔だよ。人間の振りをした、妖魔だよ。
衝撃が走ったあの時からずっと、この一言だけが永新の胸の奥に刺さって抜けないでいる。
燼月永新は人の子である。
倶利伽羅の血を継いでいながら、倶利伽羅の才覚に恵まれずに生まれた、落ちこぼれの烙印を受けし者。それでも、妖魔として生まれ変わって第二の生を受けた事で新たな居場所を得た。永新の胸に刺さって抜けなくなったあの言葉がもしも真実なのであれば、永新は特別でもなんでもなく、むしろ永新を排除しようとした黄金世代の姿勢が肯定されてしまう。
そうなってしまっては最後、永新を憐れむ者は誰一人として居なくなる。永新は選ばれた存在では無かったのだと言う事が証明されてしまう。
永新が特別ではないと分かれば、白も、真宵も、ルゥだって、見る目が変わるかもしれない。生まれて初めて出来た自分の居場所がごりごりと削られていくような、アイデンティティの喪失に怯えて口にすることが憚られていたのだが、知らないままではいられない。
「――っ」
故に覚悟を決めて問いかけたのだが、体の震えが、止まらない。
握った拳は爪が口込む程に固く握り締められ、額や首、背中には大量の発汗が起こる。
極度の緊張で浅くなった呼吸を整えようと必死になればなる程、永新は追い込まれていくようで、ルゥの答えを聞く余裕などまるで無い状態だった。
「……らいかんはなにもしらなかったけど、しっていたとしてもきっと、かわらなかったはず。えいしんがなにをかんがえているかはわからないけど、すくなくともあたしとらいかんは、えいしんのことをみるめをかえたりなんてしない。そうでしょ?」
「……っ!」
堅く握り締められた拳に添えられた小さな手によって、蕾が花開くかのように永新の拳はゆっくりと開かれていく。それをきっかけに肩の力が抜け、ようやく体の震えが収まった所で永新は吸って吐いてを繰り返し、心拍を落ち着かせていく。
目線を下に向ければ、ルゥの言葉に賛同するかのように稲光が瞬き、羅威竿が仕方なさそうに笑っている様子が見える。
――俺様が付いていねぇと駄目だな。
なんて言っているかのようで。
背中を押すだけではなく、手まで引いてもらわなければ動く事すらままならないような意気地なしであっても、羅威竿は決して見放したりはしない。永新が特別じゃなかったからと言って、態度を変えるような男ではない。そしてそれは、ルゥも同じ。誰よりも先に検査の結果を知り得ていながら、今もこうして出会った時から一貫した態度を見せているのを見て、自分の心配は杞憂だと思い知らされる。
であるならば。と意識を切り替えた永新は、長い事押し留めてしまっていたルゥの言葉を、彼女の小さな口から紡がれる真実の先を促すように、彼女の目を見て小さく頷く。
「……これが、けつえきけんさのけっか。こっちがえいしんので、こっちがきじゅんち。にんげんとようまのちがい、それはけっちゅうのたんぱくしつとさんそのうどがもっともわかりやすい。どちらとも、きょくたんにすくなければようまのかのうせいがたかいってことになる。これはたとえようまがひとかしていたとしても、はっきりとだされるの。だから、にんげんしゃかいにとけこむようまはちゅうしゃがきらいなのがおおい。で、これがえいしんのたんぱくしつと、せっけっきゅうのかず。みてわかるとおり、どちらも、きょくたんにすうちがひくい」
「……」
血液検査の基準値と、永新の検査結果とを照らし合わせる為に並べられた二つを見比べて、ルゥは言い淀むことなく言い切る。永新の血は、人間のものではない、と。
その事実に、ごくりと生唾を飲み込んだのは、恐怖からか。それとも、安心感からか。どちらが正解かは、永新にも分からなかった。
「これはからだのいじょうでみられるすうちではないし、らいかんやあたしのけつえきけんさのけっかとほぼおなじ。ちなみに、ようまかしたくりからからとったちをけんさしたすうちはこっち。おなじようにすうちにいじょうがみられているけれど、えいしんのようにきょくたんなすうじはひとつもない。すくなくとも、けつえきけんさのけっかは、えいしんはうまれながらにしてようまだということをしめしている」
生まれながらにして妖魔。
あの時、永新が必死になって否定した誠一郎の言葉は真実であり、所詮は無駄な抵抗でしか無かったのだと思い知らされた永新は、思わずソファの背もたれに全体重を委ねるように倒れ込む。
「は、はは……」
脱力した永新の口からは、渇いた笑いが吐き出される。
「俺は……最初から……。生まれた時から……人じゃ、無かった、って……?」
思い返せば、母親の霊力を奪って生まれてくる子供なんて、後にも先にも永新以外に存在していない。
倶利伽羅ならば誰でも出来るようになるはずの霊力の励起。それが初めての励起で頭打ちになったのも、それは永新の体に取り込まれた母親の霊力を使っていたからに過ぎないのだと。初めから、永新は霊力の励起なんて出来ていなかった。出来ていると、思い込んでいただけなのだ。
ともすれば、唯一の肉親――ではなく、妻の股の間から出て来た子供を妖魔と知らずに父親面をしていたあの男の発言にも、正当性すら生まれてくると言うもの。
――お前が母を殺したのだ。
全く以てその通りでは無いか。
悪いのは、全て自分自身だった。虐められるのも、傷付けられるのも、尊厳を奪われるのも全て、自分が妖魔であるからいけなかったのだ。そうして考え至ってしまえば、自分がどれだけ道化であったか、どれだけ無駄な努力を積み重ねてきたのかが判明して、自分を嘲笑う冷笑が湧き上がってくるというもの。
「は……はは、ははは……っ!! なん、だよ……それ……っ!」
あぁ、あぁ、腹が立つ。
今更になって妖魔を自覚して、これまで人であろうと制してきた本能が暴れ出す。
欺瞞に満ち溢れた人の皮の下で、ただひたすらに牙を研ぎ続けてきた妖魔としての本性が、遂に日の目を見るかのよう。
「ざまぁ、みろ……!! お前は、誰よりも醜い、妖魔だったんだよ……! だから、だから、もう、希望なんかに、縋るんじゃねぇ……。俺は、俺は……! 救いようのない、妖魔なんだから…………ッ!!!!」
過去の自分に言い聞かせるように、永新は吠える。
何をやっても、無駄だから。自分はどれだけ努力しようと、誰も認めて何てくれないから。だから、周りの誰かに期待するのは止めろと、咽び泣くような声で、過去の自分を引き留める。
だが、それでも、過去の自分はきっと行くのだろう。
ありもしない、期待に応える為に。
――永新は、母さんの誇りだよ。
血の繋がりもない母を名乗るあの女も愚かだった、と口にしようとしたその時。どうしてもその悪態が吐けない事に、気が付く。
――燼月さんが親御さんから愛されていないだなんてそんな事、絶対に有り得ませんわ!!
脳裏に、香織の魂の込められた発言が過る。
その言葉が忘れられない程に嬉しかったと言う事実は、永新もまた、母親から愛されていた、と言う自覚がある証拠で。周りに敵しかいない事にすら気付かなかったあの頃、常に味方であってくれたたった一人の女性を悪く言う事など、永新には出来ないのであった。
「……俺は、母様の、子供じゃ、無かった……ッ!!!」
父親の息子では無かった事への安堵よりも、それ以上に母親の子供では無かったと言う事実の方が、何倍も悲しく、そして何よりも虚しく、永新の心に大きな穴を開ける。
死に際にすら会えず見殺しにされ、その果てにはあなたの子供ですら無かった。
そんなどこまでも親不孝者である自分を恥じ入るように嗚咽を噛み殺す永新の耳に、ルゥの声がするりと流れ込んできた。
「えいしんのおかあさんは、えいしんがようまだってことをしったうえで、あいしてくれたんだと、おもう」
「え……?」
そんな馬鹿な、と否定する自分と、それは本当か、と希望を宿す自分。
相反する二つの感情に挟まれながら、永新は藁にも縋る思いで体を起こし、ルゥの言葉に耳を傾ける。
「そもそも、じぶんのからだをとおるもののいへんにきづかないわけ、ない。ましてや、れいりょくのいじょうだから。れいりょくになじみのふかいくりからが、わがこのいへんにきづかないはずがない。それでも、とうぜんかっとうはあったはず。くりからとしてのじぶんか、ははおやとしてのじぶんか。そのふたつをてんびんにかけて、えいしんのおかあさんはあなたをあいすることをきめた。さいごのいっしゅんまで、おかあさんはえいしんをいちどでうらんだことがあった? にくんだことがあった? きっと、なかったはず。それは、たとえあなたがようまであろうとも、あなたをあいするとけついしたおかあさんのかくごのあらわれ。……えいしん。あなたはまちがいなく、おかあさんにあいされていた。そのあいは、きっと、まちがいなく、ふかいあいだったはず。そのあいはえいしん、あなたのこんかんにかならずやどっているはず。それだけは、わすれちゃだめ」
「……っ!」
永新の心の奥を覗き込むような、ルゥのアメトリンの瞳と彼女の言葉に射貫かれた永新は、何度も何度も深く首肯を繰り返し、何度目かも分からない程に、咽び泣く。
子供のように大口を開けて無く泣き方を知らない永新は、下唇を噛んで小さな嗚咽を殺すように、息を潜めるかのように咽び泣く。その姿がどれだけ痛ましいかなど言うまでもなく、一人で居させるには余りにも可哀そうな永新を見たルゥは、弱り切った永新の頭を胸に抱く。
ルゥの小さな体に宿る温かな体温は忘れかけていた母の腕の中を思い出すかのようで、永新は涙が涸れるまで、泣き続けるのであった。
ルゥ語翻訳大活躍中。
必要の無い方は読み飛ばして下さい。
「……羅威竿は何も知らなかったけど、知っていたとしてもきっと、変わらなかったはず。永新が何を考えているかは分からないけど、少なくともあたしと羅威竿は、永新の事を見る目を変えたりなんてしない。そうでしょ?」
「……これが、血液検査の結果。こっちが永新ので、こっちが基準値。人間と妖魔の違い、それは血中のたんぱく質と酸素濃度が最もわかりやすい。どちらとも、極端に少なければ妖魔の可能性が高いって事になる。これは例え妖魔が人化していたとしても、はっきりと出されるの。だから、人間社会に溶け込む妖魔は注射が嫌いなのが多い。で、これが永新のたんぱく質と、赤血球の数。見て分かる通り、どちらも、極端に数値が低い」
「これは体の異常で見られる数値では無いし、羅威竿やあたしの血液検査の結果とほぼ同じ。ちなみに、妖魔化した倶利伽羅から採った血を検査した数値はこっち。同じように数値に異常が見られているけれど、永新のように極端な数字は一つも無い。少なくとも、血液検査の結果は永新は生まれながらにして妖魔だという事を示している」
「永新のお母さんは、永新が妖魔だって事を知った上で、愛してくれたんだと、思う」
「そもそも、自分の体を通る者の異変に気付かない訳、無い。ましてや、霊力の異常だから。霊力になじみの深い倶利伽羅が、我が子の異変に気付かないはずが無い。それでも、当然葛藤はあったはず。倶利伽羅としての自分か、母親としての自分か。その二つを天秤にかけて、永新のお母さんはあなたを愛する事を決めた。最期の一瞬まで、お母さんは永新を一度で恨んだ事があった? 憎んだ事があった? きっと、無かったはず。それは、例えあなたが妖魔であろうとも、あなたを愛すると決意したお母さんの覚悟の表れ。……永新。あなたは間違いなく、お母さんに愛されていた。その愛は、きっと、間違いなく、深い愛だったはず。その愛は永新、あなたの根幹に必ず宿っているはず。それだけは、忘れちゃ駄目」




