103話
「えいしんがめをさましたら、あばれるかもとおもってたんだけど」
神妙な面持ちで何を言うかと思いきや、ルゥは空気を和ますために軽口を挟んで笑って見せる。
元より表情筋の硬いルゥだが、今だけはどうしてか普通の人間のように感情表現をする姿は、見た目とは相反して大人の余裕が垣間見える。
あれだけみっともなく泣き付いていながら何を言うかと思われるが、ルゥもまた、永新にとっては羅威竿と同じ妖魔としての先達。偉大な先輩の一人である事には違いなく、永新は腹を据えて拝聴の姿勢を構え、次に開かれる彼女の言葉を待つのであった。
「……なにせ、もうしっているかもしれないけど、あたしはせいいちろうのうらぎりをしっていたから。こうなることをしっていて、あたしはえいしんとらいかんのふたりをおくりだしたんだから。えいしんがあたしのことをうらんでいても、あたしはすなおにそれをうけいれるつもりだよ」
「…………誠一郎さんの口から、聞かされました。ルゥの心臓を奪っている、と」
それは、誠一郎が永新を脅迫する際に用いた香織の心臓を見せびらかした時の事だった。ついで、とばかりに告げられた言葉に、あの時永新は目の前の選択肢に慄くばかりであったが、その事実には今しがた、ルゥに縋り付いた時に思い出され、彼女の言動にまで思い至った。
人化の術を使っているはずなのに、彼女からは心拍が聞こえない。
血の脈動はあると言うのに、彼女の体からは鼓動が聞こえないのだ。
それは誠一郎の言葉が嘘やハッタリではなく、真実であったと言う事。
そこまで条件が揃ったならば、行きつく先は「何故、誠一郎がルゥの心臓を奪ったのか」に辿り着くのは必然であり、あらゆるいくつもの可能性が浮かび上がってくる。
しかしその先の答えに辿り着く為に必要な情報は出揃っておらず、永新の頭では答えにまで到達する事は叶わなかった。もしもこれが羅威竿であったならきっと――、と思考が飛躍するのだが、ここにあるのは頼りない永新の落ちこぼれた頭一つのみであり、どれだけ無いものねだりをしたところで死んだ羅威竿は帰ってこないし、永新の頭が突然冴える訳でも無い。
故に、真実を知る為に永新が取れる行動は、ただ一つ。
本人に直接問いかける事のみであった。
「……ルゥは、どうやって誠一郎さんの裏切りを知ったの」
一頻り泣いて、全てとは言わずともいくらかを吐き出して頭がすっきりした永新は、前を向いてルゥに問いかける。
永新の中では、記憶に新しい出来事の数々が深い傷となっているに違いない。特に羅威竿の喪失と言うのは計り知れない程に大きく、感情を整理させるのに多大なる時間を要する事は言うまでもない。
だと言うのに、永新は今、感情の整理など出来ていないはずの状態でありながらも思考を切り替え、今考えるべき事、今自分がやらなければならない事を優先して考える事が出来るようになっていた。
ルゥの目から見てもそれは自棄になった訳では無く、永新は感情の取捨選択が出来るように成長しているように捉えられた。それが果たして良い事なのか悪い事なのかは神のみぞ知ると言えるのだが、少なくともルゥからすれば永新から『人間らしさ』が消えたかのように思えて他ならず、俄かに眉根を動かすのだが永新はその事に気が付かなかった。
「……せいいちろうがあたしたちのなかまにいれてくれってやってきた、そのときから。もう、どれくらいまえかはおぼえてないけど、あたしはすぐにせいいちろうのこんたんをしった」
「最初、から? ……なら、どうして他の皆には、言わなかったの」
それこそ、誠一郎が最も危惧していた真宵にでも進言さえしてしまえば誠一郎は簡単に排除できただろうし、今回の事は起こり得なかった。羅威竿は殺されなかっただろうし、香織も、絵麻も傷付く事は無かった。なのにどうして……、と決してルゥが悪いのではないと分かっていながらも、それでもどうしても怒りの矛先が向いてしまうのを必死に抑えるかのように、永新は拳を堅く握り締めて訴えかける。
それに対するルゥは、落ち着き払ったその目で永新の怒りを肯定しながら一拍の沈黙を永新に与えた後に、彼の決死の抵抗に応えるかのように続きを口にしていく。
「むかしは、いまよりももっとたくさんのなかまがいたんだ。でも、だからこそ、いえなかった。あまりにもしんじがたいかれのこんたんを、うのみにするわけにはいかなかったから。あたしのもたらしたじょうほうでみんなをこんらんさせるわけには、なかまどうしのあいだにふわをもたらすわけには、いかなかったから。まずはじょうほうのせいさをしなければならない、とうらをとるためにせいいちろうほんにんにといかけたの。そしたら、はいごからおそわれて、しんぞうをうばわれた。けいかいしていたつもりだったんだけどね。そのときから、せいいちろうはあいてのゆだんをさそうのにたけていた。ころされなかったのは、あたしのちからにりようかちをみいだしからっていってた。ついでに、こうしておさないからだにまでかえられたの。あたしが、なにもできないように、って」
「…………っ、ごめん。少し、変なこと考えてた。ルゥが一番、苦しんだ、って言うのに……、ルゥの事を、責めるみたいな言い方までして……」
「ううん、いいの。えいしんのきもちも、じゅうぶんわかるから。それに、あたしはじぶんのいのちをなげうってでもせいいちろうをとめるべきだった。でもそれをしなかったのは、あたしはまだしにたくない、ってすがっていたからだとおもう。いってしまえば、じこほしんのために、せいいちろうのうらぎりをもくにんしていたんだとおもう。だから、あたしがえいしんにどれだけうらまれても、しかたがないこと。これは、あたしのつみだとおもうから」
潔く己の非を認めるルゥを見て永新は相手の背景も知らずに攻め立てようとした自分に恥じ入り、あまつさえ全ては自分の責任だと永新の分まで泥を被ろうとするルゥに対して、永新は掛ける言葉の一つも思いつかない。
ましてや永新はルゥに対してとある引け目がある以上、彼女が言ったように恨む事など出来やしない。
「……それに、どれだけかこをくやんだところで、かこはかえられない。うばわれたしんぞうもいまや、くりからのてにおちたいじょう、あたしは、あたしにできるさいごのしごとをやりとげるしかない」
「っ……!」
永新の抱える引け目と言うのが、誠一郎に奪われた数多の心臓の中にあるはずの、ルゥの心臓の行方。
誠一郎の最期の足掻きによって異界に巻き込まれた倶利伽羅が先に見つけたものの、異界から脱出する際に不意を突く形でならば心臓の一つを奪う事は可能では無いか、と判断し奇襲に及んだものの、力を使い果たした永新の体では、倶利伽羅数人を掻い潜る事すら不可能であり、さらに多くの倶利伽羅が集まってくる前に離脱しなければならなかった以上、永新はルゥの心臓を取り返す事を諦めざるを得なかった。
つまり永新は、心臓を奪取してルゥに全盛の力を取り戻させる事が出来たにもかかわらず、力不足が原因で彼女に自由を取り戻させる事が出来なかったのである。それどころか、倶利伽羅が心臓を管理する以上、ルゥの心臓が妖魔の物であると判明した場合に辿る結末など一つしか考えられない。即ち、心臓の破壊。そしてそれは人化したルゥを殺す事に繋がる為、永新はまたも、仲間の命を見捨てているのと同意な行いをしているのであった。
胸に手を当てて噛み締めるように呟いたルゥに対して、永新は表情を大きく歪ませる。
それは、何一つとして守れなかった自分に対する自責の念。不甲斐ない自分に対する苦悩に満ちた、歯を食いしばったような表情。
永新はそうやって自分の罪を認識しているものの、かと言って謝るべきではない事も理解している。ルゥが謝罪を望んでいない事は、永新にもはっきりと読み取れていたから。だからと言って永新の罪が無くなる訳では無いし、ルゥの為に何もしないと言う訳にはいかないと頭の中で思考をぐるぐると巡らせるばかり。
「えいしんがきにやむことはないよ。しんぞうをうばわれてようまかがふうじられたとしても、あたしにはまだまだできることはある。えいしんには、びゃくれいさまをころしてもらわないといけないから。……おもにをせおわせるようだけど、たとえあたしのいのちがつきたとしても、あたしたちのほんかいさえとげられれば、ほんもうなの。だから、えいしん。えいしんには、まえだけをむいていてほしい」
「そんなの……!」
――そんなの、当たり前だ。
――そんなの、無理だ。
どちらとも取れる永新の言葉に、ルゥは永新の心中を察しながらも、にこやかに微笑む。
永新だけが希望なんだ、と物語るルゥに対して、永新は期待と言う重荷が肩に圧し掛かり、それ以上の言葉を紡げずにいた。それはある意味では永新にとって残酷であると同時に、救いでもあった。
言わなければならなかった言葉を言い終えたルゥと、言葉に詰まる永新との間に深い沈黙が満ちる中、ルゥは自分の話は終えたと言葉を転がした後に、永新はまだ聞きたい事はあるのか、と問いかける。
俯いたままの永新であったがその言葉にゆっくりと頭を上げて、ずっと気にかかっていた問いを口にするのだった。
「……ルゥの、能力、って?」
あの誠一郎が恐れ、目覚めた白すらも黙らせるような能力。それは一体どんなものなのか、永新は知らねばならなかった。
だがしかし、永新の本当に聞きたい事はそんな事ではない。わざわざこんな大切な機会を消費せずとも、いつ何時尋ねようともルゥならば答えてくれたに違いない。
だからこそ、ルゥは永新の本音を見透かして理解していながらも、永新に向き合う覚悟が出来るまで待つ、と言う選択を取る。例えその時までに自分の命が保たずとも、永新が望まない限り、彼をこれ以上苦しめる必要は無いだろうと心に決めて。しかし、もしも永新に覚悟が出来たのならその時は、包み隠さずに全ての真実を告げようと決意して。
「あたしののうりょくは、『ゆめ』。だれかにゆめをすきにみせることができるし、だれかのゆめにもかいにゅうできる、そんなのうりょく。せんとうむきじゃないけど、はじめましてのあいてにはかならずつうようするすぐれものだよ。……いや、まよいにはさいしょからつうようしなかったな?」
「夢……。それって、どんな夢でも、見せられるの?」
「れいりょくのかげんしだい、かな。ゆめにもいろいろしゅるいがあるからね。てきとうなゆめをらんだむでみせることもできるし、ゆめのなかでさんぽしようとおもったらめいせきむでも、はくちゅうむでもみせればいい。つかいかたしだいだけど、じむしょのまわりにもあたしのれいりょくをつかってけっかいをはる、なんてこともできる。いっぱんじんやはじめてとおるくりからなんかは、このじむしょのそんざいをにんちすることすらできないようになってる。のうりょくは、つかいかたしだい、ってかんじ」
「俺が……。いや、羅威竿がこうなる未来を知っていた、って言ってたよな。それってもしかして、予知夢も操れるのか?」
「みせられるよ。よちむのほかにも、せいしんをおいつめるようなあくむだってみせられる。はくちゅうむとくみあわせると、げんかくをみせるみたいなかんかくでつかえたりするからね。ほんかくてきなようまかもできれば、たいしょうをひとりじゃなくてふくすうにんにしたりもできる。そうやって、いままでいきのびてきた」
「悪夢……」
ルゥの能力など無くても、人は起きていながらも現実を地獄に買えてしまえる程の悪夢を見させられる。その事を身を以て知っている永新は、ルゥがその能力を一度でも自分に掛けたかどうかを聞いて、否定の意が返ってくるのを見て小さく溜め息を吐く。
もしかしたら今この瞬間も全てが夢ではないかと言うありもしない希望に縋ったところで、今見ている景色も全てが、何よりも悪夢のような現実であるのだと思い知らされる。
その余りにも辛辣とも取れる答えに永新は辟易としながら項垂れるのだが、永新の胸の内はいつまでも曇ったまま、ずっしりと重たく垂れるような塊が残っているような感覚に襲われ続けていた。
「……」
「……」
幾度目かの、沈黙。
静寂が二人を包み込むかのように、お互いの息遣い、部屋を流れる風の音だけが鼓膜を震わす中、全てを吐き出してすっきりしたはずの永新の中に残る最後の蟠りが、どうしても吐き出せずにいた。
ルゥがその事に気付いている事も、だからこそ待ち続けてくれている事も分かっていながらも、どうしても永新はその事について吐き出す事が出来ないでいた。
それは、羅威竿の死よりも、香織と絵麻が傷付けられた事よりも、何よりも認めたくはない真実。
どこまでも自己保身であると言う事実が永新を更に自己嫌悪に追い込んでいくのだが、それでも今ここで聞かねばならないと理解しているからこそ、懊悩を繰り返すのであった。
だがそれでも、非情にも時間は刻一刻と過ぎ去っていく。
「……らいかんはね、ぜんぶしったうえで、えいしんをじまんのこうはいだ、っていってたよ。らいかんはばかだけど、いいやつだった。それは、えいしんもしってるでしょ?」
「――っ」
永新の背中を押すように、ルゥが――否、羅威竿が追い風を吹かす。もしも永新が抱えるこの悩みを羅威竿に打ち明けたとしても、羅威竿なら「永新は永新だろ?」と言って歯牙にもかけない様子で背中を叩いてくれるだろう。なればこそ、今ココで向き合うのが怖いから、という理由だけで向き合わないと言う道を選ぶのは、馬鹿げている。
どんな結果であろうとも、自分は自分。
白が、真宵が、凍吉が、羅威竿が、ルゥが、香織が、絵麻が、自分を認めてくれたように、永新自身もまた、自分を認めてあげなくちゃならないのだと気付かされ、今度こそ永新は覚悟を決めて顔を前に向けるのだった。
「ルゥに、聞きたい事がある」
「ん、なんでもきいて」
すぅはぁ、と深呼吸を繰り返し、自分の逸る鼓動に耳を傾ける。
――聞かない方が良い。
そうやって警鐘を鳴らす自分自身に言い聞かせるように、ルゥに問いかける。
「……僕は、何があっても僕だ。皆が認めてくれた事を、誰よりも僕が疑ってちゃいけないと思うから。だから、教えて欲しい。――俺が、いったい何者なのかを」
事の真髄。
自分はどこから来たのか。この体は、この血はなんなのか。
これまで目を背けてきたそれらに、永新はようやく踏み込んでいく覚悟が生まれ、踏み出す勇気が永新を背を押すのであった――。
恒例のルゥ語翻訳。
必要の無い方は読み飛ばして、どうぞ。
「永新が目を覚ましたら、暴れるかもと思ってたんだけど」
「……何せ、もう知っているかもしれないけど、あたしは誠一郎の裏切りを知っていたから。こうなる事を知っていて、あたしは永新と羅威竿の二人を送り出したんだから。永新があたしの事を恨んでいても、あたしは素直にそれを受け入れるつもりだよ」
「……誠一郎があたし達の仲間に入れてくれってやって来た、その時から。もう、どれくらい前かは覚えて無いけど、あたしはすぐに誠一郎の魂胆を知った」
「昔は、今よりももっとたくさんの仲間が居たんだ。でも、だからこそ、言えなかった。あまりにも信じがたい彼の魂胆を、鵜呑みにする訳にはいかなかったから。あたしのもたらした情報で皆を混乱させる訳には、仲間同士の間に不和をもたらす訳には、いかなかったから。まずは情報の精査をしなければならない、と裏を取る為に誠一郎本人に問いかけたの。そしたら、背後から襲われて、心臓を奪われた。警戒していたつもりだったんだけどね。その時から、誠一郎は相手の油断を誘うのに長けていた。殺されなかったのは、あたしの力に利用価値を見出しからって言ってた。ついでに、こうして幼い体にまで替えられたの。あたしが、何も出来ないように、って」
「ううん、いいの。永新の気持ちも、十分分かるから。それに、あたしは自分の命を擲ってでも誠一郎を止めるべきだった。でもそれをしなかったのは、あたしはまだ死にたくない、って縋っていたからだと思う。逝ってしまえば、自己保身のために、誠一郎の裏切りを黙認していたんだと思う。だから、あたしが永新にどれだけ恨まれても、仕方が無い事。これは、あたしの罪だと思うから」
「……それに、どれだけ過去を悔やんだところで、過去は変えられない。奪われた心臓も今や、倶利伽羅の手に落ちた以上、あたしは、あたしに出来る最後の仕事をやり遂げるしかない」
「永新が気に病むことは無いよ。心臓を奪われて妖魔化が封じられたとしても、あたしにはまだまだできることはある。永新には、白麗様を殺してもらわないといけないから。……重荷を背負わせるようだけど、例えあたしの命が尽きたとしても、あたし達の本懐さえ遂げられれば、本望なの。だから、永新。永新には、前だけを向いていて欲しい」
「あたしの能力は、「夢」。誰かに夢を好きに見せる事が出来るし、誰かの夢にも介入できる、そんな能力。戦闘向きじゃないけど、初めましての相手には必ず通用する優れモノだよ。……いや、真宵には最初から通用しなかったな?」
「霊力の加減次第、かな。夢にも色々種類があるからね。適当な夢をランダムで見せる事もできるし、夢の中で散歩しようと思ったら明晰夢でも、白昼夢でも見せればいい。使い方次第だけど、事務所の周りにもあたしの霊力を使って結界を張る、なんて事も出来る。一般人や初めて通る倶利伽羅なんかは、この事務所の存在を認知する事すらできないようになってる。能力は、使い方次第、って感じ」
「見せられるよ。予知夢の他にも、精神を追い詰めるような悪夢だって見せられる。白昼夢と組み合わせると、 幻覚を見せるみたいな感覚で使えたりするからね。本格的な妖魔化もできれば、対象を一人じゃなくて複数人にしたりもできる。そうやって、今まで生き延びてきた」
「……羅威竿はね、全部知った上で、永新を自慢の後輩だ、って言ってたよ。羅威竿は馬鹿だけど、良いヤツだった。それは、永新も知ってるでしょ?」
「ん、何でも聞いて」




