100話
100話到達です!
「じ、燼月……」
目の前の人物が、自分を見て息を飲む。
彼女の目は自分を知っていると物語る目で、その目に浮かぶ感情は、困惑と驚愕、それから迷いと……大きな後悔。様々な感情が複雑に絡み合っているようで、どれが正解なのか判断しあぐねている、と言った様子。
彼女が身に纏う霊具の裾を堅く握り締めている様子から分かる通り、表情のみならず、彼女の全身が緊張で強張っている事が良く分かる。その張り詰めるような緊張の原因がこちらにある事も重々承知しているのだが、お生憎様、こちらから警戒を解くような事は決して出来なかった。
――御厨七星。
言わずと知れた、倶利伽羅名家の最高峰、四家の一角を担う御厨家の令嬢にして、近年ではトップクラスの資質を誇る黄金世代と呼ばれる世代にて優秀な成績を収めた実力者。デビューから僅か半年で、過去に類を見ないスピードで妖魔の討伐数を稼いでおり、その実力は若くして上位の枠組みに指が掛かると噂される程。七星の得意な戦法は、略式詠唱と呼ばれる高等技術を用いて、ありとあらゆる符術を組み合わせて巧みに立ち回ると言ったもので、一人で近接、遠距離の攻撃のみならず、防御に回復と言った支援までこなせる超優秀な倶利伽羅――。
(……と言うのが、総評。だが、これも俺が妖魔になる前のデータでしか無いし、今では変わっているのだろうけれど……、まさか誠一郎さんが倶利伽羅を呼び寄せるとは。とことんまで俺を手放したくないようだ)
最後に見えた、この異界の主たる、誠一郎の深い笑み。
あれが意味するのは「逃がさない」と言う意思表示なのか。手に入らないのであれば死ね、とはよく言ったもので、残りの霊力を振り絞ってでも永新の命を奪おうと考えるその執念。自分では手が下せないなら同じ仇敵である倶利伽羅を差し向ける、と言う魂胆は、狂っていると称賛する他無い。誠一郎の執念は怨念と呼んでも差し支えが無い程に余りにも強力であり、彼の執着の恐ろしさを思い知らされた永新は、背筋を伝う冷や汗が寒気を誘う程に震え上がる。
しかし、永新の目の前に落ちてきた倶利伽羅がまさか顔見知りであった事は、永新の幸運とも呼べるものだった。何故なら、即座に「問答無用」と言って襲い掛かって来られる、と言うリスクは回避できたのだから。
これがもし、顔も名前も知らないような倶利伽羅が落ちてきていたのだとすれば、今頃永新は首と胴が分かたれていたに違いない。何しろ、霊力が尽きている永新は今、満足に抵抗する事すら出来ない状態なのだから。その為、無言の永新に対して戸惑いと緊張に追い詰められていく七星との対面と言うのは、時間経過によって霊力が回復していく永新にとって、永新が望んだ最も理想的な状況とも言えた。
「……」
「……じ、燼月、だよね? それに、その子は……」
故にこそ沈黙は歓迎すべきものであったが、七星は状況の把握を優先するよう。
永新に対して引け目のある七星にとって、倶利伽羅の怨敵とも呼べる燼月永新を前にしてこの場で臨戦態勢を取れるような胆力を、彼女は持ち合わせていなかった。その結果、彼女が取れるのは、まるで腫れ物を扱うかのように慎重に、慎重に。触れたら壊れてしまうシャボン玉に語り掛けるかのように、腰を折って顔色を窺うような態度で問いかけるのであった。
「……まずは俺の質問に答えろ。どうして、倶利伽羅のお前がここに来たんだ」
「そんな警戒しなくても、って、無理な話よね。……いいわよ、答えるわ。だから、そんな目で見ないでよ。……あたし達は人形使いの捜索に当たってたの。それが突然任務が変更になって、只人の燦然院香織さんと、同じ倶利伽羅の燦然院絵麻の捜索に当たれ、ってね。周辺の倶利伽羅も集められたみたいで、結構な人数で燦然院家の周辺を捜索していたの。そうしたら突然、街の外れで雷鳴が響いたのよ」
「雷鳴が――」
「えぇ。それも、雲一つ無い空の下で、地上から空に昇るように。……あたしと晴也は、すぐに気付いたわ。それが、妖魔のものだ、って。あの時、燦然院家の庭で見た、永新の隣にいた雷の妖魔。あれの仕業だ、って」
攻撃する意思は無い、とばかりに両手を宙に掲げた七星は、話の途中で何度も永新の顔色を窺うように目線を向けてくるのだが、永新は彼女の話に夢中であった。七星の口から「雷鳴」の単語が漏れた時には目を瞠ってオウム返しのようにその単語を繰り返すのだが、七星の話を聞くにつれて永新は自分が思い違いしていた事実に気が付く。
この場に倶利伽羅である七星が居るのは、永新を始末する為に誠一郎が万が一の保険の為に用意したのかと考えていたが、実際は羅威竿が命を賭して放った雷撃が、異界を貫いて外に漏れた事によって集められたのだと知ると、永新の表情は途端に歪み始める。
「……そっか。そっか。そっか……ぁ。羅威竿――」
羅威竿は死の間際まで、永新を守る為に行動を起こしてくれていた。その事実だけでも十分、生の実感を覚えると同時に、どこまでも偉大で頼もしい羅威竿の背中が増々輝いて見えてしまう。誠一郎がそれを利用した形になったとは言え、この場に七星が居て、永新がまだ死んでいないと言う事実は、よもや羅威竿は利用される事すらも読んでいたのか思える程の事の運び。
永新の目には、羅威竿に捧ぐキラリと光る宝石のような涙が宿るのだった。
突如として感極まった永新に対して、七星はその様子だけで雷の妖魔が永新にとってどれだけ大きな存在であり、その結末すらも想像して認知する。過去に永新の大切な物を奪ってしまったからこそ、今度は失敗しないように、傷付けないようにと、永新の大切な物を尊重する事こそが、過去に対する償いだと七星は本気で考えていた。
一頻り泣いた永新は、目の前に七星が居る事を思い出したかのように嗚咽を拭い、先を促す。
そうして感情を隠されてしまう事ですら、四家の中で最も罪悪感に苛まれている七星にとっては、永新が感情を吐き出す事すらままならない環境を作り上げた自分達の罪を再認識し、胸が締め付けられるような思いを繰り返す。
「……それで?」
「……辿り着いた貸し倉庫のコンテナ置き場に辿り着いて、すぐにあたし達は穴に落とされたわ。ほら、天井の――って、もう塞がってるわね」
七星が指差す先、見上げた異界の天井は、まるで穴など最初から何も無かったかのように二人を見下ろしていて、七星に背負ってもらって異界を脱出する、と言う方法は不可能であると突き付けられる。もしもそれが可能だったとしても、永新は腕の中の少女だけを預けて自分は拒絶していただろうけれども。
自分の他にも、天炎晴也に火加々美甘奈、それから小暮日永恋の慣れ親しんだ面々もこの場所に集約しており、同様に穴に吸い込まれていった、と語る七星。しかし、その話にはまるで興味が無さそうに「そうか」とだけ答える永新に対して不服そうに眉を顰めた後、次は自分の番だ、と主張するのだった。
「あたしは説明したわよ。次は、燼月の番。ここは、どこで、何があって、その子は誰なのか、教えてくれるかしら」
「……」
「……あたしの事を警戒するのは、分かるわ。けれど、今、この場では、目の前の状況を切り抜ける事を最優先にしましょう。あたしが、言えた事じゃないけど……。でも、お願い。もしその子が怪我をしているのなら、あたしなら治せるかもしれない。治癒術は、自信ないけど、少しだけなら――」
「……怪我は、無い。ただ眠っているだけだ。――燦然院絵麻。お前達が探している子だ」
決死の懇願。相手が忌み嫌う妖魔だとしても、自分のプライドよりも何よりも、助けられる命を優先して救おうとする姿勢を、永新は嫌いになれない。
その姿勢に免じて、永新が片腕で絵麻を抱きかかえて立ち上がったその時、七星は驚愕から息を飲まざるを得なかった。今まで、永新が意図的に隠していた死角となっていた左半身を目の当たりにして、七星はこの異界でどれだけ壮絶な殺し合いが起こっていたのかを一瞬で理解して、思わず後退る。それと同時に、永新は七星との彼我の中心にまで歩み出て絵麻を運ぶと、地面に下ろした後に、踵を返して離れた位置の瓦礫に腰かける。
「――っ、燼月の方が、酷い怪我じゃない……! そんな体で……っ」
「気にするな。それよりも早く、絵麻を診てやってくれ」
「……いいえ。あんたの方が重症だもの。先に燼月の怪我を見せてもらわないと――」
「――近付くなッ!!!」
「ッ!? でも……」
「俺は、平気だ。……妖魔だからな。目が見えなくても、片腕が無くても、腹に穴が空いていたとしても、問題無い。お前達脆弱な人間とは、訳が違うんだよ」
絵麻の横を通り過ぎて永新に駆け寄ろうとした七星を、永新は拒絶する。
近付くな偽善者が、と口を衝こうとしたのを抑え込んで、永新は自分がもう人間では無いのだと、七星たちとは違う生き物なのだと証明するかのように牽制する。叫んだ事で傷口が開いたとしても構わずに、迫る七星を避けるかのように更に距離を取って腰を下ろす。それは最早座り込む、と言うより、身を委ねて横たわると言ったような疲弊し切った姿ではあるが、離れた場所にいる七星からは死角が多く、その違いを判別する事は出来ないのであった。
そんな永新の怒気を真正面から浴びた七星は、額に滲んだ汗を拭いながら一度だけ永新に視線を向けた後、永新より託された絵麻の体を調べにかかった。七星の見立てとしては、永新の腕の中で一切動く気配を見せなかった絵麻であり、体表には表れないだけでかなりの重症なのでは無いかと疑ってかかったのだが、彼女の体には細かな傷跡はあれども、永新のような今すぐ命に関わるような傷は一切存在していなかった。それどころか、永新が彼女を守った証でもあるかのように彼女の頭には永新の血痕がべっとりと付着しており、今も離れた場所から絵麻の安否を探るように視線を向ける永新が、自分の知る永新のままである事に、七星は安心感と同時に改めて罪の重さを知る。
「……燼月。絵麻は、無事だよ。今は眠ってるだけ。ただ、霊力の反応が薄い事だけが、気になるかな」
「そうか。それなら、良い……」
「ちょ、ちょっと、立ち上がってどこに行こうとしてるの!? あたしはまだ、この状況について何も聞いてないんだけど!?」
「……香織も、一緒に居たんだ。それが、異界の歪みで流されて――」
「香織、って、燦然院香織? 燼月……。あんた……」
「……探しに行くだけだ。それに、この異界は直に限界を迎える。待っていればすぐに外に出られるはずだ。だからお前はここで――」
「待っていろって? そんなの、お断りよ。燼月、あんたが行くって言うなら、あたしもついて行く。当然、絵麻も背負ってね。そんで、ここで何があったのか、何があってこうなっているのか、全部聞かせてもらうわ。……あんたとは、話さなくちゃいけない事がたくさんあるから」
燼月永新が抱く御厨七星の印象は、初めて出会った時からずっと、強引で、周囲に敵を作るのも厭わないくら力強くて、何よりも真っ直ぐな印象があって、永恋とは正反対の性格をしているのだと思っていた。そしてその印象は長い年月が経った今でも変わらず引き継いでいるものの、彼女の抱く罪悪感がそれを悪い方向に昇華させていて、「損な性格」へと変わっているように思えた。過去の印象から、鋭さが欠けたような、彼女らしさが消えてしまったような、そんな印象を抱きつつも、永新は七星を撒く事さえ億劫な気持ちで一歩を踏み出していく。
捻じ曲がり、入り組み、不安定な異界を突き進む。
目的はただ一つ。離れ離れになってしまった香織の捜索。
あの時掴んであげられなかった後悔が今になって永新に襲い来るのだが、それに構って落ち込んでいる暇など無く、永新はただ、どれだけ苦難の道であろうとも歩み続ける他ないのであった。




