出勤
翌朝、誠は焼けるような腹痛で飛び起きた。そのままトイレに駆け込み用を済ませて部屋に帰ろうとした彼の前にいつの間かかなめが立っていた。
「おい、顔色悪りいぜ。何かあったのか?」
昨日、ウォッカの箱を開けるやいなや、すぐさま彼の口にかなめはアルコール度40の液体を流し込んだ。それが原因だとは思っていないようなかなめに呆れながら誠はそのまま自分の部屋に向かう。
「挨拶ぐらいしていけよな」
小さな声でつぶやくと、かなめはそのまま喫煙所に向かった。誠は部屋に戻り、Tシャツとジーパンに着替えて部屋を出る。今度はカウラが立っている。
「おはよう」
誠の部屋の前でカウラはそれだけ言うと階段を下りていく。誠も食堂に行こうと歩き始めた。腹の違和感と頭痛は続いている。
「昨日は災難だったわねえ」
階段の途中で待っていたのはアイシャだった。さすがに彼女はかなめにやたらと酒を飲まされた誠に同情しているように見えた。
「酒が嫌いになれそうですね。このままだと」
誠は話題を振られた方向が予想と違っていたことに照れながら頭を掻く。
「それはまあ、かなめちゃんのことは隊長に言ってもらうわよ。それにしてもシャワー室、汚すぎない?」
「これまでは男所帯だったわけですからね。それにそういうことは寮長の島田先輩に言ってくださいよ」
そんな誠の言葉にアイシャは大きくため息をついた。
「その島田君がしばらく本部に泊り込みになりそうだって話よ」
そう言いながら誠とアイシャは食堂の前にたどり着く。そこにはいつものだらけた雰囲気の隊員達が雑談をしていたが、カウラとアイシャの姿を見ると急に背筋を伸ばして直立不動の体勢を取った。
「ああ、気にしなくて良いわよ」
アイシャは軽く敬礼をするとそのまま食堂に入った。厨房で忙しく隊員に指示を出しているヨハンが見える。とりあえず誠は空いているテーブルに腰を下ろす。当然と言った風にカウラが正面に、そしてアイシャは誠の右隣に座った。
「とりあえず麦茶でも飲みなさいよ」
アイシャはやかんに入った麦茶を注いで誠に渡す。誠は受け取ったコップをすぐさま空にした。ともかく喉が渇いた。誠は空のコップをアイシャの前に置いた。
「食事、取ってきて」
誠の態度を無視して顔をまじまじと見つめたアイシャがそう言った。
「あの、一応セルフサービスなんですけど」
「上官命令。取ってきて」
何を言っても無駄だというように誠は立ち上がった。アイシャの気まぐれにはもう慣れていた。そのままカウラと一緒に厨房が覗けるカウンターの前に出来た行列に並ぶ。
「席はアイシャが取っておくと言うことだ」
そう言うとカウラは誠に二つのトレーを渡す。下士官寮に突然移り住んできた佐官の席を奪う度胸がある隊員はいないだろうと思いながら誠は苦笑いを浮かべた。
「佐官だからっていきがりやがってなあ。オメエも迷惑だろ?」
喫煙所から戻ってきたかなめがさもそれが当然と言うように誠の後ろに並ぶ。
「両手に花かよ、うらやましい限りだな」
朝食当番のヨハンがそう言いながら茹でたソーセージをトレーに載せていく。それにあわせて笑う食事当番の隊員達の顔はどこと無く引きつって見えた。とりあえず緊張をほぐそうと誠は口を開いた。
「技術部は大変ですね」
「まあな、ただうちとしてはM10は楽な機体だぜ。大規模運用を前提として設計されているだけあって整備や調整の手間がかからないように出来てるからな。まあ確かに海軍以外が採用しなかったのはアメリカさんが使うにはちょっとセンシティブなところがあるからかもしれないがな」
そう言いながらヨハンは誠のトレーに乗った自家製のソーセージの隣にたっぷりと洋辛子を塗りつける。
「だが、それ故に自由度は低いわけだな」
カウラの言葉をはぐらかすようにヨハンは笑う。
「大丈夫ですよベルガー大尉。05式の代替機にするつもりは無いですから。それに起動システム等の先進技術の入ったブラックボックスの整備はシンプソン中尉と彼女が指名した数名しかタッチするなと許大佐に言われてますから」
「まあシン大尉ががんばってくれたおかげで何とか05式の維持管理ができる程度の予算も確保できましたから」
食堂に入るなり小走りにカウラのそばまでやってきた菰田がヨハンの言葉に付け加える。突然自分の前に現れた苦手な部下の登場にカウラが呆れた顔をしていた。
「それは……良い知らせだな」
とりあえずだがカウラはそう言った。彼女に話しかけられ恍惚としている菰田の前でかなめが咳払いをした。
「早くしなさいよ!」
ようやく盛り付けが終わったばかりだと言うのに、アイシャの声が食堂に響く。
「うるせえ!馬鹿。何もしてない……」
「酷いわねえかなめちゃん。ちゃんと番茶を入れといてあげたわよ」
トレーに朝食を盛った三人にアイシャはそう言うとコップを渡した。
「普通盛りなのね」
かなめのトレーを見ながらアイシャは箸でソーセージをつかむ。
「神前、きついかも知れないが朝食はちゃんと食べた方が良い」
カウラはそう言いながらシチューを口に運んでいる。
誠はまさに針のむしろの上にいるように感じていた。言葉をかけようとかなめの顔を見れば、隣のアイシャからの視線を感じる。カウラの前のしょうゆに手を伸ばせば、黙ってかなめがそれを誠に渡す。周りの隊員達も、その奇妙な牽制合戦に関わるまいと、遠巻きに眺めている。
「ああ!もう。かなめちゃん!なんか言ってよ!それともなんか私に不満でもあるわけ?」
いつもなら軽口でも言うかなめが黙っているのに耐えられずにアイシャが叫んだ。
「そりゃあこっちの台詞だ!アタシがソースをコイツにとってやったのがそんなに不満なのか?」
「あまりおひたしにソースをかける人はいないと思うんですが」
二人を宥めようと誠が言った言葉がまずかった。すぐに機嫌が最悪と言う顔のかなめが誠をにらみつける。
「アタシはかけるんだよ!」
「それじゃあかなめちゃん。ちゃんとたっぷり中濃ソースをおひたしにかけて召し上がれ」
アイシャに言われて相当腹が立ったのかアイシャはほうれん草にたっぷりと中濃ソースをかける。
「どう?美味しい?」
あざけるような表情と言うものの典型例を誠はアイシャの顔に見つけた。
「ああ、うめえなあ!」
「貴様等!いい加減にしろ!」
カウラがテーブルを叩く。突然こういう時は不介入を貫くはずのカウラの声にかなめとアイシャは驚い
たように緑色の長い髪の持ち主を見つめた。
「食事は静かにしろ」
そう言うとカウラは冷凍みかんを剥き始める。かなめは上げた拳のおろし先に困って、立ち上がるととりあえず食堂の壁を叩いた。
「これが毎日続くんですか?」
誠は思わずそうつぶやいていた。
「なに、不満?」
涼しげな目元にいたずら心を宿したアイシャの目が誠を捕らえる。赤くなってそのまま残ったソーセージを口に突っ込むと、手にみかんと空いたトレーを持ってカウンターに運んだ。
「それじゃあ僕は準備があるので」
「準備だ?オメエいつもそんな格好で出勤してくるじゃねえか……。とりあえず玄関に立ってろ」
「でも財布とか身分証とか……」
「じゃあ早く取って来い!」
かなめに怒鳴られて、誠は一目散に部屋へと駆け出した。
「大変そうですねえ」
階段ですれ違った西がニヤニヤ笑っている。
「まあな、こんな目にあうのは初めてだから」
「そりゃそうでしょ。島田班長が結構気にしてましたよ」
そう言うと西はいかにも誠の一挙手一投足に関心があるというように誠の部屋の前までついてくる。西を部屋の前で置き去りにして中に入ると誠は戸棚から財布と身分証などの入ったカード入れを取り出した。さらに携帯端末を片手に持つとそのまま部屋を出た。
「なんだよ、まだついてくるのか。別に面白くも無いぞ」
「そうでもないですよ。神前さんは自分で思ってるよりかなり面白い人ですから」
西が底意地の悪そうな笑みを浮かべていた。他人の不幸は蜜の味とはよく言ったものだ。そんなことを考えながら誠はかなめの機嫌を気にして廊下を駆け下りる。
「そう言えば昨日……」
ついてきているはずの西を振り返る誠だが、誠を見飽きたというように西は自分の携帯電話に出ていた。
「ええ、今日はこれから出勤します。島田班長が気を使ってくれてるんで、定時には帰れると思いますよ」
西は最高にうれしいことが起きたというように明るい調子で続ける。誠は声をかけようかとも思ったがつまらないことに首は突っ込みたくないと思い直してそのまま玄関に向かった。




