Ⅴ 『エフェメラ』
こんなにも優しい風なのに、その風脚は、まるで魔女たちの絶叫・断末魔を聞いているようだった。
それは一神教であるキリスト勢が、信仰する唯一神を完全な絶対善に仕立て上げるために形成した
悪魔学――その悪魔学崇拝の罪で実無根の裁判に懸けられ、その挙句、火刑を宣告され処されてい
った魔女たちの悲痛な叫び声にも見える。
そして、それら一つ一つの怨嗟が集合体となって、まさに花に嵐を起こしていた。
「へえ~驚いたなぁ……」
これには鷹揚に構えていたアデムも蟻走感を覚えるほどだった。半信半疑だったヘンゼルたちへの
疑惑が、瞬く間に確定的なものへと変わる。
「ちょっと兄さま! 何んなのよこれ!?」
イヴが声を荒げてアデムに詰め寄った。今だ膨れ上がるグレーテルの《想い》は、〈双子〉の足腰
を地面に強く吸いつけて止まない。その圧倒的な緊張感に、彼女の苛立ちが次第に募っていく。
「イヴ、〈兄妹〉を探す手間が省けたね。獲物が向こうからやってきたよ」
「え? うそでしょ……それじゃあこの子らが〈笛吹きの男〉を倒した〈兄妹〉だって言うの!?」
にわかに信じられないことだったが(信じたくはないが)、これほどまでに禍々しい咆哮を見せつ
けられてしまっては、さすがに納得する以外の見解が見当たらない。一足飛びに現れた男女の二人
組が、まさか偶然にも探し求めていた〈兄妹〉だったなんて――
アデムは怖めず臆せず、もう一度〈兄妹〉の成り立ちを可視化した。二人から放たれている《想い》
の根源がいったい何であるのかを分析するために。
と言うのも、この兄妹とは初対面で、彼らのことは情報以外よく分かっていない。それに、これだ
けの強い《想い》を放っているにもかかわらず、どうして今の今までこれほどに強い幸遺伝子を感
知出来なかったのか? というところに疑問があった。
普通これだけの強い《想い》を持つ者ならば、それこそ遠くに離れていても、その強大さは肌へと
伝わってくるもの。しかしながら、この兄妹からは初見でその強大な《想い》が感じられなかった。
被験体によっては、能力を相手に探られないために、意図的に《想い》を隠したりする者もいるら
しいが、この兄妹はそれとは少し違う。不器用――という言葉が適切かどうかは分からないが、あ
の兄妹はそこまでの《想い》の扱いに長けていない。
では、あの一瞬での想いの膨らみは、いったいどこから来るものなのだろう。
確かめたい――アデムは自然と口角が上がっているのを感じた。この〈兄妹〉なら楽しめそうだと。
「……冗談じゃないわよ」
だが、双子の妹――イヴのほうはそうではなかった。
年齢から身長、果てには体格までも同じグレーテルに圧倒的な力差を見せつけられて、彼女の怒り
は頂点に達していた。
不細工だの田舎娘だの、格下だと思って馬鹿にしていた相手が、まさか自分よりも強くて、自分よ
りも強い想いを発現させている。そんなグレーテルが何よりも気にくわない。
「なんで……なんで、あなたみたいな根暗が!」
逆風の中、イヴは物怖じせず、グレーテルに向かって突っ込んでいった。自分のほうが強いのだと
証明するために。
「――!!」
スピードに乗ったイヴは以外にも速かった。グレーテルはヌイグルミを構えることができず、二人
は手と手を絡み合い、取っ組み合う形で対峙した。
「グレーテル!」
「お兄さん、それはダメだよ。イヴの邪魔はさせない」
グレーテルの援護に向かおうとした矢先、ヘンゼルの前にアデムの炎が立ち塞がる。兄妹同士によ
る乱戦はご所望ではないらしい。彼らはあくまで一対一での対決に固執している様子だ。
「くっ……」
アデムの炎に導かれるまま、ヘンゼルはグレーテルと切り離され、花園から遠い森の中へと誘導さ
れた。長物を童具として扱うヘンゼルにとって、樹木が群がって生える森の中は地形的に不利だが、
幸いにも木々は開けており、視界はこの上なく良好だった。
これなら相手の姿を見失うこともないし、両刃斧を振り回せるだけの範囲も充分にある。ただ、問
題はそれゆえに遮蔽物がないことだった。
先ほどの攻撃を見る限り、アデムの《童術》は『童派型』の炎系で、広範囲を跳梁跋扈にする術だ。
だとすれば、両刃斧一本、身一つでそれら全ての炎と戦うには、この場所はあまりにも目立ちすぎ
る。相手も自分の能力を熟知しているからこそ、自分に有利なこの雑木林にヘンゼルを誘い込んだ
に違いない。
年下の相手とはいえ、頭の回転、童術の扱い、相手の力量を可視化する目……争奪戦による場数も
踏まえ、確実に『グリムの仔達』の中でも上位の被験体だということが見て取れる。
「ふふ……お兄さんの《童術》早く見せてよ。ぼくの炎で丸焦げになる前にさ」
ゆらゆらと蜃気楼のごとくアデムが近づいてくる。周りの炎熱がヘンゼルの意識を朦朧とさせにき
ているのだ。この状況下でこれ以上蒸せられ続ければ、熱によって脳内の血管が膨れ上がり、それ
に伴って急激な血圧低下を招くことになる。『熱失神』なんてことになれば勝敗は言うまでもない。
長期戦は禁物。優先すべきは紛争の火種を消すことだ。
「《童術・両刃斧ハーナウ&シュタイナウ!》」
構えた両手から翡翠色の魔法円を出現させ、ヘンゼルは大型の両刃斧を錬成した。相手が『童派型』
の攻撃をメインとするなら、ハーナウ&シュタイナウの第一効果で、とりあえずは能力を吸収する
ことができる。
厄介なのは、この戦闘区域に展開されている炎の外郭だ。抜け出すことはおろか、突破することさ
え不可能なほどに緻密に練り上げられている。どちらかが倒れるまでその炎壁は消えないのだろう。
いくぶん試してみたいことはあるが、相手がそれを簡単に許すはずもない。先ず、接近戦に持ち込
んで相手の力量を推し測っていく必要がある。
「へぇ~そっちは『童具型』かぁ。いいねぇ……壊しがいがありそう」
破壊こそ美徳。そう考え持つアデムは、新しい玩具を見つけたとばかりに薄笑い、
「簡単に壊れないでよ! 《童術・焼菓ラウゲン・ブレーツェル!》」
交差した双手から二本の火柱を飛ばしてきた。鋭利な突槍に炎が絡みつき、逃げ場のないヘンゼル
を焼き尽かせにくる。ヘンゼルは刃を盾に身を屈め、防御の態勢を取った。
「意味ないよそんなの。ブラーキテッルム!」
アデムがそう呪文めいた瞬間、炎の槍はヘンゼルの直前で意思を持ったかのように二手に遊離した。
ヘンゼルを避けるように分岐した猛火は、左右対称に曲線を描きながら、両側からヘンゼルに襲い
かかる。まるで、巨大な両腕で抱き着かれるように。
「がっ、は……」
油断した――片膝を地面に突き刺し、ヘンゼルが熱傷に耐え忍ぶ。直線的な攻撃だと思っていたこ
とが仇になってしまったようだ。烏有に帰さなかったのは、アデムの炎がまだ様子見だったという
ことなのだろう。
「あれぇ……おかしいな。今のを喰らって燃え尽きないなんて。もしかして、お兄さん何かした?」
両腕を組んで不思議がるアデム。ヘンゼルの意に反して、彼はほぼ最上級の火力をぶつけてきたみ
たいだった。折に触れて繰り返される争奪戦なら、大抵の被験体はこの術で戦意喪失して、屈服す
るか敗走していくのだが、相手が『グリムの仔達』の場合でも、まともに喰らえば、それだけで致
命傷になるほどの一撃だ。
前に〈コルンムーメの姉妹〉と殺り合った時でさえ、妹――『エリザベート』の乾留液《タール化》
を蒸発させたほどの業火である。防戦に特化した高度な守備系の童術を持つか、身を固めることが
できる『童化型』の術者でなければ、今の技を喰らって軽傷で済むはずがない。
アデムに言わせると、ヘンゼルが〝何かをした〟のは間違いないらしいのだが、ヘンゼル自身、防
衛に専念するので精いっぱいで、特に何かを発動させたとか、咄嗟に機転を利かせるような動きは
見せていない。
ただ、懸命に両刃斧の〝柄を握っていただけ〟だった。
「何がどうなってるか分からないけど、さっきの技は上級の童術で、それを喰らった僕は軽度の火
傷で済んでいるってことなのか……」
今だ芋を洗うような感覚が続き、頭の中はぐちゃぐちゃだ。先ほどの一場面に限って考察してみて
も、それこそ何度も言うようにヘンゼルは何もしていない。
可能性の一端をのぞかせるなら、この『両刃斧ハーナウ&シュタイナウ』に隠された別種の能力だ。
思い返せば、これまでにヘンゼルは〝自身の童術〟について深く考えてこなかった。魔女ドロテー
アに訊ねてみても、「その時が来れば」とだけ返され、教えてもらえた事と言えば、想いをカタチ
にすること――ということだけ。
そこから何人もの『グリムの仔達』と出会っていくうちに、想いには『想型』というものがあった
り、童術にもいくつかの『派生型』があったりと、少しずつではあるが《民謡伝術》について判明
していった。
それに伴い、亡くなった者から想いを託され、その者の童術を引き継いだり、守りたい誰かのため
に自身の童術を分け与えたり、想いの違う二種類の遺伝子から新しい童術を生み出したり、それま
で見過ごされていた不透明な部分も明らかになっていった。
言うまでもなく、どれもこれも『経験』によって得た知識ばかりだ。『アイソーポスの子』――ニ
ンフェが律していた言葉を思い出す。
【私たち『民謡伝承者』は、あくまで物語の〝語り手〟であって、物語の〝主人公ではない〟】
【民謡伝承者のお仕事は物語を創っていく主人公――物語の中心にいる子どもたちのお手伝い】
【補翼は出来ても貸翼は出来ないわ。物語を完成させるのは、あくまで主人公自身だから……】
彼女の言葉は的を得ていた。魔女ドロテーアの返しにも納得のいく論説を立てて。
「そういうことだったのか……それでおばあさんもニンフェも……」
ここにきて、ヘンゼルが何かに目覚めたかのような顔になる。彼が今の今まで童術について深く考
えてこなかったのは、他の能力者に比べて、童術に対する『志向の集積』――つまるところ、向上
心への意欲が極端に少なかったのだと気がついてしまったからだ。
いつか。その時が来れば。誰かに……ずっと〝教われるもの〟だと、そう信じて止まなかったのだ。
無理もない。右も左も分からない『黒い森』にて、前後の県境なく突っ走ってきたのだから。生き
延びたい――生き延びて絶対に家に帰りたい! その一心だけで幸遺伝子を覚醒させ、強くなりた
い――その想いだけで《民謡伝術》を発動させたのだ。
ただ、がむしゃらに。直向きに。憂き身を窶して――自身の能力について考えてる余裕などヘンゼ
ルにはなかったのだ。
幸遺伝子に選ばれた者たち――すなわち『グリムの仔達』にとって、童術の発動は《カタチ》への
第一歩……いわゆる登竜門であって、それは無限の可能性を秘めし『想い』の中では、たった一つ
の通過点に過ぎない。間違っても終着駅ではないのだ。
そして、もちろんそれはヘンゼルだけではない。
敵も味方も『グリムの仔達』は皆、常に《民謡伝術》という海図なき航海で足掻いている。どうす
ればもっと強い術を出せるのか? どうすれば童力の消耗を抑えられるのか? どうすれば効率よ
く戦うことができるのか?
皆が皆、黒い森で一日でも長く生き延びるために自身の能力と向き合っている。ゆえに、ヘンゼル
より経験豊富な者たちは、誰も彼も自身の能力を熟知した強者ばかりだ。だが、それでもまだまだ
細大漏らさずとまでは行っていない。汲めども尽きない豊富な可能性に、多くの子どもたちが今だ
泥濘を歩いている。
ヘンゼルの失態は、成り行きで両刃斧を錬成し、そのまま戦闘の中で能力を開花させてしまったこ
とにあった。開花させた能力が〝全て〟だと思い込んでしまい、それ以上の効果を知ろうとしなか
ったことだ。
その中で彼が現在知り得ている能力は三つ。基本の型――両刃斧ハーナウ&シュタイナウの錬成で、
『吸収』と『解放』が出来ること。『吸収』は、主に刃の部分で童派型の攻撃なら全てを無効化に
することができ、尚且つ、そこから相手の想型までも読み取ることができる。ただ、無効化とは言
っても、それは刃の中に〝封じ込めた〟と言う意味で、相手の術が《浸透系》や《毒素系》なら逆
にそれが仇となる場合もあり、決して無敵というわけではない。
それでも、大抵の童術には有効的な効果であり、この第一の術だけでもヘンゼルは充分に戦ってこ
れた。後の能力にも言えることだが、この〝強すぎる能力〟が、彼の童術への向上を留めてしまっ
ていたのである。
続く第二の効果『解放』でもそうだ。『解放』は、両刃斧に集まった光源を一気に放出し、傷つい
た者を治療することが出来るという、これまた反則的な能力で、その治療効果には損傷平癒や体力
回復、童力の還元など、生命に《再生》という効果をもたらす童術だ。当然それなりのリスクもあ
るが、自分自身にその術は使えない、その能力を全開まで使うとしばらくは動けなくなる……とい
った程度のもので、個人戦でもない限り、不利になるほどの禁じ手ではない。裏を返せば、チーム
戦では後方支援という役割で、仲間の援護に回ることもできる。
両刃斧という『童具型』の中では一見つつましく思える粗雑な武器だが、強力なこの二つの能力が
備わっていることで、ヘンゼルは正に〝これ以上の向上はない〟完成された武器を引き当てていた。
そんなチート級の武器を手にして、彼はさらに空をも飛行する童術を身に付けた。両刃斧ハーナウ
&シュタイナウの第二形態――羽箒斧フライエンシュタイナウである。
羽箒斧フライエンシュタイナウは、両刃斧の第三の効果『軽減』を持ち、攻撃力は落ちるがその分、
たったの一振りで、遥か高空へと跳躍できるほどの塵を巻き起こすことが可能だ。それによって空
中を飛ぶことはもちろん、基本形態のハーナウ&シュタイナウよりも童力の消耗を抑えることがで
きる。相手によって二つの形態を上手く使い回せれば、効率的に立ち回ることだってやぶさかでは
ないだろう。
その上で、本来ならこの時点で、彼は気づくべきだったのだ。
第二の形態があるのなら、第三、第四の形態だってあるかもしれないという事に――それに、もし
かしたら他にも両刃斧に効果的な使い方があるのかもしれないと思考してみることも出来たはずだ。
最上級の能力を手に入れてしまったせいで、両刃斧を錬成することだけにこだわってしまい、童術
の自由な発想――『想いをカタチ』にするという、根本的な原理をヘンゼルは崩してしまっていた
のだ。願えば叶う……それが奇跡であり、童術の起源だということが、おざなりになっていたのだ。
「今の攻撃が軽傷で済んだということは、何か〝新しい能力の手がかり〟があったのかもしれない」
その能力の答えは、この戦いの中で必ず見つけ出してみせる。ヘンゼルは初心に戻ったかのような
勢いで向上心を高めた。それは幸遺伝子にも反映され、彼の身体から『幸せのオーラ』が溢れ出す。
「まいったなぁ……妹の子といい、お兄さんといい、これは無血ってわけにはいかなさそうだなぁ」
幸せのオーラを纏うヘンゼルのダメージ具合を見て、アデムは厄介な敵に遭遇したと頭を悩ませた。
と言うのも、『黒い森』に住む全被験体の中で《回復》という稀少な能力を有しているのは、何を
隠そうヘンゼルただ一人だけだったからである。
現時点では、その能力者がヘンゼルだということにアデムは気が付いていないが、『黒い森』の中
に、そういった型破りな能力を持つ者がいるという下馬評くらいは耳にしていた。
観察力の鋭いアデムのことだ。ヘンゼルの負傷具合から、その能力者ではないかという線を疑って
いるのだろう。それを確かめるべく、アデムは更なる一手に心血を注いだ。
「《童術・灯蛾ムーツペッレ・シニール》」
その一声で、アデムとヘンゼル――二人を遠巻きに囲んでいた炎郭が一円にうねりを上げた。アデ
ムの足下に、橙色の魔法円が浮かび上がる。
ヘンゼルは辺りを見渡した。胸の中がざわついている。何か穏やかではない、ただならぬ空気が漂
っていると。予感ではなく、第六感がそう呼び掛けている。
「ふふ……これに耐えられるかなぁ。消し炭になっちゃっても文句を言わないでね!」
円形に拡散していた炎の塊が、地鳴りを上げて押し寄せてくる。凝縮。あるいは夏の夜、灯火に導
かれ群れるように飛んでくる蛾の特攻だ。ヘンゼルは森の中央に身を寄せながら、頭を振って敬遠
の糸口を探った。どこか。どこでもいい。ここから抜け出せる隙間はないのかと。だが、案に相違
して、そのような逃げ道はどこにもなかった。
無茶を承知で焼き討ちを断ち切ろうにも、全方向からでは範囲が広すぎて一挙一動が間に合わない。
残された道は、どう模索しても高層しかないのだが、アデムは当然それを見越している。明らかに
ヘンゼルをそこへ誘うように炎を動かしているのだ。
「く……上空にしか逃げ場がないのなら、いっそのことフライエンシュタイナウで……」
両刃斧ハーナウ&シュタイナウの第二形態――羽箒斧フライエンシュタイナウなら、一振りで空へ
と跳ぶことができる。さながらそれが、アデムの狙い通りだったとしても、千里一跳に伸び上がっ
てしまえば、さすがにアデムとて攻撃が追い付かないはず。誘導されることを覚悟で上昇するしか、
回避する方法はないに等しかった。
ヘンゼルは自ずと導き出した筋書きに、読み誤りや取り零しはないか、何度も何度も想定問答した。
何か重要な欠点は見落としていないか? 本当にその灰色理論でこの場を突破できるのか?? と。
炎の壁が刻一刻と迫ってくる。悠長に構えている暇などない。ヘンゼルは両刃斧に想いを募らせた。
「《童術・羽箒斧フライエンシュタイナウ!》」
両刃斧が一気に軽くなる。刃面がもう片側の刃面と重なり合うよう折り畳まれ、槍頭の部分が後方
へと倒れた。付け根部分の箱体がレールに沿って移動し、箱体に収納されていた真っ白い羽が翼を
広げる。やがて両刃斧は、羽箒のような片刃型の形態に成り変わった。
「へぇ~その童具、基本の形態からカタチを変えられるんだ。なるほどね……新たに別の童術を発
動させなくてもいいってわけか。詠唱の隙も与えなくて済むし、童力の消費も抑えられる。なか
なかに便利な武器だねお兄さん」
アデムは、瞬時に変形したヘンゼルの童具を見て感嘆の声を漏らした。
塵が舞う。狙いは遥か青雲。急上昇でこの炎の渦を切り抜ける! ヘンゼルは、利き足を前に膝を
立て、逆足を地面に突いて屈みこんだ。刃を下方に向け、離陸態勢に入る。
「大丈夫。自分を信じるんだ……」
「ハハハ。空にでも逃げるのかな」
あざとらしく一天を仰ぎ見るアデム。俟たずとも扇動しているのが丸分かりだ。ヘンゼルは、アデ
ムの次の音吐で後塵を残して風を切った。
「燃えて、燃えて、壊れちゃえ!」
爪を研いで威嚇していた全ての炎が、津波のごとくヘンゼルを飲み干しに来る。アデムの眼光は既
に上を向いていた。ヘンゼルが回禄から飛び上がってきたところに火柱を打ち込むつもりだ。手の
ひらに追撃の焔を宿わせている。
「上になんて行くものか! 最初から狙いは君だ!!」
「――!?」
狐につままれたような血相でアデムが視線を泳がした先――そこには、戦火の中から真正面に抜け
出し、照準をアデムに定め突貫してくるヘンゼルの姿があった。フライエンシュタイナウの刃には、
アデムの放った紅蓮の炎を追尾させている。
ヘンゼルは、アデムとの駆け引きに打って出る前、『塵』と『火』の関係に〝互換性〟があるとい
う盲点に勘付いた。属性だ。魔法界隈には『四大元素』と称される物質構成の概念があるが、この
概念は魔法術だけではない。呪術・巫術・錬金術……そして民謡伝術にまでそれは構築されており、
我々の世界線では、まとめてそれを属性と呼んでいる。
属性――人やモノ、その他の生命に共通して備わっている『性質』や『特徴』のこと。色・形・値
・能力・素性・種族・間柄……例を挙げればキリがないが、物体として存在する以上、かわすこと
の出来ない論理的必然な要素である。
また、属性には優劣があり、値なら『0と1』『+と-』、種族なら『肉食動物と草食動物』、間
柄なら『主と従者』『親と子』――と言うように、互いの関係に〝上下間〟がある。
それは能力でも同じことで、古今東西――『水は火を打ち消すもの』『火は木を燃やし尽くすもの』
『木は水を吸い込むもの』――そう伝えられてきた。もちろん、そこへ新たな属性が加われば、上
下間の紐づけもより複雑なものになっていくだろう。
そんな中、それら上下間に左右されない属性がある。それが『互換性』を持った属性たちだ。一様
に優劣のつけがたい物質にそれらは分類され、同格あるいは、互いに利益に成るものとされている。
身近なもので例えるなら、『男と女』『凸と凹』『太陽と月』……と言ったところだろうか。ヘン
ゼルは、それら互換性を持った属性が、能力系の中にも万有しているという懸念を感じ取ったのだ。
塵は火に炙られて嵐と成り、逆に火は塵に煽られて炎と化す。
もしも、あのまま空を目指して上昇していたら、フライエンシュタイナウの後ろ風に炎が煽られて、
ヘンゼルは上空で蒸し焼きになっていただろう。
一歩間違えれば大負傷になる状況から、塵が火を強くするという性質を見抜き、その上でヘンゼル
は、逆に火も塵を強くするという互換性を利用することに転じた。
「うっ、うわああっ!」
炎を引き連れた刃がアデムに襲い掛かる。まさかの追い落としを謀られ、彼は完全に無防備になっ
ていた。自身の炎で焼かれることになろうとは。
「なーんてね」
「!!!」
ヘンゼルの刃が空を切る。今度は透かしを喰らったヘンゼルが視線を泳がした。
「実体じゃ……ない。これは……」
陽炎。刃の先には揺らめきだけが立ち昇り、その辺一帯から、アデムのせせら笑いが聞こえてくる。
ヘンゼルが捉えたと思った人影は、高熱と光の屈折によって不規則に起きる上昇気流。駆け引きに
負けたのはヘンゼルのほうだった。
燃え上がる炎らがヘンゼルを取り囲んで嘲笑う。火勢の中に一人残された彼を中傷するかのように。
浴びせる声は何人にも膨れ上がった。酸欠で幻聴でも聞いているのか、その雑言は次第に増えてい
き、挙句の果てには幻覚までも見えるようになった。
蜃気楼なんかではない。そんな自然現象なんて生易しいものではないのだ。野火の一つ一つが個体
と化していき、それら全てが人型へと変わっていく。
「「「ふふ……そろそろ終わりにする?」」」
アデム単身の声なのに、物言いが幾重にもなって木霊する。幻聴でも幻覚でも、ましてや目の錯覚
でもない〝それ〟は何体にもなって現れた。数十……いや、数百体は居るであろう焔の分身体――
各個に分裂し、炎の化身となったそれらは、見渡す限りアデム、アデム、アデムと、全員がアデム
の姿へと成り変わっていた。
あらまし、ヘンゼルが打ち消したアデムの残像も、この場に並ぶ数ある分身の一体だったのだろう。
いつの間に? それとも最初から? 戦火や煙に任せて行方を燻らすことなんて炎の性質上簡単だ。
相手がいくら上位の『グリムの仔達』で、初見殺しだったとはいえ、ヘンゼルが読み合いに敗れた
のは、単純に戦闘における詰めの甘さと、場数による実戦の差が大きい。おそらく、いくつもの争
奪戦をこの〈双子〉は潜り抜けてきたのだろう。戦闘力だけで言えば、ヘンゼルよりも遥かに強い。
「落ち着け……どこかに必ず本体が居るはずだ。それさえ探り出せれば……」
そう言葉にするのは簡単だ。が、正直どれが本体なのかさっぱり分からない。検討しようにも数が
多過ぎるし、何より酸素不足でこちらが先に参ってしまう。それこそ一斉に攻め込まれたら完敗だ。
何か巻き返しの糸口を――ヘンゼルがそう一計を案じていた矢先、数体の火の影――アデムの分身
体――が、暇を持て余したのか、先陣を切って飛んでくる。
ヘンゼルは続けざまに斧を振り回した。一体、二体と、切られては消えていく分身体。その散り際
は、まさに蜉蝣の一日そのもの。頭数がいくらでも居るとはいえ、使い捨てのように飛んでくる姿
はあまりにも儚い。アデムにとっても、所詮ヘンゼルを疲弊させるだけの玩具に過ぎないのだろう。
だがそれが、その見識が――ヘンゼルに好転の兆しを見せた。死児の齢を数える反面、分身体の原
型が、炎ではなく〝蛾の集まり〟であったことに行き着いたのだ。
この収穫は大きかった。体力も童力も存分に減らされたが、この危機を乗り越えるための火種をよ
うやく掴み取ったのだ。
「ハァ……ハァ……《童術・両刃斧ハーナウ&シュタイナウ!》」
ヘンゼルが返す刀で羽箒斧を変形させる。両刃斧に重力が戻り、ヘンゼルは地面に柄を突き立てた。
一か八かの攻勢に出る。分身体が〝火取虫〟ならば、その〝習性〟には逆らえない!
「「「ん? 何をするつもり? もしかして降参するの??」」」
アデム側からすれば、両刃斧に寄りかかったヘンゼルが力尽きたように見えたのだろう。分身体の
特攻に、一旦、制止の合図をかけた。不本意だが、少しでも童力の消耗は抑えたい。俄然有利な状
況に変わりはないのだから。賢明な判断だ。相手の出方をよく分析している。
しかしながら、気の緩みとは残酷で時に形勢逆転のチャンスを与えてしまう。
「ハーナウ&シュタイナウ! ノインツィヒ!!」
曇天をも貫く勢いで、ヘンゼルは両刃斧を持ち上げた。ハーナウ&シュタイナウに節を付け加える。
「「「光……? まって、この感じは……!」」」
アデムの分身体が一斉に顔を覆い隠した。光源を直視できないほどの輝きは、ヘンゼルが掲げた両
刃斧からだ。エメラルドグリーンの散光が一帯に降り注ぐ。
「ぐっ……さすがに90パーセントの解放は大きかったか……?」
揺らぐ身体。頬すじに汗が滲み出る。全童力の〝ほとんど〟を費やした放出で限界に一気に近づく。
彼とて、伊達にこの一手ばかりを使ってきたわけではない。確かに童術への向上は不熱心になって
いたかもしれないが、その分この両刃斧に全ステータスを振ってこれた。アデムや他の仲間たちみ
たいに多彩な術は取得していないが、一本槍なら誰にも負けない自信がある。
その成果が、解放による恩恵回復――『再生』発動時の〝再生分量〟を、自分の意思で計れるよう
になったことだ。
童術を身に付けたばかりの頃は、両刃斧を錬成するのにも、その第二効果『解放』を発動するのに
も、全力を出さなければ童術を維持することさえ危うかったが、それが時を経て、徐々に両刃斧の
扱いに慣れていき、少しずつだが、その発動効果をも操れるようになっていった。
過去に魔女フラウ・ゴーテルの庭園内で、彼女の実験体クシモトと対戦した時の話だが、自分たち
が遅れて駆け付けた際、戦況がすでに最悪な局勢だったことがある。
話の発端は、呪いによってカエルにされてしまった王様を、茨の森底に住む魔女、フラウ・ゴーテ
ルに戻してもらおうと、白雪と小人たちだけで交渉に行ったと聞かされたのが始まりだ。
魔女フラウ・ゴーテルはルーン魔法に長けたルーンメイジで、その地位は魔女ドロテーアよりも上
の上。また、禁忌魔法にも手を出しているという情報から白雪たちの先行が危ぶまれ、急いで白雪
たちの援護に向かうよう頼まれた。
ドロテーアの推測は当たっていて、自分とグレーテルが共に庭園に辿り着いた時には、すでに小人
たちの一人ネッセルが瀕死の状態で横たわっていた。園地を見渡すと、そこには見たこともない巨
大な植物――のちにクシモトと知った草人形が、他の小人たちを一網打尽にしている。そして、そ
の触手の最先端で、肝心の白雪と小人たちの末っ子で唯一の女の子ミーレが、二人揃って死境に立
たされていた。
生死を賭けた戦場で正解なんてものは存在しないが、最悪の展開を避けられる方法はいくらでもあ
る。冷静に状況を把握し、先にグレーテルを戦地に走らせた。単純な戦闘力なら、自分よりもグレ
ーテルのほうが高かったからだ。もちろん、賢明な判断ではなかったと思う。自分よりも幼い妹に、
先陣を切らせるのだから。彼女のことを考えると兄としては失格だ。他にももっと、いい方法があ
ったのかもしれない。
それでも、あの場面ではそうするしかなかった。自分に出来ること、自分だけにしかできないこと
――そう、仲間内で『回復』の能力を持っているのは自分だけだということ。優先すべき最役割は、
傷ついた味方――ネッセルの治癒を急ぐことだった。
気持ちは、初めての手術を行う新人医者のような感覚だ。上手くいく保証なんてどこにもない。信
じられるのは己の経験と実力のみ。両刃斧の第二効果『解放』に付加する恩恵回復を、必要量だけ
使用するなんて荒業が本当に出来るのか? そう何度も自分に問いただした。
解放は恩恵回復に全数量を振ってしまうと、しばらく戦闘不能になってしまうという諸刃の剣。再
び使用できるようになるには、最低でも数時間は要してしまう。が、逆に言えば、全数量を分割し
て使うことが出来れば、回復量は落ちるが、その分何度でも回復効果が得られるという解釈になる。
ネッセルの治療を成功させ、その足でグレーテルを追いかける。そうして他の仲間たちも救うには、
何が何でも自分が動けなくなるわけにはいかない。衛生兵のような動きが自分には求められていた。
それを踏まえ、ヘンゼルは〝自分の意思〟で、再生分量をコントロールする術をやって退けたのだ。
今はまだその種明かしは出来ないが、もしかしたらその先に見える強化術は〝自分をも治療できる〟
能力なのかもしれない。
「やってくれるね……ぼくの炎を消し去るなんて」
翠光は、やがて本体以外の全ての分身体を〝溶かし〟始めた。ヘンゼルの放った光に吸い寄せられ、
蛾の大群が集まってくる。さながら、明るさに釣られて、自ら災いの中に飛び込んでくる夏虫のよ
うだ。分身体の正体が火取虫でなければ、成功は難しかったかもしれない。
その上で、ヘンゼルはさらに自分が動けるだけの体力と童力を残していた。
「ん? あれ? お兄さん??」
光の輝きが次第に収まっていき、全ての分身体が消滅し切ったところで、アデムは我が目を疑った。
分身体の散逸後、その場所に残されていたのが、なんとアデム一人だけだったからである。ヘンゼ
ルの姿がどこにもないのだ。
光芒に紛れて、あるいは光の収束と同時に、行方を晦ました可能性が高い。どこかに身を潜めてい
る――とか、気配を消して隠れている――とか、そうではないのだ。完全にこの戦場からいなくな
っている!
「えぇぇ!? うそでしょ……」
楽しくなってきた――ところでのヘンゼルの逃亡。行間を読むに、彼は最初からそれを狙っていた
のかもしれない。全ての童力を使わなかった。ほとんどの童力を使ってでも……その辺りに退避の
意図があったように思える。
アデムは番狂わせな展開に地団駄を踏み、忽然と消えたヘンゼルの姿を追った。




