Ⅳ 『歪な愛』
ユーデリカたち友人との別れを惜しみ、ホーム『魔女の家』に帰宅したのは午後3時頃。グレーテ
ルは時をも待たず、夕食の準備に取りかかっていた。窓辺には、先ほど摘んで帰ったばかりの冬草
が、花瓶に挿し込まれ丁寧に活けられている。
その隣には、念願だった手作りの花飾りがその他多数並べられ、花園で時間の許す限り、それらを
作っていたのだということが明らかになった。出来映えは……まあそれなりではあるが、グレーテ
ルの満悦そうな表情を見れば、今日という一日が最高な日であったことは確かなようだ。
おそらく次に会う約束も、すでに済ませているのだろう。
帰宅後。彼女がつたない筆跡で、用紙に『約束の日』と、記入している姿が覗き見えた。その用紙
は、グレーテルの『大切な物』として、ヌイグルミの中に大事に仕舞われている。
思えば『黒い森』に来て、大切な物もずいぶんと増えた。そしてこれからも……大切な物はどんど
んと増えていくのだろう。
グレーテルはそんな大切な物を、この先もずっと守りたいと思った。
次にユーデリカたちと会えるのは一週間後だ。グレーテルは待ち遠しい気持ちに心を弾ませ、上機
嫌で台所を切り盛りした。
★
晩節の空は暗い。晴れている昼間でも、どんよりとした層雲が百万遍にも拡がって、太陽という絶
対光をひたすらに隠している。地上の気温が下降したまま上がらないのも、その影響で森の中に子
どもたちが少ないのも、全ては『光』から生まれし温もりが希薄なせいだ。
温もりは万物を動かす。それ故に、人の心肝までも対象にする。唐突だが、ここに『黒い森』にお
ける子どもたちの死亡原因をまとめた報告書がある。提出先はロマン主義教団『クレメンス』の本
部。取り扱いは非公式だが重要と呼ばれるほどの機密文書ではない。現に、被験体への忠告で情報
を教示している教団員もいる。
では、なぜ今頃になってそのような報告書に光が当てられたのかというと、これまでにない規則外
れな現象が相次いで起きたことに、クレメンスの連中が片っ端から資料を漁るようになったからだ。
とある教団員は血眼になってこう話す。
『死んだはずの人間が、戦場を掻き乱している――』と。
その教団員は死んだはずの人間が誰だとは言わなかった。
頑なに口を閉ざし、部下からの質問に暗黙を貫いた。様子から察するに見知らぬ人物ではないのだ
ろう。むしろ、ロマン主義教団『クレメンス』との関りが密接な人物であるかのように口を噤んだ。
百聞は一見にしかず――その教団員はその一見以降、上層部に言わず語らずで部下を動かした。独
自のルートを使い、秘密裏にその人物を追いかけた。当然だが、秘密裏に動いたことが表沙汰にな
れば、教団本部からの粛清は免れない。教団員が血眼になるのも納得だ。
ただ、この時すでに、彼は大きな失態を犯していた。
信頼していたはずの部下の一人が、教団幹部の上役と濃密に繋がっていたということだ。
部下の一人は、彼の密行捜査を、一辺も隠すことなく洗いざらい上司に報告した。
上司は教団の参謀を務める最古の教団員で、噂では『クレメンス』結成当時のメンバーだとも語ら
れている。
そんな錬達の幕僚は、部下に『泳がしておけばいい』との命令を下した。
愚かな教団員が独自の暗号を手に入れるその日まで――と。
部下の一人は、上司が全てを語らずとも言わんとしていることを理解し、早速の行動に移った。
狭い狭い井の中を広大でさもしい世界だと勘違いし、それら全ての毒皿を我が物顔でのさばろうと
する我利我利亡者を監視するために。
☆
同刻――黄昏に二つの影法師。一人は童男、一人は童女の格好をした幼い二人組だ。二人は洋装以
外、見た目・姿とそっくりで、夕映えを背に互いに肩を寄せ合っていた。
「寒くないかい、イヴ?」
「冷たいのは平気よ。兄さまは暖かそうね」
「熱いくらいさ」
二人の《童術》は『炎』と『氷』。それも『童化型』と呼ばれる想いと一心になれる形態で、彼・
彼女らの身体は、季節や気温といった寒暖に関係なく一定の体温を保つことが出来た。
「それにしても、結局最後まで口を割らなかったね。あのお兄さん」
少年が冷え切ったジャガイモをあっという間に能力で加熱し、瞬く間にホクホクの芋料理を完成さ
せる。数時間前、少年たち二人が〈三匹の子豚〉から奪ったであろう戦利品だ。他にも生活必需品
をいくつも調達していることから、幼いながらも『黒い森』での野営術を身に着けていることが窺
い知れる。
「まったく無駄な労力だったわ」
自分とそっくりで、双子である実兄からジャガイモを分けてもらい、イヴと呼ばれた氷髪の少女は、
文句を言いつつもそれを口にした。
「うぇ、まっず……」
「こんなんでも食べられるだけマシさ」
今回の襲撃で犠牲になった〈三匹の子豚〉については、その一部始終を風聞が伝えている。
いたずらに現れては横暴を繰り返す天衣無縫な〈双子〉を相手に、最後の最後まで奮闘した――と。
「あそこまでしてホームや兄弟を守る価値なんてあるのかしら」
「さあね。ぼくにも分かんないや。だいたいそれで自分が死んじゃったら何の意味もないのにね」
「頭がわるいのよ、きっと。だってそんな顔をしてたもの」
「ハハハ。言われてみればそうかも」
口々に勝手なことを言っては嘲罵を繰り返す二人。
しかしながら、最後まで〈双子〉の猛攻に抵抗した〈三匹の子豚〉の三男。
兄たちの影に隠れて、いつも空腹を満たすことしか考えていなかった食いしん坊の末っ子。
そんな彼が彼らの最後のホーム『煉瓦の家』を守り通したことは、前途の風聞もあってか、後に一
種の伝説となって語り継がれることとなる。
「イヴ……明日こそは、ぜったいに〈兄妹〉を見つけるよ」
いつの間にか、辺りは文目も分からぬ暗黒に染まっていて、アデム――双子の兄は〈兄妹〉を見つ
け出すことに奮いを起こしていた。義理とはいえ、母親に捨てられ、母親からの信用を失ったのだ。
信用回復のためには、もはや〈兄妹〉を打ち負かす以外、色よい返事がないことを知っている。
「あたりまえじゃない。どこに隠れていようとも、必ず探し出してやるんだから」
今宵の空に月はない。風は穏やかで、漂う厚雲は静かに流れている。明日――〈双子〉は、本格的
に東ブロックの制圧に乗り出すつもりだ。当然、必要とあらば暴れることも視野に入れており、進
行の妨げになると判断した場合は、片っ端から排除していくつもりである。
気になることがあるとすれば、東ブロックには〈兄妹〉以外にも二つ名を持った強豪たちが数多く
在住していることだが、それらの被験体が相手になろうとも〈双子〉は臆する様子を見せなかった。
生まれた瞬間から〝罪〟を背負っている二人。許されるためには〝死〟を持って償わなければなら
ないことが運命づけられている。相手が例え『黒い森』最強の〈黒い影〉であっても、戦って勝つ
か負けるかしか彼らに存在価値などない。敵前逃亡なんて考えは最初から持ち合わせていないのだ。
「イヴ、ちょっと気になる場所があるの」
眠り際、彼女はそう切り出した。『黒い森』制圧調査で東ブロックを担当していただけあって、東
区には兄のアデムよりも詳しい。その分、いくつか探りを入れたい場所があるのだろう。心当たり
というやつだ。どうやら〈兄妹〉の片割れが〝女の子である――〟ということにずっと狙いを絞っ
ていたらしい。
「ふぅん。いいよイヴに任せる」
的があるのなら狙いは絞りやすいとアデムは答えた。それならば無駄な労力も時間も消費する必要
がなくて済む。効率を重視した形だ。イヴの提案で明日の索敵場所が決定した。現地よりそう遠く
ない場所にあるそうだ。
「いつまでも……こんな土の上で寝ていられない……早くママのところに帰って、ちゃんとしたお
布団で寝てやるんだから……」
それは決意のような寝言かのような消え入るような小さな声だった。が、今たしかにイヴが口にし
た言葉だった。そして、寝息が聞こえてくる頃に彼女は眠った。目元からは一筋の涙が零れている。
そんな妹の手をアデムは握った。頬をつたう氷の結晶にそっと触れ、優しく拭ってやる。近くに兄
がいるという安心感が伝わったのか、イヴの表情から涙痕が消えた。そうやって二人は死地を潜り
抜け、乗り越えてきたのだろう。死ぬ時はどんなことがあっても一緒だという強い絆があるゆえに。
「……イヴ。わかってるよ。ぼくたちの居るべき場所――〝エデンの園〟へ一緒に還ろう」
☆
東区で『憩いの地』と言えば二つある。
一つは『妖精の湖』と呼ばれ、東区に住む子どもたちなら誰でも知っている湖畔。
一説によると、その昔一匹の傷ついた妖精が水を求めて辿り着いた場所らしく、水を浴びた妖精は、
たちまちのうちに元気になったと言い伝えられている。
そんな『妖精の湖』の魅力は、何と言っても景観の美しさだ。
水際のストリートファニチャーに腰をかければ、瑠璃色に染まった神秘的な湖畔と、対岸を彩る壮
大な新緑に癒されること間違いなし。透明度の高い水質は、空の色や森林さえも幻想的に映し出す。
巷では〈暴力の女神〉なる者が現れるとの噂も立っているが真相は定かでない。単にみすぼらしい
少女がゴミを漁っているとの目撃情報もあるし、水滴を纏った妖艶な少女が子どもたちに恵みを与
えているとの噂も流れている。
時流としてはその中の一つに、どこからともなく現れた少女が、湖を訪れた子どもらから金目の物
を強奪しているとの垂れ込みがあり、それがそのまま〈暴力の女神〉に繋がったのではと言及され
ている。それを踏まえ、実に多くの空言虚説・道聴塗説が飛び交っているが、どれもこれも信憑性
は薄く真実は誰にも分らない。
だがしかし、不思議と心を惹きつけられる、そんな優しい場所であることは折り紙付きで、それこ
そがこの『妖精の湖』の憩いの地たる所以なのだろう。
伝記に準えるなら、もしかしたらその〈暴力の女神〉は、悪戯好きな妖精なのかもしれない。
そして、もう一つが『先駆者たちの霊園』――現在では『乙女たちの花園』――と呼ばれている東
区のはずれにある庭園だ。その名のとおり、憩いの地としては主に女の子たちに人気があるようで、
その定評ぶりは東区の子どもたちだけに留まらず、『黒い森』全域にまで末広がっている。
人気の秘訣としては、やはり、必要な草花類および果実類が、この花園だけで軒並み賄えてしまう
という点なのだろう。とくに争奪戦に参加していない、弱く非力な女の子たちにとって、この場所
は重要な〝共有財産地〟にまでなっている。自足自給が当たり前のように定義され、森の中での生
活を余儀なくされている以上、これほどまでに浮き立つような場所は、他のどこを探してもなかな
かに見つからないからだ。わざわざ隣のブロックからこの地を求めて子どもたちがやって来るくら
いに、この地には何でも生え揃っている。
「えへへ……ほんとに凄いね。ここのお花畑。薬草に香花、食用草まで何でも生えてるよ。次に会
った時グレーテルちゃんにお礼しなきゃね」
かくして、今日も今日とて数人の少女たちが『乙女たちの花園』を訪れていた。
「そうだねーはやくグレーテルちゃんに会いたいなぁ……」
草花に埋もれていたのは二人の少女。頭をお花盛りにしているほうがユーデリカで、お人形みたい
な雰囲気のほうがフラウミルだ。どちらとも、グレーテルが『黒い森』に来て仲良くなった友達で、
先日ここ『乙女たちの花園』で遊んだばかりだった。
予定では、数日後に再びグレーテルたちと会う約束をしているのだが、その前に急遽別件が入った
ことで二人は再度この花園に足を運んでいた。
「これくらいあれば足りる? フラウミルちゃん」
「うん。たぶん大丈夫だと思う……手伝ってくれてありがとうユーデリカちゃん」
「いいよいいよ全然。わたしも摘みたい花がたくさんあったから誘ってもらって嬉しかった」
何でもフラウミルが仲良くしてもらっている男の子グループからケガ人が出たらしく、その子のた
めに香味草を採りに来たというのが目的らしかった。
「お礼はキスでいい?」
冗談なのか本気なのか、どっちとも取れる表情でフラウミルが礼を口にする。返答に困ったユーデ
リカは、そんなフラウミルの手を握って家路へと促した。
「もーフラウミルちゃんてば。変なこと言ってないでそろそろ帰ろ」
本音を言うと、もう少し長居したい気持ちはあったが、冬月の暮はあまりにも早い。いくら現時刻
が正午前とはいえ、『黒い森』の中はただでさえ薄暗いのだ。これ以上の陰りは地雷原に足を踏み
入れるようなものである。花園からの帰宅距離を考えても、いいかげん帰路に着かなければならな
い頃合いなのは間違いなかった。
それに、一刻も早くその男の子グループに、薬草を届けてあげたいという想いもあった。
二人は重い腰を上げて、園内を歩き出す。花園の出入口になっている丘の上まではそう距離はない。
「あーあ。わたし、男の子だったらよかったなぁ……」
手籠いっぱいの薬草を片手に、フラウミルは溜め息交じりで呟いた。ユーデリカが、それはいった
いどういう意味だろうと小首を傾ける。
「フラウミルちゃんは、男の子になりたいの?」
仲間内で比較的ボーイッシュな女の子オリヴィアや、男装すれば一番似合うだろうバスティエンヌ
に比べると、フラウミルはどこからどう見ても女の子だ。お人形のような愛らしい容姿に、自然と
庇護欲を掻き立てられる少女の仕草。どこを探しても男の子要素などこれっぽっちも見つからない。
ユーデリカの描く仲間内の内訳では、フラウミルはグレーテルよりも女の子女の子なのだ。
「だって、男の子だったら、ユーデリカちゃんともグレーテルちゃんともふつうにキスできるんだ
よ? こんなに大好きなのにキスしようとするとみんな困った顔になっちゃうんだもん」
その問いに答えるのは、若干10歳のユーデリカにはさすがにまだ早かった。しかしながら、何と
なくだが、フラウミルの言わんとしていることをユーデリカは懸命に理解しようとした。フラウミ
ルが男の子になりたいって言っていた意味も理論上は間違っていない。
年頃の女の子だ。難しい時期であることも承知している。恋愛の対象が同姓に向いてしまうのも決
しておかしなことではない。ただ――
「ねえユーデリカちゃん。わたしって変なのかなぁ……」
フラウミルが同姓に対してそういう気持ちを抱いているのは薄々感じていたが、知識も恋愛感情も
乏しいユーデリカには、問いに対する正しい返答までは分からなかった。
二人はその後、終始その話で歩を進め、螺旋に描かれた丘の側道を名残惜しそうに駆け抜けた。目
の前には、木々と花々のトンネルが姿を現し、そこから先は楽園から一転して死の森だ。
ユーデリカは緩んでいた気を引き締め直すとフラウミルに身幅を寄せた。いくら何年も過ごしてい
る『黒い森』とはいえ、怖いものは怖い。オリヴィアやグレーテルのような争奪戦に参加できるだ
けの強さがあれば良いのだけれど、そのような力は生憎と持ち合わせていない。それはフラウミル
も一緒だ。非戦闘員である二人にとって、森での敵は猛獣や病気だけではない。見知らぬ被験体で
さえ警戒しなければならないのだ。
「――あら?」
そんな二人の足が早々に止まった。帰路に着こうとしていた二人とばったり会うように、トンネル
の奥から見知った人物。ユーデリカもフラウミルも、その人物とは面識があった。
「どこかで見たことのある顔だと思ったら、この前の田舎娘たちじゃない。奇遇ね」
おもむろに声をかけてきた人物は、ユーデリカたちと同輩くらいの女の子で、今日は隣に仲間を一
人連れている。一瞬ボーイフレンドかな? とも思ったが、そうではないとすぐに分かった。
「イヴ、知り合いかい?」
その男の子は、隣りの女の子と見間違えるほどにそっくりだった。
ユーデリカは、二人が双子だったのかと気づく。
「クスクス……そんなわけないじゃない。イヴをこんなダッサい子らと一緒にしないでよ」
先日グレーテルたちと花園を訪れていた時もそうだったが、その時と同じというか、相変わらずの
暴言を吐きまくる。けして気分の良いものではないが、ただただ黙って耐えるしかユーデリカには
出来なかった。
そんなユーデリカを見てか、フラウミルがイヴと呼ばれた少女に話しかける。
「わたしはフラウミル。10歳だよ。あなたのお名前は?」
彼女はいつだってそうだった。どんな子とも仲良くなろうとする。仲良くなった友達の悪口は絶対
に言わない。知らない人のことだって悪く言わない。男の子も女の子も隔たりなく接しようとする。
先ほどフラウミルと話していた、男の子になりたい云々の答えじゃないけど、彼女はきっとみんな
と仲良くなることで争いを止めようとしてるんだと、それがフラウミルって子なんだと、ユーデリ
カは納得した。
「はぁ? ばっかじゃないの。なんでイヴがあなたに名前を教えなきゃいけないのよ」
(イヴちゃんって言うんだ……)
ここでユーデリカがぼそりと呟く。どうやら、一人称が自分の名前だってことに、イヴは気づいて
いなかった様子だ。
「はあぁ!?」
フラウミルに名を聞かれただけならまだしも、ユーデリカに一人称を突っ込まれ、自滅してしまっ
たことにイヴは憤慨した。加えて、その一部始終を見ていたイヴの双子の兄――アデムが腹を抱え
て笑っていることにも許せない。
「ちょっと兄さま! 兄さまはどっちの味方なの!!」
「ハハハ。ごめんごめん。それで、イヴの気になってた場所ってここかい?」
「ふん。知らない!」
「知らないって……君が心当たりがあるからって言うから、ここまで付いてきたんじゃないか」
突如始まった双子の言い合いに、ユーデリカは罪悪感を感じながらも、恐るおそる口を挟んだ。
「えっと……心当たりって……」
腰に手を当ててそっぽを向いていたイヴがギロリとユーデリカを睨みつける。我に返って、花園に
来た理由が〝女の子〟であったことに冷静さを取り戻す。
「ちょうどいいわ。あなたたちに聞きたいことがあるの」
もしかしたら、この前出会った女の子たちの中に、〈兄妹〉の〝妹のほう〟が居たかもしれないし、
何なら今、目の前にいる二人のうち、どちらかがその妹かもしれない。
可能性だけで〈兄妹〉を探すのなら、女の子がたくさん集まり、妹側との接触にもっとも近づける
この場所が、イヴにとっての心当たりであり最候補だった。
「東区で〈兄妹〉を探してるんだけど、知っていることがあるなら教えなさい」
「兄妹……?」
「年齢はぼくたちと同じくらいで、男女の二人組さ。西ブロックで最強だった〈笛吹きの男〉を倒
したらしいんだけど、知らないかな?」
ユーデリカは固唾を飲んだ。この双子らがいったい誰を探しているのかを、彼女もフラウミルも詳
しく知っていたからだ。どういった目的で、どういった理由で〈兄妹〉を探しているのかは分から
ないけど、雰囲気からして、良くない流れになりそうだとユーデリカは悟った。
「し、知らないよ……」
「ふぅん。うそをつくとひどい目に合うわよ?」
「う、うそじゃないよ。ほんとうに知らないの」
動揺を隠しきれていないのはバレバレだったが、ここでこの子らに〈兄妹〉のことを話したら、お
そらく笛吹き男に捕まった時みたいに、きっとまたグレーテルたちを巻き込んでしまう。
たぶんあの〈兄妹〉は、被験体の中でも〝特別な〟存在なのだろう。そして――同様にこの双子も。
自分たちとはまったく違う次元で『黒い森』を生き抜いている。そういう宿命を背負わされて、嫌
でも戦わなければならない事を定めつけられているに違いない。
誰かが言っていた言葉だ。それが『結びつき』って呼ばれる効果だと――
「そう……だったらこの前のお兄さんみたいに身体に聞いてみようかしら」
周囲が一気に冷え込んだのを肌で感じた。冬季の冷たさが一周回って暖かく感じるほどにうそ寒い。
息を吐き出せば、すぐに氷結を開始して喉の奥方まで凍りつく。これが……特別な子たちが有して
いるという『能力』なのだろうか……
ユーデリカがフラウミルと共に倒れ込む。これ以上立っていられないほどに息が苦しい。酸素を求
めて空気を肺に取り込むと、身体の中が冷凍庫になったみたいだ。寒い。凍えてしまう。
「本当は知っているんでしょ? 何でもいいわ……少しでも〈兄妹〉のことを教えてくれたら、こ
の氷点下の世界から解放してあげる。そうじゃなきゃ、もっと痛めつけるわよ」
急激な温度変化と息苦しさで意識が遠のいていく。もはや双子が何を喋っているのかも分からない。
視界が霞みはじめ、身体が硬直状態になっていく。そういえば、凍死は眠るように死ねるって聞い
たことがあったけれど、あれは本当だったんだとユーデリカは了得した。
「……しら、ない……よ……」
☆
それは昼食を食べようとした時だった。突然窓が開いたと思ったら、いきなり白鳥が舞い込んでき
て、バタバタと羽を落としながら天井を飛び回ったのだ。
「マーガス落ち着きな。いったいどうしたと言うんだい」
マーガスと呼ばれた白い鳥は魔女ドロテーアの使い魔で、ホーム『魔女の家』およびマホウノモリ
を警護している優秀なカラスだ。不審な人物が領域内に侵入したり、『黒い森』周辺で事変が起き
た時には、真っ先に魔女へと報告してくれる。
「ふむ……ふむ。なんじゃと」
使い魔からの急報を受け、神妙な面持ちになる魔女。そこへ、昼食のお預けを食らったヘンゼルと
グレーテルが駆け寄ってくる。
「今のはなに? 何かあったのおばあさん?」
兄妹が気にかけるのも仕方がない。なんせ、この家で生活を始めて、使い魔が部屋の中に舞い込ん
できたなんてことは一度もなかったからだ。余程のことがあったのだろうと勘づくのも無理はない。
使い魔からの伝達は、下記のような概況だった。
マホウノモリC地点、座標位置(111, 303)にて強い《想い》が発生。それに伴い、天候および自
然界に乱れが出ていると。災害レベルで被害地域が拡大しているとのことだ。
「これほどにまで強い《想い》は、『グリムの仔達』以外考えられないが、それもトップクラスの
者たちじゃ。お前たちがこの前戦った〈笛吹きの男〉と同等、あるいはそれ以上の者たちかもし
れん」
ヘンゼルとグレーテルに緊張が走る。〈笛吹きの男〉には辛うじて勝利することが出来たが、それ
は奇跡に近いものがあった。お互いが万全の状態でもう一度再戦なんてことになれば、次はどうな
るか分からない。それくらいに〈笛吹きの男〉は強敵だったのだ。
そんな強敵に次ぐ強敵が近くの森に現れたというのだから、使い魔が急いで戻ってきたのも頷ける。
「グレーテル、いこう。僕たちで異変を喰い止めるんだ」
可能ならば交戦は避けたいところだが、この間にも他の子どもたちに被害が出ているかもしれない。
たとえ戦闘になって勝てる見込みがなくっても、『グリムの仔達』の所業は、同じく能力持ちであ
る『グリムの仔達』が止めなければ他に抗えられる者がいないのだ。
「おばあさん、マホウノモリC地点の座標って――」
手短に身支度を済ませ、兄妹がホームを後にしようとする。
現在マホウノモリを利用して『黒い森』に抜けられる裏道は3つ。その中でCルートと言えば、
「花園じゃ」
「――!!」
魔女ドロテーアの口から、災害発生地域が花園と聞かされ、グレーテルの表情に焦りの色が浮かぶ。
今日は友達の誰とも約束はしていないが、花園には常に多くの子どもたちが訪れている。そんな場
所で戦渦なんてものが発生したら、子どもたちへの被害はおろか、花園への生態系も壊れてしまう。
せっかくみんなと仲良くなれた、あの『乙女たちの花園』を失うことになりかねないのだ。
「お兄さま!」
グレーテルの内から秘めたる《想い》が伝わってくる。考えている時間はない。手遅れになる前に。
「うん。いくよグレーテル!!」
マギの秘術《架け橋効果》を利用して、兄妹はマホウノモリから『黒い森』のとある一角へとワー
プした。マホウノモリC地点――花園まで寸前のポイントだ。
「――っ! ものすごい冷気だ」
ポイントへの着地と同時に、ヘンゼルは凄まじい気温の低下を感じた。肌に突き刺さる冷風がヒリ
ヒリと痛い。このような中に何時間も居続ければ、細胞機能が低下し、臓器や筋肉系、はたまた神
経系や呼吸系までが死滅してしまう。
悠長に事を構えてられる余裕はない。急いで異常気象の原因を突き止めなければ、被害は拡大の糸
を辿り大惨事だ。
兄妹は花園までの一本道を一意専心で駆け抜けた。
パリッパリッ……兄妹が落ち葉を踏みしめて行くたびに、氷結した枯れ葉が音を立てて割れていく。
いつもは美しい並木道の木々も、今は霜を被ったように白い。すべての生命が氷点下の世界に転生
してしまったようだ。
「ハァ……ハァ……」
急ぎ足による酸素の消費と体気温の低下が重複し、呼吸器がこれまでにない悲鳴を上げている。花
園までの道のりがこれほどにまで遠いとは。グレーテルは肺が押し潰されそうになるのを我慢して、
ヘンゼルの後を懸命に追いかけた。
やがて、花園への入り口が見えてくる。凍てついた花冠のトンネルを掻い潜り、外苑へと下る丘陵
地を目指す。そうして、ようやく兄妹は『乙女たちの花園』へと達した。
「――!?」
息せき切って到着した隆々に数人の人影。それらの人物が視界に飛び込んできた瞬間、グレーテル
の表情が一気に激変した。眼前に目を疑いたくなるような光景が広がっていたからだ。
男女の二人組と二人の少女――対面していた二組は、片方が一方的な暴行を繰り広げ、無抵抗な少
女たちに不道徳を働いていた。少女の一人は地面に沈みかけ、少女の一人は髪を掴まれ引っ張られ
苦痛に耐えている。
グレーテルは声を荒げずにはいられなかった。
むごい振る舞いを受けていた少女らは、何を隠そうグレーテルの〝大切な友達〟でもあったからだ。
「なに? この感じ……」
こちらに背を向けていた二人組が兄妹の出現に気づいたのか肩越しに振り返る。その二人組の奥で
虚ろな目をしていた少女が片言に言葉を漏らした。
「グ……レーテル……ちゃん……」
少女の頬は真っ赤に腫れていた。殴られたのだということが一目で分かるほどに痛々しい。その表
情からは生気が抜けかけている。
「ちょっと、何よあなたたち。今とりこみ中なんだけど。あら? あなたはたしか……」
氷色髪でツインテールの少女が腰に手を当てて物を言う。グレーテルはその少女のことも知ってい
た。先日ここ花園で、一度だけ面会をしている。そして、それは相手も同じだったようで、少女は、
まるで行き交う人混みの中から、自身の知り合いを探り当てたかのような表情をしていた。氷結を
ものともしない冷ややかな様子から、異常気象の原因はどうやらこの少女の仕業らしいと判明する。
「ちょうどよかったわ。あなたにも聞きたいことがあるの。この東区で――」
「イヴ。待って。この二人……」
イヴと呼ばれた氷髪の少女に、少年のほうが待ったをかける。燃え炒るような橙色の髪は少女とは
相対的で、冷静になって見比べるまで、兄妹は二人組が双子であるとは気づかなかった。
「お兄さんたち、笛吹きの男って知ってる?」
少年は注意深く兄妹を検眼し、ヘンゼルに一応の鎌をかけた。見たところ、二人が兄妹であること
は間違いない。向こうから獲物がやってきたのだとすれば、それはそれでラッキーだ。『結びつき』
の効能が発動した可能性だってある。
男女の二人組。兄妹。自分たちと同じくらいの年齢。微かに感じる《幸遺伝子》反応――笛吹き男
を倒したにしてはあまりにも薄すぎる濃度だが――自分たちが探している〈兄妹〉の条件には、ほ
とんどが当てはまっている。
気になる点があるとすれば、やはり先ほど感じた微妙な《想い》だろうか。兄妹が現れた瞬間、明
らかに場の空気が変わった。よもや、〈笛吹きの男〉を倒したというのも頷けるほどの強い想いだ。
――となれば、後は〈笛吹きの男〉との接点だけに過ぎない。彼との面識があればもれなく確定だ。
「グレーテル。この子たち、さっきからもの凄い《想い》を発している……間違いない。この二人
『グリムの仔達』だ……」
少年の問いに反して、ヘンゼルが戦闘態勢に入るようグレーテルに促した。〈笛吹きの男〉の想い
にも、勝らず劣らずの強い〝殺気〟がビンビンと伝わってくる。返答次第では、いきなり殴りかか
ってきてもおかしくないほどに隙がない。常日ごろから戦闘態勢であるかのような立ち振る舞いだ。
「に、げて……」
「!!!」
「グレーテルちゃん……にげてー!」
残りの気力を振り絞って、ユーデリカが渾身の想いで叫ぶ。この子たちは危険だと。ここに居ては
争奪戦に巻き込まれてしまうから――と。
最初から分かっていたのだ。自分がここでグレーテルのことを話さなくても、そう遠くないうちに、
兄妹はこの双子らと対峙することになるのだろうと。東ブロックを片っ端から荒らして回って、最
終的に双子は兄妹へと行きつくのだろうと。
何もかも、全部が予想できていた事だ。自分なんかが少しくらい足止めをしたところで、グレーテ
ルに忍び寄る影は止められない。むしろ痛い目に合って、こうやって彼女が助けに来てくれる展開
が頭の隅によぎっていたのだ。
そうしてまた友人を……仲良くなった大切な友達を戦場へと送ってしまう。ユーデリカはそれが嫌
で嫌で、たまらなく怖かった。
だけど、やっぱり友達として。少しでもグレーテルへの危害を止めたくて。見過ごせなくて……彼
女のことが大好きだから、ユーデリカはグレーテルのことを話さなかった。
「うるさいわね! 黙っててくれる!!」
「ああっ!」
氷髪の少女が騒ぎ出したユーデリカに張り手を食らわした。
案の定だ。グレーテルが兄を連れてやってきた。〈笛吹きの男〉の時と同じように、また助けられ
てしまう。そして、また彼女は傷ついてしまうのだろう。
逃げて……ほしい。少しでも遠くへ。双子の爪先が及ばない、遠く安全な場所まで、彼女には逃げ
てほしい。もうこれ以上、彼女には傷つかないでほしい。
それが、今ユーデリカが出来る、最大の《想い》だった。
「ん? どういうこと……想いが……想いが急激に膨れ上がってるんだけど……」
一帯に旋風が巻き起こる。昇竜の勢いで周りの草花を巻き込み、被っていた霜雪が一気に吹き飛ん
だ。少年が驚いたように警戒色を強める。
「な、なんなのよこの猛風!」
少女は掴んでいたユーデリカの髪を手放し、降りかかる猛威に成すすべなく後退した。全力で足腰
に力を入れて踏ん張らないと、あっという間に吹き飛ばされて転倒してしまう。不思議なのは、そ
の対象が〝自分たち双子だけ〟だったということだ。
ユーデリカとフラウミルは、何故かこの風に巻き込まれていない。
「グレーテル……?」
珍しいことが起こっていた。こんな様子の妹は見たことがないと。いや……思い返せば、一度だけ
それはあった。『黒い森』に来て、初めて狼と戦った時、狼との争奪戦でボロボロになったヘンゼ
ルを彼女が助けようと叫んだ時だ。
おっとりとしていて。口数が少なくて。何にでも一生懸命で……めったなことでは怒らない彼女が、
「――っ!」
そう――グレーテルはこれまでにないほどに怒っていた。




