Ⅲ 『揺れる花』
グレーテルが広場に通い始めてから一週間。ヘンゼルは妹の一挙一動に疑懼の念を抱かされていた。
朝、毎日のように外出し、帰りもそれなりに遅くなっていたからだ。
少し前のグレーテルなら、魔女のおつかい以外で、自分から進んで森に入ることはなかった。
ホームでは日課である家事一般をこなさなきゃいけないし、空いた時間は実家にいた時から続けてきた
自主学習に取り組むなど、彼女は森に出ていく暇もないほどに多事多端だったからである。
それに加え、ここ三日ほどは朝食までも疎かになっていた。
麦パンを半分以上も残し、スープも一口二口すすって食べ終えたと言っているのだ。
食事に関しては、残さずきちんと食べていた彼女なだけに、食欲がないのかと尋ねてみたが、
返答はいつも『後で食べます』の一点張りだった。
そして、更に心配なのが、以前にも増してボーッとしている回数が多くなった事だ。妹の性格自体、
元からおっとりとはしているのだが、声をかけて、無反応なことは今までに一度もなかった。
どこか上の空というのか、目の焦点が合っていないというのか……とにかく、グレーテルの様子が
いろいろとおかしい。なんだか、だんだんと『悪い子』になっているような感じがして、兄として
は心配しないわけにはいかなかった。
もしかして、森で誰かと逢い引きなんかしてるんじゃ……いやいやいや。
グレーテルに限ってそんなことは……でも、兄から見ても妹は結構モテるし……まさか、ね。
ヘンゼルは平常心を失いつつも、魔女にグレーテルの近況を聞いてみた。
「おばあさん。最近のグレーテル少し変じゃない? 朝ご飯も食べないでどこかに出かけちゃうし、
帰りだってだんだんと遅くなってるしさ……僕、心配だよ」
グレーテルに対して過保護すぎるかもしれないが、妹は昔から無鉄砲なところがあった。それ故に、
ケガをして傷つくことも多かったし、厄介ごとに巻き込まれることだって少なくはなかった。何事
にも身体一つ、全力でぶつかっていく彼女だからこそ、余計に心配してしまうのだ。
「ふむ。まあ、お前が心配になるのも分かるのぅ。たしかに最近のグレーテルは少し浮き足立って
おる。けど、それほどまでに気にするような事でもないんじゃないかえ? 彼女とて、もう10
歳だ。冬には11歳になるのだろう? 私やヘンゼルから〝自立〟したって事かもしれないねぇ」
「自立!?」
「左様。自分で考え、自分で選択し、自分の意思を持って行動する。私やヘンゼルに言われるまま
だったグレーテルから、少し大人になったということじゃ」
「グレーテルが……大人に……そん、な……」
ヘンゼルが青ざめる。妹だけはいつまでも変わらないと思っていたのに。
「なにか勘違いしておるようだから付け加えておくが、私が使い魔を飛ばしてグレーテルを観察し
た限りでは、とくにお前さんが心配するようなことはないと思うがね。グレーテルにも秘め事の
一つや二つくらいあるってもんさ。大丈夫……グレーテルは『悪い子』になんかなっていないよ」
魔女はグレーテルの珍行動を全てお見通しの上で、彼女を陰ながら温かく見守っていた。
何でもかんでも大人が首を突っ込んでいい問題ばかりではない。時には子ども達を信じる事も大切
なのだ。それが経験となって子ども達は成長していくのだから。
☆
今日も今日とて広場に到着したグレーテルは、真っ先に集まっている子たちに目を向けた。
「あ、グレーテルちゃんだ」
切り株の前で、雑談に花を咲かせていてた女の子たちが、一斉に振り返った。みんなとは、
今ではすっかりと仲良しになっていて、紙芝居以外でも他愛のない話で盛り上がっている。
「グレーテルちゃん。早く早くー」
女の子たちの一人で、お人形のような少女フラウミルが、領巾を振ってグレーテルを歓待している。
切り株の前でおしゃべりをしている子たちは、すでに観賞料を支払い終えた者達だ。
そう。先ず、観賞料を支払わなければ、あの輪の中には入れない。
グレーテルは逸る気持ちを抑え、コクリと頷いた。彼女もまた、いち早く観賞料を支払って、
みんなの下へと急ぎたかった。子ども達は紙芝居終演後、それぞれのホームへと速やかに帰ってし
まうため、森のみんなとおしゃべりが出来る時間は、芝居が始まるまでの待機時間に限られている。
グレーテルは広場を見渡して、音楽隊の姿を探した。
広場の隅のほう、切り株から遠く離れた位置に音楽隊のメンバーはいた。ほとんどの子が、疾うに
観賞料を支払い終えているため、音楽隊の前に列はなく、最後の一人が、ちょうど観賞料を支払お
うかというところだった。
「ど、どうしてもダメ……?」
「紙芝居と観賞料の支払いは等価交換。観賞料が支払えないんじゃ、紙芝居は見せられないよ」
少女の献身的な懇願を、音楽隊の一人ヴァオが、幣履を棄つるが如く取り下げる。内
払い回収の現場に居合わせていたのは、いつも巧妙な語りで紙芝居を盛り上げている語り手と、花
柄模様のワンピースを着て、頭をお花盛りにした女の子、ユーデリカだった。
ヴァオの後ろでは、面長の少年とお団子頭の少女がその様子を静観している。
「今日はその……食べ物が手に入らなくて……それでもわたし、紙芝居の続きが気になって気になって!
お願いします。明日はちゃんと観賞料を持ってきますから」
「ダメだダメだ。どんなにお願いされても、観賞料が支払えないんじゃあ紙芝居は見せられないよ。
それに、他の子たちはみんな、きちんと観賞料を支払っている。君だけが特別ってわけにはいかないだろう?」
「うう……お花……お花ならあります」
「君ねぇ……花なんか貰ったって、腹の足しにもなりゃしないよ。さあさあ、観賞料の支払えない
子は帰った帰った。紙芝居が観たければ、観賞料なるものを持っておいで」
音楽隊に粗雑にあしらわれ、ユーデリカは胸に花きを抱いたまま、トボトボと音楽隊の側を離れた。
どうしても紙芝居の続きが気になるのだろう。みんなのいる輪の中には入れないが帰る様子はなく、
遠く離れた木立の側に寄り添って、楽しそうにおしゃべりをしているみんなを羨望した。
グレーテルは、遠くのユーデリカを気にしつつ音楽隊に近づいた。
「おや? 君はいつもパンを持ってきてくれる子だね。いつもいつも、おいしいパンをありがとう。
今日の分の支払いも期待しているよ」
ヴァオがニコニコと商売口上を口にする。グレーテルは肩紐を緩めて、背負っていたヌイグルミを
手元に回した。その中を漁り、観賞料であるミッシュブロートを取り出す。今日はパンには手をつ
けず、スープだけの朝食で済ませてきたため、手元にはパンが丸ごと一個残っていた。グレーテル
はパンを丸ごと一個、惜しみなく音楽隊に差し出した。
「これで、二人分……」
「二人分?」
毎朝、朝食の席で食べているパンは約半斥で、ここでの観賞料が一人頭1/4斥なら、このパン一
個で二人分の観賞料にはなるはずだ。グレーテルの視線がユーデリカのほうへと向けられる。その
視線を追って、ヴァオも納得した顔になった。
「うんうん。なるほどなるほど。優しいんだね君は。いいよ。君がいつも持ってきてくれるパンは、
喉から手がでるほどの極上品だからね。僕らとしてもありがたい限りだ。あの子もきっと喜ぶよ」
二人分の観賞料を支払ったグレーテルは、その足で、ユーデリカの立っている木立へと歩み寄った。
ユーデリカがグレーテルの存在に気づき、気まずそうに顔を背けた。観賞料の支払い後、みんなの
ところに行かず、こちらに向かって接近してくるということは、音楽隊の人に言われて、早く家に
帰るようにと伝えにきたのだろうか。グレーテルとの距離が近づくにつれ、ユーデリカはグレーテ
ルから逃げ出したくなった。
グレーテルがユーデリカの手前で止まる。樹木を盾に、ユーデリカが自分から距離を取ろうとして
いるのが分かった。そんな彼女の手をグレーテルが引いてやる。
「いっしょに……みよ」
ユーデリカに優しい眼差しを向け、みんなのところへ一緒に行こうと誘う。家に帰されると思って
いたユーデリカは、グレーテルからの誘いを受け、背徳的な焦燥感に煽り立てられた。
「で、でもわたし、今日は観賞料を支払えてなくて……」
『観賞料なら、その子が払ってくれたよ』
「え?」
木立の高層から声が降ってくる。同時に少女が一人、樹木から飛び降りてきた。
ボサボサの黒髪を不揃いに両端で結んだ、和の雰囲気を持つ音楽隊の女の子だ。
広場周辺の警邏を終え、つい先ほど帰還した様子だった。
「この子はお前の分の観賞料を支払った。お前には紙芝居を観る権利がある。友達なら誘いに乗ってやりな」
音楽隊の少女に導きを与えられ、ユーデリカは体を縮めてグレーテルに問い合わせた。
「いい……の?」
「ともだち、だから……」
グレーテルが言を待たないで肯んずる。こんなにも楽しい紙芝居が観られないなんて、友達として
何とかしてあげたいと思うのは当然のことだ。ユーデリカのことを思えば、パンの一つや二つ差し
出すことくらいどうってことはない。そんなことよりも、彼女と一緒にいられる時間のほうが、グ
レーテルにとって大切だった。
「ほらほら、紙芝居が始まるよ」
音楽隊の少女に急かされて、二人は手を繋いで切り株の前へと駆けて行った。
「グレーテルちゃん……ありがとう」
ユーデリカが涙と笑顔を一体にして礼を口にする。切り株の前にいた子ども達が二人を迎え入れて、
本日の紙芝居が幕を開けた。紙芝居に夢中になるユーデリカの横顔を見つめ、グレーテルも自分の
ことのように嬉しくなった。
「あの子はもうダメだな。これ以上は搾り取れそうにない」
紙芝居に取り付かれたユーデリカを傍観し、面長の少年が隣の少女に同意を求めた。
「そっかぁ……可哀相だけど仕方がないよね。じゃあ……」
「ああ。あの子は今夜のパレードに乗せていく。彼女には『夢の世界』へと行ってもらうとしよう」
☆
紙芝居の終演後。グレーテルはユーデリカに誘われて、森の野末まで一緒に帰ることになった。今日
の観賞料の件でどうしてもお礼がしたいらしく、ユーデリカは帰り途中のグレーテルに声をかけた。
「グレーテルちゃん……今日は本当にありがとう。紙芝居の続き、観れて楽しかった」
午前中の柔らかな木漏れ日が二人の歩行先を照らしている。広場から大分離れた場所で、ユーデリカ
は近くの座れそうな切り株にグレーテルを誘導した。
「わたし、グレーテルちゃんにどうしてもお礼がしたくて。お花しか持っていないけど、
グレーテルちゃんに似合うと思うんだ」
そう言ってユーデリカは、自身のポーチから手鏡と半月型の梳櫛を取り出して、
「座って」
グレーテルを切り株の上に座らせ、後ろに立って彼女の髪を梳き始めた。
友達に髪を梳いてもらうのは初めてで、グレーテルも心成しか緊張している。
グレーテルは毎朝いつも魔女に髪を梳いてもらっていた。猫毛ぎみの彼女の髪は、毎朝きちんと梳か
ないと真っ直ぐにはなりぬくい。ユーデリカはいつも自分で髪を梳いているのだろうか。手鏡や櫛を
持っているあたりオシャレには敏感なんだろう。花柄のワンピースも可愛いし、髪留めや手首のシュ
シュなんかも女の子らしい。
一方のグレーテルは、櫛や手鏡といった女の子らしい物は、何一つ持っていなかった。
過去に何度か、欲しいなぁと思ったことはあったが、当時それを買えるだけの金銭的余裕はなかった。
実家では母親が髪を梳いてくれたし、ホームでは魔女がそれをやってくれている。オシャレな年頃で
あるグレーテルにとって、お粧しや見繕いとは無縁なものだった。
「グレーテルちゃんの髪って赤毛なんだね。赤毛は不思議な力を持っているって聞いたことがあるよ」
グレーテルの髪に櫛を流しながら、ユーデリカがグレーテルの赤毛を吟味する。
今の今まで、髪色について深く考えたことはなかったため、グレーテルはそうなのかと聞き返す。
両親は父親が栗毛で母親が赤毛だったから、自分の髪は母親からの遺伝なのかもしれない。そうなる
と、兄の髪色は父親からの遺伝なんだろう。グレーテルの顔に笑みが浮かんだ。両親との血の繋がり
を確認できて、家族のことを思い出す。生きて家に帰ることができたなら、両親と、もっといろいろ
な話をしてみたい。その想いは、口数が少なく消極的だったグレーテルが、森にきて成長したなと感
じさせられるものだった。
ユーデリカが、梳き終えて真っ直ぐになったグレーテルの髪に、桃色の花を差してやる。紙芝居の前
に森で摘んできた、周年の花ガーベラだ。
ガーベラは陽気で明るい雰囲気を持つ四季咲きの花で、葉は地際に集まって茂り、花茎だけが長く伸
びて咲く、すっきりとした草姿が特徴である。偶然なのかどうかは分からないが、ユーデリカの摘ん
できた桃色のガーベラは、西洋の花言葉で『希望』や『感謝』。『思いやり』や『美』、『友情』を
表すことで知られており、まさに今日のグレーテルを表現するのに、相応しい花だった。
「できた! グレーテルちゃん、すっごく可愛い」
手鏡をグレーテルに持たせ、頭部に花飾りをした自身の姿を映らせる。グレーテルのダリアのような
ワインレッドの髪が、桃色のガーベラでアクセント付けされ、彼女の愛らしさをいっそう引き立てた。
グレーテルが手鏡に映る自身の姿を見て頬を紅潮させる。草花一つでこんなにも可愛くなれるなんて。
今度、自分の知っている花園に、ユーデリカを誘ってみよう。花の大好きな彼女なら、きっと喜んで
くれるに違いない。
グレーテルはユーデリカに手鏡を返し、花飾りのお礼を言った。
「お、お礼なんていいよっ。わ、わたしのほうこそ、こんなお礼しかできなくてゴメンね」
手鏡と櫛をポーチの中に戻し、ユーデリカは観賞料のお礼がグレーテルにちゃんと出来たかどうかを
心配した。ミッシュブロートのお礼が森で摘んだお花なんて、どう見たって公平ではなかったからだ。
「そんなことない。すごくきれい……」
桃色のガーベラがよほど気に入ったのか、グレーテルは、今度、自分にも花飾りの作り方を教えてほ
しいとユーデリカにお願いした。ユーデリカの表情がパァっと明るくなる。
「うんっ! じゃあわたし、そろそろ帰るね。明日の分の観賞料を探してこないといけないから。
ばいばいグレーテルちゃん。また、明日……」
ユーデリカがグレーテルに手を振って森の中へと駆けていく。グレーテルはユーデリカを見送った後、
明日も明後日も、もし彼女が紙芝居を観られないような状況に陥ったら、友達として自分が何とかし
ようと決意した。




