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咆哮のグレーテル  作者: 胡桃ヌイ
★第八章 『ハーメルンの笛吹き男』――Kapitel 8:Rattenfänger von Hameln――
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Ⅱ 『夢の中①』

東雲(しののめ)(かす)かな光が昇る頃。グレーテルは誰よりも早くに起き出していた。

昨日見た紙芝居の続きが気になって、いつもよりも早くに目を覚ましたのだ。


寝巻き姿からディアンドルに着替え、二階の寝室を出て一階の炊事場へと降りて行く。

静まり返った所帯場は青白い光と相俟って、少しひんやりとしている。朝方の気温低下が窺い知れた。


グレーテルは大きな水瓶を覗き込み、中の蓄水量を確認した。貯水槽に充分な水が入っている場合は、

そのまま朝食の準備に取りかかれるのだが、極端に少ない場合は、裏庭の(たて)井戸まで水を確保

しに行かなくてはならないのだ。


グレーテルは洗い場から木桶を持ち出して、軒先をくぐり裏庭へと向かった。


ホーム『魔女の家』の竪井戸は、実家のような手押しポンプ式ではないため、

井戸の上屋に取り付けてある滑車(かっしゃ)を使って、木桶を井戸の底へと降ろさなければならない。

当然、空の木桶を降ろした時よりも、水の入った桶を引き上げる時のほうが重たくはなる。


木桶いっぱいに水を汲み上げて、グレーテルは再び炊事場へと戻った。木桶から水瓶に水を移し変え、

今度は石窯(いしがま)の蓋を開けた。朝食のミッシュブロートを焼き入れするために、石板を温める。


石窯は燃料を焚いて石板を温め、その上にパンを置いて焼き上げる元始的な加熱器だ。

熱せられた石から発せられる『遠赤外線効果』を利用することで、水分が必要以上に蒸発することを

防ぎ、外はこんがり、中はしっとり・もっちりに。素材の風味をぎゅっと閉じ込めた、おいしいパン

を作ることが可能なのだ。


グレーテルはシンク台から昨晩のうちに発酵させておいたパン・ド・メティユを運び、

石板の上に丁寧に並べていった。蓋を閉め、石窯の前にしゃがみ込む。時々、火かき棒を使って温度

の調節を行い、パンがふっくらと焼き上がるまでの間、グレーテルは窯の前でパンと睨めっこをした。


絶対に焦がすわけにはいかない。なんたってこのパンがなければ、今日の紙芝居が見られないからだ。


「おやおや? 今日はいつにも増して早いじゃないか」


香ばしい匂いに引き起こされて、魔女が目覚めと共に炊事場へとやってくる。いつもなら、魔女が目

を覚ます、この時間帯にグレーテルが起きて来て、それから手分けして朝食の準備にしかかるのだが、

今日に至ってはそのほとんどを、グレーテルが一人で終わらせていた。


「ふむ……それじゃあ私は、スープでも煮込もうかね」


グレーテルにパンの仕上がりを任せ、魔女は大鍋に材料を放り込んだ。朝食の献立は、パンとスープ、

粉ミルクにピクルスと決まっている。そして、この頃になって、ようやく所帯場に明るみが宿りだす。


「おはよう……おばあさん、グレーテル」


グレーテルがパンを焼き入れてから1時間後。眠気眼をこすりながら、ヘンゼルが炊事場へと現れた。

妹と違って今日はやや遅めのお目覚めだ。ヘンゼルは二人に起床したことを伝えると、その足で裏庭

の水場へと向かった。そのタイミングで、パンのほうも良い具合に焼き上がってきた。


両手にミトンを装着し、グレーテルは石窯の蓋を開けた。熱気に混じって、ライ麦の芳純な香りが鼻

につく。石板を取り出して、グレーテルはパンの焼き具合を確かめた。見た限り焦げてはないようだ。


「……うまく焼けた」


構えていた表情が柔らかくなる。満足のいく出来だったようだ。油紙を敷いたバスケットに、焼きた

てホカホカのミッシュブロートを重ねていく。


「グレーテルや。こっちもそろそろ完成じゃ。食器の準備をしておくれ」


コクリと頷いて、グレーテルは食器棚へと走った。スープ用の深皿とミルクを注ぐための持ち手付き。

バターナイフにスプーンと、テーブルの上がどんどんと華やかになる。食器を並び終えたグレーテル

はパンの入ったバスケットを食卓へと運んだ。


「うわ~いい匂い」


芳ばしい匂いに吸い寄せられて、裏庭からヘンゼルが戻ってくる。魔女が完成したスープを食卓へと

運び、スープが各お皿に行き届いたところで、


「さて、それじゃあ頂こうかね」


魔女が席につき、兄妹がその向かいに腰を降ろした。兄妹がお祈りをする。神と敵対関係にある悪魔、

それらと契約を交わしている魔女を前に十字を切る行為は、何だか不思議な光景ではあったが、それ

も最初のうちだけで、今では気にするようなことではなくなっていた。


「お前たち。食べながらで構わないから、ちょいと耳を傾けておくれ」


ミルクの入ったカップをテーブルに置き、魔女が重要染みた話を切り出した。


「ちょうど、次の満月の日に当たるんじゃが、魔女界において『黒ミサ』が開催されることになった」

「……黒ミサ?」

「うむ。ミサを模した魔女たちの狂宴、『サバト』というやつじゃ。今回で666666回目になる。 

 その記念すべき満月の夜に、各地方から有力な魔女が参加すると情報が入ったんじゃ。多情の魔女

〈キルケー〉に、人食の魔女〈バーバ・ヤーガ〉。他にも赤服の魔女〈デュエッサ〉に、性悪の魔女

〈トルーデ〉等、大魔女クラスが参加を表明しているらしい。それに伴って、私にも招待状が届いた

 というわけさ。偉大なる上位魔女の参加に敬意を表すようにとね」


魔女界のことは詳しくないため分からないが、目上の人にお酌をしろということなんだろうか。

ヘンゼルはジャガイモのスープに手をつけながら、魔女の重要話を一言一句漏らさずに聞いた。


「そんなわけで、その日の晩から次の満月が来るまで、私はホームを空けることになる。といっても、

 マホウノモリの術式を解除するわけにはいかないからのぅ……身体はそのままホームに残し、魂の

 みを使い魔に憑依させ今回の黒ミサに参加するつもりじゃ」


魔女の術式で敷かれているマホウノモリは、魔女の身体が魔術儀式で囲った陣内にあることが条件で、

印判場を離れてしまうと、マホウノモリはその機能をなさなくなってしまう。そのため魔女は、兄妹

の安全を優先し、肉体だけはホームに残していくことを二人に告げた。


「それに食料庫の蓄えも少なくなってきたところじゃ。雄鳥の鳴き声が聞こえ、黒ミサが終了したら、

 いくらかの食材を引っ張って帰ってくる。その間の食料は、今倉庫にある分だけになってしまうが、

 食い繋げるだけの食材はまだ残っておる。管理のほうはグレーテルに任せるよ」


魔女はグレーテルを見やり、不在時の食材管理を委任した。パンを頬張っていたグレーテルは、両手

でミッシュブロートを握ったまま静かに頷いた。


「ごちそうさまでした……」


グレーテルがパンを半分だけ残し席を立つ。食べ終わった食器を重ね、洗い場へと持っていく。


「ん? グレーテルもういいの?」


いつもなら残さずきちんと食べるのに、どうしたんだろう。ヘンゼルが不審に思い、妹に声をかけた。


「えと……あとで食べようと、思って……」


グレーテルが少し慌てた様子で返答する。紙芝居のことは魔女にはもちろんのこと、兄にさえも知ら

れてはならない。パンを持って外に出て行くことがバレてしまったら、魔女や兄に理由を問い詰めら

れるかもしれないからだ。音楽隊との約束は絶対。紙芝居のことは何が何でも内緒である。


いそいそと洗い場に逃げるグレーテルを、ヘンゼルは首を傾げて見送った。


――朝食後。ヘンゼルは薪を割るために中庭へ、魔女とグレーテルは朝食の後片付けに取りかかった。


「おばあさま……このあと、少し森に行ってきてもよろしいですか?」

「森に? ハーブなら昨日摘んできたはずだろう? それとも何か別の用事でもあるのかい?」

「その……えと……」

「ふむ。構わないよ。ちゃんと昼食の準備までには帰ってくるんだよ」


次の言葉が出せないグレーテル。そんな彼女を見定めて、魔女がグレーテルに外出の許可を下ろした。

グレーテルの表情がパァっと明るくなる。包んでおいたパンをこっそりヌイグルミの中に入れ、兄に

は花園へ行くとだけ伝えて、グレーテルはホームを後にした――


      ☆


ホームを飛び出したグレーテルは、一直線に森の広場を目指した。

だいたいの場所は覚えている。森を駆けるたび、背中のヌイグルミが浮き上がり、そしてまた沈んで

を繰り返す。その様子は、ムーちゃんがはしゃいでいるようにも見え、彼女?もまた、紙芝居を楽し

みにしているようだった。


広場には迷うことなく到着できた。道中、あの不思議な音色が風伝いに聞こえてきて、ヴァオの助言

通り、身体が広場の方向を指し示してくれたのだ。


広場にはすでに何人かの子ども達が集まっていて、切り株の前に座っておしゃべりをしている。


昨日よりも早くに着いたつもりだったが、それよりも早くに来ている子がいたことに、

グレーテルは驚いた。みんなもあの紙芝居を楽しみにしてるんだ……子ども達と気持ちが共感できて、

居心地がますますよくなってくる。


グレーテルは、木立の側で観賞料を回収している音楽隊のメンバーに近づいた。初回とは違い、今日

は紙芝居を観るために観賞料を支払わなければならない。何人かの子ども達も列になって並んでいる。


「はいはーい。みんな持ってきた食料品は、この袋の中に入れてねー」


お団子頭の少女が袋を広げ、子ども達から食料品を回収していく。グレーテルも列の最後尾に並んで、

ヌイグルミの中から朝食の残りであるミッシュブロートを取り出した。


「ん? 君は昨日、途中から参加した子だったな」


面長の少年がグレーテルからミッシュブロートを受け取り、隣の少女へと渡す。どうやらこの少年は、

子ども達の顔を一人一人覚えているようだった。


「君は小さいから、前のほうに座るといい」


少年にそう促され、グレーテルは子ども達が集まっている切り株の前へと移動した。これでようやく、

紙芝居が観られる。気持ちが高まって、顔が紅潮しているのが分かった。


「きみ、きみ~こっちこっち。わたしの隣が空いてるよー」


子ども達の輪の中から少女が一人、こちらに向かって手を振ってきた。花柄のワンピースを着て、頭

をお花盛りにした小柄な女の子だ。グレーテルのことを呼んでいるらしい。たしか、昨日も前のほう

で紙芝居を観ていた子だ。髪型が印象的だったから覚えている。


「えへへ……一緒に観ようと思って、席を空けて待ってたんだ。わたし、ユーデリカ。わっ!」


ユーデリカと名乗る少女の背後から、別の女の子が飛びついてくる。それに加えて、何人かの女の子

達がグレーテルの元に集まってきた。


「ユーデリカちゃん。一人だけ抜け駆けなんてずるいよ~わたしだって友達になろうと思ってたのに」

「ねえ、ねえ。あなたのお名前は? わたしはフラウミル。10歳だよ」

「わたしもわたしも」

「ちょっと~そんなに詰め寄ったら……」


たくさんの女の子に囲まれてグレーテルが困惑する。みんなグレーテルと友達になりたくて、我先に

と群がったのだ。周りには男の子達もいて、まるで、入学式を終えた後のホームルームのようだった。


カンカンカンカンカーン。開演を合図する拍子木が打ち鳴らされる。グレーテルに群がっていた子ど

も達が急いで自分の見物席に戻り、行儀よく膝を抱えて座っていく。演じ手のヴァオが子ども達の前

に登場し、紙芝居の始まりを口上した。


「昨日の続き、楽しみだね」


ユーデリカが両膝の上に顔を乗せ、隣のグレーテルに笑顔を向ける。グレーテルもそれに返すように

大きく首肯した。物語が昨日の続きから始まる。優しい音色に包まれて、森の広場に穏やかな時間が

訪れた。夢の世界へと扉が開かれたのだ。


グレーテルは不思議な感覚に溺れていた。同世代の子ども達がいて、仲の良い友達が出来て、みんな

が共通の紙芝居を目にして。もしも学校という場所に通っていたのなら、それはこのような感じなの

かと……彼女は一人の演じ手に大勢の子ども達がいる構図が、まさに林間学校のようだと感じていた。


厚手の画用紙が一枚、また一枚と引き抜かれていく。グレーテルは時間を忘れ紙芝居に夢中になった。

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