Ⅰ 『ブレーメンの音楽隊』
新涼の候――いつもの花園に、ハーブを摘みに行った帰り。
グレーテルは、優しくも不思議な音色を耳にした。どこから聞こえてくるのかは分からないが、
足並みを揃えたくなるような牧歌的な旋律だ。
いったい、どこから聞こえてくるのだろう……身体がウキトキして、いても立ってもいられなくなる。
グレーテルは音色の出所が気になって、音源を確認せずにはいられなかった。
「……少しだけなら」
本当はホームに早く帰って、昼食の準備や洗濯をしなければならないのだが、
この不思議な音色を聞いていると、そんなものがどうでもよくなってしまう。
グレーテルは花蜜に吸い寄せられるミツバチのように、優しい調べを追って森の中を探索した。
☆
カンカンカンカンカーン。
高く澄んだ音が響き渡る。開演を合図する、拍子木が打ち鳴らされた音だ。
「さあさあ~よってらっしゃい見てらっしゃい。黒い森での一休憩。楽しい話が盛りだくさん。
今日の話は何だろな? ちょいと座って見てごらん。小さなヒノキの窓からは、素敵な世界が飛び出して、
あなたに夢を、お届けリーファン。ぼくもわたしも友達も、良い子みーんなをご招待。すみからすみまで、
どうぞごらんあれ。それでは早速、本日の出し物『まだら男とネズミたち』の、はじまり~はじまり~」
ポンポンポンポンポーン。演じ手の口上に合わせ締太鼓が鳴り響く。
歓声が上がり、見物席から拍手が沸き起こった。見物人は、みんながみんな幼い子ども達である。
「おー。ヴァオくんの口上は、相変わらずうまうまだね~」
「そうだな。だからこそ、あの役を任せられる」
見物席から少し離れた木々の下。面長で筋骨隆々な少年と、つり目で中華風お団子頭の少女が、
仲間である演じ手を遠目に話し込む。そんな二人の近傍に、空からもう一人の仲間が着地した。
「イーアー、ミャウミャウ。今日の収穫はどんな感じだ?」
「ぼちぼちだな。でもまあ、新しい子どもが何人か釣れた」
「へぇ~やるじゃんピエッドのやつ。うちに志願してきたことだけのことはあるな」
「言葉を慎めキカリ。彼は俺たちよりも年上だぞ。音楽隊のルールを忘れたのか?」
イーアーと呼ばれた少年が、キカリという名の少女を叱咤する。少女は不満げな表情になって、
「はいはい。『年下には威厳を持ち、年上には敬意を払って接しろ』だろ。イーアー〝さん〟」
「俺のことは『兄貴』と呼べ。なんなら『お兄様』と呼んでも――」
「死ね」
キカリのすね蹴りでイーアーがひざまずいた。向こう脛を押さえ、無言で悶えている。
「ふんっ。ばっかじゃないの」
「き、キカリちゃん。すねはダメダメだよ~弁慶だって泣いちゃうんだからー」
もう一人の少女ミャウが、イーアーの腰椎を労わるようにさすってやる。
三人と演じ手を合わせた四人は、ここ『森の広場』を拠点に活動している、音楽隊のメンバーだった。
そしてもう一人。演じ手の隣で、静かに横笛を吹いている者がいる。
年齢は彼ら四人よりも年上の15歳。
風変わりな帽子に、色調の異なる絹布を一幅ごとに縫い合わせた、
色鮮やかなまだら服を着込んでいる。一見、宮廷道化師を想わせる、奇妙な格好の少年だ。
「だいたいさー、あたい、まだあの人のこと信用してないんだけど」
頭の後ろで両手を組み、キカリがイーアーを流し目で見た。イーアーはミャウに支えられて立ち上がり、
「〈ピエッド・ピッパー〉……彼は、この森で伝説になる男だ。俺たち『ブレーメンの音楽隊』と
手を組むことで、黒い森の支配者になる。教団の連中も、民謡伝承者も敵ではない。彼が描こう
としている『夢の世界』こそ至高。腐りきったこの森を、彼は変えようとしているのだ」
イーアーの力強い言葉に、キカリが納得したような表情になる。
「ふ~ん。ま、あいつのおかげで、飯にありつけているのは事実だしな」
「キカリ。何度も言わせるな。彼のことは――」
「〝『ゼデミューンデの戦い』を再現する者〟……だろ」
☆
不思議な音色の出所は、森の一部を開拓した『広場』と呼ばれる場所から、風伝いに聞こえていた。
広場にはすでに8~10人くらいの子ども達が集まっていて、全員が両膝を抱えて座っている。
どうやら音楽隊と思われるメンバーが、子ども達を前に催し物を披露しているようだ。
子ども達の他に、数名の座付き役者がちらりほらりと確認できた。
音楽隊は13歳~15歳の少年少女を合わせて5人で結成されていたが、
一人だけ、他のメンバーよりも一際目立っている男がいる。
その者は変梃な衣服を着用しており、子ども達の近くで浮き立つように横笛を吹いていた。
広場に集まっている子ども達も、グレーテルのように、この音色に導かれてやってきたのだろうか?
今なお吹奏されている叙情的なメロディーは、聞いているだけで、心までも奪われそうだった。
子ども達は優しい調べに耳を澄ませながら、切り株の上に特設された、小さな箱体に釘付けになっていた。
さほど厚みのない、木製の舞台箱だ。木枠の中にはアクリル板がはめ込まれていて、
子ども達の向かいに立っている演じ手が、箱体から厚紙を一枚引き抜いては子ども達に何かを語っていた。
みんな何を見ているのだろう……グレーテルは木立の間から半分だけ身体を覗かして、
遠くから子ども達の様子を窺った。
内心では、自分もあの箱体の中に何があるのかを見てみたい……そのようには思っているものの、
子ども達の輪の中に、自ずと入っていく勇気は持ち合わせていなかった。
結局、誰かに引っ張ってもらわなければ、自分は前へと進めないのだ。今も昔も変わっていない。
兄がいなければ、自分一人ではなんにもできないのだ。
ヌイグルミを抱く手がギュッと強くなる。
みんな、楽しそうだなぁ……心地よい音色がそう感じさせているのか、
グレーテルの心は、ますます箱体に奪われていった。
「あ~きみきみ。だめだよ~そんなところから観てちゃあ。こっちにおいで」
そんな彼女に気がついたのか、子ども達に見せ物を提供していた演じ手が、
木立の側で様子を窺っていたグレーテルに、こちらへ来るよう声をかけた。
グレーテルはびっくりして木立の影に身を隠したが、箱体の誘惑にすぐさま負けてしまい、
もう一度、チラっと顔を覗かせた。
「おいで、おいで。楽しいお話が待ってるよ」
演じ手が笑顔で手招きをしている。子ども達の視線もグレーテルに集まっていた。
グレーテルはヌイグルミに顔を埋めながら、木立の側をそっと離れた。
演じ手に誘われるまま、ゆっくりと子ども達の輪に近づいていく。
みんな、自分を受け入れてくれるのだろうか……不安と期待が胸の内で膨らんで、
足を一歩踏み出す度に、心臓が破裂しそうになった。グレーテルが子ども達と一緒になる。
「わー新しい子だぁー」
「かわいいヌイグルミ」
子ども達はグレーテルの姿を見て、温かく迎え入れてくれた。
よくよく見てみると、みんなグレーテルと同じ歳くらいの子ども達ばかりだ。
「はじめまして、お嬢さん。僕はここで演じ手をやっている音楽隊のヴァオ。そして僕の隣にいるのが、
『語り笛』を一任してくれている、音楽隊笛吹き担当のピエッド。どうぞ以後お見知りおきを」
演じ手の少年が自身と、隣のまだら服を着た少年を紹介した。
まだら服の少年は、深く被った帽子の隙間からグレーテルのことをチラりと一瞥すると、
目を伏せて、静座をするように演奏で促した。
「さあ、座って座って」
笛吹きの音色と演じ手のヴァオに後押しされ、グレーテルは隣にムーちゃんを置き、
子ども達と同じように両膝を抱えて箱体の前に座った。
「それじゃあ、話の続きを始めるよ」
箱体の中には、クレヨンで描かれた絵が何枚にも渡って納まっていた。
演じ手が絵の内容を語っては一枚引き抜き、次の絵が現れては物語が繋がっていく。
箱体の正体は『紙芝居』というものだった。
グレーテル自身、こうやって紙芝居を見るのは初めてで、似たような類で彼女が知っているのは、
お月様の綺麗な夜にだけ兄が読み聞かせてくれた、『絵本』というものだけである。
絵本や紙芝居は文字だけの物語と違い、物語の一部を『絵』が表現してくれていて、
文字を想像へと変換するのが難しいグレーテルにとっては、物語を視覚から取り入れやすく、
すぐに夢中になった。
紙芝居の内容は、まだら服を着た男が、粉ひきのところに住み込みで働かせて欲しいと頼んだが、
冷淡にあしらわれて、ネズミを粉ひきの小屋に溢れんばかりに送り込んだ――という復讐もので、
グレーテルは次の絵が現れるたびに、悦服した様子で恍惚の眼差しを紙芝居に向けた。
演じ手の巧妙な語りと、笛吹きの心安らぐ音色が、繭の中にいるような穏やかな気持ちにさせてくれる。
出来ることなら、ずっとここにいたい――そう思わせるほどに、グレーテルは紙芝居の虜になっていた。
「はーい。それじゃあ今日はここまで。気になる続きはまた明日。さあさあ、帰った帰ったー」
カンカンカンカンカーン。演じ手が拍子木を打って幕引きをする。本日の紙芝居を見終えた子ども達は、
物語の余韻に浸ったまま、うっとりとした表情で森の中へと駆けていった。
一人残されたグレーテルもムーちゃんを懐に抱き、名残惜しそうに重い腰を上げた。
途中からの参加だったが、気がついた時には、どんどんと物語に引き込まれていて、
今だに頭の中で物語が踊っている。
演じ手の締め口上では、続きはまた明日と言っていたけど、すぐにでも続きが観たい気分だった。
「あーきみきみ。帰る前に一つだけ。『観賞料』について言っておかないとね」
帰路に就こうとしたグレーテルを、演じ手の少年――ヴァオが言い留める。
「……かんしょうりょう?」
「うん。今回は初めてだったから特別に無料にしてあげるけど、明日からは紙芝居を観るのに
〝観賞料なるもの〟を用意してくるんだよ。僕たちもこいつで生計を立てているからさ。さすがに無
料ってわけにはいかなくてね。今日の紙芝居おもしろかったでしょ?」
音楽隊は子ども達に紙芝居を提供する代わりに、そのお代として、観賞料を頂いていた。
「でもわたし……お金、もってない……」
観賞料と聞いて、グレーテルが下を向いた。
黒い森へ来る前、貯めておいたわずかな貯金は、家庭のためにと全てを母親に預けたし、
森に来てからは、通貨とは縁の遠い生活を送っている。
ホームの宿主である魔女ドロテーアにお願いすれば、もしかしたら、
お小遣いと称して、いくらかの金銭を渡してくれるかもしれないが、そんなことは口が裂けても言えやしない。
むしろ、そんなことを口にしようなど、今までに考えたこともなかった。
お金なんかなくたって、生活に不自由はないし、ホームがあるだけでグレーテルは幸せだったからだ。
「……お金がないと、かみしばい、観れないんですか?」
グレーテルが上目遣いでヴァオに問いかける。彼の言ったとおり、今日の紙芝居はすごく面白かった。
今ですら続きが気になって、身体がソワソワしている。明日と言わず、明後日も明々後日も、物語が
続く限り、グレーテルはここに通い詰めようと思っていたほどだ。
「ハハハ。心配いらないよ。観賞料と言っても、紙幣や硬貨などの通貨じゃなくて構わない。お金なんて、
この森じゃあ何の役にも立たないからね。ここで言う観賞料とは、こんな感じのモノを指している」
ヴァオがズボンのポケットからクシャクシャの紙を取り出して、目下のグレーテルに見えるように広げた。
**************【☆紙芝居★観賞料☆】**************
* *
* ■ミッシュブロート…………1/4斥(約80~100g) *
* □無発酵パン…………………半斥(約170~200g) *
* ■麦・米………………………各一合 *
* □豚・鹿の肉…………………200g(ただし、腐肉は除く) *
* ■兎・鶏の肉…………………250g(ただし、腐肉は除く) *
* □ぶどう酒……………………500ml *
* ■ジャガイモ…………………2個 *
* □淡水魚………………………小一匹、大半匹(収獲してから半日以内) *
* ■菓子類………………………手のひらにいっぱい *
* □香辛料………………………小瓶3目盛り(150ml) *
* ■果実…………………………丸い物120g、太い物50g、長い物100g *
* □その他etc………………その場で検討(食料品以外は要検討) *
* *
***************************************
「まあ、これはほんの一部だけどね。要するに、この中のどれか一つだけを僕たちに納めれば、
楽しい楽しい紙芝居が観れるってわけさ。今日いた子ども達も新しい子以外、みんな納めていったよ。
ん? どうかしたかい?」
難しい顔で紙を眺めるグレーテルに、ヴァオは首をひねった。
「えと……なんて書いてあるのか、よめなくて……」
「え? ああ、オーケーオーケー。文字が読めないんだね。気がつかなくてゴメンよ」
ヴァオは紙に書いてある内容を、グレーテルに分かりやすく読み上げた。
黒い森に来てから毎日のように学習に励んでいるが、文字の読みだけはまだまだ苦手だ。
「どうだい? これくらいの物資なら、君でも調達して来られそうだろう?」
グレーテルは少し考えて、コクリと小さく頷いた。発酵したパンなら、毎日の朝食で半斥は食べている。
それを半分だけ残して持ってくればいいだけだから、それほど困難なわけではない。朝食を少し抜けば、
紙芝居が観られる金額だ。
「うんうん。それじゃあ明日もこの場所で待ってるよ。道に迷ったら、笛吹きの演奏がここまで案内してくれる。
心配することなんてなんにもないからね。それともう一つだけ」
「???」
「この場所のことや、僕たち音楽隊のことは、絶対に誰にも喋っちゃいけないよ。家族はもちろんのこと、
兄弟や仲間にもね。人が増えすぎちゃうと、物資を奪ってやろうって輩が必ず現れるんだ。
君たちはそんなことはしないだろう? だからこそここにいる。君たちはピエッドさんの音色に選ばれた
『良い子たち』だからね。いいかい、これは約束だよ? きちんと守れるね?」
ヴァオからの真剣な注意事項を聞いて、グレーテルは力強く頷いた。
兄や仲間たちにも、この場所のことを教えてあげたかったが、彼との約束を破ってしまえば、
楽しい紙芝居の続きが、この先、観れなくなる可能性だってある。
こんなに楽しい物語が観れなくなるなんて……それだけは絶対に避けたかった。
グレーテルはヌイグルミを背中に回すと、紙芝居の余韻を残したまま、真っ直ぐにホームへと駆けていった――




